いともたやすく行われるえげつない面接
「よろしくお願いします!」
元気な声が私の隣から響く。集まったメイド候補は十名ほど。酒場の二階の個室中央に大きな木の机があり、それを囲むように私たち候補者が座っている。
その部屋の最も奥には――
――やっぱり、あの男か。
昨日見た――黒い外套の男が座っている。
候補者の女性は彼と――そしてお互いを値踏みするようにチラチラと視線を交わしていく。
私が以前勤めたお屋敷に居たメイドもチラホラと見える。
恐らくは待遇を見て、それが良ければ乗り換える気なのだろう。
次々と挨拶を終えていく参加者たちは玉石混交、明らかにレベルの足りてない者もいれば――見かけたことのある一流のメイドも混じっている。
「はい――ありがとうございます」
では――と彼の視線が私に向く。
「――シルヴァ、とお呼び下さい。全般的に――何でもこなせます」
それだけ言って私は席に着きなおす。
あまりに早く自己紹介を終えたからか、周囲から失笑が漏れる。
そう、別に私は受かる気はなかった。ただ、この男に少し興味があっただけ――というと語弊があるかもしれない。
この男が何者なのか――私はそれを見極めに来たのだ。
「――ハデスメイデン――」
何処からかそんな揶揄の言葉が飛ぶが、気にしないでただ、目の前の男の観察を続けた。
「はい――皆さんありがとうございます。それでは簡単な仕事の説明ですが――まあ、難しいことはあまりありません。有体に言えば、雑用、私の身の回りの世話などです」
雑用だけで――三百も払う。
そんな美味しい話があるわけがないのだが、この男は臆面もなくそう言い切る。
「――家はここから離れた場所にあります。古くからある――旧王家の末裔――みたいなものです。とはいえ、皆さんあまり信用されてはいませんね?」
身の回りの世話に――『下賤な』ものが含まれるという意味か、と幾人かは受け取ったように思う。
彼の説明の途中で、腰を浮きかけた者が何名か居たからだ。
それを押しとどめるように、彼は昨日と同じような優声を投げかける。
「最後までお聞きいただければ――」
そう言って彼は机の上に何処から取り出したのか――金貨をぶちまけた。
全員が息を呑むのがわかる。
「話を最後までお聞きいただければ一枚――採用された方には一年先までの給金をこの場で差し上げます。どうでしょうか?」
腰を浮かせていた皆がゆっくりと着席し直す。その瞳は既に、何かに魅了されたかのように、何処かうろんげに見える。
幾人かはもう――「妾」でもいいか、と腹をくくったようで、瞳の色が違っている。
――破格すぎる。
私は思わず眉を顰める。
金に糸目をつけないほどの貴族である――ということを彼はいま示したが、あまりにも、メイドたちにとって都合が良すぎる話ではなかろうか?
「ありがとうございます。とはいえ――制限がないわけではございません」
飴を差し出した後に、彼はそれをちょっとだけヒョイと持ち上げるような話を始める。
「こちらの提示することが飲めなければこのまま金貨を持ってお帰り下さって結構です。――とはいえ、守って頂くことは一つだけなのですが――」
彼は私たちを値踏みするように、ゆっくりと頭を動かす。
「秘密厳守――。働く館で起きることは何一つ漏らさない。これが出来ない方にはお願いできません。出来ますか?」
彼の言葉に皆が狂った起き上がりこぼしのように頭を縦に振り、口々に「はい!」と言う。
「――そうですか、それはよかった」
彼は目深に被ったフードの下から見える口元を満足したように綻ばせる。そして――小さく「わかりました」と呟いた。
「――では、お帰り下さい」
皆一瞬、言っている意味が分からないという反応を示したが――まるで全員が幽鬼のように立ち上がると、金貨を一枚ずつ取って部屋を出ていく。
私以外の全員が、部屋を出る。この場にはもう、彼と私しか残っていない。
「さて、採用おめでとうございます、シルヴァ嬢」
黒い外套の男はそう言って軽く拍手をする。
「――何を、したのですか?」
私の質問に彼は答えない。その代わり――別の言葉を口にした。
「昨日渡した金貨ですが、まだ持っているでしょうか?」
「え――」
私は昨日のことを思い出し、顔が赤くなる。
大好物のサバミショ定食を食べ――それでは飽き足らずシューガ焼き定食も追加し、トッピングでドリ肉のから揚げも食べた。
暫くは入れてなかった温かい風呂も入ったし、服も新しく買った。
