7-7 ハッピーエンド?
トワとベルテの二人だけの箱庭。
まっさらな草原に川と洞窟があるだけの、小さな世界。
誰にも邪魔されず、深すぎる愛をより深くへと落としてゆく。
この二人はそれ以上何も求めない。
ただお互いがいればそれだけで幸せなのだ。
それはもう、全てを忘れるほどに……
「そういえば、ベルテさんのその服、奴隷商のところのものですよね?抜け出してきたんですか?」
「いえ。ご主人様、アラン様にネジャロと共に買われて……あ!」
ベルテはすっかり忘れていた。
夜までには宿屋シングレイへと戻ると約束していたことを。
トワに逢うために嘘をつく形で抜け出してきたことを。
「お嬢様、今何時ですか!?」
トワの作り出した箱庭には時間の概念がない。
朝も昼も夜も、天気や川や洞窟も、生命や人工物でなければ全て望んだものを作り出せる。
小さな世界の小さな神といった具合だ。
とまあそういう訳で、中にいては時間が分からないのだ。
「えっと……もうすぐ真夜中ですね」
「も、もうそんな時間……」
箱庭では擬似太陽から暖かな日差しが降り注ぎ、優しい風が身体を撫でる。
二人はそこで夢中で営みを繰り返した。
会えなかった時間を取り戻すかのように熱く、ねっとりと。
妹がまだ心の内にいたら、きっと酷い胸焼けで川へダイブしていたことだろう。
そんな幸せ過ぎる時間を過ごしたのだ。
約束の時間などとっくに過ぎてしまっている。
「時間がどうかしましたか?」
「いえその……ご主人様に夜までには戻ってくるようにと言われているのですが……一緒には……」
トワは首を横に振る。
今回の世界では犯罪者。街へ行けば死刑が待っているし、またあの血の化け物が暴れてしまうかもしれない。
トワはもうどこの国へも入れない。
この箱庭があるのはグレイス王国内だが、それは後で現状行けるいちばん遠い場所、全てが始まった木の近くにでも移動する。
とにかく、トワが人里へ行くことは不可能である。
「……どう、しましょうか」
「一緒にいてくれるんですよね?また独りになんて……」
「はい、ずっと一緒です。もう離れたりなんてしませんから、安心してください」
とは言っても、ベルテはアランの元へ帰らなければならない。
トワはアランの元へ行くことは出来ない。
現状は板挟み状態である。
「うーん…………逃げてしまいましょうか!」
「え、え!?」
「私は逃げたら逃亡奴隷に堕とされます。国へ行ったらすぐに捕まって、鉱山とかそういうところに送られるでしょう。
つまり、人里へ行かなければいいんです。
お嬢様も人里へ行けない。私も行けない。完璧ですね!」
ベルテは眩しいくらいの笑顔でとんでもない提案を出してきた。
彼女の言い分は確かに間違ってはいないのだが、そのまま実行してしまうとベルテだけ失うものが多すぎる。
「それだと、ベルテさんまでどこにも行けなくなっちゃうし……アランやネジャロさんの事だって!
全部覚えてるかは分かりませんけど、一緒に旅をしてきた仲間なんですよ?
それを裏切るような形で……」
「それでいいんです。お嬢様さえいてくれれば自由なんて要りませんし、ご主人様とネジャロのことだってそうです。断片的ではありますけど、楽しかった旅の記憶はあります。
でも、もしお嬢様と二人きりの旅だったら、人目を気にすることも無くイチャイチャ出来たんじゃないかと……
実はアウロ・プラーラあたりからずっとそういう妄想に浸ってました!」
ベルテの口から飛び出した最後の情報、それは予想だにしない事だった。
トワが覚えている限りでは、アウロ・プラーラでベルテとそういう関係になってしまったが、あれは発情期を鎮める為に手伝ってくれただけのはずだ。
その後のヴァルメリア帝国で再び求め合い、熱い行為を重ねた。
その時に好きになってくれたのだと、そう思っていたが実際はもっと前からだったということか。
嬉しさで心がいっぱいになる。
「すごく嬉しいですけど……本当にいいんですか?」
トワの最後の確認に、ベルテは力強く何度も頷く。
「分かりました。それじゃあお金になるものと手紙だけ置いて、一緒に逃げましょう!」
「はい!ありがとうございます、お嬢様!」
二人はお互い以外を全て捨て、駆け落ちすることを選択した。
失うものは計り知れないというのに、二人は幸せに包まれている。
誰もたどり着くことの出来ない箱庭での新婚生活が始まった。
まずは場所を変える。
あの木陰へと移動し、木の根元に入口を作る。
あの血の化け物が出てきてからというもの、生み出した空間の裂け目を縁取るようにしてくっ付いている。
特に害はないし、魔物が近寄れば勝手に退治してくれるのでさながらセ〇ムだ。
「これで新居は一段落ですね。今はまだ洞窟ですけど、そのうち小さくてもいいので家とか作ってみましょう」
「はい、お手伝いします!」
次は食料だ。
土地はいくらでもあるし川もあるのだが、如何せんそこに住まう生物がいない。
家畜を連れて来るのはおいおいやるとして、今日は野菜や木の実で済ませる。
植物は生命という判定では無いらしく、食べていけるだけの食材は想像するだけで簡単に手に入った。
「普通に美味しいけど……なんか味気ないですね……」
「手間暇かけて作るということをしていないせいでしょうか?
