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霊園とオムライス

 待ち合わせ場所はバス停近くの公園。

 約束の時間の十分前に私は行くと既に田中くんはそこに居た。

 ベンチに座って何をするわけでもなく、顔を伏せていた。


「田中くん。早いね」


 待たせてしまったかなと思いつつ話しかけると、田中くんは「そんなに待ってないよ」と言って顔を上げた。


「待たされるより待つほうが好きなんだ」

「待つのが好き? 少し変わっているね」


 私は微笑みを浮かべた。そしてすぐに消した。今日行く場所のことを思ったら、笑ってなんていられないから。


「さあ行こうか。あのバスに乗るのかな?」


 田中くんはいつも通り面倒くさそうに言う。

 私はなんだか淋しそうな背中を見つめながら「そうだよ」と言う。

 急に手を繋ぎたくなったけど、できなかった。そこまで親しい間柄じゃないから。


 空を見上げた。馬鹿にされているみたいに快晴だった。


 田中くんはいつもの学生服ではなくて、長袖の黒いパーカーにデニムといった、無難で普通の格好をしていた。

 私はというと黒を基調にした中性的なユニセックスな服装をしている。派手でも地味でもない服だ。

 女の子は三種類の服装をするんだよと明美が言っていた。

 一つはコンビニとか行くとき用の動きやすくて安い格好。

 二つ目はちょっと遠くにお出かけするとき用の少し高めの服。

 そして三つ目は男の子とデートするとき用の勝負服。


 私の今の格好は、二番目と三番目の間の格好だった。デートまではいかないけど、それなりにおしゃれをした服装。

 もちろん、これはデートではない。デートの間逆だろう。

 なにせ、私たちは死者を弔いに行くのだから。


 あの日誘われて、私は日曜日にお墓参りに行くことにした。そういえば、納骨以来、静ちゃんのお墓に行っていないことを思い出す。

 だからちょうど良かったのかもしれない。そう思うことにした。

 好きな男の子誘われるお出かけなのに、こんなムードのない場所なんて、なんだか嫌だなと思うけど、その気持ちは隠すことにした。

 だって、私が好きなこと分かってもらえていないし。

 だから、こんな一言を言われてしまうのは、とても困った。


「そういえば、吉野さんの普段着見るの、初めてだけど」


 バス停でバスを待ちながら、何気なく田中くんは言う。


「そうだっけ? そういえばそうかも。いつも制服だったから」


 田中くんの家に行くときはいつも制服だった。夏休みもそうだった。それには理由があって、陸上の練習の終わりやこれから練習だというときに田中くんの家に寄っていたからだ。

 田中くんの家に寄るときは、いつも静ちゃんが居て、二人きりになるのはあの夜の帰り道以来だった。いや、一度マックでお喋りもしたし、ついこの間も田中くんの家に行ったっけ。そう考えると二人きりになる機会はたくさんあったのに、全然良い感じになれないなあ。


