第20話 ネゴシエーション
―???―
そこは、どこかの地下であろうか、日の光も全く到達できない暗黒の空間であった。しかし、メンタルスフィアの薄緑色の淡い光が、その空間においては白熱灯のような役割をしていたので、ところどころ様子を窺うことはできる。ただ、その光に照らされているものは全て緑に見えてしまうので、ほとんど黒と緑で支配された怪しい世界なのであった。また、そこは巨大な講堂かなにかであろうか、とんでもなく広い空間がドーム型の円形に広がっており、天井もきわめて高い位置にある。
「我が学徒達よ、よく集まった」
ふと、静寂を破って、ひとりの男の声が講堂の中に響き渡った。
「おはようございます、先生」
まるで小学校の朝礼会のように、何人かの『学徒』と呼ばれる者たちの挨拶が、一斉に講堂に響いた。
「さっそくだが、本題に入ろう。諸君らも周知のとおり、先日、横浜の『ユグドラシル』が破壊されたようだな。偵察に向かわせた『ベルセルク』を通して判明した。もっとも、ベルセルクも帰ってこないことからして、あれも破壊されたというべきか・・」
その広い講堂の中心には、暗くてよくわからないが、なにか巨大なものが鎮座していた。そこからは、淡い薄緑色の光がゆっくりと脈打つように存在しているのを見て取れる。また、その物体が前に差し出した手のひらの上に、ひとりの男が分厚い本を読みながらくつろいでいるのである。
「はい、先生。ベルセルクの破壊も確認されております。また、ユグドラシルの対実無効シールドを人間の兵器が破ることは不可能です。したがいまして、ユグドラシルを破壊したのは裏切り者の『奴』によるものでしょう」
講堂の中心からみて、北西方向にある薄緑色の輝きを持つ巨大な物体から若い男の声が響いた。
「おいおい、あまり私の友人のことを『奴』などと呼ばないでくれたまえ。君の気持ちもわかるが、彼の意思も尊重してあげる必要もあるだろう」
『先生』と呼ばれる人物は、やさしく甘い声で若い男を諭す。それを聞いた男は、『先生』の気分を害したことを心より反省したのか、地面にへばりつくような体勢になって言う。
「申し訳ありません、先生」
先生は、ひどく自省の念に駆られてしまっている男を一瞥して言う。
「しかしながら、君の言うことももっともだ。ユグドラシルが破壊されるとなると人間の精神をこちらに転送できなくなってしまう。彼の意思を尊重するあまり、ユグドラシルが全て破壊されてしまうというのも本末転倒か」
「先生・・。私たちはいつでも出撃する準備を整えております」
南西の方角から、教養にあふれた青年が極めて腰を低くし、『先生』に申し上げる。無論、その後ろには巨大な物体。
「あの方も、我々とは目的こそ違えど、目指すところは同じであると思っていましたのに、これではただの妨害工作ですね」
北東の方角からも、高貴な少女の高い声が響く。この少女もまた、メンタルスフィアが輝く巨大なモノを背にしていた。
「先生、いかがいたしましょう?お申し付けがあれば、私が直ちに彼を始末しに参りますが・・」
「そうだな、彼には悪いが、あまりに我々の邪魔ばかりするのであれば、死んでもらわねばならないな」
中心にいる『先生』と呼ばれる男は、そういって、本をぱたりと閉じ、ゆっくりと立ち上がった。
「先生、そのお役目は是非わたくしめが」
「いぇ、わたくしこそが」
「何を。貴様らではなく、わたくしこそが相応しい」
四方から、我こそはという名乗り上げがすさまじく、暗い静寂に包まれていた講堂はバーゲンセールの会場のように怒号の飛び交う修羅場と化した。また、広い空間であるだけに、大きな音はただでさえよく響くのである。
「静粛にせよ」
たまりかねた『先生』は、子弟たちにそう告げた。すると、合戦場ではないかと思うぐらいの喧騒は、すぐに静まった。
