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第16話  漆黒の監査人

公益社団法人東京陸運保険機構が、赤鬼討伐の任務を無事終了させてから3時間が経過した頃であった。


結論から言うと、任務は成功。赤鬼から強い精神攻撃を受けていた辰巳春樹は特設の診療所にて、未だ気を失っているも命に別状は無い模様。グレイのゲイボルグも海底から引き上げられ、搭乗者は無事。プロトオーガの搭乗者であるナインは、一応、生きてはいるが意識はなく、現在は死んだように眠っている。プロトオーガを全身にわたって虚物化させた代償があまりに大きかったのも一理あるが、それよりも過剰なメンタルポイントの吸収に主たる原因はあると思われる。他方で、他のメンバーについては、特に目立った外傷もなく、かろうじて健康といったところか。

  

現在、東京陸運保険機構の本作戦業務にあたっていた者たちはみな、横浜の赤レンガ倉庫内にある特設の診療所に集まっていた。


赤鬼は倒した。

未だかつて誰も成し遂げたことのない偉業をこの7人が見事にやってみせたのである。

しかし、それを喜ぶものは誰一人としてここにはいなかった。

なぜなら、全く勝った気がしなかったからだ。赤鬼ですらこれほどの力を持つなら、この先は一体どれほどの化け物が出てくるのか不安で仕方なかったからだ。しかも、赤鬼を超える力を持つナインが目を覚ましてくれないのも不安の種のひとつであろう。

そういうわけであるから、それぞれ胸に思うところは異なっているも、みな憂鬱そうな表情を浮かべているのであった。


弥生遼子は、いくつか簡易ベッドが置かれた、かすかにクロロホルム臭い部屋の中をだるそうな表情で眺めていた。その部屋では、2名の社員がそのベッドに倒れており、数名がそれぞれパイプ椅子に腰掛けて下を向いているのだ。このような光景を見ていると、弥生すらも弱気になってしまう。とてもではないが、『任務終了。お疲れ様。今日はパーッとやりましょう』などといった趣旨の発言をすることなどできない。かといって、気の利いた言葉をかけてやれるほど、彼女は気の回る人間でもない。だから、眠っているふたりが目覚めるまで、せめて黙っていることしかできなかった。

ところがそんな折である。突如、弥生遼子の携帯電話が振動したため、彼女は室外に出て、それに応じる。着信通知によれば、彼女が最も話をしたくない人間の名前が表示されており、さらに気分を悪くさせた。


「はい・・はい・・・」


しばらく弥生が黙って相手の話に耳を傾けている。相手が長く話しているのだろう。だんだんと、彼女の表情が不機嫌になっていくのがわかる。


「えぇ、わかりました。お待ちしております」


そういって、弥生は電話を切った。彼女は室に戻って言う。


「早速、防衛省が赤鬼の殲滅に気づいたそうよ。何にも言ってないのに、どうして気づくのかしら、あいつら。とにかく、こっちに奴ら来るそうだから」


何があってもいいように覚悟しておけ、とは言わなかった。というより、今はそれどころではなさそうだから、あえて控えたのである。しかし、ひとりひとり取り調べられるのは目に見えているであろう。とりあえず、この子達だけでも帰そうかと弥生は思った。しかしながら、物理的にナインを安静に搬送する手段はいまのところ無いし、そうなると詩季も絶対帰らないだろう。詩季も帰らないとなれば、まもるも帰らないだろう。そういう三段論法が成り立ってしまう。いずれにしても、足だけは速い防衛省の連中から手負いの我々が今更逃げるのも相当とはいえないだろう。


