8-12 懺悔
グレイス王国消滅の原因までは気付かなかったが、飛ばされてきたであろうその国のものが散乱する山に到着したトワ。
そこで、ベルテの奴隷商時代の友達、ニヴィを見つけ蘇らせるも、心は壊れてしまっていた。
「ニヴィちゃん、これ私のですけど、とりあえず着ましょうか」
箱庭に戻ったベルテは、自分の替えの服をニヴィに着させる。エルフィエンドらが来て、服や家具など、外と変わらぬものが手に入るようになったのだ。
サイズは……少々胸の辺りが寂しい事になってはいるが、ニヴィ用のは後でエルフィエンドに買ってきてもらおう。
さて、実はもう、外の世界は夕飯の時間帯なのだ。しかし、件の山の惨状を見てきた三人に食欲などあるはずも無く、簡単に果物だけで済ませる。
が、問題はニヴィだ。
自分では何をする事も出来なくってしまった彼女に、どうやって食事を摂らせようか。
この世界には、魔法という便利すぎる力があるためか、地球のように医療が発展していない。正式名称は知らないが、あのチューブを繋いで栄養を摂らせるなどというものは、この世界には無いのだ。
「ど、どうしよっか?一旦口に入れるだけ入れてみるとか?」
「いえ……それだと、誤嚥してしまう可能性があるので。辞めておいた方が……」
そうは言っても、このままでは餓死してしまう。
ただ、ベルテが何かに気付いた。
「ニヴィちゃん、唾液があまり垂れてきませんね」
「そうだね。それが?」
唾液というのは、成人であれば一日だいたい一リットル以上は分泌されるもの。そんなにずっと溜めておける訳でも無い。
しかしニヴィは、そんな唾液が殆ど垂れてこないのだ。
「これ、自分で飲み込んでいるんですよ!なら少しづつ与えていけば!」
ベルテは果物や野菜など、ほんの少しづつ齧り、それを咀嚼して口移しでニヴィに与える。
そしてニヴィは、
「た、食べてくれました!」
「よかったー……これで何とかなりそうだね」
「はい……本当に、本当によかった……」
量を食べさせるのにはなかなか時間がかかるし大変だが、それでも餓死の心配は無くなった。親友の危機が過ぎ去り、ほっと胸を撫で下ろすベルテ。
それではトワの方も、やらなければならない事を済ませてこよう。
件の山へ調査隊を派遣させるために、エルフィエンドにノゾミへ説明してもらうのだ。よって、いつもの街道の外れに空間の裂け目を開こうとしたのだが……
「あ、あれ?」
その辺一帯は何も無い更地。グレイス王国のような、地盤ごとどこかへ飛ばされたような更地だ。
「トワさん?どうしました?」
空間の裂け目を半分ほど開きかけたまま固まっているトワを見て、エルフィエンドは声をかけてきた。
彼女はどこか鋭いところがある。さっきまではここにいなかったというのに、外へ行く準備をしていればいつの間にやら近くにいるのだ。
ただそれは、今回ばかりは異常を感じ取ったらしい。
「あ……えと、いつも出入口にしてた場所が……グレイス王国みたいになってて……」
「え!?ノゾミは?アウロ・プラーラは無事なんですか?」
「は、はい。そこまでの被害は無いです……けど」
二度だ。
グレイス王国消滅の時神殿を、いや、神殿近くの広場を中心として更地になっていた。そして今回も、トワがいつも空間の裂け目を開いていた場所を中心として、何も無くなっている。
いくら鈍かろうと、それを知ってしまえば勘づくだろう。
自分のせいかも知れない、と……
「トワさん!とにかくすぐにアウロ・プラーラへ行きます」
「は、はい!」
トワは空間の裂け目作るのでは無く、転移でエルフィエンドを外へ送る。
彼女はアウロ・プラーラへ向かって全力で駆けて行き、トワはすぐさま箱庭へと戻った。
「ベルテ……」
「トワ?どう、したんですか……」
箱庭に戻ったトワは、倒れ込むようにしてベルテと、彼女に世話されているニヴィに頭を下げた。
「ごめん、ごめんなさい!ニヴィさんがそうなった原因、僕なのかもしれない。僕が、いたから……グレイス王国が、無く、なって……」
そこまで言って、耐えられなくなって吐いた。あの山で見た、見るも無惨な遺体は全て、僕がいたせいでああなってしまったのだと。
もう、今までに何人殺してしまったのだろうか。完全に疫病神じゃないか、と。
「トワ……
大丈夫です。気にしなくていいんです。トワのせいなんかじゃありません。それに、死んでしまった人たちも、何も考えることなく死んでいるはずですから。
大丈夫です。トワが気に病むことなんてありませんよ」
トワの心は壊れかけていて、それを慰めるベルテの心も、ある意味で壊れていた。
ベルテにとって、何よりも、自分よりも大切なものがトワ。
トワが笑えるようになるために死ねと言われれば、一切の迷いなく死ぬ事が出来るし、友達や、もう居ないだろうが家族を殺せと言われれば迷いなく殺す。
彼女のこの狂気は、覚えてすらいない死から救われた事が根源となっているのだが、最早それだけですら無いように感じる。
