後編
完結です
『喫茶ナカムラ』
高校から少し離れた場所にある、昔からやっている喫茶店に高校生の男女が二人。
イトウは勉強が捗らない時に気分転換でこの喫茶店に来ている。店主とは仲がいいわけでがないが、顔見知り程度である。だから、いつも一人で来るイトウが女の子を連れて店に来た時は、最初こそ微笑ましいと思っていた店主だったが、一触触発の二人の空気を感じ取ってからは最初の想像とは逆の想像を巡らせた。
「俺はアイスコーヒー飲むけど、マキノさんは何頼む?」
マキノを奥の席に座らせてメニューを聞く。
「じゃあ、私も同じので」
「ミルクと砂糖はいる?」
「ミルクだけもらおうかな」
イトウが、手を挙げて店員を呼ぶ。
するとバイトではなく店主がやってきた。
常連といってもいいくらい足を運んでいる少年の恋路が気になって店主自らオーダーを取りに来たのだ。
「ご注文はどうされますか?」
たまに、一人で来る時と恋人と来る時で注文の態度が変わる客がいる。一人で来る時は顔も見ずに急かすようにメニューだけ言うのに反して、恋人と来るときは、目を見て笑顔まで貼り付けて、最後に「お願いします」と言う。ここまであからさまではないが、人間は好きな相手にはよく見せようとする。だから、オーダーを取るだけでなんとなく二人の関係性が分かる。
イトウが店主の目を見てメニューを読み上げる。
「アイスコーヒー二つと、一つにミルクをお願いします」
いつも通り。
イトウはいつも目を見て最後に「お願いします」と添える。
特に愛想があるわけでも、緊張しているわけでもなく淡々と丁寧なオーダーだった。
不意に隣の少女を見てみると目が合った。
イトウ同様感情を読み取りづらい顔だが、どことなく不安な面持ちである。
「ご注文は以上でよろしいですか?」
「はい」
「失礼いたします」
結局、二人の関係性はよく分からなかった。
しかし、店主はなんとなくあの二人似てるな、と感じた。
*****
「急にごめん。喫茶店まで連れて来ちゃって。教室で俺と二人の方が気を遣うかなって思ったから」
「いいの。素敵なお店を知れてよかった」
「そっか。ならよかった」
沈黙が流れる。
――俺がシロを埋めたこと、知ってるよね?――
夕暮れ時、マキノはイトウにそう言われて、ついさっきまでうるさく動いていた心臓をギュッと掴まれたような感覚に陥った。
――やっぱり知ってたんだ、イトウくん。最近目が合うなって思ってたけどそういうことだったんだ。
「教室での話の続きなんだけどさ。俺がしたこと、マキノさん教室の窓から見てたよね」
「うん。見てたよ」
「じゃあ、あの日俺を見てたのがマキノさんって俺が知ってたことも知ってた?」
「それは、確信じゃないけどもしかしたらバレてるかなとは思ってた。私、あの日体育の後に教室にピン留め忘れちゃって放課後に取りに行ったの。教室に入ったらいつもなにか話すはずのシロの鳴き声が聞こえなくて、鳥カゴ見たらいなくなっててびっくりした。部活前にエサやったばっかりなのにって。それで、とりえず席まで行ってピン留め取ろうとしたら、イトウくんが裏庭でなにかしてるのが見えて、何してるのか気になって窓から乗り出して見てたの」
マキノは俯き気味で、イトウのアイスコーヒーの氷を見ながら話している。
彼女は何も悪いことはしていない。
それなのに、イトウに話す様は、まるで罪を告白する罪人のようだ。
「土に何か埋めてるのは分かったんだけど、遠くて何を埋めようとしてるのかまでは分からなかった。だけど、何となくだけど、シロが鳥カゴからいなくなったのがよぎって、もしかしたらって思った。そしたら窓から乗り出し過ぎてバランスを崩して窓を叩いちゃったの。その時ピン留めも落としたけど、イトウくんに気づかれたと思って拾うどころじゃなくて、すぐに教室から出た。それで次の日席を見たら、ピン留めはあったけど机に置かれてて、だから、イトウくん気づいたのかなって」
半分は憶測だったが、マキノが言ったことは当たっていた。
シロを裏庭に埋めていたあの日、真上から物音がしてすぐに二階と三階の窓を見た。窓に人はいなかったが、念の為自分のクラスだけは確認しようと教室に戻ったのだ。教室に行っても誰もいなかったが、窓の近くにパールを模したピン留めが落ちていた。
マキノのものだ。
以前のイトウだったらピン留めの持ち主がマキノだったとは気づかなかった。だが、マキノを自然と目で追うようになってから彼女のパールのピン留めはイトウの中で彼女の一部になっていた。
今日は体育があったな。いつも体育の時はピン留めをしていない。これを取りに教室に?
