第15話 我思フ、故ニ我有
なぜ、自分の仲間がこうも虫けらみたいに扱われなければならない。
なぜか。
答は明白である。自分が弱いからだ。
俺は本作戦中、周りに助けられてばかりだった。弥生遼子社長から、最期の切り札としての役を命じられたというに、俺は何ひとつ主役としてふさわしいことなどなしえていない。安易に大役を引き受けておいて、多くの仲間の決死のアシストにもかかわらず、このザマなのだ。だからこそ、そんな仲間たちに報いるためにも、俺は何かをしなければならない。なのに、この赤鬼に対して、手も足も出ないのだ。ざっくばらんにいうと、怖い。未知の鬼の強さがこれほどまでであって、まだまだわからないことだらけであるから怖くてたまらなかった。他方では、自分の弱さに腹が立って、はらわたが煮えくり返りそうであった。
そんな情けない俺の前には重厚な地響きを立てて、重々しい装甲に身を包んだまもる機が立ちはだかる。
「私たちの持つ武器では、あのシールドは破れません。でも、あなたのオーガならきっとこれを打ち破る力があるはずです。だから、私たちが隙を作るので、ナインさんは攻撃をお願いします」
さらに、詩季のロボットもまもると並んで、俺の前に立ちはだかる。
「ナイン君なら、きっと倒せるよ。だから、私たちにまずはまかせて」
(無理だろ。ゲイボルグでも無理だったんだ。お前たちは確実にやられる。しかも、俺の鬼にはそんなやつを倒せるような武器なんかないぞ。なら、無理に戦う必要もないだろ。そんなことしてないで、早く逃げよう。だって、あいつ足遅そうだし、きっと逃げられる。お前たちまで失ったら、俺・・・)
「私はもう、黙ってることなんてできない!」
いつもは脆弱で、おどおどしているまもるが、多重シールドを張りながら、突撃する。彼女の声は、仲間を傷つけた邪悪な赤鬼への怒りからか、闘争心に打ち震えていた。
「赤鬼の恐ろしさを知ってしまったからこそ、ここで倒さなくちゃ」
まもると同様に仲間を守るため、覚悟を決めた詩季もシールドの傘を借りて行ってしまった。
そして、俺のプロトオーガだけが、ただポツリと取り残されたのだ。
赤鬼は、攻め立ててくるふたりに対してミミズのような幾つもの触手を振るう。その触手は覆いかぶさるようにふたりに纏わりついていく。
「こんなもの・・・」
「まもるちゃん!」
まもるがシールドを広げながら、詩季は迫り来る触手をマシンガンで後退させていく。突き刺そうという触手があるのなら、まもるが盾をもって立ちはだかる。しかし、基本的に対象に触れれば効果が発動する赤鬼の触手の前にはシールドによる防禦など無駄な抵抗であった。
「きゃあ!!」
ふたりは無数の、かつ圧倒的な触手により、瞬く間に捕縛されてしまう。赤鬼は血液採取用のカテーテルのような触手を両機にぶすりと幾本も刺しこむと、すぐにそれが緑色になっていく。精神攻撃が開始されているのだ。赤鬼はふたりの魂を吸い尽くすつもりらしい。
「ナインさん!今です」
「絶対に・・負けない・・!!」
やめろ。
「ああっ!!」
もうやめてくれ。
「苦しい・・」
これ以上。
「いや・・・・」
俺の大切な人を傷つけるのは。
「ナイン君!!」
もうやめてくれ。
ナインは自分の鬼のメンタルスフィアを通して、ふたりの苦しみを痛いほど感じていた。それは、まだ子どもである彼女らにとって至上の痛みだ。そんな非道な攻撃をしていたら、ふたりとも精神を粉々に砕かれ、自我を失ってしまう。そうしたら、まもるのもじもじや、詩季の笑顔も永久に消えてなくなる。それだけは、やめてくれ。
ぽた。
俺はどういうわけか泣いていた。悲しいからではなかった。悔しいから涙が流れたのだと思う。あんなにも酷い敵が前にいて遺憾であるのに、自分が弱くてこれをぶつけることも叶わないから、代わりに涙としてあふれてくるのだ。
「やめろ・・」
だが、ナインの気持ちなどお構いなしに、現実は残酷であった。そんなナインの目の前で、敵は好き放題に少女たちをいたぶり続ける。
「やめてくれ・・」
夢ならいいのに。
「お願いします・・」
かみさま。もしも願いが叶うなら。
「どうか・・」
あいつをすぐに殺せるところへ連れていってくれませんか?