「皆でかかればよい」
『先生』は尋常でない殺気を講堂全体にふりまき、静かにそういった。
「彼ははからずも私の友人だからな。君達が単独でかかるならば返り討ちに遭う可能性もある。であるから、皆で行き、徹底的にあぶり出し、追い詰めて殺せ」
「はい、先生」
子弟達はそれぞれの位置で跪き、自らが受けた命の重圧をひしひしと感じて、頭を上げることすらできずにいた。
「それと、彼は殺してもよいが、彼の『アニミスト』は取り返さねばならない。『アニミスト』は絶対不可欠というべきものではないが、あれの有無は我々の命題遂行に大きく関わるからな。したがって、完全にあれを破壊することは避けるのだ」
「わかりました、先生」
子弟達に、再びことばの重圧がのしかかる。彼らは未だ、頭を上げることすらできずにいる。
「では、わが学徒達よ、行くがよい」
『先生』は細長い右腕をなぎ払い、声高に命じた。
「はい。朗報をご期待ください」
そう言うと、講堂の全体に散らばっていた巨大な物体は次々と厳かに消えていった。それによって、いくつかあった緑色の光が消え、講堂の中は極端に暗くなる。ただ、講堂の中心に一点だけ光源が残っていた。
(君はなぜ今になって、私の邪魔をしようとする。かつて、君が切望した世界がもう目の前にあるというのに。なぜだ)
『先生』は悲しい目をして、唯ひとつ残された淡い一筋の光を見つめ続けていた。
(二)
―多摩地区―
弥生遼子とグレイこと黒井珀は、東京都の西端にある多摩地区を訪れていた。なぜ、彼女らがここにいるかというと、目的はいろいろとあるのだが、大掴み的に言うとBlack Well社の代表取締役会長と会うためであった。
かつて、Black Well社は東京の大オフィス街、大手町にそれは巨大なビルを所有していたのであるが、なんせこのご時勢である。あの付近のビル街は、徹底的に鬼に破壊され、同社は比較的安全な多摩地区を本拠とすることにしたのであった。ちなみに、現在ではこういった選択をやむを得ずにとることとなった企業は極めて多く、過密都市と過疎地域の逆転事象が起きつつあるのだ。たとえば、東京の山手線内側など、ほとんど人が住んでおらず、逆に山梨県や福島県などの地方に異常な人口の過密状態が生じてしまっている。
Black Well社の本社ビルは、小田急多摩センターのにぎやかなビル街にあり、その中で最も背の高いのが、今からふたりが立ち入ろうとしているビルであった。それは、太陽の光をガラス張りの壁面に一身に受け、光の反射によりきらきらと輝いているのである。また、見下されるように立っている辺りの背の低いビルも、その光の恩恵を受けて輝いていた。
「それにしても、すごいビルね。うちとは比べ物になんないわ」
弥生は、平べったい自分の事務所と比較して、その格の違いを感じ、内心緊張が生まれていた。
「ここに来るのも久しぶりだな」
グレイも天へと伸びる巨大なビルを見上げては、頭の上がらない父親の顔でも思い出しているのか、息を呑むのである。
「あんた、別について来なくてもよかったのよ。ゲイボルグ盗んできたんじゃ、怒られるの目に見えてるでしょうに・・」
弥生は眉をしかめながらいった。正直なところ、商談中に親子喧嘩でも勃発して、交渉決裂にでもなったらと思うと笑えないのだ。
「まあ、そういったところも清算するためですよ」
グレイはビルの天辺を見上げながら、腹をくくったような表情でそういった。そんなグレイの表情を見た彼女も、グレイにつられて腹をくくったような気分になり、なんとなく落ち着いてきた。
「わかったわ。じゃあ、行きましょ」
ふたりは、弥生を先頭にして、グレイを引き連れるような形で、Black Well社本社ビルのエントランスゲートへと向かった。
(三)
