お墓参りの次の日
「なんかさあ。ゆかり浮かない顔してるね。休日になんかあったわけ?」
昼休みに教室でお弁当を食べていると向かいに座っている明美に指摘された。
「そう、かな。いつも通りだけど」
そう言ってみるものの、内心言い当てられてしまったことで否定が弱くなってしまった。
友達のお墓参りをした次の日の月曜日。週の始めということもあって、あまり元気がないのは親友の明美にはバレバレだったみたい。
「ゆかりは顔にすぐ出るからバレバレなんだよね」
明美は珍しく真面目ぶった顔でサンドイッチと牛乳を頬張る。牛乳を毎日飲んでいるけど、これ以上背が高くなりたいのかな?
「うん。嫌なことがあったわけじゃないんだ。なんて言えばいいのかな。悲しいとは違うんだけど、それに似た感じかな」
この感情を口に出してしまうのは難しい。
淋しい――とは違う。
ツラい――とは違う。
敢えて言うなら、『虚しい』なのかな。
「ねえ。千明ちゃんから聞いたけど、田中くんからお墓参り行こうって誘われたんでしょ?」
どうして知っているの? なんて馬鹿な問いを発してしまう前に言葉を飲み込めた。
明美と小早川ちゃんは幼馴染だった。というより、明美経由で小早川ちゃんと知り合ったんだ。
「うん。日曜日に田中くんとお墓参りに行ったよ」
「前に話した河野静って女の子のお墓?」
明美には夏休みに起きたことを話している。まあ落ち込んでいる私に無理矢理話させたと言うのが正しい。田中くんも相当落ち込んでいたようだったけど、私も仲が良かった女の子が死んでしまう経験なんてしたことなかったので、だいぶ衝撃を受けた。
「そうだよ。その子のお墓参りに行ったんだ」
「行ったというよりも、付き合ったっていうほうが正確じゃないの?」
「まあそうなんだけどさ。それで落ち込んでいるんだよ」
「まあテンションが上がるわけないよね」
あははと明美は笑った。
「どこまで行ったの? 千明ちゃんはそこまで知らなかったみたいだけど」
「十井霊園だよ。結構大きかった」
「へえ。その子、お金持ちの子どもだったんだね」
そうなのかもしれない。かもしれないと断定できないのは、私が静ちゃんのことをほとんど知らないからだ。
あの子のことを私はよく知らない。同じ男の子を好きになったというのに、静ちゃんの好きな音楽とか、得意なことだとか、知る機会がなかったんだ。
「大丈夫? ゆかり、どうしてそんな顔してるの?」
ハッとして明美を見つめる。
明美は笑みを消していた。
「どんな顔をしてた?」
「酷い顔だよ。この世の終わりのような顔をしてた。凛々しい顔が台無しだよ」
酷い顔か……無意識にそんな表情になってしまったみたい。
だって、愛する人が死んでしまったら、その人との思い出と生きていかなければいけない。だとすれば、その人に勝てるわけがないじゃない。恋愛は勝ち負けではないだろうけど、静ちゃんに勝る要素がないなら――
「ますます暗い顔になっちゃってるよ。ゆかり、あまり思いつめないでよ」
明美は眉間にしわを寄せて、真剣そのものの表情へとなっていた。
明美は私のことを親身になって考えてくれている。鬱陶しいとは思わない。むしろありがたいと思っている。
だから、私が田中くんのことが好きだなんて言えない。きっと反対するだろうし、考え直すように諭すだろう。
この場での正解はなんだか分からないけど、作り笑顔をして「大丈夫、だよ」と言う。
「平気なんだよ。明美は心配しすぎ。ちょっとセンチな気分になっただけだよ」
空元気でそう言って、私はお弁当を食べた。
作り笑顔も空元気も明美には気づかれているのをなんとなく分かったけど、私はお弁当の卵焼きを口に入れた。
お母さんが毎日作ってくれる大好きな卵焼き。
でも、ちっとも甘く感じなかった。
午後の授業は世界史だった。担任の木下先生の一本調子な授業を聞きながら、私は田中くんの様子を窺った。
相変わらず、つまらなそうに授業を聞いている。ノートに時々何かを書いてる。おそらく授業に関係していることだろう。関係のないことを書くような人には見えないし。
だけどそれは暇潰しに書いているだけで、真剣に授業を受けているわけじゃなさそうだ。
それでいて、このクラスで一番頭が良いなんて理不尽すぎると勝手に思ってしまう。
それにしても、田中くんは何が楽しくて学校に来ているんだろうか。
友達の近藤くんと会うため?