「やめろぉぉぉ!!」
ナインの鬼はこれまで以上に強く、強く胸の精神球体の光を輝かせた。この上なく濃い緑のその光は、一瞬だけ碧く光ったような気がした。それと同時に、ナインの目の前にあるOSのディスプレイ画面に、突然、文字が表示される。
『虚物化執行命令確認。当機、虚物化セリ』
メンタルスフィアの強い緑の輝きが、俺の全身を包みこむころ、プロトオーガは消滅してあとは影も形も残らなかった・・。
(二)
(どこだ、ここ?)
俺は今、なんだかよくわからないところにいた。いや、『いた』と言う表現はあまり適切でない気がする。なぜなら、自分の身体がないのだから、『いた』ということはおよそ観念できないはずだ。とはいえ、透明人間になったわけでもないようだ。ここは明らかに今いた場所とは異なる。いや、『場所』という表現も必ずしも適切でない。ここは特定の場所ではないのだろう。
そういうわけであるから、手を動かすことを意識しても手が動くようなこともないし、歩こうと思っても歩くことすらできない。しかし、何かを思惟することだけはできる。間違いなく自分という存在はあり、何かを思ったり、感じたりすることは問題なくできる。
そうだ、たとえるならば、目を瞑ってみようか。そうすると、何も見えなくなり、視覚的情報は遮断される。さらに、耳をふさいでみよう。何も聞こえなくなるはず。さらには、鼻を。ひいては自分の身体を全て取り去ってみる。そうすると、自分の世界とはどうなるだろうか。この場合、自分がもはやどこにいるのかさえもわからなくなるから、なぜだか、何処へでも好きなところへ行ける気がしてくる。今、自分がいるのはそんな世界のようだ。かといって、死んでしまったわけではない。
思えば、自分を構成する世界とは、自分が得られる情報に基づいて構成されるのだ。よく視覚を失った人が構成する世界は聴覚や触覚で見る世界になるとか言うだろう。極端に言えば、本能だけに従う野生動物が見る世界とか、きっとこんな単純な世界なのだろう。このような動物は、獲物と宿敵と生存がその世界の全てであり、人間よりもはるかに狭い世界で生きているのだから。
それぞれの世界に広狭があるものの、人間もそんな動物たちの延長線上の世界にいる。世界の構成要素がちょっと多いだけだ。たとえ目の前に1億円が落ちていようとも、それを認識していなければ、それは自分の世界に存在しないこととなるだろうから。
そうやって、生物というのは、主観と客観が邪魔をし合うことで、自分の世界を狭めている。両者は合わせ鏡のようなもので、主観的なものと客観的なものとが無限に反射し合い、世界を形作っている。仮に俺が世界の果てを知っているとしても、行きたいと思ってすぐそこへ行けるものではない。身体という客観的に帰属せしめうるものの存在が邪魔しているから。逆に世界の果てが客観的に存在しているとしても、俺はそんなもの知らないから、そこへは行き得ない。こちらは、認識という主観的に帰属せしめうるものの限界が邪魔をしているためだ。
しかし、主観的にも、客観的にも帰属せしめうるような存在ではなくなった場合、その存在はいったいどうなるか。主観的にも邪魔されることなく、客観的にも邪魔されることのない存在。もはやそれは、心的なものでもなく、物的なものでもないものにまで解消される。いわば、世界という書物の中に書き込まれた構成要素。世界というシステムを形作るプログラム。すなわち、記号的存在である。それこそが、心と物という二元的な呪縛からから解き放たれし、記号的存在形式。
俺はどういうわけか、オーガとともに客観的な限界を超えてしまったみたいだった。自分の世界は自分の認識だけがそれを構築しており、身体とか、物理的な重力とかいったものは一切取り払われてしまっているのだ。今、俺は自分の思惟のみで作られる世界にいて、新しい世界を支配している。まるで世界との融合を果たしているかのようだ。
「そうか・・・これが虚物化プログラムか・・・」