Black well社のロビーに入ると、まるで一流ホテルの待合室にでも訪れたかのような光景が広がった。巨大すぎる吹き抜けの天井には、豪勢なシャンデリアが垂れ下がり、柔らかなクッションが張り込まれたソファーが並ぶのだ。しかも、ロビー中央にはミニ日本庭園というべきものがあり、その小さな池には高価な鯉が優雅に遊泳している。
弥生は、そんな光景に目を奪われながら、受付けの方向を無心に歩く。
「おや?これは、これは・・・坊ちゃま。坊ちゃまでありませんか!!今までいったいどちらにいらしてたのですか?それに、お隣のお連れの方は?」
ふたりはビルのエントランスを通過するなり、間もなく従業員の質問攻めに遭う。一介の従業員とはいえ、このロビーに見合う、高級なスーツを召していて、もはや品のよい執事に見えた。反面、このような光景に慣れきっているグレイは、彼に会ったことによって一気にだるそうな顔になる。
「あぁ・・・。そんなことより、親父いる?ちょっと前にアポ取ってただろ?俺さ・・今日はその件でここに来たんだ」
これを聞いた使用人は相槌を打つ。
「とすると、お連れの方は東京陸運保険機構の弥生様ですね」
「え・・えぇ」
その従業員は、弥生に対して深深と、礼のこもったお辞儀をする。反対に弥生は、グレイがとんでもないところの御曹司であることを改めて認識し、ただただ狼狽するばかりであった。
「お待ちしておりました。これより、わたくしめが会長室へとご案内いたします」
使用人は、ふたりに先んじて前方にあるエレベータへと向かった。ふたりもこれに続く。
「塩野、親父はやっぱり怒ってるか?」
グレイは塩野と呼ばれる使用人に問う。
「家出のことですか。いつもどおりの反応をなさっていましたよ」
塩野は笑って答えてくれた。
「マジかよぉ」
グレイは苦虫をすりつぶしたような顔をして嘆いた。
「坊ちゃまは相変わらず会長が苦手なようですね」
「まあな・・」
このやりとりを見ていた弥生は、ゲイボルグ盗難事件がふたりの笑い事で済んでいることからして黒井家では日常茶飯事の事件なのであろうと考えた。
そうこうしている間に、エレベータが一階に降りてきた。
「さぁ、どうぞお乗りください」
ふたりが先に、無駄に広いエレベータに乗ると、塩野がそれに続く。エレベータのスイッチは60階まであり、相当高いビルであることが分かった。ちなみに塩野は最上階である60階のスイッチを押す。そして、ドアが閉まると、エレベータはものすごい速さで、かつ静かに上昇した。
エレベータが動き出してから、数秒沈黙が続いていたが、塩野が急に口を開いた。
「それにしても、坊ちゃまがこんなにお綺麗な女性をお連れするなんて、この塩野、大変驚きました」
「ちげぇよ、社長はあくまで社長だ。俺は、一介の従業員として社長のお供として来ただけだからな」
「おや、坊ちゃまがご就職なされたとは知りませんでした」
「ああ、家出の後に就職したから、誰にもいってないんだ」
「そうでしたか。弥生様、どうか坊ちゃまをよろしくお願いいたします」
塩野は弥生に向かって、何度もお辞儀をする。
「いえ、グレ・・珀君にお世話になってしまっているのは私のほうですよ」
弥生はいつもの癖で、グレイと言いそうになったが、慌てて修正する。
「弥生様も坊ちゃまのことを『グレイ』とお呼びになるんですね」
しかし、塩野はそれに気づき、笑って応えてくれた。
「えぇ、彼がそう呼ばないと怒るので・・」
「ちなみに『グレイ』というのは、今は亡きお嬢様が・・」
塩野が人差し指を立てながら『グレイ』の由来を説明しようとした。
「塩野、叩き切るぞ。てかもう60階に着く」
グレイは顔を真っ赤にしていうのであった。そして、グレイの言うとおり、ちょうどエレベータは60階に到着した。
「坊ちゃま、失礼しました。さぁ、どうぞお降り下さい」
