恋愛競走―スイート・スイート
さあどうぞ、めしあがれ。
「こ、こげた……」
オーブンにあわただしく呼びだされること、しばし。
鼻腔を突き抜けるにおいに目をそむけてトビラを開けば。
そこには、炭のように真っ黒く焦げた物体Aがあった。
換気扇をフル活動させ、さらに窓も開け放つ。
キッチンテーブルの上には、目指していたモノの写真とレシピ本。
どうせ作るなら見た目がいいものがいい。
いかにもこう、バレンタインっぽいものがいい。
あたしの無謀なチャレンジは見るも無残なことになってしまった。
「はあ……。なんで、こうなるのかさっぱりわからないんだけど」
ある程度ならば、努力次第でどうにでもなる。
そう思っていままでやってきたというのに、その結果がこれだ。
あたしにとって料理は『ある程度』の枠に入らないらしい。
本に掲載されている、キレイでおいしそうなガトーショコラ。
でもって、オーブンのなかでくすぶるのはガトーショコラ予定だったモノ。
材料、準備、手順、すべてクリアして、ようやくここまでたどりついたはずだった。
なのになぜ、こんなことになってしまったのか。
チョコレートをブロックごと火にかけたり。
湯せん途中でお湯が入って分離したり。
さっくり、という感覚が分からなくて練る勢いで混ぜたり。
そんな失敗を何度も何度も重ねて、ようやく今日という日を迎えられたのに。
それにもかかわらず、最後の最後でこの失敗。
ほんとうにめげる。キツイ。やばい。
テーブルでは繰り広げられた激しい戦いの跡が生々しく残っている。
片付ける気にもなれなくて、ひとまずオーブンから黒い物体Aを取り出した。
表面が炭化してヒビ割れたそれを型から外して、皿にのせる。
中身は無事のような気もするけど、あげられるわけがない。
少なくてもあたしだったら、こんなのもらっても食べたくない。
焦げたにおいのなかにまざる甘いものに名残惜しさを感じつつ。
しかたなしにため息をついて、処分用のビニール袋を取り出せば。
「ゆいゆいゆーい! しばらく出禁ってどういうことだよ!」
リビングとキッチンをつなげるドアが音を立てて勢いよく開かれた。
「た、泰斗……! なんで、あんたが、」
「ん? なんだ、このにおい。お前、なにして、」
「ちょ、勝手に入ってこないで!」
ずかずかと侵入してくるヤツから、例の物体を隠そうと皿を持って背中へ回す。
まだ熱いソレからのぼる湯気でヤケドしそうになりながらも、後ろへと下がった。
こんなの見せられるわけがない。
ぜったいに見せられない。見せたくない。見られるわけにいかない。
事前に、しばらく家に来ないよう出入り禁止メールを送ったのがアダとなったらしい。
両親にあれだけヤツを家にあげないでと頼んでおいたのに。
昔からウチの親はこの幼なじみに甘すぎるのだ。
「帰ってってば! あたしがなにしてようがあんたに関係ないでしょ!」
なにしているもなにも、この惨劇を目にすれば一目瞭然だろうに。
あたしが誰のためにこんな苦労をしていると思っているのか。
誰のためにこんなことをしていると思っているのか。
でも、アピールしたいのはそこじゃない。
あたしは、自分でいうのもあれだけど負けず嫌いでプライド高い。
幼い頃から付き合いのあるこのバカに負けるものかと、幾度となく意地を張ってきた。
それは、カンケイが変わってきた今でも変えることができなくて。
言えずにいたことが、言い過ぎてしまったことが、かぞえきれないほどある。
甘い言葉も甘いことも、なにひとつできない。
だったら、甘いものくらいあげたいと思った。
ひとこと、おいしいといわせたかった。
このチョコレートに、普段いえない気持ちを託したかった。
「これって、チョコ?」
「う、う、うるさ、い! 違うわよ!」
近づいてきた泰斗がテーブルの上にある材料を指でなぞる。
ボールにこびりついていたものをすくって確認するかのように舐めたあと。
その口の端が、持ち上がったのが見えた。
「やっぱチョコじゃん。甘めーし」
赤い舌をのぞかせてにやにやと笑う泰斗が距離を詰めてくる。
じりじりと狭まるものに、嫌な汗が流れていく気がした。
「これ、俺のため?」
「ちが、」
「だから出禁だったのかよ。はー、安心した」
安心の意味が分からず、首をかしげた。
いつもはもっとあたしの言うことを聞くはずなのに、今日はやたら強気で調子がくるう。
泰斗は、いつまでたっても幼くてどうしようもないバカで犬みたいで。
子どものころからそうだと思っていたのに、最近はどうも様子が違う。
追い抜かされた身長。体格。それだけじゃない、何か。
昔の面影はあるのに、たまに別人みたいに思えてしまうときがある。
「しかし、ゆいが俺のために手作りでチョコを」
「ちがうっていってんでしょ!」
「じゃ、なんで俺がこの家に来たらマズいんだよ。それにさっきから後ろに隠してんだよ」