何がここまで彼女をそうさせているのか、それは今になっても分からない。
それからトワは、出来る限り箱庭に引きこもった。
誰かを送り迎えする時だけ、転移で外に出るが、それ以外は一切外へ出ることは無い。
ただ、時が来るのを待っていた。
◇◆◇
「済まない!ノゾミに話がある!」
「あ、エルフィエンド様!今までどこにいらしてたんですか?心配していたんですよ」
トワに送られたエルフィエンドは、アウロ・プラーラの中央ギルドの受付に駆け込んだ。並んでいる人を全員抜かして。だが、彼女の知名度や功績が、誰一人として文句を言わせないものだった。
そんな中、エルフィエンドにズカズカと近寄る人影が一つ。
「よォ、エルフの!しばらくぶりだな。またオレとパーティ組むか?」
「ん?ああ、なんだ君か。悪いが、今はそれどころでは無いんだ。その話はまた今度で」
エルフィエンドに話しかけた人物、それはネジャロ。
前回より少し遅いが、それでも歴史通りにアランと共にアウロ・プラーラを訪れているのだ。そんな彼の胸で光っているプレートの色は橙。トワがいなくとも自力で橙銀級、ダンジョン貴族の一番下までは辿り着けている。
しかし、それもきっと、値が張るであろう武器の力が大きい。トワがいた事で行われていた過負荷トレーニングを、今回のネジャロはしていない。そのため、前回の彼と比べると遥かに弱いのだ。
具体的に言うと、流星剣・シュヴァルツ、今のネジャロではそれを持つ事が出来ない。
と、少々懐かしい人物の登場で話が逸れてしまったが、ここアウロ・プラーラは、トワにとっても大事な場所なのだ。
「そうだネジャロ君。外の街道、何でああなったか知っているか?」
「ん?ああ、あれな。オレはそん時ダンジョンに潜ってたから詳しくは知らないが、地上にいたヤツらの話では、三日くらい前に突然石とか色々降ってきたんだと。
それで外を見てみれば、あんなになってたって事らしい」
「そうか、ありがとう。にしても三日前か……まさかな」
三日前、それは、トワが浦島太郎現象と呼んでいた実験が終わった日。
察しのいいエルフィエンドは、それだけで核心へと迫りつつあった。
「母さん!今までどこにいたんですか?ずっと探していたんですよ!」
「済まないな、ノゾミ。今日はそれについて報告しに来たんだ」
エルフィエンドがネジャロと話している間にも、受付嬢はせかせかと働いて、いつもより忙しいギルドマスターを呼びつけていた。
何でいつもりよ忙しいのかって?
それは実の母親が、グレイス王国が突然消滅したから今すぐに調べろ、だなんて強引に迫ってくるからだ。
そして、また更に忙しくなる訳だが……
「ここからだと、南東へ行ってきた。
どれだけの距離があるか詳しくは知らんが、グレイス王国とヴァルメリア帝国との間に高い山があるだろう。そこまでだ」
「……母さん、それ本気で言ってますか?最後に母さんを見た日から、まだそんなに日は経ってませんよ」
「ああ、本気だ。移動方法に関しては一切言えないが、本当にそこまで行ってきた。それを踏まえて、これから話すことを聞いてくれ」
「……はぁ、分かりましたよ。メモを取りますから、少し待ってください」
ノゾミは戸棚から紙を一枚取りだし、ペンを握るとクイッと顎で合図をした。
「まず、グレイス王国が消えた件だが……見つかった。その山で」
「……は?いやいや、その山まで何千キロもあるんですよ?何でそんなところに」
「何か強大な力で吹き飛ばされた。それが、私たちが出した見解だ。
で、話はそれだけじゃない。何千キロも吹き飛ばされたんだ。分かるだろ?全てぐちゃぐちゃだよ」
「な……るほど。それで、そんな話を持ってきてどうしろと?」
「そんな話か……殆どの者からしたら信じられない話だろうな。だから調査隊を派遣しろ。現場の保存はしてある。時間はかかってもいいから、人を行かせろ。
……その後の対処は任せるよ」
簡単に言っているが、何千キロも離れているところに人を行かせるなど、はいそうですかと決められるようなことでは無い。
しかし、そんな相手が母親。しかも、何か重大な事は隠している。
国を預かる者として、他国の状況について知っておかなければならないという事もある。
ノゾミは腹を決めた。
「分かりました。分かりましたよ!行って確認しますとも。なので取り敢えず、場所や見た光景など、出来るだけ詳しくお願いします」
「あ、ああ……光景の方、書かなきゃダメか?」
「……出来ればでいいです」
エルフィエンドはムムムと眉間に皺を寄せる。しかし、息子も決心したのだ。書くだけならやってやろう。
その後、エルフィエンドは口の周りを汚しながらも、何とかあの惨状を書き記すことが出来た。
「う……うぅ。もう向こう一年は肉など食わん」
どうやら多大なストレスを受けてしまったようだ。そしてそれは、その報告書を読んだ者にまで伝播してゆく。