ふたりがエレベータを降りた後、塩野もそこから降りて、ふたりの前を行く。すると、すぐに『会長室』が発見できた。
「どうぞ、こちらです」
そして、塩野が会長室への扉を開いてくれた。
「会長、東京陸運保険機構の弥生様をお連れしました。あと、坊ちゃまもお連れしたのですが、宜しかったでしょうか・・」
部屋の奥には、黒井会長が立っていた。あまり肉付きはよくなく痩せ型で、白髪だらけではあるが、グレイと同じく黒光りするような色黒の肌なのである。また、非常に貫禄が感じられ、豪腕な社長像そのものといった感じの男であった。
「珀・・、なぜお前が?」
しかし、よもやグレイが来るとは予想もしていなかったのであろう、さすがの黒井会長も客人を前にしても驚きを隠せなかった。
「それより・・。とにかく、弥生様、遥々ご足労いただき、申し訳ございません。ささ、どうぞお座りください」
黒井会長は革張りの高級ソファを指して、着席を促す。
「失礼します」
弥生は一礼し、そのソファへと腰かけた。グレイもそれに続く。最後に、弥生達のソファとは反対側にあるソファに黒井会長が腰をかけた。
「本題に入る前に、なぜ、あなたが珀を連れていらっしゃるのでしょうか?」
「親父、俺は弥生さんのところで働くことにしたんだ」
グレイが割って入るように応えた。
「そういうことでしたか。東京陸運保険機構様が、突然に商談をなさりたいと仰られたのも納得がいきました。ところで、弥生様にはこの馬鹿息子が迷惑などをかけておりませんか?」
「いいぇ、彼はよく働いていますよ」
弥生がこういうと、黒井会長は安堵したのか、大きなため息をついた。そして、グレイの方を見ては、強い目つきで言った。
「珀よ、就職が決まったなら決まったで、報告くらいせんか!馬鹿者!!」
「だって、ゲイボルグ盗んだ後だったから、言い出しにくいだろ」
「全く、お前というやつは、身体だけ大きくなって、中身は何ら変わってないな!!」
黒井会長は上半身を乗り出して、グレイの頭を殴る。
「ってぇな。わかってますよ、そんなこと」
「お前は何にもわかっていない!」
弥生を差し置いて、ふたりで親子喧嘩を始めてしまった。彼女が予想したとおり、やはりこのような結果になってしまったようだ。本当にこんなんで商談は上手くいくのだろうか?ほら、もう、お互いにほっぺたの引っ張り合いになってしまい、見るに耐えない状況である。
「あのぉ、そろそろ本題に入りませんか?」
たまりかねた弥生がふたりの中に割って入ると、黒井会長は顔を赤くしてかしこまってしまった。
「ゴホン・・。申し訳ありません、弥生様。見苦しいところをお見せしてしまいましたな。いい加減、本題に入りましょうか」
弥生は、豪腕で知られる黒井会長が、まさか息子の扱いにこれほどまでに手を焼いていたとは思っても見なかったので、この男が近しく思えてきた。たしかに、彼女もこのビルに来た時から、豪腕の黒井会長という幻影に緊張せずにはいられなかったのであるが、今ではもう彼女は、すっかりとくつろいでしまっている。これなら思った以上に交渉も上手くいきそうだと思えた。
「さっそくですが、御社の新製品であるゲイボルグをうちで使用させていただきました。もちろん、搭乗者は彼ですが。それにしても、非常にすばらしい製品であると思います。あとこれは、ゲイボルグの戦闘データです。宜しければお納めください」
そう言って、弥生は大きな封筒を黒井会長に手渡した。
「これは、面目ありませんな。ゲイボルグの実戦データに関しては、私どもも何一つ行ってませんので、非常に助かります。喜んで、後で拝見しましょう」
「そちらの資料に詳細は書かれておりますが、ゲイボルグの実力を目の当たりにして、私どもは御社の技術力を非常に評価しております。そこで、御社と機構とで、共同して新型兵器の開発をしてはいただけないでしょうか?」
