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第1話  心見えぬ、物見えぬ

―2110年、日本 東京都八王子市山林地帯―


都心から距離を置く、この東京都八王子は、森の深い山林地帯が多く残っていた。そこに生立する木々は、どれもが葉を赤く紅葉させ、命の限りを尽くして鮮やかな色彩を山一面にもたらすのだ。そのため、秋もいよいよ本番であることを知らせてくれる。空は爽やかな秋晴れで雲も少ないが、冬はもう間もなくのところまで接近しており、空気はかなり冷えきっていた。


そんな美しい赤い大自然の世界の中に、一体の人を形作る鉄の塊あるいは人間の叡智を結集したカラクリというべきものがあった。また他方では、それに対峙するかのように巨大な化け物がうなり散らしては、涎をだらだらと垂らし、その闘争本能を剥き出しにしている。それは、あたかも怪獣特撮を思わせるような異様な光景だ。

鉄のカラクリにはひとりの少女と犬が搭乗している。少女はその頭から丁度鼻の上あたりまでにかけてすっぽりと覆いかぶさるほどのヘルメットのようなものを装備していた。そのため、表面上その表情は明らかではないが、その口元のこわばりから緊張の中にあることは明白であった。


「どうしよう。みんなとははぐれちゃったし、私だけでどうにかするしかないじゃん」


どうやら少女は仲間と業務にあたっていたところ、現在対峙する化け物に襲撃され、その仲間たちとは引き裂かれてしまったらしい。


「しかも、もう弾もないみたいだし」


交戦状態が長期化したのか、相当量の弾丸を消費し、トリガーを引いてもうんともすんともいわないことから現在弾切れ状態に陥ったことを認識する。しかし、相手である化け物にはそんな少女の身の上話など毛ほども関心がないのは明白だった。実際に化け物は遠慮などする気もなく、豪腕を振り上げて少女に襲い掛かる。足元にいる犬が少女の戦闘スーツの端を口で引っ張って、警戒を促す。


「もうわかってるって・・・うわぁ!!」


赤いもみじの葉が舞い上がる。ライフル銃を持っていた鉄のカラクリの右腕が、肩から全部化け物に奪われてしまった。切断部分が小爆発し、紫電を散らす。もっとも、弾切れのライフル銃など、戦場ではモデルガンと同程度の価値しか有していないため、惜しいとは思わない。


「これじゃ、社長に怒られちゃうな。言い訳考えとかなくっちゃ」


しかし、それは仮に無事、生きて帰ることができた場合を想定した話である。ここで、この化け物に殺されてしまっては、どれほど美しい言い訳を考えたとしてもそれは水泡に帰すことになるのだから。


「こっちだって、やられっぱなしってわけにはいかないから」


鉄のカラクリは残された左手に高周波ナイフを携え、力任せに化け物の胴体に突き刺す。化け物は悲鳴を挙げ、鮮血を辺りにどばどばばら撒く。赤い山林を、より鮮やかな赤で塗りたくるのだ。しかし、それでも化け物の機能を完全に停止させるには程遠い一撃であったため、カウンターを許してしまう。


「きゃあ!!」


鉄のカラクリは頭部を完全に潰されてしまった。コックピット内から外界を見ることができる唯一の目を失ったことで、少女は外に関する情報を完全に遮断されてしまった。


「でも、あなたの負けよ」


だが、少女の詰みの一手はすでに決まっていた。つまり、肉を切らせて骨を断つがごとく、化け物にできた深いナイフ創に強力な爆弾を埋め込んでいたのだ。しかし、化け物はそれに気づいておらず、なりふり構わず襲い掛かってくる。化け物は自己の腕をまるで触手の様に変化させると、鉄の塊をそのまま縛り上げ、拘束し、自己の下に引き寄せる。


