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小さな妃⑫

*残酷描写注意

 

「あは、あはははっ」


 何て爽快。何ていい気味。

 カナエは心の底から湧き上がる高揚感に酔いしれていた。


 全て自分の、否、あの方たち(・・・・・)の思い通りに事が進んでいる。それはそれは面白いほどに。


 己のなすべきことが今夜の夜会で完成する。そして人を狂わせるほどの美しさを持つあの男が自分のものになるのだ。


 魔界の王、クリストフェル。

 カナエが一瞬で恋に落ちた相手。


 魔界(ここ)に来たのはあの方たちのお願いのためであって、最初から色恋相手の男を狙いに来たわけではなかった。何も考えずにただ言われたことをこなせばいいと言われていたにも関わらず、カナエはクリストフェルを手に入れたいがために私利私欲の行動に走った。あの方たちに知られてしまえばお小言を言われるに違いないが、命も欲も両立させれば何の問題もないのだ。

 カナエにはそれを叶える自信しかなかった。


 妃が幼子になっていたという予想外のことを考慮しても事は滞りなく終わりが見えている。


 煌めくドレスに身を包み上機嫌に笑みを浮かべるカナエのそばに一人の男が近づく。


「カナエ、腕を」


 この愚かな男、グスタフはカナエを疑うことを知らない。できない。

 この城に違和感なく馴染むよう徐々に魔力を流していった結果、グスタフはカナエに心酔するようになった。駒となるものを作るために特に強く魔法が効くようにしておいたのだ。


 カナエの望む通りに動き、カナエの望む通りに喋る。だからこそあの小さな少女が妃であったことを何の躊躇もなく露呈させたことは当然のことであった。


「グスタフ、夜会に参加させてくれてありがとうっ。こんなにもキレイなドレス初めて着れてあたしすっごく嬉しい!」

「っ!お、俺もき、キレイなカナエが見れて嬉しい……!」


 頰に紅を散らし、感極まったようにカナエの手を取るグスタフはカナエよりも乙女らしかった。これが魔族の貴族の姿かと思うと一層愉快で、カナエはもう笑みを止めることはできそうになかった。


