小さな妃⑨
「しゅとらしゅ!もっかいやってー!」
「ああ、いいぞ。ほれ!」
ストラスが高い高いすると舌ったらずになったシェスティンはキャッキャッと喜んだ。
どうやらシェスティンはまさに見た目から魔族と分かるものは敬遠するか怯えを見せるようで、人間とも思える容姿をしたストラスは会った瞬間から懐いてくれた。
あの男だって見た目は人外過ぎるほどの美しさを持つが、魔族としての要素はほとんど無いというのに可哀想なこった、とストラスはシェスティンの相手をしながら従兄の姿を思い浮かべた。
「よし、シェスティン。お兄ちゃんにお菓子持って会いに行くか!」
「……やっ、あのおにーちゃんこわいもん。ライオンさんもこわい……」
「んーそうか?でもお兄ちゃんはな、この国を守ってる凄い人なんだぞ。ライオンさんはいないから大丈夫だ」
「しゅごい……?」
こてんと首を傾げるシェスティンを見て侍女たちが悶えているのを横目に、ストラスはクリストフェルのいる執務室へと向かった。
クリストフェルにはシェスティンを連れて行くことは言っていない。どうせ今頃仕事に忙殺されているだろうからわざわざ言うことでもないとストラスは考えたのだ。
ノックすることなく扉を開けば、机に齧り付くクリストフェルの姿がある。その顔は鬼気迫るほどに凶悪で、シェスティンがビクッと体を揺らした。
クリストフェルはストラスが入って来たことには気づいているだろうが、シェスティンの存在には気づいていない。こちらに気を向ける余裕もないようだ。
ストラスはニヤッと笑ってシェスティンに耳打ちして、シェスティンを自らの腕から下ろした。
シェスティンはストラスの脚にしがみ付いたままゴクリと息を呑んだ。
「……おにいちゃん」
それは小さな小さな声だったにも関わらず、バッとクリストフェルは頭を上げその存在を呆然と見た。そしてストラスの方へと視線をずらし睨みあげる。
「ほら、そんな顔するからシェスティンがビビるんだろ」
「……仕事の邪魔をしにきたのか」
「まさか。ほら、シェスティン」
ストラスがシェスティンの背中をトンと押すとシェスティンは一歩前に歩み出た。そしてモジモジとしていたかと思うと背中から袋を取り出してクリストフェルの執務机に置いた。
「おにーちゃん、よかったらたべてくだしゃい」
ストラスと練習した言葉を言えてシェスティンは嬉しそうにストラスの方へと振り返った。ストラスはそれに笑顔で応えながら、シェスティンの奥から放たれる凍りついた視線を受けた。
ストラスはクリストフェルの独占欲の深さを思い出し、にへらと笑う。
クリストフェルを忘れてしまったシェスティンを配慮してこの男はシェスティンの前に姿を現さなくなった。もちろん自身の分身である動物まで作り上げて逐一観察しているのは分かっている。
クリストフェル自身、シェスティンに拒否され心臓を抉られるほどの痛みを負っているはずだがそれはおくびにも出さない。だからこそそんな可哀想な従兄のためにストラスはこうしてシェスティンを連れて会いにくる。
それも余計なお世話だと言ってしまえばそれまでだが。
「よし、シェスティン。ちょっとあのお姉ちゃんと遊んでてくれるか?」
シェスティンの専属侍女を指さすとシェスティンは「うん!」と満面の笑みで頷いたのでそのまま侍女に渡し、部屋から出させた。
「で、一応使用人たちにかかってた魅了魔法は解いていってるけどいいのか?」
「ああ、ヤツの周囲にいる使用人たちはそのままにしておく。その方が都合が良いからな」
「あのグスタフ?ってやつの処置は?」
「そんなもの……いや、ソイツもそのままだ」
何かを思いついたような従兄の姿に、改めて敵じゃなくて良かったとストラスは心の底から思った。
「……お前、気づいてるか?」
「何がだ」
「シェスティンだよ。アイツ段々と喋り方が舌ったらずになっていってるんだよ。体も一回りは縮んだ」
「さらに幼くなっている、のか」
ストラスはドアの外から聞こえてくる子どもの声を借りて、その姿を頭に浮かべる。
中身まで子どもになってしまった最初のうちのシェスティンはまだ一人で歩く人見知りの激しい女の子だった。それが今や抱っこしなければ動こうとしない上に口もうまく回せれていない。
感情にもろに振り回されているシェスティンの姿を注視しすぎて、体が小さくなっていることに気づくのが遅れた。
「このままじゃ本当に危険だ。だから一刻も早く、だな」
ストラスはそう言ってそろそろシェスティンが眠いと喚き出すだろうと部屋を出た。
「──目にものを見せてやろう」
そんな恐ろしい魔王の言葉を背に。
*
ストラスはシェスティンを寝かつかせた後、一階の廊下の柱にもたれかかっていた。
「あれ?もしかして、あのストラス様ですか!?」
もちろん、この人間の少女と会うために。
「わわわ、会えて嬉しいです!噂通りとってもカッコいい方ですねっ」
「俺も君に会えて嬉しいよ」
ニッコリと微笑むと少女はポッと頬を染め、ストラスに見惚れた。
「あ、あのっ、良かったらこれ。あたしが作ったんです」
「ありがとう、料理までできるなんて君は凄いんだね」
「えっ、いやいやそんなことないですよ!こんなの誰だって──」
「謙遜しなくていいんだ。解析魔法にひっかからせないように精神干渉の魔法を物にかけるなんて誰にだってできることじゃない。しかも人間がね?」
淡々と言い放つと少女は口元を引き攣らせた。即座に見破られたことで何も言い返す言葉が見つからないのだろう。
さらに追い打ちをかけるようにストラスは笑顔で口を開いた。
「『魔女は泡になって消えてしまいました』」
その言葉を口に出した瞬間、少女は眼を最大限まで見開き、一歩後ずさった。
ストラスはその様子を見た後目を据わらせてこう吐き捨てた。
「これでも主から手を出すなと言われてるんだ。だから良かったね?」
その場を離れ、一人歩くストラスは独り言ちる。
「──無知は罪なり、ってか」
ストラスがどれだけ主を敬愛しているかも知らないなんて。