「わ、ちょっと、待って、私まで巻き込む気?」


化け物に仕込んだ爆弾は、もう間も無く爆発する予定だ。したがって、このままではこの化け物と心中する結果となる。


「きゅうちゃん、逃げるよ。しっかり掴まってて」


そういって、少女は非常脱出用のスイッチを押した。鉄の塊から、小さなたまごの様な物体が勢いよく飛び出す。その瞬間、大きな爆音が鳴り響き、その爆風に乗っかるように少女は遠くに投げ出されていった。


(二)

「いててて・・・」


少女は自己の無事を確認する。勢いよく飛ばされたが、ここが山林地帯であったため、落下地点にあった大木の葉がクッションになり、幸い衝撃はほとんどなかった。

少女は、自己の頭にかぶっていたヘルメットをはずす。すると、ヘルメットの中に仕舞いこまれていた、細く清流のように流れる黒髪がふわりと花開く。たちまちにして、その花開いた髪の束は落ち着きを取り戻し、彼女の顔周りを内巻くように優しく覆いかぶさった。その黒い艶めかしい髪は、少女の廉潔な肌の白さを際立たせる。また、その白き肌に申し訳なさそうに存在する小さな唇に塗られた紅も、彼女の純白さに絶妙なアクセントを付する。

しかし、そんな少女は殊更に目を瞑り続けていた。そう、少女は盲目であった。あのヘルメットは少女の目の役割をしていたのだ。ただ、動力源が失われた今となっては、単なる邪魔なヘルメットでしかない。ひとまず少女は、そのヘルメットを放置して、犬とコックピットから降りることにする。


コクピットを降りると、地面を埋め尽くすほどの枯葉の絨毯が広がっていた。少女は目が見えなくともその柔らかい感触から、深い森に迷い込んでいることを実感する。犬は少女の手綱を引っ張って、適当な場所へと、彼女を誘導する。この犬は盲導犬なのだ。


「迎えが来るのを待つしかない・・・か」


幸い、携帯電話のGPSは生きており、救助が来るのも時間の問題であろうと楽観できた。


「お腹減ったなぁ」


自分の体力が消耗していることに気づくと、これ以上余計な労力の消費を抑えるため、少女はその場に座ることとした。その時である。


「わんわん」


犬は強く手綱を引き、主人をある方向へと導く。そのため、地べたに座ろうとしてしゃがみこんだ少女は、前のめりになりながらも手綱の引かれる方へと歩く。次第に枯葉をざくざく踏みつける音が大きくなる。


「ちょ、ちょっときゅうちゃん!!」


つまずきそうになる主人をよそに、犬はただこっちだといわんばかりに手綱を引く。本来、盲導犬とはその任務に尽くすため、厳しい訓練を受けるから、自発的に何かをすることはほとんどないのだが、今回に限ってはその経験則の適用はないようだ。それゆえ、少女は何か異常なことが起こっているのだということを具体的に認識できた。


ある一定の距離を進むと、犬はそこで動くのをやめた。と、同時に少女はそこで何かを心の目で見てしまった。少女には目が見えなくとも、はっきりと感じられるものがそこにはある。彼女の前に聳える、その圧倒的な存在物を。それは少女が望むと望まぬとにかかわらず、目に見えると見えないとにかかわらず、その存在物は彼女の心に恐ろしい像を突き立ててくるのだ。


「オーガ!!」


少女は生きた心地がしなかった。これは先ほど戦っていた化け物と同じ感じがする。そうだとすれば、この目の前のものは明らかに自分にとって仇なすべき存在なのだ。だが、盲目のこの少女には抗う術はない。

それに加えて、この敵はかつてない恐ろしさを滲み出している。今まで彼女が戦ってきた敵のそれとはまるで違うのだ。いわば、地獄へ直結する冥界の扉である。生きとし生けるものへ向けられた凄まじい憎悪の念。生を謳歌するものへの果てしない妬み。これら全てが、少女を地獄へと誘おうとするのだ。

しかし、いつまでたっても少女に爪が立てられることはなかった。というより、この敵は全く動こうとはしない。少女は心を落ち着かせてみると、たしかにいやな感じはある。ただ、悪意がない。むしろ、この怨念たちは少女に助けを求めているように思えた。


