1話 道具屋の娘と黒褐色の猫
清々しい風。
ほんの少しだけ開いた窓から部屋の中に入り込む風は、爽やかな空気と花の香りを運んでくる。
太陽が上り始めた頃。
窓際のここは、ボクの定位置になっていた。
「う、う〜ん…」
部屋の北側に設えた木造りのベッドから、ボクの御主人様の声が漏れる。
ボクはそれを気にかけることなく、顔を出したばかりの日の光を浴びながらうたた寝していた。
「おはよ、モス。」
布が擦れる音と共に、ご主人が挨拶してきた。
…仕方ない。
起きるか。
「ご主人、今日は随分と早いじゃないか。」
見た目はまだ16から17歳位の小娘。
「だって、この街のお店、どこも早くからお店開いてるって、隣のおばちゃんから聞いたんだもん。」
本当の年は、ボクの口からは言えないけど、名前はアリアと言うらしい。
「それにしても、夜明けと共に起床とは…」
「なぁに?なんか文句でもあるの?」
言いかけたボクの言葉を遮ったご主人を見ると、背後からなにやら恐ろしいオーラが。
「…いッ!?いえいえ!なんでもございません!」
反射的に、恐怖で毛が逆だってしまった。
「やだなぁ、モス。あたしは平凡な街の道具屋のお姉さんなんだから、そんな怯えた顔しないでよ〜」
しまった!
笑顔で言ってる風を装ってるが、目が笑ってない!
ボクが怯えた事で、さらにヒートアップさせてしまった様だ!
まてまてまてまてッ!!
落ち着け!落ち着けッ!!
確か、ご主人はご自分の立場を隠したがっていたはず!
「い、いやあ、ご主人、ボクはあくまでご主人の飼い猫なんですから、ご主人がお怒りになると敏感に感じ取ってしまうのも無理ありません!そういう主人の気持ちを感じ取る飼い猫を見れば、周りの人は飼い主の躾の成果だと、ご主人をお認めになる事でしょう!でもそれは、特別な事ではありません!動物を飼うものとしての当たり前のマナーを、きちんと守っていると言う意味で、極めて当たり前の事をちゃんとしていると認められるだけで、至極平凡な生活に支障ありません!」
焦ってめちゃくちゃ早口になったけど、ちゃんと伝わったかなぁ…?
「そ、そうかなぁ…?」
「そそそ、そうですとも!そうですとも!」
…ふう。
未だ腑に落ちない様子ではあるが、とりあえず怒りは収まった様だ。
「…まぁ、いいわ!じゃ、さっさと起きて、朝ご飯食べて、開店準備しなくちゃ!」
軽く拳を握る仕草で気合を入れると、ご主人はスクッと立ち上がって着替え始める。
ふと、ご主人の手が止まった。
「バカモス!あたし着替えるんだから、早く出てってよ!」
寝間着の上を脱ぐなり、ボクに投げつけるご主人。
ボクは人間の女の裸なんて、全く興味がないのに。
…はあ、めんどくさい。
「は・や・く!!」
あひゃ〜!!
またまたお怒り!?
「はいはいはいはい!!直ちに出ますのでッ!!」
ボクの体がちょうど通る程のドアの隙間を抜けた瞬間、ド・バタン!!と扉が閉まる!
『バタン』の前の『ド』は、多分、枕でも投げつけて、扉に当たった音だ。
その枕が当たった反動で、扉が勢い良く閉まった、といった具合か。
「まったく、あとほんのちょっとボクが遅かったら、シッポを挟んでた所だったよ…」
そう思うと、我が毛並みの揃った美しいシッポが愛おしい。
「あんた、なに自分のシッポ舐めてんの?」
はっ!?
振り返ると、いつの間にか扉を開けて顔だけ真横に突き出したご主人が、ボクを見下ろしていた。
「えっ!?い、いや、身嗜みを…」
「ふ〜ん、まあ良いけど、あんまり本物の猫みたいだったから、あんたホントに猫になっちゃったかと思ったよ」
「なな、何を仰る!?ボクは魔…ッ!?」
「解ってる!冗談よ」
またもやボクの言葉を遮って、開いた手をこちらへ向ける。
「む〜、解って下されば結構…」
ケタケタと笑うご主人は、無理な姿勢が疲れるのか、気が緩んで身体を起こす。
「…で、まだ服も着ていない様ですが、何か御用で?」
ボクが視線を下に向けると、「…え?」と声を零しながら、ご主人も下を向く。
「…んなッ!?」
そこには、片方だけ壁より外に出てしまったご主人の胸が。
「き、きゃあああぁぁぁーッッッ!!」
奇声を上げて慌てて隠れるご主人。
…と思いきや、すぐさま枕を掴んだ手がドアからニョキっと現れ、僕の方へ投げてきた!
「うわぁっ!!」
咄嗟に枕を避けたボクは、次に何か飛んでくる前に階段を駆け下りる!
その音に気づいてか、ご主人が声を張ってボクに言った。
「もうあんた、朝ご飯抜きだからねっ!!」
「ええぇーっ!?」
「サッサと昨日仕上げたポーション類、棚に陳列しといてよね!!」
バタンッッ!!
二階でドアが閉まる音がした。
くっそぉ〜。
訳分かんない事で急にキレるし。
気分屋でめんどくさいし。
だいたい、カタチチ出したのも、ボクのせいじゃないだろぉ?
なんなんだよ、あの我儘娘は!
全く、もう…。
そんな事を思いながらも、ボクの体は素直にポーションを陳列するため、ワークベンチの横の箱を引っ張っていた。