おいでませダ〇シュ村
翌朝、早い段階で私達は馬車で街を出た。
御者は一人、乗客も私達二人だけだ。
二頭の馬に引かれ揺れる馬車の上で、私たちは無言で向かい合う。
無言のまま数時間――夕暮れ近くに国境近くまで来た時に彼は馬車を降り、私もそれに続いた。
「この先――森を抜けてさらに下る。ここからは――歩くけど」
「……ご心配なさらずに」
元々鍛えてあるので肉体的な心配はなかった。
もっときつい――戦場で50キロ近い荷物を持ちながら山道の先の敵陣に忍び込んだこともある。
彼の荷物と言えば革袋一つぐらいで(一応私が預かっているが)中身であった金貨も使い果たしたのか、かなり軽い。
「――こんなところに街がありましたか?」
答えて貰えるとは思えないが私は彼に訊ねる。
そう、私の知識の中ではこの辺りに屋敷のある街の記憶はなかった。
もっと怪しむべきだったかもしれない。
この男の底知れぬ異様さに圧されるように、私は大人しくこの場まで来ていたが、あまりに軽率だった可能性はある。
「あるんだな、これが。まあ、国境近くだけど魔族はいないよ」
詳しく話す気はないようで、そこで会話は途切れる。
いま国境――と言ったのが場所のヒントになるかと地図を思い浮かべる。
国境の向こう側は人の地ではない。
今あちら側は魔族の領地になっていて、人は立ち入れない。
小競り合いはあるが、休戦協定が敷かれていて、お互い表立って争うことはない。
ここはまだ国境よりは山一つ分は離れている。
暫く歩くうちに陽が落ち始める。
道は獣道で舗装されていない。
こんな場所に本当に屋敷があるのだろうかと訝しみたくなるが、ここまで来たら真偽を確かめなければ帰れない。
会話もなく暫く歩く。
次第に暗くなる森の中で、私は漸く彼に質問をした。
「私で、宜しいのですか?」
「うん、君しかいなさそうだ」
そこでスッパリと会話が途切れ、またしても暫く沈黙が続く。
どうしてこの男に雇われようと思ったのか――ついていこうと思ったのか自分でもよくわからない。
気が付けば私は彼の手を取っていたのだ。
もしかしたら知らない間に変な魔術を掛けられ操られている可能性もある。
しかし――ただの勘だが、そんなことはないと思ってはいた。
「――あの」
「ああ、ごめんね? 僕は面倒くさがりでね。必要なこと以外はしたくないし、あまりしゃべりたくないんだ。今回だって――嫌なのを頑張って、募集をかけに街まで来たんだよ?」
「――そう言うことではなく、雇うのならば、知っておいてもらいたいことがあっただけです」
風の唸り――にしては多分に大きく、響くような音が私たちの傍で渦巻き始める。
私はそれを聞いて――ああ、またか、と思う。
「私は――元暗殺者です。暗殺団を抜け、追手を振り切りあの街に流れ着きました」
身の上話を雇い主に正確にするのはこれが初めてだった。
彼は興味があるのかないのか――黙って前を歩いていく。
私はそのまま話を続けることにした。
「暗殺団の首領を片付け、私は足抜けした――つもりだったのですが、『二つ』問題が起きました」
そう、私は自分の組織の団長を殺した。
そして組織を壊滅させるほどの大打撃を与えたのだが――直後に問題が起きた。
「一つは――殺せない呪いです」
そう、首領を殺した際に、その最後っ屁として喰らってしまった呪術――
「血の通う動物を殺した際に私は呪われ死にます」
そう、私は『不殺の呪い』を掛けられたのだ。
「私は殺し屋としてはもう働けません。そういった仕事をさせるつもりであればお考え直し下さい」
私の告白に彼は顎に手をやり少考する。
「――それは、小動物も?」
「いえ、大きさは人間大から――ですね。命の器の大きさで判定されるようですが」
