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第19話  say good-bye

―東京陸運保険機構事務所―

赤鬼討伐作戦があった日の3日後。仮眠室で俺はいまだに自己の去就を未だ決めかねていた。

もちろん、この3日間で小田原次官補は執拗に防衛省に来るよう、幾度となく働きかけを行ってきた。時には、『娘です』とか言って、まだ幼い少女を事務所に連れてきては、『この子の未来のためにも』とか言って泣き落としの作戦に入る。終いには、まだ拙い字で書かれた『おてがみ』まで送られる始末である。そこには当然、小田原の娘なる少女の切なる願いが記載されていた。

俺としては、いたいけな少女の気持ちまでをも利用する小田原のことは完全に嫌っていたが、自分の力が各方面から求められていることに悪い気分はしなかった。あまり世界のためとか、そういった大層な理念を掲げるようなことはしたくなかったが、日々、鬼に襲われかねない状況の中でびくびくとしている子どもたちを助けてやりたいという気持ちもないわけではない。


「あーわからん」


ふと、その時、仮眠室の扉が開く。


「あら、まだ悩んでんのね」


ひょいっと、顔をのぞかせたのは弥生遼子であった。


「あ、社長ですか・・・。どうにも決心がつかないんですよね」

「あんたがきっぱりと断らないからよ。あいつは可能性がある限り、どんな手でも使ってくるわ」


弥生は、壁に寄りかかり、大きくため息をついた。ちなみに、『あいつ』とはもちろん、小田原のことである。


「すいません・・」

「まぁ、あんたは甘いからね」


弥生は、もう仕方ないか、とでも言うようにボソッと言う。


「どうすればいいんだろうな・・」


弥生は応えない。代わりに、胸元からタバコを取り出しては火を点ける。


「うちはあんたがいなくても何とかなるわよ。人材の取引ってわけじゃないけど、ナインがうちから防衛省に行けば、対価として莫大な金が入るみたいだし」


弥生はそういって、煙をすぅーっとはく。


「でも、正直心配なんですよ。あの黒い鬼がまた出てきたらと思うと」


ナインはそういうと、弥生はナインを細い目でにらみつけた。


「私たちの心配なんていいの。あんたは今、自分がどうしたいのかをしっかりと見極めて、それを選択しなさい」

「自分のやりたいことですか・・」

「それに、あんたが防衛省に行ったからって2度と会えなくなるわけじゃない。一緒に仕事をすることもあるだろうし、プロトオーガならすぐにここへ来れるでしょ」


そういって、弥生はもう一度深くタバコを吸う。


「たしかに・・」


俺は、彼女の口から立ち昇る煙を目で追いながら、虚物化によりいつでも帰還できることを思い出した。


「とにかく、明日もあのハゲがくると思うから、そこで白黒はっきりしてもらうからね。もうあのハゲを見るの、我慢ならないのよ」


そういって弥生は、小田原を踏みつけるがごとく、タバコを灰皿に強く押し付けた。


「・・・わかりました」


俺の気のない返事を聞くと、弥生はさっさと出て行ってしまった。


(詩季、俺はどうすべきなんだろう)



(二)

その頃、詩季は自分の部屋にいた。彼女は親元を離れて、安い事務所近くのマンションの一室を借りていたのである。盲人である彼女が比較的危険な町田に住むのは不合理とも思えるが、防衛能力の高い事務所が近くにあるのでそこまで危険というわけではなく、存外、最善の選択なのかもしれない。


「・・・」


詩季は、点字の書物をその触覚で解読中のようだ。これに慣れてくると、案外、目で追うよりも速く本が読めたりするらしい。ただ、点字の本は分厚くて、扱いづらいという欠点がある。


「くぅん」


その時、きゅうすけが、走ってくる気配がした。口にはブルブルと振動する携帯電話がくわえられている。


「あ。きゅうちゃん、ありがとう」


詩季は、本を置き、きゅうすけから携帯電話を受け取る。


「はぁい、もしもし」

『詩季、ナインだけど、今からちょっと会えないか』

「ナイン君?」


詩季には電話の向こうのナインの口調が、どこかおどろおどろしく感じられた。そのため、彼女は、ナインに何かあったのだろうと具体的にではないが、嫌な予感をせずにはいられなかった。



(三)

「おじゃまします」


ナインから連絡があった後、暫くしてナインが詩季の部屋にやってきた。玄関では詩季ときゅうすけが出迎えてくれた。


「ごめんね、うちまで来てもらっちゃって」

「いや、近いから大丈夫」


詩季の部屋は、およそ事務所から歩いて3分のところにある。むしろ、エレベータを待っている時間の方が長いのではないかと思うくらい近かったのだ。


「あ、とりあえず上がって」


詩季はLDKのやや小さな部屋の奥へと行ってしまった。俺は靴を脱ぎ、それに続く。


「何にもないけど、気にしないで」


彼女が言うとおり、詩季の部屋は白一色の家具で統一されていた。絵画や花、写真といった、目で見て楽しむようなものは一切存在しない。寝るところと、本棚、机など、必要最低限のものしかないのだ。無論、テレビのようなものも取り払われている。それは、彼女には物の色などを感じることができないからであろう。それにしても、病棟のような冷たい感じのする部屋であった。