問いつめられて、答える間もなく壁際に追い込まれた。
皿が壁にぶつかって、高い音を響かせる。
そのとたん、のっていた物体が指に触れて、強い熱に痛みが走った。
離してしまった指。落下する皿の白。物体A。
落ちたものに視線が向けられたのを感じて、あわててしゃがみこんだ。
「こ、れは、なんでもないの! ちょっと作ってたら、うっかり焦がしちゃ、って」
いいわけじみた自分の声。痛みを発する指先。
目の前で崩れる真っ黒な物体が、ぼんやりとにじんでいく。
「あんたにはちゃんとした、買ったもの、あげるから。これは、ただの、」
気まぐれでつくったモノで。
そういい終える前に、伸びてきた腕が隠していたものを奪い取っていった。
まだ熱いはずのソレをつかんだ泰斗は、ためらうことなく口に運んでいく。
消えていくあたしの物体A。ガトーショコラ予定だったモノ。
「ばっ、なんで食べるのよ!」
止めに入ろうとしても、腕を上に伸ばされて届かない。
次々と口に入っていくモノが鈍い音を立てて咀嚼されて、飲み込まれる。
ぜったい、おいしくない。
しかもすごい焦げているのに。
半分近くを食べた泰斗は、口の端に残ったチョコを指で拭ってあたしを見た。
その目に映るあたしは間違いなく情けない顔をしているはずなのに、笑いかけられて涙がでそうになる。
「バカ、じゃないの。おなか、こわ、すんだから」
「うめーよ。たしかに表面は焦げてたけど、中は普通に食えたし」
「うそつき」
「うそじゃねーって」
「うそ。ぜったいにおいしいわけ、な、」
真っ向から否定すべく、いいかけたあたしの声は。
突然覆いかぶさってきた影に飲み込まれて。
――思いっきり、かじりつかれた。
「ぅ……んっ、」
避けることもできなくて、差し込まれたものをゆるゆると味あわされる。
わけのわからない感覚がのぼりつめてくるのがこわくて、目の前の服にしがみつく。
するとさらに頭を引き寄せられて、深く深く追い詰められた。
甘ったるくて、苦味のあるものが絡みついて、くるしくて。
くすぐるようになぶられて、呼吸ができない。
それまでこらえていた涙が、こぼれおちた瞬間。
影はゆっくりと離れていった。
「……ほら、うそじゃねーだろ」
甘い声がもれたあとに、くちびるを軽くついばまれて。
ちゅ、と聞こえた水音に全身が染まっていくのが分かった。
あわてて両手で口元を覆い隠す。
遅すぎる行動だとは思うけれど、なにかしないとあふれ出してしまいそうで。
目から、頬から、耳から。
じんじんと熱すぎるほどの何かが流れ出している。
ヤケドしてしまった指先はさらに熱を持っていて痛み出す。
その状態に気がついたのか、泰斗はあたしの手首をつかんで指を口に含んだ。
「っぁ、」
ぬるぬるとしたものが、指先を這う感触に体がすくむ。
痛いのに、変だ。
背中から這い上がるような、指先から与えられるこの感じはなに?
「た、い、……っ、ぃ、や! や、だっ」
ぞくぞくするものに声を抑えきれなくて、指を引っ張る。
おかしくなってしまいそうだった。
あたしのすべてが指先に集まっていて、なめつくされてしましそうで。
引っ張った衝撃で壁に背中を打ちつける。
その様子を上目遣いで確認したらしい泰斗は、ようやく指を離してくれた。
彼の口からあたしの指先に糸を引くものを見ていられなくて目をそらす。
濡れた指先はじんじんとうずいていて、外気に冷やされていく感触がまたこの体をふるわせた。
「うまかった、マジで」
その言葉は、あたしがもっとも欲しかったものだったはずなのに。
手首ごと体を引っ張られて、抱きとめられたと思ったら。
小さなキスがこめかみや頬、耳に降りそそいでやまない。
「たいっ、と! ちょ、」
「まだ全部食べきってねえから、もうちょっと」
言葉に含まれた意味と、与えられた衝撃で。
どうしても素直に喜ぶことができそうもなかったのだった。
** *
「ゆーい」
「……あっちいってよ、バカ」
「わかったわかった。バカでもなんでもいいからさ」
「なによ」
「俺、おかわりしたいんだけど」
「だだだ、だ、だめにきまってんでしょーが! このバカ!」
あたしの叫び声は家中に響きわたり、ご近所へも伝わって。
バレンタインくらいもっと優しくしてやれよ、とクラスメイトに肩を叩かれるのは翌日のことだった。
******** **
読んでくださってありがとうございました!
これはサイト2周年記念でリクエストいただいたシリーズ作品です。
単品でもお楽しみいただけると思いますが、お時間がある際に他作品もお読みいただければ幸いです。
また、リクエストくださった方々、ありがとうございました!
書き終えたときに、あまりの恥ずかしさに七転八倒しかけたのですが、やりすぎてしまっていたら申し訳ないです。
ちょっと、いろいろ、がんばりました!
ひとこといただければしあわせーです。
ほんとうにありがとうございました!
******** **