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お絵描きデリュージョン

作者: 断罪剣

 あんなにやさしくしてもらったのは初めてだった。たった一言だけだったけど、何もいいことなどなかった私の人生に大きな希望になった。あの何気ない昼休みに私の人生は劇的に変わった。


「あれ?空原って絵上手いんだな」


 後ろから声をかけられたので一瞬馬鹿にされたのかと思った。だけど違った。振り向くと彼が立っていた。高い身長に整った顔、部活で焼けた浅黒い肌、そしてきらりと輝く白い八重歯。このクラスの中心人物、太田マサルだ。いつも明るくてひょうきんだが、いざというときはリーダーシップがある学級委員長。私とは全てが正反対の存在が私に向かって笑いかけていた。それも私の絵をほめてくれた?

 胸の鼓動が高鳴る。中学二年生になってクラス替えをした時は騒々しくてうざいとしか思っていなかったのに。顔が熱くなっていくのがわかる。


「え、あ、うん。あ、ありがとう」


「ちょっと頼み事があるんだけどいいかな?」


「え、い、いいよ」


「今度の修学旅行のしおりの表紙になんか描いてくれない?ちょうど描きたいって人がいなくて困ってたんだ」


 彼は私に一枚の白紙を差し出した。修学旅行。二週間後に行われる二泊三日で沖縄へ行く行事。周りはその話で浮かれているが、根暗で話すのが苦手な私にとっては最悪の行事だ。当日は仮病を使って休もうかと考えていた。

 学級委員である彼はしおりを作る役割を任されたのだろう。周りの学級委員の女の子なら描いてくれるはずだ。なぜわざわざクラスの隅にいる私なんかに?


「う、うん。わかった」


「いやー助かる助かる。あいつら学級委員だってのに恥ずかしがって描かねえんだよ。」


「……」


「じゃあできれば今週中に先生に渡してくれ」


 そう言うと彼は私の机から離れ、いつもつるんでる男子たちの輪に入っていった。

 顔は熱くなったままだ。心臓の鼓動もずっとドクドク鳴っている。生まれて初めて自分の価値を認められたような気がした。ただ、絵をほめられただけなのに。今まで自分の絵をほめてくれた人間は二人いた。小学校の先生、まだ優しかったころの母親……。しかし、その二人に褒められたときとは別次元の多幸感が私の全身を駆け巡っていた。

 多分、彼はたまたま絵が描ける人がいなくて私を見つけただけだろう。私という人間そのものを認めた訳でもないだろう。だが私はその時、確実に、恋に落ちていた。

 それが悲劇への道であることも知らずに。

 私のこれまでの人生にいいことなど一つもなかった。あったとしても今の衝撃以上のものはないだろう。

 母子家庭の中で育ったが、母には疎まれている。家での会話は全くない。というか母の姿はここ三カ月ほど見ていない。ご飯は私が必要な分を作っている。学校で出された親のサインが必要なプリントや集金などはテーブルに出すと、翌日にはサインがされた状態でテーブルの上にあるので家には帰ってきているようだ。だが、確実に私を避けている。私が寝ている時は見計らって家に帰ってきている。

 一度、真夜中に母と鉢合わせてたことがある。そのときの母は老婆のようにやつれていた。しかし、私のことを見た瞬間、鋭い殺気を放ちながら睨まれた。母は何も言わなかったが、憎い憎い憎いただただ憎いというその目から感情が伝わってきた。その目を見た私は慌てて自室に戻り声を押し殺して泣いた。母から憎まれるようなことはもちろんしていない。なぜ私のことを避けているのか。なぜ私のことを睨んだのか。考えてもわからなかった。


 小学生の頃はいじめられていた。いつも教室の隅で絵を描いているぼっちをたかっていじめるのが楽しかったのだろう。いじめは小学三年生から五年生になるまで続いた。内容は無視だったり、はっきりと聞こえるような陰口だったり……と少女漫画のような身体的に殴るとか、トイレでバケツの入った水をかけるだとかではなく、ゆっくりと精神を蝕む陰湿なものだった。

