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「陛下、おはようございます!朝ですよ!!」



 シェスティンはいつも通りの挨拶にいつも通りの笑顔を添えていつも通りの時間に、その部屋へ入室した。

 だだっ広い部屋の奥にある、天蓋付きのベッドに足早に近づいて、主を揺り起こす。


「お、き、て、く、だ、さ、い」


 此方側に背を向けているので、起きているかの判別が付きにくいが、きっと意識はあるだろう。

 それを証拠に布団を離さない。


 この主はとことん朝に弱い。

 無理矢理にでもベッドから出さなければ、一日中ベッドから出ないと言い切れる自信がある。


 不敬なんぞ気にしてられるかと、布団をなかなか離そうとしない主との攻防を続けること少し。


「ええい!早く起きなさい!!」


 布団を力任せに思い切り剥ぐと、それに包まっていた男は小さく身じろぎをした。


「はい、陛下!おはようございます!!」

「……うるさい……」


 不機嫌を隠そうともせず身を起こした主は、当然のように上半身に何も身につけていない。

 しかし幸か不幸かシェスティンは引き締まったその麗しい御身を見慣れているので、動揺するもクソも無いのだ。


 今朝も主を起こせた達成感に包まれ、シェスティンは上機嫌だった。





 シェスティンがせっせとお世話をしているこの主の名を


 クリストフェル・カセス・アルバワン・セルベル・ユーハンソン


 と言う。

 この魔界を統べる、魔王陛下である。


 そんな誰もが恐れる魔王陛下はいまだ不機嫌そうではあるが、朝食でも食べれば自然と普段通りの無表情になるだろうとシェスティンは気にしなかった。



 シェスティンは唯一の王専属の侍女であり、常にクリストフェルの側に侍り、主の世話を担った。

 主従関係であるにも関わらず、シェスティンの気安い態度に王が苦言を呈さないのはシェスティンとクリストフェルが乳兄妹であり、幼馴染でもあるからだろう。周囲の者達もそれを理解しており、口を挟むことは無かった。


「あ、陛下。お願いがあるのですが」

「……なんだ」


 どうせ碌でもないことを言いだすのだろうと予想したクリストフェルはその美貌を歪めた。


「一ヶ月、休暇をくださいませんか?」

「ダメだ」


 間髪いれずに却下された。


「何故ですか」

「むしろ何故休暇がいる」


 怯むことなかれ。こちらの方が正しいのだ。


「何故?何故かって?ご存知ですか、陛下。私は陛下の付きの侍女になって以来、一日も休まず働いてるんですよ?これは如何なものかと思われます」

「……」

「上司は部下に休暇を与える!これは当たり前のことではないのですか!むしろ宰相閣下や大臣の方々のほうが、私より休暇が多いくらいですよ!」

「……お前は部下じゃない」

「そういうことじゃなーい!!」


 睨み合いは続く。


 女神すら霞みそうなほど冷たく美しいその顔で睨まれたなら、それこそ九割以上の魔人は脱兎のごとく逃げ出すに違いないが、シェスティンは負けなかった。



 クリストフェルはなにかとシェスティンを側に置きたがる。流石に専属侍女であっても入れない場所にまで連れ込もうとするのだ。


 起床の世話、衣装の世話、食事の世話は良い。湯浴みのお世話も良い。就寝のお世話だって良い。

 けれど、それは休みがある前提で行われる労働なのだと、シェスティンは切々に訴える。


 朝食の時間ギリギリまで懇々と説得したシェスティンに根負けしたのか、クリストフェルはポツリと苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。



「一ヶ月は長い……」





 *





 時は二ヶ月ほど前に遡る。

 シェスティンはその日、クリストフェルが会議に出ている間、クリストフェルに渡す手紙や贈り物の最終検分の作業を行っていた。


 一度検分の担当の者によって検分されたものを、シェスティンが最終点検を行う。

 これはクリストフェルに信頼されていないと出来ない仕事であることは重々承知をしていたので、殊更責任感を持っていた。



「あら?何かしら」



 ──黙々と進めていた中、違和感を感じたのは、黒い封筒を持った時だった。


 宛先も差出人も書かれていない。

 そもそも開け口が無かった。


 怪しい。怪し過ぎる。

 なんでこんな怪し過ぎるものが、検分を通った?



