タエさんの昔ばなし
1930年。
王妃の出産を手伝う医官のひとりとして駆り出されたロバート・バジル男爵の祖母である本城タエは一般的な家庭の一人娘として生を受け、蝶よ花よと育てられた。
タエが軍需工場に同世代の女学生と手伝いに出かけた時に出会ったのが後に異世界で王太后となる西園寺朱鷺子だった。
タエの朱鷺子への第一印象は、「外国のお人形さんみたいな子だなあ」だった。
ひとりだけ、目を引く美しいブルネットと青い目の朱鷺子は軍需工場の人間や同じ目的で手伝いに来ている女学生から毛嫌いされていたが、軍需工場である事故が起きた時「不思議な力」を使ってみんなを助けた事から徐々にみな打ち解けていった。
朱鷺子は医学に精通していて、「将来は看護婦の母の様な医療従事者になりたい」と言っていた。
「朱鷺ちゃんならきっとなれるよ」と笑い合っていた1945年の8月のある日、空に眩い閃光が走ったかと思うとタエと朱鷺子は別の世界に転移していた。
「あれは、米国の新型爆弾だったのかしら?」
「それなら、あたし達は死んじゃたの?此処は、お浄土??」
「馬鹿ね、お浄土なら蓮の花と御仏がいらっしゃらないとおかしいでしょう。それに、わたくし達はお国の為に軍需工場で働いていたのよ。
日本国の兵隊様達の戦いの手伝いをしていたのだから、わたくし達が死んで辿り着くならば地獄でしょう」
朱鷺子とタエが手を取り合って暫く道沿いを歩いて行くと、何処かの街らしき場所に辿り着いたのだった。
◇◇◇
「なんなの、この有り様は!!」
人々が運び込まれていく様子に正義心を燃やした朱鷺子とタエが立っているのはどうやら病院の様だった。
「どうして掃除もまともにしていない床の上に怪我人がビッシリと横たわっているの!!清潔な環境でなければ治るものも治らないでしょう!!」
「なんの騒ぎだね、お嬢さん。そいつらは平民だ。ワシら貴族が先に治療を受けて然るべきだろう?」
「ハァ?!」
朱鷺子が鋭い目で治療を受けている初老の男性を見る。
「ではお聞きしますが、貴方はどこが悪いんですか?床に無造作に寝かせられている方々の様に素人でも早く治療をしなければ死んでしまうと分かる怪我でも負っていらっしゃるのですか??」
「ワシはね、膝が悪いのだよ。治癒術師の医療魔術を受けなければ、まともに歩く事もままならない」
男が言い終わる前に朱鷺子は相手を張り倒し、男を診ていた医者らしき人物に怒鳴り付けた。
「ただの膝痛を訴える方と、死にかけの方々と、どちらのいのちを優先すべきかも分からないのですか!!貴方はそれでも人のいのちを預かる医者ですか!!」
「いや、毎月多額の寄付金をくださる侯爵様と平民では、侯爵様のいのちの方が大切だろう」
「尊き方の要望を飲まねばならない状況ですか、これは!!」
医者と朱鷺子の言い争いに割って入ったのは、「あら、レイチェル」と言う夫人の声だった。
「診察室にレイチェルの魔力反応があると思って中に入ってみたら、やっぱりレイチェルじゃない。今まで何処に行っていたの?お父様もお母様も心配していたのよ?」
朱鷺子は夫人の顔を見て落ち着いて、「レイチェルは母の名前ですが」と言った。
朱鷺子の母は外国の方で、それ故に戦時下の日本において石を投げられる事もままあり朱鷺子の父が邸宅に閉じ込めているのだといつの日かタエは聞いた事があった。
「もしかして、レイチェル・ジーン・ブラウンと言うのではないの?」
朱鷺子が頷くと夫人はホロホロと大粒の涙を流して先程朱鷺子が張り倒した男性の肩を抱いて言った。
「アナタ、この子はレイチェルの子よ。死んだものと思っていたけれど、生きていたのね…」
◇◇◇
「朱鷺ちゃん、魔法とか魔術とか言われて良く普通に対応出来たね。あたしだったら、戦争で疲れて妄想に浸ってるおかしな、気狂いだと思うところだよ」
「軍需工場の事故でみんなを助けたアレが魔法よ。お母様から、「こちらでは一般的では無いから迂闊に使ってはいけませんよ」と言われていたわ」
そうか、あの時の…とタエは思い出す。朱鷺子が母の言いつけを破ってでも使わなければみんな死んでいた、とタエは改めて朱鷺子に感謝した。
「タエちゃんだって、少しだけ魔法が使えるじゃない。そうでなければ、あの時の被害はもっと酷い結果だったわ」
「あたしが、魔法を??あたしはあの時、ただ、みんなが無事で済みますようにと祈っただけだよ」
付与と呼ばれる魔法だと、朱鷺子が教えてくれた。だからタエもどこかで、この世界の人間の血が混ざっているのかもしれない、と言われた。
「…ふむ。其方らの話を聞く限り、侯爵令嬢レイチェルは妖精の気まぐれに遭遇した様だな」
妖精の気まぐれとは何かと聞いて見れば、日本で言うところの「神隠し」と同じ説明が帰ってきた。
「レイチェルが崩落事故に巻き込まれてからずっと旦那様は偏屈になっていたのだけど。こうして孫娘と会えたのだもの、少しは横柄な態度を改めてくれると良いのだけど」
病院でテキパキと日本でも学ぶ医療法と医療魔術を使い3時間程で全ての患者の手当てを終えた朱鷺子は夫人が用意した疲労回復の紅茶を美味しく戴いていた。
「ねえ、レイチェルはどんな様子なのかしら?それから、貴女の他にもレイチェルの子どもはいるのかしら?」
朱鷺子は4人きょうだい、兄ふたりはお国の為に出征して行ったとタエは聞いた事があった。
「わたくしは、正利お兄様と成利お兄様、弟の勝利の4人きょうだいです。
お母様は戦争で心の荒んだ方々の怒りの矛先を向けられぬ様に邸宅から出ない様にお父様から仰せつかっております」
「あなた方の産まれた世界には魔物はいない、と文献には記されていましたが、人の心に棲う魔物はいるのですね」
こちらの世界に来るきっかけとなった出来事を侯爵と夫人、同席している朱鷺子の母の婚約者だったと言う男性に話すと眉間に皺を寄せ、絞り出す様な声で「良く生きていてくれた」と言った。
「おそらくそれは、原子力を動力源とした兵器であろう。2000年以上前の魔王と人間の間で発生した戦争において、そのおぞましい兵器が使用された記録がある。
―――キミ達は、一市民であろう?