 会場に入れば向けられる多くの視線。ヒソヒソと噂される声も心地よくて、カナエは自分の最後の仕事を忘れるほどであった。


 しばらくそれに酔いしれていた間にクリストフェルが姿を現し、会場は一斉に色めき立った。

 何度見ても飽きることのない美貌、他者を圧倒する唯一無二のオーラ、そして比類なき強大な魔力にカナエはごくりと唾を飲み込んだ。


 そして妃の姿がないことを確認すると、カナエはクリストフェルがカナエとの婚姻に同意したのだと理解した。


 ああ、ようやく彼を手に入れられる。

 グスタフの腕から離れ、ただ一直線に男の元へ駆け寄る。


「クリストフェル……!」


 そのままクリストフェルに抱きつこうとした瞬間、バチッと何かに弾かれ目を見開く。


「触るな、余の名を呼ぶな。汚らわしい魔女が」


 え?と目を瞬いた瞬間、信じられない言葉がカナエの耳を通り抜けた。


「──『魔女』カナルエディティエ、貴様を魔王クリストフェルの名の下、極刑に処する」


 ライオンの男から発せられる言葉にグスタフが「……魔女?極刑?」と呆然とした声を漏らす。

 カナエはハッとして腕を広げるも、起こるはずの反応は皆無で。


「無駄だ、貴様の手の内は全て分かっている」


 クリストフェルの冷たい声音にカナエの全身が強張った。

 なぜカナエをそんな目で見るのか。カナエを伴侶にしてくれるのではないのか。カナエを愛してくれるのではないのか。



 カナエが望むものは全て手に入れられるはずではないのか。



 全てが上手くいっているはずだった。


「いや……うそ、嘘よ!こんなこと、こんなこと、あるはずがない……!!」


 なのに、どうして、どうして。


「ここにこれ(・・)があることがそんなに不思議か?」


 クリストフェルの嘲笑うような声が微かに脳内に残った。それは一滴の毒と成り果て、波紋のようにカナエの体内に広がっていく。

 クリストフェルの背後に突如現れた十二の異形の者たちの手の中には十二のそれ(・・)が。


「あ、あ、あ、あ」


 膝から崩れ落ちたカナエを抱きとめる者は存在しない。魔界(ここ)にも、そしてもう人間界(あちら)にも。


「何をそんなに驚く必要がある?其方(そなた)らと同じことをしたまで」


 静まり返った場内にコツリ、コツリと革靴の音が冷たく響く。それはカナエにとって死刑宣告と同義。


「余は言った、『余の手を煩わせることがあれば即刻城から追い出す』と」


 クリストフェルから放たれる威圧に場が支配され、呼吸すらままならなくなっている。


「しかし其方は余の手を煩わせるどころか、余の、俺の、妃に危害を加えた。この罪は貴様一つの命で償えるものではない。ゆえに其方の保護者であるこれら(・・・)に償ってもらった」


 それだけだ、と魔王はゆるりと笑む。

 カナエにとってこれが初めて見るクリストフェルの笑み、なのに全く歓喜の気持ちは湧いてこない。それどころか恐怖がカナエを押し潰さんとばかりに膨れ上がった。


 周囲の者はクリストフェルの魔力にあてられたか、皆倒れてしまっている。唯一カナエと同じく意識を保っているのはグスタフだけであった。

 その男も何が何だか分からないといった様子で困惑し、青ざめるだけで何の役にも立ちそうにもなかった。


 本当にどうしてこうなってしまったのか、カナエには本気で分からなかった。





 *






 カナエは独りであった。


 赤ん坊の身でありながら森の中に放置されていたらしい。人間界に数少なく存在する魔女がカナエを拾った。

 人間の生まれであるはずながらカナエには『魔女』となる資質があり、カナルエディティエと名付けられそのまま魔女たちに育てられた。カナエが捨てられていたのも人間にはない魔力を忌避した両親の存在があったからだろう。


「ねえさま、これなあに」

「これは人間の娘よ、カナエ」

「ねえさまとはちがうの?」

「ええ、勿論。わたくしたちとこのような下等な生物は決して同じではないわ」


 人間は魔女のために存在する生き物であると姉様は言った。魔女たちが住む家には度々人間の娘が連れてこられては消えて行く。


「ねえさま、その赤いのはなあに?」

「これは血よ。この世で美しく、尊いもの」


 真っ赤な液体の泉に浸かり、妖艶に微笑む姉様。赤いそれを掬い上げ、自分の腕に擦り込むようにかける。赤い泉から覗く真っ白な肢体は見るものを皆狂わせる、狂気的な艶やかさを放っていた。