 大きな疑心を抱くとともに、嫌な予感がよぎった。

 シェスティンは一度、封筒を置いてその上に手をかざす。


 封筒に付着する魔力を逆探知し、差出人を炙り出そうと試みたのだ。


 しかしそれが失敗だったと気付くのは、すぐ。



 逆探知のもと辿り着いたのは、


 艶やかに笑む、一人の、女。



「──っ!!!!」



 バチバチバチ!!!!と電流が流れたかと思うとシェスティンは意識を失った。
















「……はッ」





 目覚めてもなお、恐怖が皮膚にはりついていた。

 顔が引き攣り、尋常じゃない汗が流れる。

 ブルブルと震える手を何とか抑えようとするが、上手くいかず机上にある封筒や書類を床に落としてしまった。


 自分の手のひらを眺めるが、震えている以外の異変は見当たらない。

 しかし手元にあった黒い封筒は消えていた。


 恐怖は皮膚から浸透し、身体へと進行し始めた。

 笑顔が、引き攣る。


 迎えに来ないことを訝しげに思ったクリストフェルがこの部屋に来るまで、シェスティンはその場から動くことができなかった。




「おい、顔が真っ青だぞ」

「……ちょっと寝不足なのかもしれません」

「ならもう寝ろ。今日の仕事は終わりだ」


 シェスティンは自分を気遣う主を見て、余計に気分が落ち込んだ。

 自分の失態が招いて仕事に支障をきたしてしまった。その上に余計なことを言って心配をかけたくなかった。


 クリストフェルの言葉に抗うことはせず、有難く受け取って早々に自室へと下がる。

 ばたりとベッドに倒れこんだ時に、ズキッとお腹に痛みが走った。


 震える手でそっと服を捲ると、どす黒い痣のようなものがお腹一面に広がっていた。

 ひっ、と喉の奥が引き攣る。

 全身が心臓になったような気がした。




 ──呪いだ。





「具合はいかが?シェスティン」



 音もなく表れた同僚の姿を視界にとらえた瞬間、私は息を呑んだ。

 ウェーブがかった美しい赤毛をくるくると美しい細い指に巻き付けている同僚は、いつにない笑みを浮かべてシェスティンの苦しんでいる様子を見ている。

 その姿はまさに逆探知で視えた女であった。


 同僚、エッジュはゆっくりとさらに近付いてくるとシェスティンの頬に手を添えた。

 ツッと頬に手を滑らせ、シェスティンの耳に顔を寄せた。


「いい気味ね」


 バッと頬に添えられた手を振り払うが、エッジュはものともせずかわした。

 ハアハアと肩を揺らしながら睨む自分はさぞ滑稽だったろう。


「エッジュが……やったのね」

「ふふ、ふふふふふふふふっ」


 シェスティンはこの同僚が不気味で仕方なかった。

 もしかすると彼女は同僚というより友人と呼べる間柄だったかもしれない。


 今となってはそうだったか思い出す余裕も無いが、シェスティンはエッジュの仕業だとどうしても信じられなかった。

 しかし愉悦に歪むその顔を見ると信じざるを得ない状況で。

 なぜ、と震える声で問えば、エッジュは


「あなたが嫌いだから」


 それしかないでしょ?と純粋無垢な子どもの様に棘を放つ。


「クリストフェル様のお側に当然のようにいるあなたが疑問で仕方ないの。あなたみたいな女がクリストフェル様に気にかけてもらえるわけがないわ!あの御方に相応しいのはわたくしに決まってるのよ!!!」


 エッジュの怒りに比例して痛みが増しているのが分かる。

 ヒューヒューと言葉にならない息だけが、唯一のシェスティンのできる反応だった。


「無様なあなたに教えてあげる。その呪いはね、あなたの誕生日をもってあなたに死をもたらすわ。ああ、他の人に助けを求めることなんて無駄なことはおよしなさいね。この呪いはね、他人に知られた時点でその者も死に至るの。まああなたが他人を巻き込む勇気があれば、その時は助かるかもしれないわね?」

