優しき魔王さま 第零篇~第一篇 詩書
魔王さまとはどういう方なのか?その日常について、語っていく詩書の一篇。
第零篇
異教の神の如く、魔王さまの長身は聳えていた。
その体は泣いていて、おおよそ、我々の考える魔王とはかけ離れていた。
集団としての魔族の王こそが普通の魔王の権威を現しているものだが、この魔王さまは、魔法を友とし、群れる魔族は一個体一個体を区別していた。
その認識こそが魔法と成り、世界を形作っていた。
その世界こそが魔法世界の第六階・”仮名”だったのである。
さて、優しき魔王さまは人の人生を嘆き、哀しみながら、はたからしまいまで処断していったのである。
この魔王さまは人間ではない、魔なのであるから。
神が救わない者を死をもって、この優しき魔王さまは救う。もはや生として認められない精神に成った者を肉体から解き放っていったのである。
言葉では通じ得ない異形の魔性が彼女を呼び寄せていたのである。
神が救わない者を救う、そう、魔王さまは神の対抗者であり、自分に対する信仰を無下にはしなかったのである。
簡略に書こう。
魔王さまはご自身が少女である事を認知していて、敢えて、下記の様な恰好でいたのである。長身の黒ずくめのコートにロングスカートの服装で開道を歩いていた。
その開道は魔法により秩序立てられた簡素で黒土によって色彩を他地と区別された開道であった。
その片隅に魔王さまは立っていたのだが、道行くどの少女達*と比べても目立って凛々しかった。
その黒髪は長いのだが、短く纏められていて、
まるで現人神の様に威厳を放っていた。
コートにロングスカートという異様な出で立ちであった事もさる事ながら、何れも黒く、そして、黒髪と合わせて、魔王の雰囲気が出ていたと思われる。
ともかく、常人でははかり難い程のおひとだったのである。
第一編 この人は知っている。
この魔王さま、魔に通じていて、魔をもって人をはかる事が出来たのである。
つまり、魔性であればある程、この魔王さまの目に留まり易かったのである。
この魔王さまは”優しき魔王さま”であった為に、殺す対象を同情に値する人にしていたのである。
神に選ばれなかった哀れな人は、救いを見出す事も出来ず、かと言って死ぬ事も出来ず、言葉に言い表し難いが、神に見捨てられて、魔に魅入られた人として、惰性の運命にあったのである。
そのひとりがイーシャ・アルバー、彼女は母が残した屋敷に住んでいて、第四の魔女として、人々に畏れられていた。
本来ならば、その風格として、同情に値するものではなかったのである。
彼女は人間であったが、同時に魔法に身を堕とした魔女であった。
これは最新の伝説であり、”優しき魔王さま”という名前の詩書なのである。
幻想の神の名によって。
「この人は知っている」
魔王さまはこう呟いた。
魔王さまが知っているという事、すなわち、救済が必要なのであった。
*この魔法世界では、第六階にあたる”仮名”は現実世界のヨーロッパの男性優位に対して、少女が権利を勝ち得ており、魔法のある世界として、千年生き、その間少女であるという世界観を提案して、承認待ちである。
元々、小説化する予定ではなかったのだが、ダンテの「神曲」やミルトンの「失楽園」等、数々の詩書を踏み台にこの「優しき魔王さま」を出すに至った。と言っても、日本語での詩書は歴史が短く、完全に手探りの状態であるから、細かい間違い等は見逃して頂きたいところだ。