「社長・・・」


壁に寄りかかっているグレイが、珍しく話しかけてきた。


「俺のゲイボルグは、無事ですか・・」


グレイはいつもの生意気とさえ思えるような自信がことごとく消えていた。あれほど、派手に愛機が破壊されたのが相当ショックであったようだ。


「歩くぐらいならできるけど、うちではあれを修理することはできないわね。一旦、あなたのお父さんのところに持っていかないとどうにもなんないわよ」

「そうすか・・」


グレイは柄にも無くうな垂れてしまっていた。

それにしても、例のゲイボルグは全く酷い有様であった。ボディは穴だらけであり、しばらく海底に沈んでいたためか、水圧で至る所がボコボコになってしまっていて、徹底的にやられてしまった。にもかかわらず、グレイはほとんど無傷であったのは奇跡と言ってもいい。だから、彼も喜んでよいはずなのだが、傷付けられたプライドは想像以上に大きいようだ。

  

「まもる・・?」


先ほどからずっと辰巳の手を握っていたまもるに対して、声がかかる。


「はるきちゃん!」


辰巳春樹が目をさました。


「ここ・・どこ?赤鬼は・・・?」

「ここは安全なところ。赤鬼はナインさんが倒したよ」


まもるが握っている辰巳の手に、まもるの涙が落ちた。まもるは泣いていた。


「ばか・・・、何、泣いてんのよ・・」

「だって、はるきちゃん・・、はるきちゃんがぁ」


まもるは自分が何でこんなに泣いてるのかよくわからなかった。辰巳の苦しんでいたところを間近で見ていて、自分も同じような苦しみを味わったから、過度に感情移入してしまい、もう辰巳は元通りに帰ってこないとでも思ったのであろうか。そんなまもるを見た辰巳は、らしくもない優しい表情で語りかける。


「アタシ、怖い夢・・見そうになった。でも、まもるがアタシの手・・握っててくれたから・・なんか見なくてすんだみたい。ありがとね・・」


辰巳はまもるの小さな頭を小突く。


「うぇぇぇん」


まもるは辰巳の寝床に突っ伏して泣いた。


「全く・・アンタはもう・・」


辰巳は横で突っ伏しているまもるをよそに、他方のナインを見た。ナインは死んだように静かに眠り、その横では詩季がまもると同じように手を握って見守っていた。


「ナイン君・・・」


詩季は目が見えないから、具体的に今のナインの死んだような姿を知ることはできない。しかし、彼の手から感じる脈動から、かすかにナインが生きていることを感じ、ただ祈りながら彼の目が覚めるのを待っていた。

詩季は、この時、赤鬼に立ち向かわず逃げればよかったと後悔していた。所詮、うちの会社は利潤追求型である。必ずしも赤鬼を倒さなければならない必要はなかった。海の中のグレイも簡単に助けられた。だから別に、無理にこれを倒さなくても良かった。

しかし、詩季はきっとナインが助けてくれると、直感的に思い込み、それを事実上強要し、結果的にはナインが生死の境を彷徨うようになってしまったのだ。これはきっと自分の甘えがもたらしたに違いないのだ。自分はいつもそうだ。そうやって、手を差し伸べられるとつい甘えてしまい、しまいにはとんでもない迷惑をかける。ただの足手まとい以外の何者でもないのだ。今回もナインにそれが災いしたのだ。


(ごめんね、ナイン君。もう甘えたりしないから。目を覚まして。お願い)



10分後、海上から防衛省の主力戦艦『天竺』が3隻、元横浜港に着水した。

すぐに、防衛省の連中は船を降り、二手に分かれては、一方は赤鬼の残骸の調査へ、他方は弥生たちの下へと赴いた。

  

「いやぁ、弥生君、よくやってくれた」


どうやら、将校らしき人物が診療室に入ってきては、弥生に話しかける。その男は、立派な軍服に身を包み、勲章を幾つも付け、濃い髭を口元に蓄えているのであった。弥生はその人物の気配を察知するなり、顔に陰りが生まれた。そう、この男は弥生遼子の防衛省時代の上官であった男であった。弥生にしょっちゅう嫌がらせをしていたこの男は、彼女にとってゴキブリ以下の存在であり、その嫌悪感は今もなお健在である。


