はじまる、生首との生活
脱兎のごとく逃げ出した私は、気づけば家の玄関で立ち尽くしていた。道を見なくても帰ってしまったのは習慣のせいだろうか。こういうの何て言うんだっけ、帰巣本能……?
息を整えながら、落ち着くために無駄に思考を繰り返していく。帰巣本能から持統天皇まで連想ゲームを繋げた頃には汗もひいて、私の脳みそはようやく問題処理のために働きだす。
「なにあれ……」
あまりにも雑な自問自答。とはいえ、考えたところでろくに思考は広がらない。分かり切った解を何度も求め続けている気がした。
「マネキンだよね……」
それ以上答えも見つからない。本物なわけないのだ。突然のことでまったく観察する余裕はなかったけれど、それでも本物の生首なわけがない。くそしょーもない暇な誰かのいたずらだったのだ。それしかない。
ぶはーっと息を吐いて、靴を脱いだ。自室に続く階段を駆け上がって、ドアを開けると同時にベッドに飛び込んだ。
どっと力が抜ける。
「勘弁してよ……」
「どうかしたのか」
あああ!
予期せぬ返事に思考が飛んだ。二度目の生首が視界の端に映った。そう思った頃には私は気を失った。
夏の日差しをカーテンが防いでも、その熱気だけは朝から容赦なく部屋に充満している。
あの日の衝撃は二週間たった今でも鮮明に思い出せる。
「はぁ……学校か」
夏休みが終わって今日から学校が再開する。そして、私の憂鬱はそこに起因している。
「学校かあ、懐かしいな。宿題は終わっているのか?」
ベッドの上から話しかけてくる生首が、学校に付いてくるという。そのこと一つが、夏のうだるような暑さよりも私を悩ませているのだ。
「椎名です、よろしく」
あの日、気絶から目を覚ました私にそう名乗った生首の男。
あの日から、なぜだかこいつは私の部屋に居候している。今は気さくすぎる態度につい油断してしまうこともあるけれど、それでもやはり怖い。
「ねえ、本当についてくる気なの……?」
何度も訊いた質問。
「そうだってば。何度も言ったろう。君を生き返らせるためにきたんだ。僕がついていないと意味ないんだよ」
何度も聞いた説明。こんな意味不明なこと言われて納得するわけない。だいたい勝手に死んだことにしないでほしい。生き返るもなにも、私は確かに生きている。それとも……。どこぞの漫画みたいに死んだことに気づかずに生活してる幽霊とかになっちゃってるのかな……。
「いや、ないから!」
自分の想像にしっかり否定する。
「なに、どうしちゃったの。ないって言われても僕はついていくよ?」
「うるさい、今そこじゃないの。あ、いや、それもだけど……」
はじめは部屋に閉じこめることも考えたけれど、どうやら壁やらなにやらすり抜けるらしい椎名を何度か見てしまった。二週間経って、私はすでに半ば諦めていた。
「ついてくるって言っても、目立つよ。生首なんだから。どうするつもりなの」
「大丈夫、君以外の人に僕は見えない。それに」
こんなのと一緒に歩いていたら私から友達がいなくなるし、警察のお世話になっちゃうし、親は泣くし、思いつく限り悪い結果しか生まれない。
それなのに、椎名と名乗るこの生首は、
「それに、僕は君を助けるためにきたんだから」
そうぬけぬけと言い放ったのだった。