小さな妃⑤
「魔王様って奥さんいるって本当?」
突然放たれた少女の言葉にシェスティンは盛大にむせた。
少女は箒で掃く行為を止めてシェスティンの背中を心配そうに撫でる。
「……うん、いるよ!」
「うう、やっぱりかあ~。でもあたし奥さん見たことないし!実は仲が悪いとか!?」
「シェスティン、そういうの分からないなあ」
何と返したら良いのか分からず曖昧にごまかし、少女をジッと見つめる。その視線に気付いた少女は照れくさそうにはにかんだ。
「シェスちゃんになら言ってもいいか!じ、実はね……あたし、魔王様のこと好きになっちゃったみたい」
「でもお妃様いるんだよー?」
「そんなことであたしは諦めない!だって運命だって思ったんだもん!!」
キッパリと略奪宣言を言い放ち、シェスティンは口元をひきつらせる。
こんな会話、クリストフェルだけでなく城の者の誰一人として聞かせられない。知られたが最後、彼らは少女を殺しにかかるだろうということを、シェスティンは簡単に想像できた。
「目が合った瞬間雷が落ちたみたいにピシャーン!!ってキたの。人間界でそんなの体験したことなかったから自分に驚いちゃった」
少女はクリストフェルに発言した通り、比較的真面目に仕事をこなしていた。クリストフェルの執務室からかなり距離のある、城の一階の廊下で。
これではクリストフェルに全く会えないということは少女も分かったのだろう、最初こそ抗議したが侍女長にすぐさま却下されていた。
シェスティンはそこまで口に出すわけにもいかずその様子を傍観していたが、少女が頼ってくる様子はなかった。無論、シェスティンをただの子どもだと思っているからであろう。
働かせてあげてと発言した手前、少女が気になっていた。クリストフェルにいい顔はされなかったが、なんとか納得させシェスティンはこうしてこの場所に来ていた。
「じゃあお姉ちゃんはこれからどうするの?」
「もちろん敵の情報収集よ!」
「……」
不穏な言葉に眉間にしわを寄せる。それに気付かない少女は誇らしげに胸を張って箒を天井に向けた。
「とりあえずそのお妃様がどんな方なのか聞いて回ってみるの!」
「ふーん」
そんな簡単に情報が集まるものだろうかと、子ども姿のシェスティンにデレデレな侍従たちの顔を思い出す。
頑張ってねと返せば、そう言えば、と少女は閃いたように口を開いた。
「シェスちゃんって魔王様とどんな関係なの?」
「え」
「だってあの執務室?のお部屋にいたでしょ?あそこいれるってことは何か魔王様と関係があるのかなーって思って!」
シェスティンは少女のその笑顔が陰ってみえた。
「うーんと、シェスティンのおじさまがマルバスおじさまなんだ」
「マルバスおじさまって、宰相のライオンの人だよね?つまりシェスちゃんは宰相の姪なのねっ。なるほど、だからかあ!」
納得したように少女はうんうん頷く。
設定をあらかじめ相談しておいてよかったとシェスティンは心の中で安堵した。
人間と共にいる子どもが妃だということは伏せるようにと城の全ての者に箝口令が敷かれている。そのために彼らは少女と共にいるシェスティンに話しかけることをしなくなった。
もちろん、視線は相変わらずのように付きまとうが、少女が気にする様子はない。
「じゃあさじゃあさ、魔王様とも仲いいよねっ?抱っこされてたし!」
「うん、仲良しだよ」
その言葉に少女は目をギラつかせた。欲望を隠さない素直な目だ。
「──ねえシェスちゃん、お願いがあるんだけど」
少女はシェスティンの目線より下までかがみ、微笑みを含んだ上目遣いをシェスティンに送った。
*
「ダメだ」
「そこをなんとか、一つだけでもダメ?」
「……ダメだ」
少女を真似て上目遣いで頼んでみたが効果はいま一つのようだ。
少女にクリストフェルは何が好きなのか教えてほしいとお願いされ、本人に聞いてみると答えた。
もちろんシェスティンはクリストフェルの好みはほとんど熟知しているが、情報を渡すなら本人に聞く方が良いと考えた上で、マルバス不在の執務室にやって来たのだ。
「なぜお前はそこまであの人間を気にかける」
「なぜって言われても……面白そうだから?」
クリストフェル大きなため息を吐いて、シェスティンを抱き上げた。
シェスティンも抵抗せずに抱っこされるがままであったが、抱っこされることが習慣のようになっているのは少し解せなかった。
「あまり関わりすぎるな」
「もう、フィーは私のこと子ども扱いし過ぎだよ?」
その言葉を放った瞬間、クリストフェルはシェスティンをソファに置き、上から覆いかぶさった。両手をソファに縫い留められ、シェスティンは目を見開くことしかできない。
「んっ」
一度キスが落ちてきたかと思った次の瞬間には獣のように噛み付かれ、口内を蹂躙される。息もできないほどの激しい口付けの連続にシェスティンは何も考えられなくなった。
「ふっ、あ……や、ああっ!」
そのままクリストフェルの手が背中や腰を這っていく一方で、シェスティンは頬に熱がたまっていく。
無骨な手がプチプチとシェスティンが着ている服のボタンを器用に外していき、──太ももに侵入した時にシェスティンはようやく我に帰り、クリストフェルの手を止めさせた。
「さ、さすがに……っ」
子どもの姿ではそういうことは厳しいだろうと、そろりと上を見上げて、シェスティンはピシリと固まった。
いつのまにかシャツのボタンも外れて胸元が見えてしまっている上に、お互いの唾液で濡れた自身の真っ赤な唇をゆっくりと舐め、髪をかき上げるクリストフェルからは壮絶な色気が醸し出されていた。
硬直し動かないシェスティンにクリストフェルは一言、そう言って美しく笑った。
「子どもとはこんなことできないよな?」
この行為が先ほどの発言に対するクリストフェルの答えだと分かった時のシェスティンの表情は、当然、子どもがする表情ではなかった。
「もうっ、マルバスが来たらどうするつもりだったの!」
「あれなら入る前に分かるだろう」
確かにそうかもしれないけど、とシェスティンがぶつぶつ漏らしながら乱れた服を整えている時だった。
「失礼しまーす!!」
少女の突然の来訪にシェスティンは慌てて机の下に隠れた。クリストフェルは前をはだけさせたまま、少女を睨む。
「──何をしに来た」
「……っ!あ、あのっ、キレイな花が咲いてたんで魔王様にも見てもらいたいなーって思って持ってきちゃいました!」
クリストフェルから溢れる色気に少女は顔が真っ赤になっているが、よどみなく足を前に進める。そして少女は色とりどりの花束を出してきたかと思うとクリストフェルに押し付けた。そのままそれじゃ!と言うと少女は出て行ってしまった。
まさに嵐のようだとある意味で感心しながらシェスティンが机の下から顔を出して、花束を持つ夫を見た。
ほとんど冷酷そのもののような顔つきが花束を見つめていたかと思うと、それは一瞬にして灰となって消えていった。
それから何か考え込んでしまったクリストフェルに、シェスティンは何か違和感を抱く。
「……フィー?」
シェスティンが名を呼べばクリストフェルはシェスティを抱き寄せ、苦々しい口ぶりで囁いた。
アレには気をつけろ、と。