(タスケテ・・)


そう、これは苦しくて、もうどうにもならないほどの苦悩から搾り出される一握りの願い。苦しいとすらいうことのできないほどの痛烈な痛み。

ふと、少女ははじめて自分から光が失われたときの苦しみを思い出した。何もかもが自分の世界から消えていったのだ。大好きな父親の顔も、花の美しい花弁も何もかもがいなくなっていったのだ。それは身を投げたくなるほどの悲痛である。そうだった、この鬼が感じている苦しみは、あの時の自分と同じなのだ。

反面、少女はその苦しみが決して永続的なものでないことも知っていた。現に自身がその苦しみを乗り越えて今、ここにいるから。きっと、この鬼も助けられる、その一心で少女はそこに立ち尽くしていた。


「わんわん」


突如、犬が、少女に呼びかける。これにより、ふと我に返った少女は、もうひとつの存在を感じ取った。自分と同じくらいの脈拍および呼吸の息遣い。それはどうやら人間の気配のようである。


「人・・こんなところに何で・・」  


(三)

俺はふと目が覚めた。決して眠くて仕方がなかったというわけではないが、脳の覚醒が中途半端であったため、立ち上がるのもダルい。おぼろげながらも自分が置かれた状況を把握するため、とりあえず目を半分ほど開けてみることにする。

ここは、森か?自分の周りには背の低い木々が乱立し、枯れた落ち葉が地面を敷き詰めている。太陽の光が無数に枝分かれした木々の隙間から差しこんで眩しい。

しかし、俺は何でこんなところで寝ているのだ?それに身体がとんでもなく冷える。どうやらうっかり居眠りをしてしまったようだ。確かに、身体の節々において疲労が残っており何となく体全体が重い気がする。これはおそらく寝違えてしまったからだろう。

とにかく、冷静になって自分に何が起こったのかを追憶してみる。しかし、ここにどのようにして来て、どこへ行こうとしていたのかは全く思い出せない。いや、そもそもどこから来たのかすら思い出せていない。さらに記憶をさかのぼってみても何も思い出せはしない。というより俺は何も知らないという状態だった。むしろ生まれたばかりの赤子同然(もっとも、日本語を用いる能力、および一般人程度の論理的分析的判断能力は備えているものとする)。

したがって、昨日のことはもとより自分の名前が何であったかすら知らない状態であった。そうして俺は、ようやく自分の身に降りかかっている事の重大さに気づいた。それと同時に強烈な不安感を覚え、腹の底がぞっとする感覚に襲われた。そのおかげか寝ぼけ半分となっていた意識が完全に動き出す。


「俺は誰だ」


今自分が置かれている状況を把握するには、絶対的に情報量が足りないのは明白だ。そこで、何でもいいから行動を開始すべく立ち上がることにした。すると、今まで気づかなかったが人の歩幅計算でおよそ5歩程度離れた正面に何かを見つけることができた。おそらく半分眠っているような意識の下で見落としていた重要な情報である。

それは、人と犬だ。覚醒を開始した男の存在に気づいたのか、その人と犬はこちらの方に姿勢を向けた。よく見ると、人の方は10台後半の少女か。細く真直ぐに伸びた黒くきれいな髪からすると典型的な日本人女性であることがわかる。ただ、戦闘用のスーツを着ているのは異様ではある。他方、犬は、その少女の下半身ほどの大きさがある、黒のやや大型犬で心地良さそうに伏せた状態でくつろいでいる。とにかく、これらの事情から結論するに、彼女に話しかけて解答を求めるのがもっとも必要かつ合理的な方法であろう。