「──っ!」


 非情な言葉だった。


 何も言い返せないまま、シェスティンは痛みによってまた意識を失った。




 *



「見つからないものね」



 あれから二ヶ月。誕生日まで残り一ヶ月。

 存外にクリストフェルは勘が良く、誤魔化すのが大変だった。

 あの主はシェスティンが隠し事しているのには気付いているだろう。


 だけど知られるわけにはいかなかった。


 大切な人を巻き込むぐらいならと、シェスティンは言わない選択をした。

 それからシェスティンは時間を見つけては周囲に悟られないよう、呪いについて調べ回った。

 しかしそう簡単に見つかるはずもなく、ただ時間が過ぎていく。


 二ヶ月経って、どす黒い痣はお腹から腕に脚にと、身体中に広がっていた。

 そろそろ服で隠し切れそうになくなってきた為、服装に困り始めた。


 だからシェスティンは行動に出た。

 それが一ヶ月の休暇願いだった。


 速攻で拒否されたが粘った結果、シェスティンは誕生日までの二週間の休暇を得ることになった。

 クリストフェルに誕生日には帰って来いと必死の形相で言われたが、皮肉なことにも生まれた日が死んでしまう日のようで、はいと素直に頷ける筈もなかった。


 シェスティンはこの二週間でクリストフェルから逃げれるところまで逃げきってやろうと画策していた。

 どうしても死の恐怖で歪められた自分の顔を、あの主にだけは見られたくなかったのである。




 この二ヶ月探しに探しつくした書庫で、シェスティンは所在なさげに本を手に取った。

 それはただの旅行記で、呪いの解決には何一つ導いてくれなさそうなものであったが、無意識にページをめくっていた。


 髪を一掬い、取られた気がした。



「俺を置いてどこに行くつもりだ?──エティ」



 愛しい声はいつもシェスティンの意識を奪っていく。

 背後から長い腕が伸び身体に回され、ギュッと力が込められた。


「可笑しいことをいいますね。私はどこにも行きませんよ、陛下」

「……そこは、陛下呼びではないだろう」


 不機嫌そうな声が上から降ってくる。

 肩口に頭をのせられ、息が直接耳に伝わる。


「ダメですよ、貴方様は魔王なんですから」

「もう夜だ。今は王ではない」


 そうだ。今はとっくに就寝時間を迎えていて、クリストフェルは本来寝室で寝ているはずだ。

 それを利用しての書庫の滞在だというのに、主がここにいるという状況に、冷や汗が流れる。

 余計なことは口走れない緊張した空間で、ゆっくり口を開く。


「……陛下はなぜここに?」

「だから名前」

「何故ここにおられるのですか」

「名前」

「先ほど寝たのを確認したと思うのですが」

「……」


 恨みがましいオーラがビンビンに伝わりいたたまれなくなったシェスティンはくるりと振り向き、クリストフェルと向き合った。



「フィー」



 久しく呼んでいなかった愛称を口にすると、途端に気恥ずかしくなり、赤くなった顔を隠すように下を向いた。

 そんな様子を見たクリストフェルは一拍空けて再び抱きしめてきた。


「どこに行くんだ」

「……美しいところです」

「俺も連れて行け」

「ダメですよ。それじゃあ休暇の意味がないじゃないですか」


 どこまでも尊大な主にクスリと笑みが零れる。


「陛下はお留守番です。私がいなくてもちゃんと仕事してくださいね?」


 腕を伸ばしてとても不機嫌そうな主の頭をポンポンと撫でると、さらにしなだれかかってきた。

 重い、と抗議するまもなく、近くにあった机に押し倒された。



 顔が、近い。


「んっ」


 一度唇が触れたかと思うと、さらに深い口づけを落とされた。


「ん……は…っ」


 角度を変えて何度も降り注ぐ。それを受け入れるように舌を小さく出せば、すぐに絡めとられた。

 身体は徐々に熱くなり、それまであった正常な思考もうまく働いてくれなかった。


 クリストフェルは優しく優しくシェスティンに触れる。

 頬から首へ、首から肩へ、肩から腰へ──。


 ガウンを脱がされる寸前で、脳は冷水を浴びされたようにハッと意識を取り戻した。

 ──痣がバレてしまう!


「っん──やめっ」


 クリストフェルの胸を強く推すと、思ったよりすんなりと離れた。

 だけど頬に添えていた片手だけは、そのままだった。


 クリストフェルの唇がゆっくり動く。


「──」


 パシッ


 シェスティンは手を振り払うとクリストフェルの横をすり抜け書庫を飛び出していった。


 残されたクリストフェルは行き場のない手をただ見つめていた。

 最後に見たシェスティンの顔だけが、いつまでも頭の中に残り続けた。









 その夜、シェスティンは城から消えた。


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