 いじめられ続けた二年間、私は特に助けの声を上げなかった。上げられなかった。無視されている、陰口を言われているということを母はもちろん、優しく接してくれた先生にも言えなかった。いじめられている要素はあったが確実な証拠がなかったからだ。もし、言ったとしても無視される可能性があったし、それによっていじめがよりひどくなるのが怖かった。

 最悪の二年間、頼れる人間は誰もいない中で絵を描くことだけが救いだった。自分の世界を描くことは何よりも楽しかった。私がいじめの果てに壊れなかったのは「絵を描く」ということに出会えていたからだろう。

 いじめの終わりはあっけなかった。理由は簡単、五年生になってクラス替えがあったからだ。私をいじめていた主なメンバーは散り散りになり、無視されることも陰口を言われることもなくなった。心に平穏は訪れたが、そのころには私は他人とどう接すればよいかわからなくなっていた。それ以来、用があるとき以外に話しかけることも話かけられることもなくなった。

 現在は中学二年生、友達と呼べる者はいないし部活にも所属していない。毎日、教室で空き時間を見つけては絵を描いて、家に帰ってからは勉強してから絵を描く。母との関係も変わっていないし、教室でも話しかけられることはない。充実はしていない、たまに激しい孤独に苛まれることがある。でも、いじめられている頃よりはマシという毎日を過ごしていた。


 さっそく家に帰ってから表紙を描き始めた。誰かのために描くという行為は生まれて初めてだ。さて、修学旅行のしおりか……何を描こう?セーラー服の少女に沖縄の海?いやいや安直すぎる。ここはあえて沖縄の砂浜にしようか?今まで自分が描きたいものしか描いてこなかったから何を描けばいいかわからない。いつもなら自然に動く手が止まったままだ。考えがなんだかまとまらない。だが、何としてでもこの表紙は完成させなければならない。

 彼のことを考えるとまた鼓動が速くなった。そして、自然と手が動いた。いつも以上に集中し、頭を捻り、表紙に必要な要素をふんだんに取り入れた。お風呂と夕飯を忘れて描き続けた。こんなに夢中になったのは久しぶりだ。気が付くと0時を越していた。まだ目は冴えている。徹夜くらいならできそうなくらいに作業興奮している。頭で考えなくとも手が自然と動いた。

 2時ごろになって家のドアが開く音が聞こえた。母が帰ってきたのだろう。この時間はいつも寝ているので、少しびっくりしてしまった。母に起きていることが悟られないように部屋の電気を消して、デスクライトを付ける。イヤホンを耳にかけて母が鳴らす雑音を聞こえないようにする。気が散るので音楽は流さない。 


 試行錯誤を繰り返した末にやっと線が完成した。修学旅行のしおりの表紙に使うから色は付けずにこれで完成だ。明日……いやもう日付は超えているから今日の昼休みに担任の先生に提出しに行こう。

 仕上がりは過去の自分の中でも最高と言っていいほどに良くできた。広大な沖縄の海を背景に学ランを着た少年がピースしている。色々考えたが結局シンプルな絵にとどまった。シンプルなだけに細かい部分にこだわった。少年のいかにも楽しそうな表情は、修学旅行を心待ちにしている生徒たちの期待を表したものだ。周りの浮かれ具合から察したものだが上手く表現できていると思う。

 カーテンを開けて外を見ると明るくなっていた。心地の良い朝日が部屋に差し込む。普段から絵を描いているが、完成した絵を見直すという行為は気持ちがいい。今回の絵は頼まれたということもあって、いつもより達成感があった。

 この絵を見たら彼はどんな顔をするだろう?ほめてくれるだろうか?昨日のことを思い出し、胸の鼓動が速くなる。そして、今日書き上げた絵を見つめて、彼の太陽のように明るい笑顔を想像する。