「君は?ここは一体?」


俺が唐突に問いかけたことで、彼女はビックッとしてこれに反応する。


「あ・・いや、私もきゅうちゃんに引っ張られてここに来たばかりなの。そしたらアナタたちが倒れてたからよくわかんなくて・・・」


きゅうちゃんなるものとは、現在俺に与えられているコンテクストから推測して、彼女の犬のことであろう。それと俺は、少女が常に目をつむっているということにも気づいた。


「君、目が見えないのか?」


目を閉じているからといって必ずしも目が見えないわけではないが、つい気になって聞いてしまった。


「うん、小さい頃病気でね」


やはり彼女は盲目のようである。なるほど、あの犬は十中八九、彼女のための盲導犬であったか。彼女が目をつむるのは、おそらく相手としっかり目を合わすことができないため、相手に不快感を与えないための配慮であろう。


「すまないな。変なことを尋ねてしまって」

「気にしてないよ。目が見えなくてもアナタたちが今どうしてるかくらい全然わかるし、慣れちゃえば大した事ないから」


人は五官の機能のうち一つを失った場合、その他の機関がそれを補うべく通常では考えられないほどの発達を見せるとよく言うが、このような現象はおそらく彼女の身にも起こっているのだろう。どうやら光学的な情報によらなくとも、俺たちの動きを完全に探知できるらしい。


「ん?アナタたち?」


いや、そんなことはもとより、俺は何か重大な事実を見落としている。彼女は明らかに『アナタたち』と言った。しかも2回だ。もちろん、俺には連れがいたような覚えなど全くない(そんな奴がいるならこんなに困っているわけがない)。しかし、たしかに彼女はアナタたちと言った。そうである以上、俺は知らないが、彼女が知っている第三者が間違いなく存在しているはず。

俺は首を左右に振り、軽く周辺をさがすも、それらしき第三者の存在は発見できない。はたして、その者はこの場にはおらず、今どこかへ行ってしまっているのだろうか。


「君は今、俺に向けてアナタたちと言ったが、他にだれかいるのか?」


彼女は俺のことを頭のおかしい人と思っているのだろう、少しいぶかしげに答えてくれた。


「だって、アナタのうしろにいるの、アナタの“オーガ”じゃないの?」

「おーが?」


少女の言われるがままに背後をみる。何で今まで気づかなかったのだろうかと思う。そこには岩か大木があるのかと勘違いしていた。大きすぎて逆に気にも留めなかった。

それはなんと、およそ一般的な2階建ての建物程度の高さがある、人の形をしたものであった。そしてそれが、座禅を組むような姿勢で鎮座していたではないか。いま思えば、これを枕にしてずっと倒れていたのか。


「なんだこれ?」

「?」

少女はそんなことアタシに訊かれても、といった顔をして首をかしげている。

「あ、そうかアナタたちはこれをオーガって呼んでるとは限んないもんね」

「ん、どういうこと?」

「えぇと、オーガっていうのは厳密にいうと私たち日本軍がそれによく似た敵軍の兵器に対して勝手につけた呼び名で、正式名称じゃないんだよね」


ここで、ogre :オーガとは、日本語でいう人食い鬼にあたる意味をもつが、なるほど、たしかにこれは鬼のような体裁をとっているようだ。何でできているのかはわからないが、強靭な筋肉、そして鬼を鬼たらしめている頭に生えた2本の角。加えて、胸元に光る、あの緑色をした宝玉はなんであろう。


「君は軍人なのか」

「うん、一応。アナタもそうなんでしょ?」

「・・・」


正直その質問には答えかねる。本当にそうかもしれないし、下手に答えてしまうと身柄を拘束されるおそれもないわけではない。そんな俺の迷いをくみとったのか、彼女は言う。


「あ、別に君が敵ってわかっても捕まえて尋問したりはしないから安心して」


それにしても彼女の供述内容からして、その『オーガ』という連中と彼女の日本軍というのはどうやら対立しているということが何となくわかった。そして、彼女の言う『オーガ』なるものを所持している俺は?