「なるほど、じゃあ問題はないね。魚やウサギは捌けるのだから。ああでも、牛はちょっと無理かな?」
彼はそう言って何事もないと言うように笑顔を作った。
「牛をバラすメイドなど聞いたことがないですが?」
「ははは、そうだね! まあそれは他の者に任せよう」
私は拍子抜けしたように肩を竦めた。
そう、まあこれ自体の縛りはそこまでの生活に影響はないだろう。
傭兵や冒険者としての道を絶たれはしたが、私は元よりそちらに興味など無かった。
それよりも、元暗殺者である――というくだりをまるっと無視するほうが私としては驚きである。
「ただ……もう一つのほうが厄介で――」
「冥土のメイド(ハデスメイデン)だね?」
私が一瞬言い淀んだのを見逃さぬように、彼は合間に言葉を挟んだ。
一応――ちゃんと私の話は聞いていたらしい。
「はい、私の二つ名――蔑称、ですね。これは暗殺者のときの呼称ではなく、あの街でメイドとして働き続けた結果付けられたものです」
風の唸りが強くなる。
それには――明らかに風ではない、別の何かの声が混じり始める。
「それは――」
急に、視界がぐるり――と反転した。
え――と思う間もなく、私の意識は森を離れ――
一瞬の闇から――開けた――別の場所へと転がり落ちる。
「転移――魔法?」
私はバランスを崩し転げたまま、別の場所へと転移させられていた。
転移魔法は聞いたことはあるが掛けられたこと初めてだった。
今いる場所から別の場所に自分たちを転移させるのはよほどの伝説的な使い手か、古代の装置でなければ無理だと聞いたことある。
ゆっくりと深呼吸をして心を落ち着ける。
魔法の影響からか、まだ視界が歪み、足元が定まらない。
「ああごめんね。先に言っておけばよかったかな? でも、場所をあまり特定されたくなくてね」
漸く慣れてきた視界――顔を上げると、そこにはもう――大きな古い鉄の門が私を待ち構えている。
その奥には大きな――黒っぽい建物が見えた。
「ようこそ、グラナーダ家へ」
門はその彼の言葉に反応するように左右にギギッと錆びがこすれるような音を立て開いていく。
「立てるかい?」
「――ええ、平気です」
伸ばされた手を拒否し、私は立ち上がると彼の後をついて門をくぐる。
そのすぐ左右には私の背丈より高く伸びた大量の背の高い草が並び立っている。
門から屋敷に繋がる道だけが、一本、石畳として残っているだけである。
「いやあ、手入れが出来てない庭でお恥ずかしい限りで。ああでも、別にこれはこのままでもいいですから。一人で草むしりさせようとかこれっぽっちも思ってないよ?」
これを全部刈り取るとしたらちょっと考え物である。
しかし放置していいと言われて、はいとも言い辛い。
「手がなくもないですので」
「それは頼もしい――」
そんな話をしているうちに、もう屋敷は目の前にあった。
石造りの外壁にはびっしりと枯れたツタがこびりつき、いかにも――もう何十年も使っていないような様相を呈している。
数段の石階段の上に大きなくすんだ――もしかしたら元々赤い扉だったかもしれない――茶色の木の扉があり、それには所々蜘蛛の巣が張り付いていた。
木の板自身も傷んでいるのか、節が多く、割れている個所もある。
「――まるで」
そう、まるでそれには、人が住んでいるような形跡が無かった。
手入れされず打ち捨てられた古い――廃屋。
私は思わず、彼の方を見つめていた。
「――ちゃんと、住んでるから安心して」
「……はぁ」
思わず気の抜けた返事をしてしまう。
その時、森で鳴りやんでいたあの風の唸りが再び訪れる。
(こんな場所では――お誂え向きすぎる)
私の周囲に纏わりつく風は――次第に白いもやのように――そして次第に形を成していく。
「先ほどは――途中で話し終えてしまいましたが」
