小さな妃⑥
「お姉ちゃんごめんね。教えてもらえなかった……」
「ん?大丈夫だよっ。わざわざ聞いてくれてありがとうね、シェスちゃん!後はあたし一人で頑張ってみるから!」
その言葉通り、少女はシェスティンに頼みごとをすることは無かった。
そして城の様子はその日を境に
「御方様、人間に何かされていませんか?」
「何かございましたら直ぐに仰って下さいね!」
「御方様に対する舐めた態度が気に食わねえ」
少しずつ、
「御方様、あの娘良い子ですね」
「人間と仲良くなれそうです!」
「あいつ、意外と健気ですね」
少しずつ、
「御方様!実はカナエが…なんですよ!とっても可愛くないですか!?」
「御方様、カナエを見ると動悸がするんです」
「カナエがまるで妹のようで、目に入れても痛くないですね」
変わっていった。
大きな違和感に気づいたのはいつだったか。
「みなさんおはようございまーす!!」
城に少女の明るい元気な挨拶が響く。
それに対して城の者たちは何も反応しない、──はずだった。
「おはよう、カナエ」
「カナエ、今日も元気だな!」
「昼の約束忘れんなよー!」
カナエが慌ただしそうに走り回る様子を、ある者は仕方なさそうに、ある者は面白そうに、そしてある者は愛おしそうに見つめていた。
急に現れた人間という存在に城の者たちは過敏に反応し、最初こそ無視をしたり蔑む者が多かった。一応少女は客人という立場であったので、表には出さなかったものの、疎ましく思う気持ちを皆持っていたのは間違いない。
しかし少女が働き始めて一週間が経ち、少女は城の中で存在感を発揮し始め、城の者は少女の存在を好意的に受けとめ、絆されていくものがほとんどであった。
「あっ、シェスちゃん!」
「お姉ちゃんだー!」
「あたしクッキー焼いてみたのっ、食べてくれたら嬉しいなあ!」
「いいの!?やったあ!ありがとう!」
シェスティンがそれを笑顔で受け取ると、少女はまた忙しい忙しいと言いながら楽しそうにどこかは去っていった。
シェスティンは手元に残されたクッキーを眺め、目を細める。
「クッキー、ね」
少女は恐らくクリストフェルの元へも向かったのだろう。
少女がクリストフェルに貢ぐ行為は花束を渡した日から毎日続いていた。花、お菓子、刺繍したというハンカチ。クリストフェルがどれだけ拒否しようと押し付け逃げ去ってしまう。だからこそクリストフェルも何も言わず、燃やしてしまうだけにとどめていた。
シェスティンは柱の陰に隠れてクッキーに解析魔法をかける、が今の自分に魔法は使えないことを思い出し小さく溜息をついた。
「流石……」
気分は重いばかりたがどうすることもできず、シェスティンは考えた末ある場所へ足を向けた。
「あれ、御方様!お一人ですか?」
鍛錬場の施設そばで仁王立ちしているエリゴールが、シェスティンの存在に素早く気が付いた。
「うん。エリゴールは何をしてるの?」
「最近鍛錬場によく現れる人間に骨抜きにされた奴が大量発生して練習に身が入ってないんです。ですので性根を叩き直すために外周させてます」
「……そう」
話しぶりからエリゴールはどうやらまだ少女に落ちていないようだった。文句を言うエリゴールの姿に少し安心するが、城を守る騎士がそんな風になってしまっているのなら状況は芳しくない。
「ねえ、エリゴール。皆が外周を終えるまでどれくらいかかりそう?」
「そうですね、あと一時間はかかるかと」
「だったらついてきてほしい所があるんだけど」
「勿論ですよ!なんせ御方様の頼みですから!」
それでどちらへ?というエリゴールの問いに私は微笑んだ。
*
「ここへ来て大丈夫ですか?その、陛下に連絡は」
「大丈夫だよ、ちょっと様子を見に来ただから」
シェスティンはエリゴールを連れて、そもそも体が小さくなる原因となった泉に来ていた。掃除をしに来て以来だったが泉は変わらず綺麗なままだ。
「エリゴールはこの泉がどういうものなのか知ってる?」
「魔力の塊というぐらしか知りませんね」
その答えにシェスティンはそっか、とだけ呟くと、泉の端まで近づいて覗き込んだ。
後ろでエリゴールの焦った声が聞こえるが、シェスティンはそのまま泉を見続ける。
「エリゴール……この泉、」
次の瞬間、水飛沫が上がったかと思うと、水がシェスティンを襲った。
「御方様!!」
シェスティンは目を見開きながら、抵抗一つできず泉の中へ引きずり込まれていく。
──フィー!
心の中でその名を呼んだ次には体が浮いたかと思うと、暖かな腕に抱き締められていた。
「……怪我は」
クリストフェルはシェスティンの肩と腰をガッチリ掴むように腕を回し、無事を確かめても離そうとしなかった。
心臓の音が早いクリストフェルを抱き締め返す。
「ごめんね、ありがとう」
「無茶をするなと言っているだろう」
「だって確かめたかったんだもの」
泉の様子を見ればここへ来た時と同じように、波一つなくキラキラと光を反射していた。
「私一つ言いたいことあるの」
「何だ」
「何で貴方からカナエの匂いがするのかしら?」
そう言うとクリストフェルはハッとしたように自分の服に鼻をあて、顔を顰めた。
「悪い、油断していた」
「妬いてもいい?」
「許せ」
クリストフェルはシェスティンの頰にキスすると、頰を緩めてシェスティンをさらに強く抱き締めた。
エリゴールが見てはいけないものを見てしまったのではと密かに顔を真っ赤にさせ、シェスティンが自分に何か話そうとしていたことなどすっかり忘れてしまっていた。