「俺はもしかして、君にとって敵なのか?せめて腰縄くらいはつけてたほうが良くないか?」

「はは、確かに」


彼女は純粋に面白がっているのかは判断しかねるが、笑いながらそのように答える。


「私も最初は捕縛しようかなとか思ったんだけれど、実際にアナタたちが気持ち良さそうに日向ぼっこしていただけっていうのが分かったら、そういう気になれなくて・・・。私、甘いよね」


少女は、ばつが悪そうに舌を出した。


「それに・・・アナタもアナタのオーガもやさしそうな感じがするから、大丈夫かなって。まあ、すごいなんとなくなんだけど・・・」


俺には彼女に対する悪意を何ら有しないのは確かだし、彼女の感覚が鋭いだけのことであると言ってしまえばそれまでだ。しかし、それだけの根拠でよく信じれたものだ。もし俺がただの敵だったらいまごろ彼女はおそらくこの世にはいない。


「あ、でも、もとはといえば、この子が私を引っ張ってきたことからはじまったんだった。いつもはこんな強引なことする子じゃないんだけどな」


この子とは犬のことであるが、強引に引っ張られてきたことの恨みが残っていたのか、少女はしゃがみこむと、犬に対してせっかんをはじめた。


「そういえば、アナタこれに乗ってきたんでしょ?それにしてもオーガに人が乗っていたなんてびっくりしちゃった」


確かに彼女の質問は的を得ている。傍にこのオーガがあったということは、俺はこれと一緒に来たか、またはこれに乗ってきたかのいずれかであり、これに俺の来歴の手がかりがあるのは間違いない。それにしてもこれって乗り物なのか、はなはだ疑問である。とりあえず、これに乗ってきたかどうかをここで断ずることはできないのでこう答えた。


「わからない。俺はおそらく記憶喪失みたいなんだ。だからこれにどうやって乗るのかも分からない」

「そうなんだ。ごめんね、ヘンなこと聞いて」

「いや、気にしてないよ」


つい先ほどの盲目に関するやりとりのカーボンコピーのようになってしまい、お互いに苦笑せざるを得ないのである。


「ところで、オーガって生き物なのか?」

「私は生き物だと思ってる。まあ、そうじゃないって言う人もいるんだけど」


彼女はそこにあるオーガというものを手で撫でながらそのように答えてくれた。


(四)  

「あとさ、とりあえずこの近くになんか大きい町なんかあれば教えて欲しいんだけど・・・。」


と、このような問いをしようとしたところ、これは言葉にならざる声としてかき消されてしまった。というのも、彼女に問いかけようとした瞬間、俺は言葉を発することすら畏れ多いような感覚に襲われたためである。

俺はその光景を目の当たりにして息を呑んだ。今までの和やかな雰囲気から積み上げられた彼女のアイデンティティが一気に瓦解する。

そうだ、俺は不思議な光景を見たのだ。彼女は見えぬ目を開くと、そこには魂を吸い込まれるような深紅の眼球が暗く沈んでいく。それに加えて彼女の顔つきが異常なまでに凛と冴えわたったことでむしろ神秘的ですらあった。そしてゆっくりと目を閉じ、ある方向を指差して彼女は言う。


「鬼がくる」


鬼。鬼がくるだと。なぜそのようなことがわかるのか。少女の指し示す方向へ目を凝らしてみる。何も見えない。彼女は何か科学的合理的な根拠に基づいてものを言っているのか。あえて反証をあげよう。全くそんな気配はないではないか。早く近くの町へ案内しろ。


「あの、何もそんな気配なんてないけど・・」

「あと30秒もすれば私たちは彼らの射程内に入る。もっとも、アナタは彼らの仲間である可能性が高いから攻撃されないと思う。でも、私はもう逃げ切れないから間違いなく殺される。どうしてくれるの、あなたが話しかけてきたから気づくの遅れちゃったじゃない」  


俺は、この少女がなんとも勝手であるのだろうと思った。彼女が神秘的だの何だのと思った記憶はすぐさま抹消することにした。

それにしても、だんだん地響きが聞こえるようになってきた。重量のある物が地面に叩きつけられるような轟音が次第に大きくなってゆき、大地を揺るがす。これは明らかに巨大生物が大地を駆ける音である。俺は疑りながらも音源の方へ目を向けることにする。すると。