親戚の梅田先生と会うため?
私には理解できなかった。
私は部活や委員会、明美たちが学校に居るから来ている。もちろんそれだけじゃない。進路のことだったり、将来のことだったり、これからの人生の指針だったり、まあようするに未来のために高校に通っている。
田中くんはというと、私のこれまた勝手な印象だけど、そういった未来のために生きていない気がするんだよね。
どう表現したらいいのか分からないけど、過去に囚われているってイメージがあったりする。
つまり、未来のために生きているんじゃなくて、過去のために生きている感じかな。
自分でも何が言いたいのか分からないけど、漠然とそう思ってしまうんだ。
そういえば、田中くんのことを私はよく知らない。好きな人のことを知りたいというのはストーカー気質に近いけれど、それでも知りたいと思ってしまう。
私が知っている田中くんのこと。
まず医者の両親が居る。これは梅田先生に聞いたから間違いない。
次に身体を何らかの理由で火傷している。その理由はなんなのか分からない。
三つ目はクールな見た目とは裏腹で妙に情熱的な人だということ。
この三つ目はかなり重要だった。だって、知り合って間もない女の子を『一生、守ります』なんて普通なら言えない。
もしも私が同じ立場だったら言えるだろうか?
明美や小早川ちゃん、他の友人が助けを求めていたら応じる覚悟と決意はあるけど、知り合って間もない女の子を守れるだろうか?
とても――自信がない。
案外、外見よりも田中くんは根性があるのかもしれない。いや、なければ虐められていても学校に通えないし。
私だったらとうに心が折れてしまう。
私は助ける側であって、助けられる側には向いてないと自分では思う。
だから、田中くんは強い人間なんだ。
私はじっと田中くんを見つめていると、田中くんは私の視線に気づいたみたいで、こっちを向いた。
私と田中くんは真横に位置しているから、目を合わそうとすれば容易にできた。
田中くんは無表情で私を見つめている。
私は敢えて目を逸らさずに見つめ返した。
田中くんの大きな瞳。
吸い込まれそうな黒い瞳。
その中に私の姿が映っていると思うだけでたとえようもない多幸感を覚えてしまう。
ふと田中くんは目線を前に向けた。
「では田中聡くん。英国、清、インドの三角貿易がどうして後のアヘン戦争につながったか、答えてください」
木下先生が田中くんを指したみたいだった。
それに意外と難しい問いだった。
「清がインドからアヘンを密輸する際に必要な銀のコストが英国へ輸出していた茶の対価を上回ったせいです。その結果――」
田中くんはさらりと説明し出した。その説明は淀みがなかった。
まるで教科書を暗記しているみたいだった。そんなわけがないに決まっているけど、そうとしか思えなかった。
田中くんが説明を終えると木下先生は「はい、そのとおりです」と言って授業を続けた。
私は田中くんを見つめるのをやめて、前を向こうとした。
すると田中くんの反対側から視線を感じた。
そっちを向くと、明美が不安そうに私を見ていた。
どうしたの? と私は声に出さずに口を動かして訊ねた。
明美は首を振った。そして何もしないで顔を真っ直ぐ前に向けた。
なんだったんだろう? 不思議に思ったけど、気にせずに授業を受けた。
このとき、私は気づかなかった。
お昼後の授業はいつも明美はぼうっとしてるか寝ているはずだってことに。
授業が終わって、放課後。
私は陸上部の部室に居た。
私は同じ学年の生徒と次の大会へ向けての話し合いに参加していた。
三年生は夏休み前に引退していたから、私たちが中心になって進めなければいけない。
話し合いの結果、私はなんとか選手に選ばれた。
