虐めに立ち向かうきっかけ
唐突な告白をしたい。告白と言っても愛の告白でもなければ罪の告白でもない。
恥の告白、と言えば伝わるのかな。
私はトラウマを抱えている。それは私の人格形成に大きく関わっているほどの多大なトラウマだったりする。
人から見ればたいしたことがないと言われるかもしれない。だけど当時はまだ純粋で、人の悪意なんて知らなかった幼い女子小学生の私にとっては心に傷を負うのに十分なものだったりするんだ。
それは私が田中くんを気にかけていることにもつながる。
うだうだ言ってないではっきりと言おう。
私は小学生のときに虐められていた。
理由は分からない――とは言えない。ちゃんとした理由はあったりする。
どんな理由があっても、虐めをして良い理由にはならないけれど。
私は小学生時代、女子っぽい格好をせずにどちらかというと男の子の服装をしていた。
まあ今で言うところのユニセックスな服装をしていたのだけど、ファッションに興味のない小学生にしたら、女子が男子の格好をしているみたいな印象しかないだろう。
私は今でもそうなんだけど中性的な見た目をしていた。そのせいか、小学生の頃は友達の男女比は半々だったりした。
男子とも遊ぶし女子とも遊ぶ。そんなどっちつかずな立場で小学生時代を過ごしていた。
だけど途中までは虐められていなかった。小学生の低学年は性に対して無頓着だったし、潔癖ってほどでもなかったから。
転機が訪れたのは小学四年生。
私はとある女の子に告白された。もちろん生まれて初めての真剣な告白である。
相手は一個下の小学三年生の女の子。名前は忘れてしまった。いやトラウマの原因となった女の子の名前だったので、記憶から削除してしまったみたい。
「好きです。付き合ってください」
手紙で呼び出されて、こんな風にストレートな告白をされた。
小学三年生にしては成熟していた女の子だったのかもしれない。
しかし分かっているように私は男の子の格好をしているけど、立派な女の子なんだ。
当然断った。それに相手の女の子は私を男の子と勘違いしていたようだったし。
断り方も小学生にしては真摯に丁重に行なったと自負している。少なくともトラウマになるような断り方をしていない。
だけど女の子はショックを受けてしまったみたいだった。それはそうだよね。勇気を出して告白した子が実は女の子だったんだから。
その女の子はしばらく学校を休んでしまったらしい。成熟していた女の子だったけど、いやだからこそ繊細だったのかもしれない。
それで話は終わりになるはずだったけど、どこの世界にもおせっかいな人は居たりする。
女の子には私と同級の兄が居た。それも今どき珍しい妹思いの優しい兄だった。
学校を休んだ理由を兄は妹に訊ねた。言い渋っていたけど、しつこく訊ねる兄に妹はとうとう話してしまったらしい。
しかも悪いことに、私が告白された場面を見ていた同級生が居て、それを兄に話してしまった。
当然、その兄――名前は島井くんだったっけ――は激怒した。必ず妹を泣かせた子、つまり私に償いをしなければならないと決意したみたいだった。
そこから私に対しての虐めが行なわれた。
そこから先は独白としても語りたくない。直接的な暴力も受けたし、精神的な虐めも受けた。今思い出しても足が震えて走れなくなる。一度大会前にフラッシュバックして危うく欠場してしまうところだった。
正直、死にたかった。
今まで虐めなんて受けたことなかったし、仲が良かった友達が離れていくのもツラかったし、何より楽しかった学校に自分の居場所がなくなる感覚がとても耐え切れなかった。今まであのような喪失感を覚えたこともなかった。
ここまで虐めが酷くなったのは、ひとえに私が中性的な見た目をしていたのと、島井くんがクラスの中心人物だったことが原因だった。
前者は虐めの原因、というよりも要因になりやすいし、後者は虐めの主犯格には人望が必要だっていう人間社会で生きるうえで絶望を感じさせるような結論だった。
私の虐め、いや地獄は三ヶ月ほど続いた。