鬼。

鬼。

鬼。

本当に鬼が来た。そこにいるオーガと同程度の大きさがある3匹の鬼が大きな一つ目を血走らせ、飢える貪欲な野獣のごとくこちらを目がけて疾走していることを確認できた。


「おい、早く逃げないと」


俺は、逃げ出すそぶりを見せつつ、彼女の袖を掴む。しかし、彼女は動こうとはしなかった。


「だめ。もう間に合わない」

「馬鹿、そんなあっさり諦めるな」

「だって、私目が見えないもの」


そういやそうだった。


「アナタだけなら十分逃げられるから、私にかまわず逃げて。このままだとふたりとも殺されちゃう」

「キミを見殺しになんてできない」

「なら、私を助けてくれる?」


少女は腹をくくったのか、再び赤い目を見開き、見えぬ目でしっかりと俺の目を捉えて言う。俺は、そんな彼女の穢れのない瞳に一瞬、吸い込まれていた。


「アナタがそれで助けてくれれば、私はまだ生きられる」

「・・・」


このままあの貪欲な鬼どもにいたいけな少女の命を差し出せるほど、俺は図太い神経を持ち合わせてはいなかった。俺とあの鬼どもとの関係は従来どのようなものであったのかは知らない。竹馬の友として酒を毎晩飲み交わす関係にあったのかもしれない。あるいは、日々夢を語り合った恋人であったかもしれない。だが、このときばかりはこの少女を守りたいという意思だけが、記憶のない俺の全細胞を支配したのだ。

もう鬼はすぐそこまで来ている。俺はこのオーガへの乗り口らしき箇所を懸命に探す。しかし、この体の穴という穴を調べたところで何ら途が開けたような様子はない。鬼は3方向から私たちを包囲し、このオーガに対して威嚇を始めだした。うなり声をあげ、一つしかない大きな目でこちらをにらみつけていることから、今にもこのオーガに襲い掛かってきそうなのは明白であった。どうやら俺がこの鬼どもと友軍ではないかといった彼女の予想は幸か不幸か見事にはずれてしまったのである。ただ、事実として状況は一向に良くなってはいない。

3匹の鬼のうち1匹が少女の存在に気づいた。しかし、彼女は一向に怯えたりすくみあがったりしていない。まさか、今の状況が見えていないわけではないであろうに。とにかく、彼女がいま最も危機的な状況にあることは事実である。肝がすわっていることは立派であるが、死んでしまっては何にもならない。早急に助けなければ、間違いなく殺されることになるだろう。


「この感じ・・」


オーガの肌に触れていると、俺はその鼓動を感じた。まるでそれは、生きる巨像のようだった。そういえば、彼女はこのオーガが生き物であると言っていた。とすれば、強く語りかければ乗せてくれるのかもしれない。あまり無意味に言葉を発するのは好きではないのだが、今はそんな悠長なことを考えている時間的余裕はない。


「頼む。力を貸してくれ。あの子を助けなきゃ」

「・・・」


思ったとおりにはいかなかった。やはり、このオーガを動かすための要件が何かしら欠けているのだろうか。

少女の安否を確かめる。すると鬼に距離を詰められて、いつ殺されてもおかしくない位置に来ていた。


(何であいつ逃げないんだよ。何でだ。何で)


俺はただただ自分の使えなさに苛立ち、心の中で自問自答していた。別に答えなどを期待しているわけではなかった。とうに答えなど出ていたからだ。すなわち・・


「何で俺は何もできないんだ」


ただ無力な自分が無性に腹立たしかった。無力な自分に対する叱咤、憤怒の感情が噴き出すようにたち現れてくる。自己嫌悪、自虐、無価値、クズ、ゴミ、もう何とでも呼べばよい。

力が欲しい。この怒りをあの忌々しい鬼どもにぶつけるだけの力が。

この脆弱な己を破壊するだけの力が。


そしてそのとき、沈黙を続けていた鬼がようやく動き出すのであった。  

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