その結果――
「……使い果たしました」
僅か一日で私は金貨一枚分の豪遊を済ませていた。
言い訳をさせて貰えば――貧乏と節約生活が続いたのがいけないのだ。
私は、悪くない。
「――素晴らしい」
私の顔を見て、彼は馬鹿にするでもなく心底同意したような口調で言い切った。
「種明かしをするとですね。私はこの金貨に魔法をかけていたのです」
そう言うと彼は金貨を一つまみして、私に示す。
「――金は信用の多寡であり、金を多く支払えばそれだけ人は信頼に応えるものです。良い仕事には多額の見返りを用意する。それが良い雇い主だと私は考えます」
「正論ですが――理想論ですね」
「はは、手厳しい」
私は搾取の現場を多く見てきたし、たとえ良い雇い主がいて多額の金銭を与えても、裏切る者を沢山見てきた――そう『殺しの仕事』を受けていた時に。
「そう、金で大抵のことは何とでもなる。ですが、金は所詮金です。金で転ぶものは結局金で裏切るのです」
「その通り――でしょうね」
雇い入れた傭兵が金で寝返る。
高い金を払ったのに偽物を掴ませる。
儲けだけを追求すると足元を掬われる。
かといって渋い支払いをすればそれは悪評になり、結局良いものは寄り付かない。
――難儀な話である。
「そこで私はこの金貨に魔法を掛けました」
彼は一つまみした金貨を器用に指先で弾き回転させる。
「とはいえ呪いのような――そんな酷い魔法ではありません。自分の欲を解き放つ――嘘が付けない、そういう魔法です」
私の手元には、もうその金貨は、ない。
「私の言霊に導かれ、金だけを見てここに集まった人はすべからく――金だけ受け取って帰る。そういう類の軽い制限魔法ですね。貴方が合格したのはそのためです」
説明を聞いて、しかし一つ疑問があった。
「それは――金を使い切った私も同じなのでは?」
欲全開で金貨を使い切り欲を解き放った私も、彼に言わせれば金で転ぶだけの愚か者でしかないはずだ。
「全然違いますよ? 貴方はこの場に『金貨』を持たずに来たんですから」
言っている意味が分からない。
訝しむ私に彼は――「もう一つ、金貨には魔法が掛けてありました」と付け加える。
「あの金貨はそれ自体に強力な魅力――『残したい、貯め込みたい』という魔法も掛かっていたのです」
それは、つまり――使いたくても意志が弱ければ使えない、ということだろうか?
「それに負けぬ『欲』よりも強靭な意志が無いと使えないのです。そして使ったとしてもその制限はお釣りの硬貨にも受け渡され――すべてを使い切った段階でしか魔法が切れない」
昔、仕事で似たような魔術を得意とした男と仕事したことがあった。
その男は大陸に一人か二人いる程度の――達人だったはずだ。
今の話が本当だとすると、彼はとんでもないレベルの魔術師だと自ら告白していることになる。
欲以外――それで転ばないものを選別するための面接だった、というわけだ。
「いやあ、まさか一発目でこれほどの逸材が残るとはこちらも予想していませんでした」
「――単にもう少し金が欲しかったとは考えないのですか?」
「――それはご自身が一番わかっているでしょう? それにそこまでの強欲なら――逆に望むところですから」
『あれだけ食べてまだ満足してないんですか?』
そう暗に言われたような気がして少し気分が悪い。
しかし、私が何かに気付いていることを彼はとっくに見抜いていたようだ。
私は椅子を引き、いつでも逃げ出せるようにと腰を浮かせるが――
「ああ、別に危害を加える気はないので、落ち着いて?」
身構えかけた私に彼はそう言ってなだめてくる。
それでも立ち上がろうか――とした私の身体はしかし――まるで蛇に睨まれたカエルのように微動だにしない。
目の前の男から放たれる――異様な圧力がそうさせるのだ。
未だかつて――殺しの仕事でもこれほどの圧を持つ人間には出会ったことが無かった。
「やはり――素晴らしい」
「貴方の――望みは何だ?」
もう言葉を飾るのは止めよう。この男は明らかに『こっち側』の人間だ。
人を殺め――それに嫌気がさし日の当たる場所へと逃げてきた私と同じ匂いがする。
そう闇側の――
男はふっと邪悪な笑みを浮かべると――
「いえ、優秀なメイドが欲しいだけですよ? 出来れば――お願いしたいなあ」
あっけらかんと、子供のように無邪気な声でそう言い放った。
そして右手を差し出し、私に深々と頭を下げたのだった。