「いいぇ、もったいないお言葉です。小田原次官『補』」


しかし、彼女はすぐににっこり笑って見せると、『補』の部分を強調した。それに小田原という人物は気づいているのか、機嫌よく話を続ける。


「いやぁ、我々の軍事力をもってしても倒せなかったあの鬼をどうやって倒したんだね?」

「彼らが頑張ってくれた、それだけですわ(おしえねぇよ、ハゲ)」


そういって、弥生は部屋の奥にいる少年少女たちを示した。なお、小田原は現在帽子を被っているため判明しないが、実は彼の前髪は著しく後退しているのである。


「キミィ、隠さなくてもいいんだよ。噂によると、オーガを使っているそうじゃないか」


弥生は思わず舌打ちしそうになった。どうせこの男の事だ、噂じゃなくて諜報部員でもよこして調べさせたのであろう。


「あれは、人工のオーガなんです。いわゆる不真正オーガなんですよ」


弥生は、いやみったらしい笑いを浮かべて、小田原の質問をなんとかかわそうとする。


「ホントかねぇ。ちょっと見せてもらえんかね?」


やはり来たか。もとよりコイツの狙いはそれであろう。そして、あわよくばその鬼の横取りと言ったところか。もっとも、防衛省の連中がナインの鬼の存在を怪しむ場面は、今まででも何度かあった。その度に弥生は情報操作に奔放していたが、今回赤鬼を倒したことで決定的に黒と判断されたようだ。


「小田原次官補、ちょっと見るのは私のスカートの中だけにしてもらえませんかしら、以前のように」


もっとも、現在、弥生は戦闘用スーツを着用しているためスカートなどはいていない。それだけに、弥生はオーガを貴方に見せるなどありえないことだと皮肉っているようだ。


「ははは!それもよいが、どうしても君の鬼が見たいのだよ」

「しかし、それは公権力の行使による私人のプライヴァシー権の侵害行為、すなわち国家賠償問題になりかねませんわ」

「かまわん。金など幾らでもくれてやる。それよりも私はあの忌々しい赤鬼を倒したという鬼が見たい」


小田原はたまりかねたのか、鼻息を荒くして口調を強くして訴えてきた。


(もう潮時か。ごめんなさい、ナイン君。このハゲにひと目だけあなたの鬼を見せるわね。まぁ、ナイン君の鬼が仮に押収されたとしても、こいつらが動かせるわけないし、大丈夫よね)


「・・仕方ありません。ではこちらに・・・」


その時であった。

近くに落雷でも落ちたかのような轟音とともに、天が裂けた。

皆は外へ目を見やる。

その時、興味本位で外を見たものたちは、見てしまった光景に戦慄する。

天から悪魔が降臨したのだ。それは、世界から一切の余計な色彩を排除する黒で、美しいほどの漆黒の闇に包まれながら、天からゆっくりと堕ちていく悪魔である。


「黒い・・・オーガ・・・」


天を見上げている誰かがそういったのだ。弥生は、必死に自分の記憶の引き出しから黒いオーガのデータを検索する。しかし、黒いオーガなどデータにない。今まで誰も見たことのない新しいタイプのオーガである。そのためこの戦闘能力は全く未知数。赤鬼を越える戦闘力を有している蓋然性がいぜんせいも認められる。だが不幸なことに、唯一この未知の敵を倒しうる、頼みのナインは気を失っている始末である。

弥生は、いま自分達が置かれている状況を全く呑めずにいた。というより、理解しないでいる方が、気が楽であったのかもしれない。よもやいないと思われていた本隊がやはり存在していたのであろうか。だとすると、致命的な誤算である。もう、彼女は何もわからなくなったので、思考を停止することにした。


「や・・弥生君、何なんだ、あいつは!私の艦の方へ降りていくぞ」


黒いオーガは3隻の天竺が着水している横浜港跡地へと降りていった。


「一体、何が起こるっていうの?」


弥生は足の震えを隠せなかった。




真上に黒い鬼を発見した天竺のブリッジは騒然としていた。


「何なんだ、あれは?」

「構わん、撃ち落とせ!機械兵も出撃させろ!我らの力を思い知らせてやるのだ!!」


天竺の主砲、並びに副砲が上空の黒いオーガに対して、一斉に火を噴いた。また、看板からはぞろぞろと機械兵が出撃し、マシンガンを片手に黒いオーガを狙い撃つ。黒いオーガの周辺には無数の弾丸が集中し、弾幕や黒煙などで黒いオーガは完全に見えなくなってしまっていた。


