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私は恋をしている

 私、吉野ゆかりは恋をしている。そんな風な冒頭で始まればよくある恋愛小説のように思えるけど、実際はよくある恋愛なんかじゃない。

 何故なら私が恋をして、愛おしいと思う男の子はちょっと変わっている。

 いやちょっとどころじゃないかもしれない。

 自分の好きな男の子だから、少しでも印象を良くしたいとは思うんだけれど、普通の人とは外れていると言わなくちゃいけない。


 それが彼――田中聡の個性だから。


 そこを含めて私は田中くんのことを好きになったのだから。まあ私も変わっていることを自覚しなければいけないよね。

 そんなわけで私は恋をしている。できれば付き合いたいとも考えている。

 だけど、それは難しい。だって田中くんは女の子に興味を持つタイプじゃないし。ああ、誤解を招く言い方をしてしまったけど、田中くんは同性愛者ではない。念のため。

 そうでなければ、あの子――河野静が報われない。居なくなってしまったあの子が可哀想になってしまう。


 そうそう。同性愛者といえば、今授業を受けている内容もそれに近い気がする。


「『精神的に向上心のないものは、馬鹿だ。私は二度同じ言葉を繰り返しました。そうして、その言葉がKの上にどう影響するかを見詰めていました』」


 前の生徒が『こころ』の一節を立ち上がって読んでいる。今は現代文の授業だった。


 私はこれを読んだ印象ははっきり言って、BLのように思えていた。だって、先生はKのことばかり語り、奥さんのことはほとんど触れていないし。


 恋敵というよりも恋人のように思えてしまったりする。


 そんなくだらない先入観があるためか、いつもは楽しいと感じる現代文がつまらなく思えてしまう。だってBL好きじゃないから。


 私は横目で田中くんを見た。田中くんもつまらなそうに授業を受けていた。

 田中くんは男子高校生にしては背が低め。しかしサラサラな黒髪がクールな印象を与える。ぱっちりと大きな瞳。さらに整った顔立ちがとても素敵だと思う。


 人は見た目で印象が決まるというけど、田中くんの場合はどこか人を寄せ付けない何かを持っていた。達観しているというか、排他的というか。あまり女子の噂を聞かないのはそれが原因なのだろう。