いっそのこと畑を作って、種や苗から育ててみませんか?幸い、農業も知識だけはあるので!」
「いいですね。家庭菜園っぽくてワクワクします」
ここでもベルテは有能だった。
誰に買われても出来るだけ役に立てるように蓄えていた知識がまたも花開く。
トワは洞窟と川の間に広めの土地を作り出し、それを掘り返し細かく細かく耕してゆく。
「あ、お嬢様。あまり細かくしすぎてはいけないらしいですよ。
水が染み込み過ぎるのは却って良くないようです」
「へぇ、そうなんですね。じゃあ……これくらい?」
一度掘り返した土を固め、少し粗めになるよう再び掘り返す。
「はい、ちょうどいいと思います」
ベルテのお墨付きも得られたことで、完全では無いが食と住が揃った。
思い立ってからここまでかかった時間は30分ほど。
まだまだ夜が開ける時間では無いが、そろそろアランたちに送る手紙の用意をした方が良さそうだ。
そして、いざ書こうと思ったところではたと気付く。
「「紙がない!」」
白い紙も羊皮紙も、前者は人工物で後者は生命由来のもの。
欲しいと思っただけで手に入るものではなかった。
「ど、どうしよう……書くものは炭でどうにでもなるけど……いっそ切り株を薄く切ってそこにとか?」
「……お嬢様、これはどうでしょうか?」
ベルテが摘んでいるのは自分が着ているボロ切れ。
薄くてザラザラしているが、麻布のようで紙の代わりとしては十分に使えそうだ。
ベルテが服を脱ぎ捨て、トワが適当な大きさに切る。
鉛筆替わりの炭は、木を切って、小さい洞窟を作って、放り込んで、燃やしまくって、蓋をして、時間を加速させればすぐ完成。
これでようやく手紙が書ける。
「僕も、何か書いた方がいいんですかね?」
「どうなんでしょうか……話を聞く限り、嫌われてしまっているんですよね」
「……神殿ではごめんなさいって、一言だけ書くことにします」
「それがいいかも知れませんね」
トワは下の方に小さく、謝罪の言葉と自分の名前を書き記す。
これでアランとネジャロ。この二人へのお別れは終了。
一年近くも苦楽を共にした仲間とのお別れは寂しいが、今回の彼らにとって、特にネジャロなんかはトワの事を知りもしないのだ。
これ以上書けることも無い。
これで手紙の件は終わり。では無く、もう一つやる事が残っている。
ベルテが逃げたことへの代金の補填。
お金なんかは作れないから何か別のものを送る必要がある。
そこでパッと思いついたのが宝石なのだが……
「うーん……ただ色のついた石」
適当な宝石を思い浮かべ作り出してみるものの、思ったような綺麗さがない。
やはり研磨やらカットやらの工程を踏まないとどうしても垢抜けない感じだ。
「まあ売っちゃえばお金にはなるよね。
それじゃこれと、これと……あとこれも」
一目で宝石の原石だと分かるようなものをいくつか選び、残った服に包む。
「お嬢様、書き終わりました」
「……じゃあ、ちょっと行ってきますね」
ベルテから手紙を受け取り、宿屋シングレイで寝ているアランたちの元へ一瞬だけ転移して、それを置いてくる。
人殺しのところへ逃げたのだと知って怒るかもしれないが、それはどうか許して欲しい。
トワにも、ベルテにだってこれ以外の選択肢が無いのだ。
「さようなら。アラン、ネジャロさん」
これで本当に、お別れだ。
◇◆◇
「ご主人、これ」
「……ん?何それ、布?」
「いや、手紙だ。ベルテとトワ。二人の名前が書いてある」
「……そうか、やっぱり」
アランは何となく予想がついていた。
奴隷商のところでトワの名前を出した瞬間のベルテの表情。
あまりにも必死すぎた。
アランにとってはいきなり人を殺すような非道な人物でも、ベルテにとっては違ったのだろう。
そしてこの手紙だ。なるほどと納得してしまう。
『アラン様へ
私、ベルテのことを買って頂き、本当に、本当にありがとうございます。
ですが、あなたの元を去ることをお許しください。私はトワ様のことを愛しています。離れ離れになることなど、死ぬことよりも苦痛です。
嘘をついて逃げ出したことも、申し訳ありません。そうしないと行かせてくれないと、そう思った上での行動です。
私の代金分、損をさせてしまい申し訳ありません。ですが、その点については、私たちからの謝罪の品を同封致しますので、それを売って資金にして頂きたいと存じます。
最後になりますが、勝手に逃げ出してしまって誠に申し訳ありませんでした。
トワです。神殿で怖い思いをさせてしまってごめんなさい。
ベルテ・トワより』
横に置かれている包みには、拳よりも少し大きい綺麗な石が三つあった。
すぐに宝石の原石だと分かったのだが、かなりの大きさだ。銀貨二枚弱所の値段では無いことは確か。
「こ、こんなものを……一体どうやって……」
アランたちはすぐさま鑑定士のところへ向かい、その原石を鑑定してもらったのだが……
「……これをどこで手に入れたのですか!?」
「……えっと、知人が送ってきたのですが……そんなに珍しいものなんですか?」
「め、珍しいもなにも……そもそも見たことすら無いですよ。
新種、全く新しい未知の宝石です!」
という結果になった。
トワが「こんな感じのやつ」とぼんやりした想像で作り出したところ、元素やその組成がめちゃくちゃな状態で完成してしまったのだ。
この世に二つとない希少すぎる宝石。
後に奇跡の石と呼ばれ、目玉が飛び出るような額で取引されることとなる。
トワ、ベルテ。アランは怒るどころかめちゃくちゃ感謝しているよ。良かったね。