 ベッドに倒れ込んで目をつむると想像が加速した。このまま彼の夢を見れたらどれだけ幸せだろうか。


**************


 目が覚めると9時だった。一時限目は既に始まっている時間だ。寝坊した。完全に寝坊してしまった。

 それを理解した瞬間に私は飛び起きた。今日の時間割すらも確認していない。その前にまず着替えて……朝食は抜いてしまおう。必要最低限の準備を終えて、家を出た。


 教室は授業の真っ最中だった。幸い一時限目の授業は国語で、優しい先生だったから遅刻を咎められることはなかった。それでも教室に入ったときのみんなの視線はとてつもなく怖かった。普段、人の視線など全く関係ない私にとって数多くの視線に当てられるのは恐怖そのものでしかない。冷や汗がだらだらとにじみ出た。やだなぁ。

 それから昼休みになって、私は担任の先生に表紙を提出しに行った。職員室は先生たちが固い顔で書類やパソコンを睨んでいて厳格な空気に包まれていた。

 私は担任の先生の前まで歩くと、今日書いた絵を先生に手渡した。


「み、三木島先生……これ、しおりの絵……です」


「お、空原。描いてきてくれたのか」


 三木島先生は優男風の若い男性で、誰にでも平等に扱い笑顔を絶やさない、教師の鏡のような数学先生だ。授業はわかりやすく彼が担当するクラスの成績は一様に良い。もちろん男女問わずに生徒からの人気は高い。

 私はこの先生が苦手だ。人が良いため嫌いではないのだが、なんだか胡散臭くて思っていることを見透かされているような気分になる。そもそも私にとって全ての人間は苦手なので、三木島先生はより苦手な人間ということになる。できれば話したくないが話さなければ絵は提出できない。


「は、はい……」

 

「おー良く描けてるじゃないか。すごいなー!太田にその話を聞いたのは昨日だったんだけどな。一日でこれ描いたのか?」


「はぃ……」


 先生は私に笑いかけた。昨日、太田マサルがしたような笑顔とは違った種類の笑顔だ。瞳の奥に何かを隠しているような怪しい笑顔。多分、私が三木島先生のことが苦手な原因の一つだ。考えていることを見透かされているような気がする。きっとどの生徒に対しても同じような笑顔を向けてきたのだろう。


「へぇー空原って絵うまいんだな。助かったよ」


「……ぁりがとうございます」


 軽く会釈をしてその場をそそくさと職員室から立ち去ろうとする。


「あ、そうだ空原。今日遅刻したらしいな。絵を頑張るのもいいけど、気をつけるんだな」


 後ろから声をかけられた。先生の声色は相変わらず優しかったが本心ではどう思っているかどうかわからない。

 聞こえないふりをして、顔を伏せて逃げるように職員室から出ていく。

 

 その日は調子が悪いと言って早退した。母親とは連絡がつかず、迎えには来ないためうまくはぐらかして一人で帰った。そして、家に帰ってからは今日書いた絵に色を塗った。モノクロのままでも良くできてはいるが、できるならこの絵を最後まで完成させたい。そうすればまた一つ、上達できる気がする。


 あれから一週間が経った。修学旅行まであと一週間。私はあれからずっと絵を描き続けた。描くのは学ランの少年の絵、活発で笑顔が眩しい少年。友人とはしゃぐ彼。数学の授業中に居眠りをする彼。部活で活躍する彼。私の席は後ろの方だから、彼を好きなだけ観察することができた。

 しかし、いくら観察してもいくら描いても足りない。全然足りない。彼のことをもっと知りたい。学校で明るく振る舞う彼じゃ足りない。まだ誰も知らない彼を知りたい。

 そう思った私は彼の跡をつけるようになった。学校が終わった後は物陰から彼が部活どうに励む姿を観察し、部活が終わって彼が帰路に着いたら後ろからバレないようについていく。彼が家に入ったら24時になるまで窓から部屋を観察し続ける。彼と私の家は逆方向にあったが、不思議と疲れなかった。それよりも家での彼、部屋で一人の時の彼を知ることの方が重要だった。