「どうだ、思い知ったか!!」


わが軍総出で集中砲火を決めてやったのだ、これであの鬼もひとたまりも無いはずである、と誰もが思っていると。


「なぜ生きている?直撃のはずだぞ」


黒いオーガはなにごともなかったかのように黒煙の下からするすると抜け出してきた。黒煙よりもはるかにどす黒い漆黒のオーラを纏っているためか、傷ひとつ負っていない。


「ひるむな!!撃て!!」


もう、天竺と黒いオーガの距離とはほとんど無くなっていた。しかし、この連中は構わず撃ち続ける。跳弾が船体を傷つけようが、もうお構いなしであった。それほどまでに天竺はパニック状態にあった。


「うわぁ!!くるな!!」


だが、幾ら撃ったところで、黒いオーガは降下を止めることは無い。


「!!」


黒いオーガは3隻の天竺のうち、1隻の看板に舞い降りた。


「今しかない!」


黒いオーガが降り立った天竺の隣にあった天竺が、ちょうどその主砲を黒いオーガへ向けていた。


「貴様はこれで終わりだ。天竺の主砲の威力、受けてみろ」

「馬鹿、やめろ!!」


しかしながら、その主砲の先には、黒いオーガのみならず、別の天竺のブリッジもまた含まれていた。そんなことには気づかず、主砲が火を噴く。


「あ」


黒いオーガは難なくその弾をかわすと、その後ろにあった天竺のブリッジがまるごと吹っ飛んでいった。


「もう・・おわりだ・・」


天竺の船員は戦意喪失していった。それを察してか、黒いオーガは彼らを苦しまずに葬ってくれるつもりらしい。黒いオーガを纏わりついていた漆黒の闇が、その胸部に集中する。それは、黒の瘴気の塊であり、冥府からもたらされた闇の力である。


「うわぁぁぁぁぁ!!!」


いま、その闇が放たれた。海を切り裂いて、風までも吹き飛ばし、地平線へ向かって闇は直線状に放出され、その闇にふれたもの全てを消滅させる。その破壊力の源は、おそらく呪いの力か、死者たちの負の力か。海も風も光も、生とし生けるものを全否定する力。あらゆる有体物の活力を枯渇させ、その実体の維持構成を困難たらしめるのである。黒いオーガが乗っかっている天竺のブリッジ部分はその暗黒の闇の中へ堕ちていき、塵ひとつ残らなかった。


「にげろぉぉ!!」


最後に残った天竺がスクリューを巻き上げて、逃走の意思を見せた。それを黒いオーガは逃さない。直線状の闇の塊を、逃げた天竺の方へ向けるのである。それは単なる闇のレーザー的なものではなく、もはや闇の巨剣である。おそらくは全長1キロメートルほどもある超巨大な剣なのだ。弧の長さは円の中心から遠ざかるごとに倍加することから、円の中心たる黒いオーガは多少、剣を横へ持っていくだけで、すぐにその剣は天竺に追いつくことができる。しかし、中心から遠いところにいる天竺がこれを回避するためには、黒いオーガの何百倍もの労力で逃げなければならない。それは無理。結果、すぐに闇の巨剣に追いつかれた天竺の艦体は剣にふれていった部分から漸次消滅していく。


「あああぁぁぁ!!」


艦の最も重い部分が消滅したためか、バランスを失って一気に転覆する。もっとも、完全に艦が転覆する前に、船体は巨大な闇の剣に包まれ、天竺は跡形もなく消滅した。そして、程なくして闇の巨剣もまた消え失せていった。


防衛省海自第3艦隊、全滅。


自衛隊の誇る最新鋭の戦艦をあっさりと消し飛ばした黒いオーガは、自分と同じものを感じ取ったのだろうか、赤レンガ倉庫の方へと身体を向けたのであった。


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