「新型兵器・・といいますと?」
黒井会長は、眉をしかめた。しかし、弥生は関係なく話を続ける。
「会長もご存知とは思いますが、わが社は日本で唯一赤鬼の討伐に成功しています」
「はい、新聞で読みました。そのような方がわが社に来られると言うので、私も緊張していたのですよ」
「したがいまして、オーガに関するデータはどこよりも豊富に存在するのがわが社の強みでして・・」
それを聞いた黒井会長は大きく目を開いた。
「弥生様、新型兵器とは・・まさか・・!!」
そう、ゲイボルグの人工筋肉の技術と豊富な鬼のデータとが有機的に結びついて、黒井会長は弥生の結論を待たずしてそれに気づいたのだ。
「そうです。真正オーガです」
弥生はその切れるような目を光らせ、微笑むように言った。
「そんなことが、可能なのでしょうか?」
黒井会長は身の毛のよだつような恐ろしさを感じつつも、好奇心から弥生の話にのめりこんでいく。それは、肝試しをするかのような怖いもの見たさに近いといえる。
「この資料を見て下さい」
弥生は、予め手元に用意しておいた写真付きの資料を、黒井会長にも見えるようにテーブルの上に置いた。
「これは、ゲイボルグですね」
黒井会長はルーペを手に取り、目を細めながら、写真内容をつぶさに観察する。たしかに、そこには赤鬼にやられてボロボロになったゲイボルグが写されていた。足も胴体も、ことごとく破壊され、とてもではないが、ゲイボルグは立ち上がれるような状況ではない。しかし、そのような身体であるにもかかわらず、ゲイボルグは立っていた。しかも、その胸にはオーガの証たる緑色の光が強く輝いているのだ。
「これは・・・」
写真が映し出す怪異を目の当たりにし、黒井会長は戦慄する。
「そう、このゲイボルグ、もう‘鬼’なんだよ、親父」
グレイはテーブルの上にあった茶菓子をつまみながらいう。そんな息子が、どや顔で放った言葉が決定打となったのだ。
「まさか・・」
黒井会長は顔の表面に冷や汗を滲ませてきた。なぜなら、この話が全く嘘とは思えず、完全に信用している自分がいて、恐怖を覚えたからである。このゲイボルグの尋常ならざる右腕。そして、胸部のメンタルスフィア。この緑色の輝きこそが、人工物と真正オーガとの決定的な差である。まさか、自分のゲイボルグが鬼になるなど、にわかに信用できないが、この写真を見る限りでは信用しないわけにはいかない。
「このことから、人の手によって、真正オーガを作ることは可能なんです。会長」
黒井会長は、弥生の言葉が耳に入っているのであろうか、何度でも鬼と化したゲイボルグを見る。仮に、こんなことが可能であるとして、これは人の業を越えすぎている。余りに恐ろしすぎるのだ。しかし、これが成功すれば、この国の歴史そのものを変えることすら可能である。
「たしかに、私の考えていることは恐ろしいことでしょう。私のことを軽蔑してくださっても結構です。しかし、我々人間は鬼の力を借りなければ、生き残ることができないのは確実です。どうか、お力添えをお願いします」
「親父、俺からもお願いします」
ふたりは立ち上がり、黒井会長に頭を下げた。
「頭をお上げください」
黒井会長は、落ち着いた声でそういった。言われるがままにふたりは頭を上げると、黒井会長が手を差し出していた。彼は、浮いた冷や汗をハンカチで拭い、腹をくくったように、やけに穏やかな表情を見せたのだ。
「いいでしょう。私も、鬼どもに一泡吹かせてやりたいのですよ。やつらに大切な娘を奪われてしまいましたからね。だからこそ、私も心を鬼に売ろうではありませんか」
そういって、彼は弥生の前に右手をもっと突き出してきた。弥生はその手を取った。
「会長、ありがとうございます」
「親父、ありがとう」
こうして、弥生のおそるべき交渉は成功した。