たまたま落としただけかもしれない。
だけど、毎日つけているピン留めがなかったら彼女は取りに来るはずだ。だから、床に落ちているままなのは不自然だった。
「俺とマキノさんの思ってること大体合ってるみたい」
「私が見てたってことは、ピン留めで気づいたの?」
「そうだよ。いつもマキノさんが着けてるピン留めが窓の近くの床に落ちてた」
「知ってたんだね。私がそのピン留めしてること」
そう言われて少し言葉に詰まる。
毎日見ていたのだから当たり前に知ってはいた。だけど、それを面と向かって本人に言うのは気が引けた。
「マキノさんの髪にそれ、すごく目立つし」
「そっか」
適当な理由でやり過ごす。
「あのさ、俺の気のせいじゃないと思うんだけど、マキノさん俺のこと見てるよね。今回のことで何か言いたいことがあるんじゃないの?」
イトウは今回のことがある前からマキノに見られていることを知っている。だが、それはどうでもよかった。彼女が自分にどんな感情を抱いていても、イトウには関係のないことだから。しかし、あの日のことを知られてからは、自分を見る目が意味のあるものに感じてきた。軽蔑のような、監視のような、何かを問いかけるような眼差し。
あの日から一ヶ月が過ぎても変わらない彼女の視線に痺れを切らして、直接聞くことにしたのだ。
「言いたいことなんて特にないよ」
「遠慮しなくていいよ。あんなことして、責められても仕方ないし。ショックだったよね、マキノさんシロの飼育係だったし」
「本当にないよ」
嘘だ。
普通あの現場を見ていたなら聞きたいことも言いたいことも沢山あるはずだ。責め立てられたって、罵倒されたっておかしくない。
「分かった。じゃあ、なんで俺のことずっと見てるの? あんな事あった後に普通関わりたいと思わないでしょ」
また沈黙が流れる。
俯く彼女。
形のいい目に光はなくビー玉みたいに黒く丸い。
泣き出してしまうんじゃないかと気を揉むが、かけてやる言葉も見つからない。
アイスコーヒーの氷が溶けて上に水が浮かんでいる。
なんかこんな場面、つい最近もあったな。
数ヶ月前にこんな喫茶店でこんなコーヒーを頼んでこんな空気で元カノと別れ話をしたことを思い出す。
女子は何かを話す時、タメも前置きも長い。
あの時、彼女泣いてたな。
俺、また傷つけてるのかも。
窓からマキノにゆっくりと目を移す。
光いっぱいで、ゆらゆらと動く双眸と目が合った。
「好きだから、イトウくんのこと」
……は?
予想外の答えにイトウの頭が真っ白になる。
この子、正気か?
「好きって、だって、俺がシロを埋めたの見てたんでしょ? 自分が世話してた動物が埋められてる現場見てさ、普通俺が殺したって思うだろ」
少し語気が強くなった。
だが、動揺からマキノを気にかけることはできなかった。
自分がかわいがっていた小鳥を亡きものにした人間を好きだなんてイカれてる。
「普通はそうなのかな。でも、私が見たのはイトウくんがシロを埋めてるところだけだよ。だから、イトウくんがシロを殺めたとは限らないでしょ?」
凛とした真っ直ぐな声でそう言った。
「それに、その週、シロの様子がいつもと違ったの。元気がなくてご飯もいつもより食べてなかった。だから、何か病気を患ってて急死しちゃったのかなって思った。それをたまたまイトウくんが見つけて、それで埋めたのかなって」
希望的観測だ。
どう考えてもイトウが故意に死なせた方が自然だ。
「なんでそういう考えになるの。シロが本当に病死したなら、俺が埋める必要ないじゃん。みんなに言ってそれでおしまい。マキノさんは、俺に幻想を抱いてるよ」
彼女はフィルターをかけて俺を見ている。
元カノみたいに、中途半端に俺を知って理想を作っているだけだ。
「そうだね。病死が本当なら普通みんなに言うよね。でもね、私の知ってるイトウくんはそうはしないと思った」
ドラマに出てくるみたいな、歯が浮くようなセリフだ。
「俺、マキノさんと話したの、シロの話くらいだと思うけど」
「うん。話したのはそれくらい。けどね、私はイトウくんのこと見てたの」
イトウの心臓がドクンと鳴る。
「イトウくんはシロタくんとすごく仲良かったよね。シロタくんがアメリカに行く日、『このインコを俺のことだと思ってかわいがってくれ』って、冗談だけどそう言ってた。私が鳥カゴ掃除してる時とかエサあげる時、イトウくんたまに手伝ってくれたよね。休み時間もシロのとこ行ってたし。あんなに大事にしてたシロのことイトウくんが傷つけるとは思えないよ」
「じゃあなんでわざわざ誰にも言わずに埋めたと思ったの?」
マキノは右上に目線を逸らして「んー」、と考えるふりをする。
「これは完全に私の妄想なんだけど。イトウくん、シロが死んだことにしたくなかったんじゃない?」