大人もしくは高校生の三ヶ月は短いものだけど、小学生の三ヶ月は体感時間で永遠に続いていたようなものだった。
しかし三ヶ月で終わったのは私が何らかの行動を起こした結果ではない。当時の私には先生に頼るという発想はなかったのだ。
私を助けてくれたのは、一人の男の子だったんだ。
「虐めなんてくだらないことするなよ。他にやることないのかよ」
そう言って私の前に現れてくれたヒーロー。彼はそう言って、校庭裏で水をかけられてうずくまっていた私を助け起こしてくれた。
彼、古田くん――下の名前は知らない――は私と島井くんとは別のクラスの生徒だった。
初めて古田くんの顔を見たとき、とても印象的に覚えているのは目だった。
虐められていた私は暗い目をしていたけれど、古田くんはそれ以上に暗くて黒い目をしていた。まるで世界に絶望していたようだった。まるで世界を諦めているようだった。
島井くんたちはそんな古田くんに何か言った。すると古田くんは挑発するように言ったんだ。
「女の子一人を追い詰めるような、そんな卑怯な真似をするヤツを僕は許せない。くだらないことするくらいなら死んでしまえ」
言っていることは過激だったけど、私は救われる心地がしたんだ。
私を助けてくれる人はいないと思ってた。このまま一人で生きていくのだと思った。
だけど、違ったんだ。
古田くんは私を庇いつつ、島井くんたちから逃げるようにその場を離れた。古田くんは背が高くなく、力も強くなさそうだったし、その判断は間違っていないと思う。
「大丈夫……じゃないよね。ごめんね、早く気づいてあげられなくて」
手を引いて職員室へ向かう道中、古田くんは何度も私に謝った。
古田くんは悪くないのに、気づくことができなかった自分を責めているみたいだった。
「大丈夫だよ。ちゃんと解決してあげるからね」
その言葉とおりだった。古田くんに連れられて私たちは職員室に行った。
びしょ濡れの私を見て担任の先生や職員室に居た先生たちは驚いた。そして何があったのか説明を求めた。
「さあ、言うんだ」
古田くんは私の目を見つめた。相変わらず暗い目をしていたけど、どこか優しい目をしていた。
「今言わないと一生負け犬で生きることになるんだ。嫌だろう? だから言うんだ。今までの悔しさや悲しみを言うんだよ」
その言葉で私の心の堰は決壊した。虐められていた恥ずかしさが嘘みたいに消えていた。
私は子どもらしく泣きながら全てを告白した。それを古田くんは見守ってくれた。
翌日から私に対する虐めは嘘みたいに消えてなくなった。まるで初めからなかったようだった。
島井くんは自分の担任の先生に怒られて、両親に怒られたみたいだった。他の生徒も同様だった。
それで私の溜飲が下がるわけじゃないけど、虐めがなくなってほっとしたのは事実だった。
仕返しなんて考えなかった。前のような平和な学校生活が戻ればそれで良かった。
私の両親にも私が虐めを受けていたことを報告された。本当は心配かけたくなかったから黙っているつもりだったのに。
両親は私を叱ると思ったから。虐められるほど弱い人間だと見下されたくなかったから。だから報告されたくなかったんだ。
だけど両親は私を責めたりしなかった。むしろ気づいてあげなくてごめんねと謝られた。
なんだ、簡単なことだったんだ。周りに頼れば良かったんだ。
こうして私は元気に学校に通うことができた。今まで視界が曇っていたけど、世界がきらきら輝いて見えるようになったんだ。
数日後、私は古田くんのクラスを訪ねた。お礼が言いたかったからだ。
なぜ数日空いてしまったのかというと、何故か学校が臨時で休みになってしまったからだ。
意気揚々と古田くんを訪ねたけど、そこには彼の姿はなかった。
風邪で休んでいるのかなと思ったので、古田くんの担任の先生に話を訊いた。もしそうならお見舞いに行こうと思ったから。
だけどそうじゃなかった。
担任の先生は私の虐めのことを知っていた。解決したのが古田くんだということも知っていた。だから教えてくれた。
古田くんは転校してしまったことを。
