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第18話の2  本当は保険屋

今回は、本編には直接関係しないサブストーリーです。

―東京陸運保険機構事務所―


「ですから、こちらの保険契約書に記載されていますように、弊社が扱っている保険事故は巨大動物災害に限られております。もっとも、通常の損害保険にもご加入されるのであれば、保険料は10パーセント引きで一本化できる保険商品もございます」


ナインは、顧客である運送会社の男に対してパンフレットを片手に契約書の内容を説明していた。相手方の中年男は、複雑な料金体系とにらみ合いをしつつ、少しでも保険料を値切ろうと頭を抱えているようだ。

ところで、なぜナインがこのような仕事をしているのかといえば、機構の主たる事業である保険事業において人手が足らず、暇なこの男が狩り出されたためである。しかも、さらに理不尽なことに、弥生遼子が2時間で数十枚とある契約条項を頭に叩き込むように指示し、タイムアップとなると直ちに彼は実務へと放り込まれたのである。

しかしながら、意外にもけちな顧客と対等に渡り合えることに、彼は奇跡を感じていた。もしかしたら、記憶を失う前、彼は保険屋に勤めていたのかもしれない。


「うちは、おたくの運送保険にも加入しているんですよ。もう少しまけていただいてもいいんじゃないですかね?」

「さすがにこれ以上は譲歩できませんよ。この時点で、本来の保険料の3割引きなんですから。しかも、この現在価格でさえ、民間の保険屋ではここまで安くはなりませんから。これはいい買い物だと思いますけどね。年間たったの16万円で、事故発生時の損害が全額填補されるんですから。御社さんですと、仮に事故を起こした時、いったいどれほどの賠償責任を負うんでしょうかね」

「う~ん。たしかになぁ」


顧客の男は、頭を180度ほどかしげて悩みに悩みぬいているようだ。現に、この客は紙に穴が開くほど契約書をにらみつけているが、どうにも結論が出ないようである。


それにしても保険屋とは、見た目ほどにマジメな商売ではない。いま自分がしていることは、客の窮地につけこみ、危機を煽り、商品を売りつけ、保険料をむさぼるのであるから、詐欺や恐喝に近い。もっとも、ちゃんと資格のある保険屋であればこのようなことはしないであろうが・・。なにせ、状況が状況であるからやむをえない。自分にはこのようなやり方しかできないのである。


「わかりました。買いましょう・・・」


散々悩み続けた結果、客の男は遂に観念したようだ。男はなんだか、吹っ切れたように強張っていた肩の筋肉をほぐした。そして、そのあと、彼は晴れ晴れとしたからっからの表情で、契約書に力強く署名押印したのであった。


(二)

「ありがとうございましたぁ」


客がようやく帰っていくのを見送ると、しばらくして、弥生遼子がインスタントコーヒーを煎れて、ナインにカップを渡してくれた。


「ナイン。あなた、けっこうやるわね。もしかして、同業者だったとか?」

「それ、ほめているんですか?ずっとお客さん騙している気がして、気が気じゃありませんでしたよ」


弥生からカップを受け取り、ナインは熱いコーヒーを少しだけすすった。インスタント特有の安っぽい渋みが口の中に広がる。


「それは騙してるんじゃなくて、駆け引きっていうの。営利目的である以上、多少詐欺まがいのことも当然必要なんだから。私なんて、もっとひどいこと、しょっちゅうやってるわよ。それに、客だって説明事項を隠すためにいろんな汚い手を使ってるんだから、おあいこよ」

「そういうものですかね?」

「そういうものなの!この世界、クソ真面目なやつほど生きていけないわよ」


ナインは、やたらと渋いコーヒーを再びすすった。


「それで、ナイン。コーヒー飲んだら、この書類持って町田駅で佐伯さんっている弁護士を拾ってきて。多分、そろそろ彼、駅に着いてる頃だから」


そういって、弥生は、まだコーヒーを飲んでまったりとしているナインに、書類の束を渡そうとした。


「弁護士って、何かあったんですか?」


ナインは、書類を受け取らず、怪訝な表情を浮かべる。


「あのね、この前保険金請求してきた奴が、どうも保険金詐欺の疑いが濃厚なのよ。それで、話がこじれていくうちに訴訟になっちゃってね。だから、はい」


弥生は、書類を押し付けるように彼に差し出した。


「はあ・・・」


まだ休みたいのにと思いながらも、ナインは彼女から分厚い書類を、渋々受け取った。


「こんな、訴訟までやるものなんでしょうか?払ってしまえばいいじゃないですか。どうせ、弁護士費用も訴訟費用も馬鹿にならないんでしょう?」

「保険屋たるもの、勧誘する時は丁寧かつ優しくが基本だけど、払う時となれば別よ。なめられたら、割のいい保険屋と思われて、変なやつばっかり契約しにきちゃうからね。だから、少しでも保険金支払額を下げるために、いかなる手でも尽くさないとダメなの。それがたとえ、損だとわかっていてもね」


弥生は、人差し指を立てて、すばらしき保険屋の理念を語り始める。


「それ、保険屋としてはともかく、人としては最低ではありませんか?」

「最低って、聞き捨てならないじゃない。あ・・・てか、ほら。もう佐伯さん来てるんだから、いつまでもコーヒーなんて飲んでないで、さっさと迎えにいってきなさい」


弥生は、少し大人げなかったと反省しつつ、ナインに対して、離席を促す。


「はいはい、わかりました」

「はいは一回よ」


ナインは、弥生に尻を叩かれるように追いやられ、彼は手にしていたコーヒーを机の上に置いて慌ててドアノブに手をかけた。


「あと、佐伯さんとの用事が終わったら、帰り際に東流運送の社長のところに行って、トラックの車検証のコピーをもらってきてもらえる?あそこ、トラックの故障を隠している疑いがあってね。義務違反を暴いてやるのよ」

「はいはい・・・」


ナインはため息をつきながら、気のない返事をした。

ちなみに、これらの雑務はすべて弥生遼子代表理事直属秘書の田中愛がすべき業務なのであるが、毎日こんなことをしていて気が狂わないのかと思う。

そのため、ナインは、あの秘書をこれからは尊敬のまなざしで見つめていこうと思うのであった。


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