白いもやは、まるで人のような顔を形作る。それも――複数の。
風の音は地の底から響くような怨霊の嘆きの声へと変わる。
気が付けば私の周囲には――蒼白い無数の人魂が飛び交っていた。
「私は――幽霊に憑りつかれているのです」
そう――もう一つの呪い。
陽が落ちれば、無数の霊を呼び寄せる。
「冥土のメイド(ハデスメイデン)とは、これが由来です」
いくら真面目に勤め上げてもこれが元で――私は解雇を繰り返されていた。
私がいる限り、無数の幽霊騒ぎが起きる。――いくら私が対処しようとも。
これを知ったら、彼は私を解雇するかもしれない。
こんなお誂え向きの、いかにも出そうな館はきっと幽霊の巣窟になるだろう。
そんな生活を彼が良しとするなど――
「なあんだ。なら何の問題もないね」
「……」
良しとした、らしい。
「いや、え……構わない……のですか?」
「いいもなにも、その程度なら何の問題もないよ?」
彼は戸惑う私に向かって明るい声で言い放った。
その時、伸びた雑草の中からなにかガサッと音がした。
私が後ずさり身構えるとそこには――
「御下がりください!」
そこには一体の骸骨――スケルトンが立っていた。
彼をかばうような位置取りをして、その穿たれた瞳の穴と見つめあう。
ガサッ――ガサッ
「!」
何と今度は逆側から、ボロボロの服を身にまとった腐った死体――ゾンビが現れる。
普通は臭いで気付くのだが――なぜかこのゾンビはそれがしなかった。
なんという失態だ――
ボガッ――
「な!?」
続けざまに石畳の横の地面から腕が生えてきた。しかも、包帯まみれの。
あれは……マミーか?
彼を背後にかばいつつ、私は均等に彼らと距離を取りつつ後ずさる。
まさか、私の幽霊を呼び寄せる呪いがこんな――大変な事態を引き起こしたのだろうか?
私は歯がみをしてから、彼に向って叫ぶ。
「早く――中へ避難を!」
ギイイイイイイイイイ――
後ろの木の扉がゆっくりと開いていく。よし、中に入れば――
「!!!!!!」
屋敷の扉を開けたその暗がりの中から――にゅう――と伸びる大きな青白い腕――。
全身を縫ったようにツギハギだらけの巨大な人間(?)がそこから姿を現す。
一目でそれが人間ではないと分かる。
まるで――そう死体を切り貼りしたキメラのような――
あれは、フレッシュゴーレムか?
私は四方を不死の魔物に囲まれる。
これまでか――と思った瞬間、扉から出てきたそのゴーレムに向かって、雇い主の彼が口を開いた。
「やあ、ただいま――ポチ」
「ふんがー」
間の抜けた返答がゴーレムから返って来る。
すると今度はもっと信じがたいことが起きた。
「お……か……「お帰りだべ」「おっか~」
私たちを取り囲んでいた死者たちまでも、一斉に挨拶を返してきたのだ。
「――」
私が二の句を告げずにいると――背後にいる彼の纏う空気が――変質した。
ビリッという圧力が全身に掛る――これは――一度だけ私は経験したことがあった。
そう――『魔族』だ。
それもかなりの上位種の――
「ああごめんね? いい加減、僕もこれを脱ぎたいからさ」
彼はそう言うと――フードをおろし身にまとう黒い外套を外す。
「――あ」
そこから現れたのは、赤く染まった瞳――黒い髪――そして、大きな漆黒の翼を広げた――
「ヴァンパイア――?」
「ご明察」
彼は伸ばした羽を気持ちよさそうに動かし、私の瞳を見つめる。
彼の言葉が脳裏に蘇る。
ああ――そういうことか、と。
彼が問題にしなかった理由は至極簡単なことだったのだ。この館には――
「僕の名はレイニー。ヴァンパイアにしてこの地『ダーシュ』を統べる王にして『不死者の集う館の当主』である。……みんなからはレニ、と呼ばれてるから君もそう呼んでね?」
やあ、ここがダ〇シュの村だよ。