私は理由を訊ねたけど担任の先生は教えてくれなかった。ただ悲しい顔をして、もう会えないことを私に伝えた。
だからこれは恥の告白だったりする。自分の恩人にお礼を言えなかったという恥。それが未だに私を苦しめている。
それから私は虐めに対して敏感になった。
虐められている子を助けるようになった。小学校から中学校、そして高校生になってからも変わらなかった。
自分のトラウマを刺激されることもあったけど、それでも私は助けた。
同級生だけじゃなくて、先輩も後輩も関係なく、私は手を差し伸べた。
これは私のエゴかもしれない。助けることで自分も助かっている気持ちもするし、満足感を覚えてしまうときもある。
それでも一番の動機は古田くんにお礼を言えなかったことかもしれない。恩人にお礼を言えなかったのはとてもツラい。それを払拭するために私は虐めを無くそうとしているのかもしれない。
自分で言うのもおこがましいけど元々正義感が強かったこともあったしね。
私はこれまでも、そしてこれからも虐めを無くすために生きていくのだと思っていた。
だけど、そんなときに出会ったのは田中くんだった。
田中くんが虐められているとき、私は話しかけることがなかなかできなかった。
それは私が悪いけど、田中くんにも問題があった気がする。
何故なら田中くんは虐めをどうでもいいと思っていたから。
助けを一切求めていなかったから。
助けてくれと望まない人間を助けようとするほど私は傲慢な人間ではなかった。
それに自分で解決できそうな感じもしたしね。まあ解決したけど、その方法は最悪だった。
私は珍しく静観してしまった。それには先程述べた理由の他に、親友の明美が止めたというのもある。
「田中くんに関わらないほうがいいよ」
真剣な表情で止めた明美。普段なら私のやることに反対しない明美。その言葉に私は従ってしまった。
だから虐めが長引いてしまったんだ。それは反省しなければいけないなあって思う。
だけどその約束を破ってしまうことがあった。
私と田中くんが一緒に体育の授業を休んだときのことだった。
そのとき私は生理中だったので、大好きだったプールの授業を休まざるを得なかった。
私は隣で面倒臭そうにぼうっとしている田中くんの横顔を見た。
どこか淋しそうだった。悲しげに物を思っている、そんな感じだった。
私はつい話しかけてしまった。最初のコンタクトだった。私は初対面の人には男言葉で話しかけてしまう悪癖があったので変に思われてしまったのかもしれない。
いや、それ以前から私は田中くんのことを気にしていた。
正直に白状すると恋心を抱いていた。
きっかけを言うのは恥ずかしい。だからまだ言えないんだ。
そうして田中くんと話すようになって、晩ご飯を作ってあげる間柄にまでなった。
その前に静ちゃんと夏祭りで会って。
梅田先生が田中くんの親戚だって知って。
そして静ちゃんが居なくなって。
私はその間、ますます田中くんのことが好きになってしまった。明美と約束したのに、破ってしまってごめんね。
しかし、私は田中くんとどうなりたいのだろう?
恋人になりたいのかな?
友達のままで居たいのかな?
自分でも分からない。
静ちゃんのことを想うとなんだか卑怯な感じがして、なんていうかツラかった。
でもいつかは想いを告白したいと思う。
今まで私は男の子に恋したことはなかった。古田くんは恋というよりも憧れを感じているから違うし。
だけど私は知らなかった。
田中くんの真実を。
田中くんの抱えている闇を。
それを知ったとき、私の恋心がかなり変化してしまう。
その覚悟が私には足りなかった。欠如していたんだ。
それを知ることになるきっかけは登校してクラスの黒板を見たときだった。
田中くんの家で晩ご飯を初めて作った日の一週間後。
いつも通り登校して、教室に入るといつもと雰囲気が違っていた。いや私に突き刺さる視線が気になった。
「ゆかり、これ見て……」
私は顔面蒼白になってしまった明美の指差す方向を見た。
そこにあったのは一枚の大きな写真。
そこに写っていたのは――私が田中くんと一緒に家へ入る光景だった。