身体がカッと熱くなる。
「シロタくんが『このインコを俺のことだと思って』って言ったから、死んだんじゃなくて逃げたことにするためとか。イトウくんわかりづらいけど優しいし、仲良くなった人にはすごく誠実で……」
「わかった。もう、わかったからストップ」
自然と右手が顔半分を覆う。
身体中の熱が顔に集中しているみたいに熱い。
火が出そうだ。
「ごめん、流石に気持ち悪かったかな?」
「いや、そういうわけじゃなくて」
羞恥心。
隠していたことが全て見透かされていことの恥ずかしさとマキノを元カノに重ねて、理想を抱いていると決めつけていた幼稚さで顔を埋めたくなった。それに、マキノから見た自分のイメージが自分で思っていたよりも『いい人』なのがモヤモヤと胸を占める。
イトウはどんな顔でマキノを見たらいいか分からなくてずっと俯いている。
どうしてこんな小っ恥ずかしいことを面と向かって言えるのか。
シロタを想ってこその行動だなんて、イトウは常日頃から友達想いのお人好しのキャラクターで生活していない。
それなのに、なんでそんな期待できるんだ。
純真で濁りがないまっすぐな目で、これが正しいみたいに。
ぐるぐると現状から逃げるように余計なことを考える。
イトウは、なんでマキノを呼び出して何をしたかったのか忘れていた。
しかし、今はただ彼女が何を考えて、自分に何を想っているのかただ知りたいと思う。
「マキノさんが俺のことすごく観察してて、だから俺の行動を予想できたってことは分かったよ。だけどさ、やっぱり俺には、どうしてそうだと言い切れるか分からない」
マキノは気まずそうな表情から一転してクスクスと手を口に当てて笑い出した。
「なんで笑うの?」
本当に分からないがゆえに、まるで無知な子供をやれやれと笑うみたいに見えて少し腹が立った。
「ごめん。イトウくんがあまりにも深刻そうに論拠立てて考えてるからおかしくって。もっと簡単なことだよ」
彼女の形のいい目がキュッと細まる。
「好きなら、相手のことを信じられるでしょう?」
そう言って柔和な笑みを浮かべる彼女は、自分より一層大人な女性に見えた。
信じるって、そんな簡単なことじゃないだろ。
好きだから信じてるってめちゃくちゃじゃないか。
「イトウくんは、私があの時見てたの知っててどうして口止めしなかったの?」
「それは……マキノさんは無闇に人に言いふらすような人だとは思ってないから」
あれ? なんでそう思ったんだ??
「ありがとう」
にこりと微笑む。
マキノのグラスは空になっていて溶けた氷だけが残っている。
「私もう行くね」
千円札を机に置いて席を立つ。
「俺が払うから、お金はいいよ」
「いいの。私ね、別にシロに特別思い入れあったわけじゃないの。飼育係になったのもイトウくんがシロのこと気にかけて話す機会になるかな、って思ったからしてただけだし。だからこれはお詫びみたいなもの」
そう言ってカバンを持って「またね」、と店を後にした。
千円札と氷だけのグラス。
急にいなくなると途端に寂しく感じる。
「お詫びってなんだよ」
彼女を毎日見ていたのに、彼女は自分を信じていたのに、彼女の気持ちを否定するみたいに問い詰めた自分自身に腹が立った。
*****
夏休みが明け、いよいよ受験が現実味を帯びてきた秋。
小鳥失踪事件なんて無かったみたいに学校生活は忙しない。
朝学校に来てすぐに勉強をして、授業を受けて、休憩時間は単語テストの勉強をして、お昼ご飯を食べて、また授業を受けて、放課後は図書室や塾や自宅で勉強をする。
もはや恋愛にうつつを抜かしているものなどいない。
夏休み前に彼女と別れたのはよかったのかもな、とイトウは今になって思う。
恋愛は考えることが多くて億劫になる。勉強の妨げにもなる。
「なあ、次の英単覚えた?」
シムラが単語帳を持って机の脇に立つ。
「覚えたよ」
「だよなぁ、お前完璧主義だもん。俺に問題出して」
シムラの後ろにきらりと反射するパールを模したピン留めが目に入る。
流れるような艶やかな黒髪に映えている。
持ち主は窓をぼーっと眺めていてこちらを見ていない。
「なあに、イトウくん。マキノさんのこと気になってるんですか」
「うん。気になる」
「え」
あの日、マキノはイトウに気持ちを伝えてどうしたかったのか。イトウは気持ちを伝えられてどうしたかったのか。
ぼんやりと浮かぶ答え合わせをできないまま時が流れる。
だから、今日もイトウはマキノを見ている。
せめて自分の気持ちには正直になろうと。
そうやって彼ら彼女らの日常は続く。
最後まで読んで頂きありがとうございました!
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