俺は今、何処へでも飛べる。俺はこの世界。この世界は俺だ。俺が望みさえすれば其処へすぐにでもいける。俺は、この世界そのものなのだから。あの場所は自分の一部であり、自分の体はあの場所の一部でもある。だから、目を閉じて、行きたい所を想像し、再び目を開けるとそこにいるのだ。俺はいま、そういう存在なのだ。だから、行かなければならない。あの赤鬼を倒すことのできる場所まで。実体が入ることのできない禁断の領域へ。
(三)
「ナインがきえた?」
そう、一旦メンタルスフィアが眩しく輝いたと思ったら、ナインは鬼と共に消えてしまったのだ。もう何処にもいない。窮地にある味方を見捨てて、ひとり尻尾を撒いて行ってしまったようだ。
「そんな、ナインさん・・・」
まもるは絶望した。このまま、この化け物に魂を吸われ続けて死んでしまうのであると思ったから。しかし、この状況において、絶望どころか、希望で胸があふれているアホがひとりだけいた。
「ナイン君はいるよ、まもるちゃん」
詩季は目をとじていた。赤鬼に魂を吸われつつも、意識を必死につなぎとめる。
「目を閉じるとはっきり見えるの。彼と、彼のプロトオーガ!」
詩季はその強い第6感で、この世界そのものとなったナインを、世界と同化したナインの存在をはっきりと心で見たのだ。ナインは皆の心の底流にしっかりと存在するのだ。皆がナインを認識する限りにおいて、彼はこの世界に間違いなく存在する。
「ナイン君!!」
『ギャァァァァァッ!!』
突如、赤鬼は悲鳴を挙げた。どういうわけか、苦しみだしているのだ。いかなる攻撃をしても、傷ひとつ負わすことすらできなかった赤鬼が、苦痛を訴えているのだ。
するとこれにより、赤鬼の触手の力が急激に弱まり、捕らえられていたふたりは解放され、地に落とされた。
「助かったの・・?」
まもるは、なぜ自分が助かったのか、いまいちわからないでいた。
「まもるちゃん、あれ!」
詩季は赤鬼を指差した。
「あれって・・・」
まもるは信じられないものをみた。あれだけの攻撃を与えても全く破れなかった赤鬼の対実無効シールドの空間内に、どこからともなく手が2本生えていて、赤鬼の首を締め付けていた。あれは紛れもなくナインのオーガである。
「・・・・!!」
鬼の腕はそのまま赤鬼の首をへし折った。すると、その腕を基点として、肩、胸部といった順番でナインの白きプロトオーガが虚物化から戻り、次第に実物化し、その全体像を顕にする。
「お前は、お前だけは、許さない!!」
ナインはその手を両刃剣に変えると、一瞬にして赤鬼を八つ裂きにした。
「消えろぉぉぉぉ!!」
いや、八つ裂きどころではない。切れるだけ切るのである。赤鬼は、ばらばらになって、細かくなったパーツが宙に舞う。
「いなくなれやぁぁぁ!!」
まだまだぶった切れそうなところは何度でも切る。もう二度と再生しないように。
すると、赤鬼の裂けた胸からメンタルスフィアの強い輝きを発見した。今にもはじけ飛びそうなほどの巨大なメンタルスフィアであり、一体、どれほどの人間の精神を吸い取ったのかは想像すら困難である。ところが、その時である。
「何だ・・・これ」
赤鬼の心がナインの心の中へも怒涛のごとくなだれこむ。死者たちの憎悪なのか、それとも赤鬼に吸収された人間の魂全部なのか、とにかくナインの心を食い破るほどの怨念の総量がナインの心を埋め尽くしていく。
「がぁぁぁ!!」
息ができないくらいに苦しい。自分の魂のキャパシティを超えるほどの人々の精神が次々と突き刺さってくる。それは、多くの人間に後ろ指を差され、攻め立てられるかのような苦痛である。うかばれない者たちの孤独な嘆きを、負のエネルギーをナインが一身で受け止めてしまった。
全ての光がナインの方へ吸収されると、赤鬼はそのまま動かなくなった。
「・・・」
赤鬼が機能を停止すると同じに、ナインの鬼もその場に倒れた。
「ナイン君!!」
ナインの意識は戻らなかった。