「普段着、とても似合っているよ」


 不意にそんなことを言う田中くん。顔が真っ赤になってしまうのを抑えられなかった。

 それに気づかずに田中くんは続けて言った。


「吉野さんはそういう服似合うよね。まあこの前の浴衣も似合っていたけどさ」


 覚えててくれたんだ。そう思うと胸の奥がきゅんと切なくなる。


「な、なにかな!? 褒めても何も出ないよ!?」


 声が裏返ってしまう。ああ、バレないでほしい。いやバレてほしい。分かってほしい。私の想いを。


「別に何も企んでいないけどね。そう思ったんだよ」


 不思議そうな表情で私を見つめる田中くんに私は何を言えば分からずに「田中くんもその服似合っているよ!」と大きめの声で言う。


「そう? ありがとう。初めてかもそんなこと言われたの」


 田中くんはしげしげと自分の格好を見つめる。全然照れていない。

 ずるいよね。惚れた弱みだけどさ。


「ああ、河野ちゃんに一度言われた気がするなあ」


 河野ちゃん、という単語で私はぴくりと反応した。


「なんて言われたのかな?」

「えっと、『似合っているけど、同じような服しか持ってないの?』って言われたよ」


 私は初めて田中くんの普段着を見たから、新鮮だったけど、付き合いが長くなるとそんな感想が生まれるんだ。

 ちょっと嫉妬してしまうよね。

 まあ普段着の代わりにパジャマだとか浴衣だとか見られたから良いとしよう。


 それから私たちはバスに乗って、静ちゃんのお墓がある霊園へと向かう。

 日曜日の十時過ぎだというのに、乗客は居なくてガラガラだった。居るのはお婆ちゃんとお爺さん。若者は私たちだけだった。


「そういえば、吉野さんは陸上部なんだね」


 田中くんから話題を振るのは珍しいと思いながら「うん、そうなんだ」とできるだけ印象の良い返事をする。その理由は隣同士座っているだけでも胸がどきどきしてしまうのに、それを悟られたら変な女だと思われてしまうからだ。


「まあ脚はあまり速くないけどね」

「ふうん。どのくらいの速さなの? えっと、五十メートル何秒?」


 百メートルではなくて五十メートルで速さを知ろうとするのがどこかおかしかったけど、私は素直に「七秒六だよ」と答えた。


「へえ。結構速いんだね」

「これでも遅いほうなんだよ。私よりも速い子一杯居るし。この前私と一緒に居た女の子――小早川ちゃんなんかは私よりも速いよ」


 小早川ちゃんと聞いて、田中くんは少し悩む顔をしてから「ああ、あの子か」と納得したように膝を叩いた。


「僕を終始睨みつけていた女の子だ」

「……後で厳しく言っておくよ」


 小早川ちゃんはとても良い子なんだけど、私に対する独占欲が強すぎるところがあるんだよね。そこを直さないといけないなあと常々思うけど、どう直せば良いのか分からない。


「別に言っておかなくて良いよ。僕みたいな嫌われ者が吉野さんみたいな人気者に話しかける自体、おかしな話だからね」

「そんなこと言わないでよ。田中くんは優しい人だって、みんな分かれば嫌われることないんだよ?」


 好きな人が自分を卑下するほど悲しいことはなかった。


「そういうものかなあ。まあいいや。その小早川さんがどういう人か分からないけど、気をつけたほうがいいね」

「気をつける? 一体どういうこと?」

「好かれすぎないようにすることだよ」


 田中くんは真剣な表情で私を見た。


「その子は吉野さんをどう想っているのか知らないけど、目が少し異常だったよ」

「どんな目をしていたの?」

「嫉妬に狂った女の目」


 田中くんは私から視線を外して窓の外を眺めた。


「船橋さんが僕を見ていた目と言えば分かるかな? そんな目をしていたんだよ」

「……なんで小早川ちゃんはそういう目をしていたのかな?」


 理解できない。小早川ちゃんは確かに私を好いているけど――


「分からないよ。まさか吉野さんが僕のこと好きだから、それに嫉妬した。なんてありえない想像はできるけどね。実際はよく分からない」

「……そ、そうだね」


 ……何気なく、さりげなく真実を言い当てられて私はどもってしまい、それから言えなくなってしまう。

 もしかして、私の気持ちを知っているのかな? 知っていて知らないフリをしていたのかな?

 そんな性格が悪い人じゃないと思うけど。


「バスでどのくらいだっけ?」


 黙りこんでしまった私に田中くんは普通に話しかける。気まずいとかの神経はないんだろうか?