 跡をつけ始めてから一週間が経った。今日から修学旅行だ。朝の六時には駅に集合しなければならない。だが、私は行かなかった。あの胡散臭い先生に熱があると言って休んだ。

 夏の空は澄み渡っている。今の時間は朝の八時。この時間、彼の両親は家にいない。そして、今頃クラスのみんなは飛行機に乗っていることだろう。私はリュックサックを背負い、彼の家の前にいた。右手にはこの家の鍵を握っている。この日のためにこっそり彼のバックから拝借し、合い鍵を作っておいたのだ。もちろん、合い鍵を作ったあとはバレないように戻しておいた。

 ゆっくりと鍵を回し、扉を開く。緊張と興奮で心臓の鼓動が高鳴る。ついに私は家に侵入した。扉には一応鍵をかけておく。

 家の中には彼の臭いが充満していた。玄関で靴を脱ぎ、リュックサックに入れると居間に入った。居間は整理整頓されているが、生活感があふれている。私は彼の部屋に入る前に今の本棚を漁った。彼の父の趣味であろう堅苦しい文庫本や、料理本を避けた先にひと際大きい黒い本があった。でかでかと「まさる」と書かれている。フォトアルバムだ。


「……」


 開くと幼少期の彼が写っていた。生まれたばかりの彼、幼稚園生の彼、小学校低学年の時の彼。その全てがありありとそこには写されていた。このアルバムの写真には一つの共通点があった。それはどの写真にも母親か父親が写っており、なおかつ笑顔という点だ。

 これは拝借しよう。これまでにないほど最高の資料だ。

 アルバムをリュックサックに入れ、次は彼の部屋に行こうかと立ち上がったとき


ガチャ


 鍵が開く音がした。


 それを聞いた瞬間、私はとっさに本棚の影に隠れた。この位置であれば居間に入ってきた人は私の姿は見えないはずだ。彼を知りたいという欲求など吹っ飛んでしまった。


「忘れ物忘れ物ーっと」


 優しそうな女性の声が聞こえた。家に入ってきたのは彼の母だ。年齢は45歳、主婦をするかたわらスーパーのパートに勤めている。温厚な性格だが、息子である彼に対しては厳しくも優しい。また、特徴として見た目がとても若々しく、30代前半にしか見えない。私の母と同い年とは思えないくらいの余裕と美しさを兼ね備えている素晴らしい母だ。

 今の時間はもうスーパーにいるはずだが、忘れ物をしたようだ。靴、ちゃんと回収しといてよかった。


「えーっと、どこにあったかな?」


 彼女はどこかでがちゃがちゃと音をならしながらものを漁り始めた。

 心臓がこれまでにないほど鼓動を鳴らしている。この音でここにいることがバレてしまうような錯覚に陥る。いや、呼吸の音も聞こえてしまうんじゃないか?そう思った私は右手で口元を、左手で胸を覆った。

 何を探しているのだろう?財布?パートで使うエプロン?できるならさっさと探し出して仕事に行って欲しい。緊張と恐怖で昏倒してしまいそうだ。


「こっちかな?」


 足音が大きくなっている。独り言も次第に大きくなっている。こちらに近づいているとわかった瞬間、思わず声が出てしまいそうになった。

 精一杯に身をかがめ、「お願いだからこないでください神様」と今まで信じたこともない神にこい願う。ここまで冷や汗が出たのは生まれて初めてかもしれない。

 彼女は本棚の前で立ち止まると先ほどの私と同じように本棚を漁り始めた。本棚をちゃんと片付けた後に帰ってきてよかった。もし、帰ってくるのがほんの少しだけ早かったら荒れている本棚を見て怪しまれてしまっただろう。


「あ、あった!いやーなくしたときはどうかと思ったよ~。これでよく見える」


 箱を開ける音がした。多分、発言の内容から察して彼女が探していたのはコンタクトレンズだろうか?見るわけにはいかないからわからないし、探している内容などは正直どうでもいいから早く仕事に行って欲しい。一刻も早くこの緊張から逃れたい。できるのならば、なくなったアルバムには気づかないで欲しい。


