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めでたき知らせは突然に

「にしてもぼん、あんだけの間によう見てはったんですなぁ。いやぁ、おかげで助かりましたわ」

「鴨川さんがいなかったら、私が犯人扱いだったのね。怖いわ、パパ」

 目の前で惚気だす時次郎、亜沙美夫婦を前に、浮音は軽く咳払いをしてから、

「こらこらっ、公衆の面前でいちゃつかへん……。まあ、僕かて佐原くんのおかげで気づけたようなもんでしてなぁ。目先の材料だけにとらわれ過ぎて、無実の人を犯罪者呼ばわりするとこでしたわ。――おっとと、この辺で」

 病床にあった時次郎が本復し、長らく臨時休業の状態が続いていた「志ら菊」の再開第一日目となったその晩。亜沙美にカウンター越しからビールをついでもらいつつ、惚気る二人を肴に、浮音は先日食べそくなった鱧の作りと、店の名物であるしんじょの浮いた椀を手元に預け、朗々たる絵解きを始めた。

「佐原くんから聞いた材料だけを見ると、十中八九おかみさんがクロやった。ところが、刷毛の問題に気づいて、さぁ大将のところへ行こうと踏んだところで、台所の火にかけてあった鍋が吹きこぼれた。その時佐原くんが出したのが咄嗟に出したのが左手だったのを見て、今度の件がわかったんですわ。――しかし、まさか君が元々左利きとは知らなんだなぁ」

 肩をすくめる浮音に、有作は幼少期、左利き用の道具の少ないのに困り、どうにか両利きにしたことを時次郎や亜沙美に説明した。

「でもやっぱり、咄嗟の時に出る方が元々慣れてる手なんだろうねぇ。なんだか、そんな気がしてきたよ」

「それがたまたま、落ちた鍵をパスしたとき、右手で難なく拾い上げた京太郎さんとリンクしたってわけですわ。不意に動いた方が利き手とすれば、湯飲みの乗った、バランスに気を遣うお盆を運ぶ手は使い慣れた利き手のはず――。おかみさんがさっき注いでくれた手も、左手やったしねぇ」

 浮音の補足に、亜沙美はそのとおりね、と瓶を持つ左手を上げながら微笑む。

「起き上がろうと大将が伸ばしたのは右手。平たい和剃刀も当然持ち手が右、刃が左側に来てちょうどいい具合に研がれる。そんな剃刀じゃ、おっかなびっくりだとしても左利きの奥さんが使うにはちっと難しい。となれば、結婚以来奥さんが大将の頭を剃ってるという、京太郎さんの言葉は嘘。頭を剃るのは京太郎さんの仕事、すなわち黒幕は……ということになる――。こういうからくりですわ」

「しかし京太郎のやつ、どうしてあないに回りくどいことをして殺そうとしたんやろ。――あれからずっと気になっとるんですわ」

 奥の厨房で支度をしている、京太郎より若い板前見習いたちのささやきを意識してか、時次郎がやや声を張って尋ねる。

「こればっかしは、当人が祇園から逃げてしまった今となってはわからへんけど……なんとなく、すべてのきっかけは大将の怪我と、鱧を出さへんかったことにあるような気がするんですわ」

「ええっ……?」

 驚く時次郎に、浮音はビールで軽くのどを湿らせてから仮説を述べる。

「自分が寝込んでいる間は鱧を使ったものは出さないようにせよ――。大将の命令が、まるで『お前には一人きりで鱧を捌いて出すだけの腕がない』と言われたように感じたのなら、これは立派なきっかけになる。やけど、常日頃刃物を扱う身ということもあって、刺したりするような直接的な手を取るのはためらわれる……。で、悩んだ末の方法が、不手際からカビさせた刷毛を用いた、間接的で、しかも死ぬかどうかの確実性もやや薄い、今度の方法だったとしたら――京太郎さんはまだ、犯罪を企んだ身にしちゃ、人の心は残っとったほうかもしれんなぁ」

「殺意は湧いても、やっぱりどこか、憎み切れないところがあったんだろうねぇ」

「そんな気もしたから、事情を伝えた後、僕は『彼の処置はお二人の判断に任せる』っちゅう形にしたんですわ。二人が二人とも、このまま置いておくと言えば、僕はだんまりを決め込むつもりやったけれど……」

 そないな方法は一度でも試したら後々癖になる。そう考えはったんですか――。浮音のそんな問いかけに、時次郎は黙って顎をしゃくった。

「まあ、もう過ぎ去った話や。大将が無事、元のまるまると肥えた体に戻ったことやし……もっとおめでたい話かてあるやろうに、こないに陰気にしたら罰があたるってもんや。――おかみさん、まだ話してないんやったら、ひとつこの場で如何……?」

 ほろ酔い加減の浮音の言葉に亜沙美は一瞬たじろいだが、やがて顔を赤らめるなり、こう告げた。

「――パパ、出来たらしいの。二か月ですって」

「――ほんまか!」

 降ってわいた慶事に、時次郎は天井をびりつかせるような大声で喜んで見せる。

「おおかた、あの日は産婦人科かなんかの帰りしなで、驚いて心ここにあらず、やったんやろ。佐原くんにぶつかったときの態度はそのせいで、後から現れたお客がその当人だったのに気付いて気まずそうだったのは、謝り損ねたのを悔いてたから――どないです、おかみさん」

 浮音の言葉に大正解です、と嬉し泣きをしてみせてから、亜沙美は改めて、有作に先日に非礼を詫びたのだった。

「それにしてもいったい、どこで私の妊娠に気が付いたんですか?」

 亜沙美の問いかけに、浮音はなあに、とこともなげに答える。

「見舞いの席で出たリンゴを、おかみさんが美味しそうに食べてたのがきっかけでしたなぁ。――今年の紅玉はいつにも増して酸味が強い。手洗いに行くふりをしてみたネットの農業ニュースに、そんな記事があったんですわぁ」

 浮音の返しに、その場の面々は愉快そうに笑ってみせる。師走の気配が近づき、本格的な底冷えがはじまろうというある夜のことであった。



初出……同人雑誌「WEST-EYE 第八号『毒薬×ミステリー』」掲載(推理同人・睦月社刊)

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