「立ってないで座ったら?いまお茶煎れるから」


詩季はキッチンの方へ向かう。


「そんなの俺やるって・・」

「大丈夫よ、これくらい。毎日やってるから」


キッチンの方で、食器のぶつかる音がするが、彼女の意思を尊重し、ナインはその場に座り込む。


「それより、はなしって?」


蛇口をひねったのか、水がシンクにはねる音がする。


「ああ、防衛省への転職の件だよ。どうしようかなって思って」

「どうするもこうするも、ナイン君がしたいようにすればいいんじゃない?」


詩季は茶の用意をしながら、淡々と弥生と同じようなことを言う。


「そりゃそうだけど」

「だから、大事なのはナイン君の気持ちなんじゃないかな」

「俺の気持ちか・・」


ナインは天井を見ながら、自分の考えを整理する。防衛省に行けば、当然に今よりも多くの鬼と戦う機会が増えるであろう。また、日本全国をまわり、様々な地域で自分の力を活かすこともできるようになる。こういった社会貢献も、ナインは嫌いではなかった。しかも、これはおそらく自分にしかなしえないことでもある。


「俺は、防衛省に行くべきなのかもしれない。もっと、自分の力を有効に使わなければいけないんだと思う」

「じゃあ、そのとおりにすればいいんじゃない」


詩季はやはり淡々と言葉を続けた。


「でも、詩季を置いていけない。詩季が心配なんだ。詩季が行くなと言うなら、俺はここに残る」


ナインがこのように言うと、詩季の手元がいったん止まったようだ。しかし、すぐに食器のぶつかる音が聞こえ始め、言葉を続ける。


「私は大丈夫。それに、みんなだっているし。ナイン君が心配することはないよ」

「そうは言ってもさ・・・」

「じゃあ、どう言えばいいのよ?」


詩季の口調が急に強くなった。


「どういえばって、俺はただ詩季が心配で・・」

「私を、お荷物みたいに言うのはやめてよ・・」


詩季は震えるような口調でそういったため、俺は動揺を隠せなかった。詩季を怒らせてしまったのか、と思い彼女の表情を覗うも、詩季は下を向いていて表情はわからない。何かまずいことでも口走ったのだろうか。


「詩季・・?」

「私、ナイン君の足を引っ張ってばかりだからさ・・。あなたの足かせになるのは、イヤなの・・」

「詩季・・、俺はそんな・・」

「だって、そうでしょ。私もみんなみたいにもっと強かったら、ナイン君は迷わずに行けたはずだもの。私なんて、お荷物なんでしょ」

「・・・・」


防衛省へ行くべきだが、詩季が心配だから行けないという俺のロジックによれば、詩季の指摘はもっともだった。だから何も言い返せない自分がいた。


「ごめんなさい。今日はもう帰ってもらえる」


詩季は相変わらず下を向いたまま、途切れそうな声で言った。俺は何も考えることができず、言われるがままに、ただ立ち上がり、玄関の方へ向かう。


「おじゃま・・しました・・」


俺は、静かに玄関の扉を閉めて、そこを後にした。


(四)

ナインが玄関の扉を閉める音を聞くと、詩季は我慢していた涙を流した。もう、ナインには甘えないと決めたのだ。でないと、自分に対して甘いナインはどんどんと落ちぶれていってしまう。しかしながら、ナインがそのようにくすぶっていて良いはずがない。もっと多くの人々のために彼はより広い舞台へ旅立つ必要がある。にもかかわらず、自分が存在するために、せっかくのナインの晴れ舞台を台無しにするのは我慢ならなかった。


「ナイン君・・」


詩季は、ナインが意識を失った時、自分のナインに対する感情をはっきり認識した。彼を愛してしまっているのだ。故に、詩季は愛する者の邪魔をすることだけはできなかったのだ。


「ごめんなさい・・」


しかし、自分のした選択が最もナインのためであると思いながらも、詩季の涙は止まらなかった。ナインとは離れたくないという甘すぎる自分もいたからである。いや、終わってみて考えると、自分の中の多数意見はどちらかといえば後者であったと思われる。本当はナインに対して、ロマンチックな発言を期待していたのだ。しかしながら、理性と感情の葛藤は、自分が素直になれなかったうえ、正面きってナインの防衛省への異動を妨害するようなこともできなかったため、かろうじて理性が勝ったのであった。そして、負けた感情の方はその行き場をなくし、止まらぬ涙となって溢れ出るのである。また、詩季はこんな時にふと、『いつか』のデートの約束まで思い出したため、虚無感が一層残った。

詩季の手元には、煎れかけの湯飲みがそのままふたつ、並んでいた。

「くぅん」

そんな主人の悲しい気持ちを察したのか、忠犬きゅうすけは、詩季の足元に寄り添ってきては、彼女を慰めていた。


その翌日、弥生遼子の下には一通の退職届が提出された。もちろん、これを届け出たのはナインである。弥生がこれを受理すると、ナインは公益社団法人 東京陸運保険機構を正式に脱退するのであった。はかないほどの短い期間であった。


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