「二年のメンバーはこれで良いとして、一年から誰を出したらいい?」
部長の松永さんがみんなに意見を求めた。彼女はとてもさばさばした性格でとても好感を抱かせる人で、猫目が印象的な顔をしている。
しかし誰も薦める人は居なかった。
私は少しだけイラっとした。一年で一番速いのは決まりきっているのに。
「私は――小早川千明を推薦するよ」
一斉に私のほうを見つめる二年生。
「そうね。その子は決まりでしょ。後は――」
「ちょっと待って。あたしは賛成できない」
反対したのは三つ編みの似合う副部長の荒井さんだった。
「どうして反対するの?」
私が訊ねると「だって、あの子あまりコミュニケーションとらないじゃない」とはっきり言った。
「いくら速くても、人格に問題あるわ」
確かにそうだった。陸上部で仲が良いのは私以外誰もいない。その私だって、明美の紹介がなければ仲良くならなかっただろうし。
「確かに人見知りだけど、実力があるのだから、選手に選ばれる資格はあるよ」
私の反論に荒井さんは「吉野さんはあの子と仲が良いから」と笑って言う。
「贔屓にするのは分かるけど、ちゃんとした人出さないと、陸上部のためにならないわ」
「別に贔屓しているつもりないけど、じゃあ誰を出せばいいわけ?」
私の質問に荒井さんは自分と仲が良い一年生の名前を挙げた。
そっちのほうが贔屓というか、えこひいきしてるじゃないと言いそうになったけど、ぐっと堪えた。その子は努力家だし、一年の中では小早川ちゃんの次に脚が速い子だったし。
松永さんは何も言わずに私と荒井さんの様子を窺っていた。
「とにかく、あたしは小早川が出るのは反対だから」
そう言い切られてしまったら何も言えない。ただでさえ、夏休み部活に出られなかった負い目があるのだから、強く言えなかった。
だけど、言わなければいけない。理由は小早川ちゃんがこの大会に出ないと、高校生の間は大会に出られなくなる可能性がある。
実績を作らないと、小早川ちゃんがハブられている状況を覆せない。
今の現状でも、みんなから避けられているのだから、それは可哀想だし。
それにもったいないと思う。小早川ちゃんの実力だったら、全国へ行ける可能性だってある。
そのくらい期待の選手なんだよね。
いくらコミュ障と言っても実力のある人間が評価されないのはとても悲しい。
私は仕方ないなと思って、こんな提案をした。
「じゃあ、その子と小早川ちゃんが一緒に出れば、問題ないと思わない?」
荒井さんと他の部員は不思議そうな顔をした。
その中で部長の松永さんは「うん。それなら問題ないよ」と言う。
私はにっこり笑って言った。
「じゃあ私の代わりに小早川ちゃんを選手にして。それなら文句ないでしょう」
その言葉にみんなが驚いた。
「はあ!? 吉野さん、何言ってんだ!?」
荒井さんが一番驚いていた。
「だって、そのほうが陸上部の勝てる可能性が高まるし」
「でも、せっかく出られるんだよ?」
他の二年の部員が訊ねるけど、私に未練はなかった。
「いいよ。それに私、夏休みの間、部活に出られなかったし。その代償ってことで。いいかな松永さん?」
部長にお伺いを訊ねると「うん。いいんじゃないの」と頷いた。
「きちんとした理由もあるし、それに筋も通っている感じもするし。いいでしょ、荒井ちゃん」
松永さんが荒井さんに訊くと、荒井さんは私を信じられないものを見るような目をしながら言う。
「……吉野さんが良いなら良いけど」
というわけで私は正選手から外れることになった。
これは別に自己犠牲のためではなかった。小早川ちゃんのためを思ってした提案だった。
だけど、この決断が田中くんに関係してくるなんて、思いも寄らなかった。
いや、小早川ちゃんがあんなことをするなんてと言ったほうが正しいのかもしれない。