「よし」


 彼女がそう言ってからしばらく沈黙が続いた。箱を開けるような音だったり、シールを剥がすような音が聞こえるから、順当に考えればコンタクトレンズをつけていると推測できる。しかし、本当にそうだろうか?もしかしたら、私が隠れていることなど最初からわかっていて、知らないふりをして私のことを弄んでいるのかもしれない。朝っぱらから我が家に鍵を開けて入ってきた不法侵入者がどんなやつかを、よく見えるようにしてからまじまじと確認しようとしているのかもしれない。

 ひとまず本棚から離れてくれたという安心しながらも、見えないという恐怖に耐えながら身を縮こまらせる。泣きそうになったが必死にこらえた。ここで泣いたら絶対にバレる。

 この沈黙、30秒ほどかもしれないが、私には3時間に感じられた。


「あ、もうこんな時間じゃん!行かなきゃ」


 沈黙は彼女の一声によって破られた。そして、数秒もしない内に扉が閉まる音が家に響いた。

 私は5分ほど同じ姿勢でじっとしてから、彼女が完全にいなくなったのを確認すると、立ち上がってリュックサックからアルバムを取り出し、もとの場所に戻した。

 そして、玄関に向かい靴を履いて外に出て、しっかりと鍵を閉める。一応、近くに誰もいないことを確認しておく。

 それからは怪しまれないように歩いて家に帰った。うつむきながら、私は何もしていませんという顔をしながら。はたから見れば逆にその挙動は怪しかったかもしれない。朝であることが功をなしたのか特に何もなく帰ることができた。

 帰る途中、恐怖と緊張で冷静になった頭はここ数日のことを振り返っていた。まるで熱にうかされていたように彼のことを考えていた頭は、今や自責の念で冷え切っていた。


 家に帰ると誰もいなかった。閑散としていた。私は玄関に座り込んで泣いた。恐怖心と自分に対する失望が混ざり合ってぐちゃぐちゃになった。アルバムに写っていた彼は幸せそうだった。優しいそうな両親に囲まれてさぞ幸せそうだった。きっと、私より何倍も褒められたことがあるのだろう。

 彼に褒められたとき、すごくうれしかった。クラスの人気者で、かっこよくて、みんなに認められている彼に認められてうれしかった。しかし、よくよく考えてみれば私は利用されたに過ぎない。ちょうどしおりの表紙を描く人がいなかったから頼んだに過ぎないのだ。多分、彼は私のことを褒めたとは思っていないだろう。

 絵が上手くなれば彼にもっと褒められると思っていた。実際、そんなことは絶対にない。そもそも私と対極にいる人間がそう簡単に話しかけてくるわけがないだろう。そして、やったことといえばストーキングに不法侵入。立派な犯罪だ。「彼のことをもっと知りたい」だの思っていた自分が馬鹿みたいだ。いや、馬鹿だった。

 

 私は自室に入ると彼の絵を破った。端正に色を塗ったしおりの表紙に使った絵も原型をとどめないくらいにびりびりにして破った。そしてまた泣いた。


**************


 私はそれから家に引きこもるようになった。毎日描いていた絵も全く描かなくなり、画材を見るのも嫌だったので全て押し入れの奥の方にしまった。特に何もするわけでもなく、頭を空っぽにしたままぼーっとして過ごしている。時折、電話がかかってくることがあったが無視した。


 また昼間に目が覚めた。ここ最近はずっとそうだ。惰眠をむさぼることへの罪悪感もそろそろ薄れてきた。目は覚めたが起き上がる気もなく、スマホをいじる。

 ふと、目をつむると、彼に褒められたときの光景が浮かぶ。あの時の心臓の高鳴り、興奮をまだ忘れていない。そして、その後の彼に対する執着。今となってみると馬鹿馬鹿しいにもほどがある。時間を巻き戻して思いっきりぶん殴ってやりたい気分だ。

 しかし、やってしまったことはなくならない。私は彼をストーキングしたし、不法侵入を犯した。もし証拠が見つかりでもすれば私は捕まってしまうだろう。まぁ、そのときはそのときだ。


「はぁ」


私はため息をついて、また眠りに就いた。

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