「あともう少しだよ。えっと十井霊園はもうすぐのはずだよ」


 そう。もうすぐ静ちゃんが眠っている霊園に着く。

 私の恋敵であり、隣に居る片想いの男の子に愛された女の子が眠っている、霊園に。

 バスを降りてすぐの場所にその霊園はあった。十井霊園は緑豊かな霊園で、安らかに眠れそうな荘厳さを感じる。


「こっちだよ。こっちに静ちゃんは居るよ」


 バスを降りてから田中くんは一言も話さなかった。私は沈黙が苦手だった。

 霊園前の売店で菊の花とお線香を買うときも田中くんは黙ったままだった。

 霊園内を黙々と歩くと静ちゃんの思い出が甦ってくるみたいだった。気のせいだろうけど、それでも私は気のせいで居たかった。


 そして――静ちゃんの墓前に着いた。

 私の友達だった静ちゃんは骨になってここに眠っている。

 とても言いようのない悲しみが私の心を撫でた。


「河野家のお墓。ここに河野ちゃんが眠っているんだね」


 無表情だったけど、手が震えていた。


「うん。立派なお墓だね」


 普通のお墓よりも新しい印象を受けた。あの儚い雰囲気を漂わせた静ちゃんに相応しいと思う。


「河野ちゃんとはね、偶然出会ったんだ」


 田中くんは淡々と語り出した。


「偶然出会って、偶然知り合いになって、自然と友達になって、自然と仲良くなったんだ。ただ、それだけの間柄なのに、どうしてこうも悲しみに襲われてしまうのだろうね」


 私は田中くんを抱きしめたくなった。これは同情かもしれない。こんなに淋しい人は今までの人生で一度も出会ったことはなかった。だってそうでしょ? 数少ない友達を、短い期間で亡くしてしまったのだから。


「ねえ。田中くんは静ちゃんを愛していたの?」


 私は聞きたかったことを訊いた。


「うん。愛していたのかもしれないね。でもそれは前に言った庇護欲かもしれないし、単なる愛情かもしれないよ」


 田中くんの表情は悲痛に歪んでいた。


「僕は守りたかったよ。河野ちゃんのことを。一生懸けて、ずっと。そのためだったらなんでもする気でいたんだ。そしてこう思うんだ。今になって思うんだよ。僕は河野ちゃんと出会うために生きていたんだって」


 霊園も私たちだけだった。私たちだけが生きていた。

 静ちゃんはもう居ない。聞いた話だと父親に唆されて自殺してしまったらしい。

 私は静ちゃんに嫉妬している。私の大好きな田中くんにこんなにも愛されているなんて本当に羨ましかった。

 だけど静ちゃんにはもう勝てない。勝ち逃げされてしまったんだ。

 本当にずるいと思う。


 それから私たちは花やお線香を供えた。綺麗に掃除するのも忘れなかった。

 私たちは並んで手を合わせて祈った。どうか神様、静ちゃんが天国で幸せに暮らしていますように。そして私たちを見守ってください。

 田中くんは終始一貫として取り乱したりしなかった。泣いたりしなかった。怒ったりもしなかった。ただじっと手を合わせていた。そうしないと胸が張り裂けそうだと言わんばかりに。


「さあ、帰ろうか」


 田中くんはすっきりした顔で言う。


「ありがとう。吉野さん」


 田中くんは翳りのある笑顔で私に言う。


「河野ちゃんのお墓に行けて良かった。一緒に付き合ってくれて嬉しかったよ」


 そんな風に改まって感謝されるとなんだか照れくさい。


「別にいいよ。私も納骨のときしか来れなかったから、良い機会だと思ったし」

「それでもありがとう」


 田中くんはその後「どこかでご飯でも食べない?」と誘ってくれた。


 私はもちろんOKした。

 お昼ごはんは霊園近くの洋食屋さんだった。私はオムライスで田中くんはナポリタンを頼んだ。


 私たちは何気ない会話を楽しんだ。静ちゃんのこと、学校のこと、私の部活のこと、あきらくんと梅田先生のこと。

 なんだか絆が深まった気がして、私は勇気を出して言った。


「ねえ。もうすぐ文化祭でしょ? 一緒に見て回ろうよ」


 私の提案に田中くんは「いいよ。一緒に行こう」と頷いてくれた。


「吉野さんは優しいね。こんな風にお墓参りに付き合ってくれて、今も一人で淋しくないように文化祭を回ってくれるんだもの」


 ううん。違うよ。私は田中くんのことが好きだから、一緒に居たいだけなんだ。

 そんな言葉が言えれば良かった。

 だけど言えない。

 だって、静ちゃんに申し訳立たなくなるから。


 ごめんね、静ちゃん。

 どうしていいのか、分からないんだ。


 そんな悲しい感情を押し殺すように、私はオムライスを一口頬張った。

 美味しいけど、どこか虚しい味がした。


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