後日談 後
ドクリと心臓が跳ねる。今回の悪夢が蘇り、心が掻きむしられたように焦る。
阻まれていないことを祈りながら、魔力の探知を行おうとしたその時、隣接する部屋、つまりクリストフェルの部屋のドアが開いた。
そこにはきょとんとしてこちらを見るシェスティンの姿があった。
ただ我を忘れて抱き締めた。それこそ潰れそうなくらいに。苦しいという声も聞き流し、唇を重ね、口内を蹂躙する。角度を変えて何度も何度も口づけても、シェスティンは抵抗はしなかった。むしろ背中に手を回してきたことで、クリストフェルの胸に火の塊のようなものが込み上げた。
ベッドに押し倒そうとしたところで、「フィー」という自分の名を呼ぶシェスティンの声で理性をギリギリ持ちこたえさせた。
マルバスの言葉を思い出し、息を吐く。それを見たシェスティンは何を勘違いしたのか、ごめんなさいと謝ってきた。何で謝るのかと問えば、衝撃的な言葉が返ってきた。
「――婚約破棄、するんでしょ?」
クリストフェルは今度こそ言葉を失った。
どうしてそういう思考になるのか理解できなかった。
「するわけないだろ、するわけがない」
「え、でも……」
「でも、何だ」
ギロリと睨めば、目をうろうろさせて、小さく言葉を吐き出した。
「……呪いを受けたから、世継ぎを産める身体じゃなくなったかもしれないって」
「医者がそう言ったのか?」
こくりと頷かれ、内心舌打ちしたくなった。
「それを聞いた後に、フィーに侍女じゃなくなったって言われて、ああ私は本当にお払い箱なんだなって思ったの」
「違う」
「違うわけない!!」
シェスティンは心の底から突き上げる衝動に堪え切れなかったように声を上げた。
「呪いにかかって!黙って悪化させて!挙句逃げて!!仕事もまともにできない、婚約者としての務めも果たせないこんな私はフィーに、陛下に、ふさわしくありません……」
口調は絶望を叫ぶようであった。目はクリストフェルを見ていない。
婚約者じゃなくなればただの女が傍にいることも取り締まられる。その結果として侍女も辞退しなければならない、という考えに至ったのだろう。
その見当違いな考えもそうだが、シェスティンの目に自分が映っていないことに苛立ちを覚えた。
――俺を、拒絶するな。
「相応しいかどうかは俺が決める」
そう言って左手でシェスティンの華奢な手首を握ると右手で顎を持ち上げ、瞳に自分が映るようにした。
困惑するシェスティンはただ固まるだけで、逃げようとしない。
そもそも全て自分が悪いのだ。
妃の座を狙っての犯行も、婚約者の立場であるというのに頼らせることができなかったことも、一ヶ月の間見つけることができなかったことも、そしてここにきてまで勘違いをさせてしまっていること。
世継ぎなど正直どうでも良かった。
願いなど、いつも一つ。
「ずっとそばにいて欲しい。俺の妃になってくれ」
ただ、それだけだ。
その言葉にシェスティンはハッと目を見開くと、ぽろぽろと大きい雨粒のような涙を落とす。
くしゃくしゃになった顔はそれでも愛しかった。
「私も、ずっとそばにいたい……!子どもが産めなくてもフィーの傍にいたいよっ」
「ああ、ずっと隣にいろ。妃はお前だけでいい」
そのまま腕を引き、自分の印だというように頬に口づけを落とした。
「世継ぎなど、ダメなら従弟に任せればいい。分かれ、俺にはお前しかいない。侍女じゃないと言ったのは、お前が王妃になるなら必然的にそうじゃなくなるからだ。
……いつも言葉が足りなくて、ごめん」
「――うん、うん……っ」
なんて下手くそな求婚だろうと、シェスティンは泣きながら笑ってしまった。
感極まり、勢いよくクリストフェルに抱き着く。無駄な肉は一片もなく、均整の取れた体が傍にある。これがどんなに幸せなことか、改めて噛み締める。小さい頃からクリストフェルと一緒にいる身としては、心を打たれずにはいられなかった。
「…なんで俺の部屋にいたんだ?」
唐突な問いに一瞬息を止めた。
言えるわけがない。
クリストフェルのベッドで匂いをかいでいたなんて。
婚約破棄だと思って絶望に打ちひしがれたシェスティンは、クリストフェルの存在を感じたくなり無意識に部屋へ足を踏み入れていた。勝手に追い出した罪悪感があったので本人を呼ぶこともできず、その行動をとるに至ったのだろう。
「――内緒」
ちょっとした意趣返しだと、はにかんだ顔を隠すように、頬を摺り寄せた。
納得いかないやら、嬉しいやらの感情を見せたクリストフェルだったがすぐにもち帰すと、その代わりに今夜は覚えておけと耳元で呟かれ、真っ赤な顔になったまま睨んだ。
その表情にあてられたらしいクリストフェルに押し倒された。
「お前が悪い」
そう言って、クリストフェルは極上の笑みを浮かべた。