 周囲に転がる人間の女の死体は最早日常であり、それがカナエにとって当然の環境であった。


「我ら『魔女』は世において最高で至高の存在。誰にも否定できぬ(ことわり)なのだ。それをゆめゆめ忘れるでないぞ、カナエ」

「はい、姉様!」


 魔法だって、服の着方だって、料理だって、化粧だって、笑い方だって、全部全部姉様たちに教わった。

 カナエの全てを彼女たちが作った。だからこそ、彼女たちがカナエの全てだった。


「妾ら『魔女』が望んだものは全て叶う。欲しいと思ったものは全て手に入れることができるのじゃ、カナエ」

「それはあたしも?」

「ああ、其方も魔女であるからな」


 魔女とはそれだけ尊いものなのじゃ、と姉様はうっそりと笑う。

 カナエはそういうものなのかと習慣のように魔女の存在意義を説く姉様の言葉を理解した。


 いつまで経っても彼女たちの美貌は衰えず、歳をとる様子もない。魔女たちの時は止まってしまっているようだった。


「最近人間の若い娘が減ってしまって魔力が減ってしまっているの」

「残っている娘だって未通女(おぼこ)じゃない者ばかりで見つけることが難しくなってるわ」

「このままじゃ妾たちの美貌どころか力まで失ってしまう」

「美しくなければ生きてる意味なんてないわ」

「人間の娘など我たちのために身を捧げてこその価値だと言うのに」


 普通の人間には魔力は存在せず、魔法も使えずただ繁殖を繰り返し喚き立てる無能な存在だと姉様は言った。

 しかし例外として人間の女、その中でも処女の未成人の血には微量な魔力が存在する。だから姉様は人間の生娘を連れてきては殺し、毎日のようにその血を浴びていた。


 ゆえに人間の娘が減っている今、姉様たちは日々不満を漏らすようになっていった。


「血が、魔力が欲しいわ」

「浴びるくらいにたっぷりと」

「それは人間の娘だけではもう成し得ない」

「どうしましょう」

「困ったわ」


 あら、と一際甲高い声の持ち主が、カナエの視線を射止める。


「人間がダメなら魔族から貰えばいいじゃない」


 あっけらかんとその言葉を放ったのはどの姉様だったか。


「まあ、なんて素敵な考え!」

「魔族なら性別関係なく魔力を保持しているものな」

「それに一回抜いたってすぐ死ぬようなこともないわ」

「再利用できるということか」


 嬉々として会話を弾ませる様子にカナエは会話の内容が分からなくとも嬉しくなる。だからこそ姉様からお願いされたカナエは天にも昇る心地であった。


「少しずつでいいわ」

「溜めた魔力をわたくしたちに送って頂戴」

「血ではなくてもいいのよ」

「あたしにできるかな……?」

「勿論じゃ。其方だからこそできる」


 姉様たちからこんなにも頼られるのは初めてでカナエは感極まって泣きそうになった。



「ねえ、お願い。あたくしたちの願いを叶えて」


「愛しい我らの代替品(カナルエディティエ)



 姉様の願いはカナエの願い。ならばその願いを叶えるのは当然のことだ。


「もちろん!任せて姉様!」


(だってあたしは姉様の家族だもん!)






 *




 そうして姉様たちの願いを叶えるべく魔界へやって来たカナエは教わった魅了魔法を駆使して少しずつ少しずつ魔族たちから魔力を抜いていく。姉様曰く望みのことはバレずにやったほうが効率が良いと言っていたのでその通りに密かに行った。


 魔王の従弟、ストラスに自分が魔女だとバレてしまったのは誤算だったかもしれない。しかしだからと言って問題はないはずだった。


 だってカナエは魔女だから。魔女の望みは何でも叶うはずだから。

 バレた後でも何も言ってこなかったのはストラスが魔女の望みを叶えようとしていたからに過ぎない。クリストフェルが何も行動しないのはカナエの願いを叶えるために違いない。


 そしてこの夜会で参加者全員の魔力を絞り取れば全てが終わるはずだった。



 そう、思っていたのに。



 奴等の手の中には十二の首。

 ぽたり、と以前よく見た美しいと思っていたはずのそれが何の抵抗もなく床に落ちる。


「ねえ、さま」


 アディラ姉様サーヴィラ姉様ルガンナ姉様ロザリン姉様ナーチル姉様バーバヤー姉様ルシュガ姉様ケリウェン姉様パエー姉様ヨネッタ姉様。



「魔女は死んだ」



 姉様が、死んだ?


 あんなにも美しく笑っていた姉様が、あんなにも綺麗に血を浴びていた姉様が、動かない。


「うそ、よ」


 姉様が死ぬはずがない。

 だって、だって、だって──!!


「そして今ここで貴様も死ぬ」


 だらりと自分の腕から力が抜けていく。カナエの虚ろな目の中にはもう、何も入ってくることはなかった。



 姉様。


 姉様。


 姉様。


 姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様姉様。



「ああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」




 カナエは走った。何も考えることなく、無我夢中で。森の中に生息する枝や草の葉によって頰や腕に傷ができていく。華やかに仕立てられたドレスも見るも無残に姿を変えていく。


 しかし追い詰められたカナエにとってそんなことはもうどうでも良かった。逃げなければ、と恐怖がカナエの背中を押し続けた。



 光が目に入ったことでカナエはようやく森を抜け出すことができた。できたはずだったのに、そこには泉しかなかった。


 絶望の中、泉のほとりに立つ小さな存在を見つけた瞬間、カナエは今度こそ正気を失った。

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