何故、その様な悲劇を起こそうと思ったのか、全くもって度し難い…」
男の口から語られる兵器の内容にタエは息を飲んだ。
あの町には、お父さんもお母さんもいる。親戚も、友達も、―――ほんの少し想いを寄せていた相手だって。
「あたし達だけ、生き残った…??あの瞬間、偶々、神隠しに遭ったから…??」
元の世界で、知り合いが幾名か辛うじて生きていたとしても、その知り合いさえ死ぬまで後遺症に苦しむ事になるのかと思うと身体がガクガクと震えてしまう。
そんなタエの肩を朱鷺子がそっと抱き寄せる。
「みんなの分まで生きましょう。生きていたならなんとかなるわ」
朱鷺子は制服のポケットの中から小さな巾着を取り出した。
「正利お兄様と成利お兄様は、白木の箱になって帰ってきた。他に帰ってきたものはお兄様達の魔法でお母様の手元に戻ってきた千人針で作った守り袋だけ」
「勝利はお兄様達の仇を取るのだと、大きくなったら特攻隊に入隊すると言っていたわ」と朱鷺子はどこか寂しげに呟いた。
「あら、侯爵様。奥様、―――それから、名前も知らない方。そんなに青ざめなくても良いですわ。
―――わたくし達が産まれた世界の戦争は、そう遠くないうちに終わりますから」
◇◇◇
この世界に流れ着いて数年が経った頃。
朱鷺子はあの日同席していた男性の息子、リナルド王太子の婚約者として選ばれた。
「どういう原理で神隠しが起こるのか分からない以上、この世界で身を固めるしかない、とは考えていたのだけれど」
神隠しでこの世界から消えてしまったお母様の娘であるわたくしを、ご自分の子息の婚約者にしたい、なんてルナール王はロマンチストね、と朱鷺子は笑っていた。
タエはひとりだけ置いて行かれるのかと一抹の寂しさを感じたが、「王子妃となってもタエちゃんはわたくしの大事な親友よ」と言ってくれた。
「それじゃあ、あたしは朱鷺ちゃんの夢を代わりに叶えるね。いっぱいいっぱい、医学の勉強をして、朱鷺ちゃんが困った時は助けてあげるから!!」
「楽しみね」と朱鷺子は言って、リナルド王太子の妻として王城へと向かって行った。
◇◇◇
医療大国、と呼ばれている割には王侯貴族には強い選民思想が根付いていた。婚姻に関しては叔父姪、叔母甥、―――果てはきょうだい間での結婚も当たり前。
タエは王立医療機関で劣性遺伝について研究をしていたバジル男爵と一緒に研究をする事にした。
「尊き身分の家柄に劣性遺伝などある訳が無い」と豪語する彼等でも見て分かる様に、いつか朱鷺子に聞いたスペイン・ハプスブルク家や古代エジプト文明に多く見られた近親婚の弊害について纏めた論文を作り、バジル男爵の持つ『人体鑑定魔法』を使い王族や貴族の結婚前検診を徹底した。
結果、王侯貴族の3分の2が生殖機能を持たない事が判明した。
王太子が貴族の先達として結婚前を受けた事がきっかけで多くのデータを集める事が出来た。
『リナルドは子どもが出来にくい体質、と言うだけで、出来ない訳では無いのでしょう?』
王太子の母はそう言って、魔法によって比較的健康なソレを王太子の体内から取り出して朱鷺子の身体に植え付けると言う暴挙に出た。
朱鷺子がタエの元で検診を受けると一卵性の双子ともうひとりの新しいいのちが宿っている事を確認した。
『3人もいれば、ひとりくらいは後継たる男児が産まれるでしょう?』
と言う王妃を朱鷺子が思い切り張り倒したのは言うまでも無い。
なお、3人とも娘だった。
娘達が12歳になった頃、朱鷺子が自然妊娠したのは後継足り得る男児だった。
王女達の多胎に続いて後継は前置胎盤と言う事もあって、朱鷺子は帝王切開を選んで産んだ。
◇◇◇
王太后となった朱鷺子とその子ども達の話は国民誰もが憧れる存在として知っている。
農業、医療、水産業、その他諸々の発展に大きく貢献した親子の話は舞台になる程人気が高い。
ただ、その陰で支え続けたタエの事を知る者は少ない。
だから、自分くらいは知っておこうとロバートは祖父と静養地で余生を過ごしているタエに会いに行っては昔ばなしを聞く。
記憶が曖昧になってきているタエだけれど、朱鷺子や祖父とこの国を変える為に奔走していた頃の話は昨日の事の様に鮮明に語り聞かせてくれるのだった。