 かっこいいと私は思うんだけど。

 不意に田中くんがこちらを見つめた。何故か不思議そうにこちらに視線を向ける。

 私は見ていたことがバレた気恥ずかしさから、教科書で顔を隠した。


「えー、吉野さん」


 現代文担当の今野先生が私の名前を呼んだ。


「は、はいっ!」

「次はあなたの番ですよ?」

「えっ!? ああ、すみません!」


 ああ、そういえばそうだった。私は急いで自分の担当の場所を探した。


「ゆかり。『Kはぴたりとそこへ』から」


 隣の席の私の親友、辻本明美が教えてくれた箇所を私は読み上げる。


「『Kはぴたりとそこへ立ち留まったまま動きません。彼は地面の上を見詰めています。私は思わずぎょっとしました』」


 私は読みながらこの主人公は卑劣だと思った。卑怯だと思った。

 だって、自分の気持ちを隠しつつ、相手の弱いところを抉るのだから。

 そう思うと、私は田中くんに告白できないなと思ってしまう。

 あの悲しい出来事から十日しか経っていないのに、今告白したら静ちゃんに申し訳が立たなくなってしまう。


 そんな真似はできない。だって私はずるいことが嫌いだからだ。

 そういった面でも、私は『こころ』に感情移入できないのかもしれない。


 今野先生の「そこまででいいですよ」の一言で読み終えると、またちらりと横目で田中くんを見た。

 田中くんはまた面倒くさそうに前を向いていた。すっかりいつもの田中くんだった。

 授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。今日の授業はこれで終わりだった。


「あー、やっと終わったね! ゆかり、さっきはどうしてぼーっとしてたの?」


 今野先生が居なくなってから、思いっきり背伸びをしてリラックスする明美。私は「眠くて仕方がなかったんだよ」と言う。


「嘘でしょ?」

「なんで嘘だって分かるんだよ」

「あはは。ひっかかったね。やっぱり眠気じゃなかったんだ」


 けらけら笑う明美。私より背が高くて、スタイルがモデル並みに抜群な女の子というより女性と言ったほうが似合っている高校生。


 喋り方はそれと反比例するように子どもっぽいのが玉に瑕。


「ゆかりは単純だから、こういうのに騙されちゃいけないんだよ?」

「うるさいなあ。別にいいでしょ」

「それで、誰のことを気にしてたの?」


 カバンに荷物を詰め込みながら、明美は鋭いことを訊ねてきた。


「べ、別に誰のことも気にしてないよ!」


 私は動揺を見せてしまった不甲斐なさを後悔しつつ、帰り支度を急いだ。つっこまれると厄介なことになるんだこの親友は。


「当てようか? 田中聡くんでしょ」


 見事に当てられてしまった私は顔が真っ赤になって何も言えなくなってしまう。この反応を見せたら正解に決まっているのに、なんて馬鹿なことをしてしまったんだろうか。


「あはは。やっぱりそうなんだ」


 明美はバックを肩に背負った。私も準備ができたので、カバンを手に持った。

 辺りを見回すと、田中くんの姿は見当たらなかった。もう帰ってしまったのだろう。

 聞かれなくて良かったとホッとした。


「どうして分かったの?」


 明美に近づいてひそひそ話をする私。


「最近、私をほっといて田中くんとばかりお喋りするから、そうかなあって思ったの」


 明美も私に合わせて声を小さくしてくれた。


「えっと、それは――」

「ねえ。ゆかり。田中くんとお喋りするの、やめない?」


 明美は唐突に厳しい声で言った。私は何も答えられなくなってしまう。

 続けて明美は「ごめんね」と前置きをした。


「ゆかりが誰と話しても、別にいいんだけど、干渉する気ないんだけど、それでも田中くんは特別なんだ」


 いつも笑顔な明美だけど、この場では笑みを消して真剣な表情で私を見つめる。


「だって、田中くん、異常だもの」


 そう言われてしまって、反論ができなくなってしまう。

 確かに田中くんは異常に思えてしまう。この前の山崎くんの件だってそうだった。手にボールペンを突き刺すという行為を何のためらいもなくやってのける。

 だけど、それ以上に優しい人だってことも私には分かる。あの静ちゃんが懐いた人なんだ。優しいに決まっている。


「でも意外と優しい人なんだよ」


 私は思ったとおりのことを言うと、明美は「そうなんだ。でも駄目」とにべなく反対した。


「ゆかりは知らないと思うけど、田中くんは表に出てこない噂が酷いんだよ?」

「ただの噂でしょ? 実際に見たりしないと私は信じないよ。だから話しかけるよ」


 田中くんとのお喋りを続けることを話すと明美は少しだけ怒った表情を見せた。


「もう! 頑固なんだから! 知らないよ、どうなっても」

「どうなるって、どうなるのかな?」

「とぼけないでよ。田中くんと同じように虐められるかもしれないんだよ?」


 それは困ると思った。虐めなんて小学校以来経験していないけど、それでもトラウマになってしまっている。

 正直、虐めは怖い。だけど――


「だけど、私は虐めを見過ごせないんだよ。だって私は風紀委員だから」


 はっきりした口調で言うと、明美は呆れたように、しかし笑みを浮かべて言った。


「まったく、ゆかりは単純なんだから」


 明美は私の決意とか考えとかを尊重してくれる。口では反対するけれど、私が正しいことをするときはいつも応援してくれるんだ。


「どうなっても知らないよ――なんて言わないけど、困ったら逃げ出していいんだよ? 脚速いから逃げ切れるでしょ」

「脚の速さは関係ないと思うけど……」

「それじゃ、あたし部活に行ってくるね!」


 そう言って下駄箱のところで明美と別れた。


 明美はバレー部で部内で一番の高身長を誇っている。一応子どもっぽいけど十字ヶ丘高校バレー部のエースなんだ。

 私も部活に行こうとする。私は陸上部に所属している。最近はいろいろあってサボってしまったけど、ちゃんと行かないと。


 十字ヶ丘高校は部活、特に運動部に力を入れている。陸上部もその一つだ。

 私は部活棟に向かった。学生服からユニフォームに着替えるためだ。途中で野球部の部員とすれちがった。顔中が汗だらけでしんどそうだった。

 山崎くんが野球を続けられなくなったせいで、練習が前より厳しくなってしまったと噂で聞いたことがある。それはそうだろう。部のエースが居なくなってしまったんだ。それをカバーするには練習しかない。

 そのせいで田中くんは野球部の生徒からも恨まれているみたいだ。

 私は勝手に田中くんに同情している。みんなと仲良くやりたいはずなのに、それが叶わない田中くんが可哀想に思えたから。

 だからこそ、好きになったのかもしれない。弱っている人を見かけると手を差し伸べてしまう私の悪いクセなのだ。


 部活棟について、女子陸上部の更衣室のドアを開けた。


「ああ! 吉野センパイ、おはようございます!」


 中に居たのは一人だけ。それも私を慕ってくれる女の子、小早川千明だった。


「おはよう。小早川ちゃん。元気そうで何よりだよ」


 私は駆け寄ってくる後輩の頭を撫でた。嬉しそうな表情がなんとも可愛らしい。

 小早川千明は一年のエースで脚がとても速い。大会で短距離の記録を持っていると言えば伝わるだろうか。身長は私より少し高め。ポニーテールの似合う可愛い女の子だ。


「センパイ、夏休みの間、結構休んでましたけど、何かあったんですか?」


 着替えていると小早川ちゃんがくりくりした瞳を輝かせながら訊ねてくる。


「ちょっと用事があってね。ごめんね、淋しかったかな?」


 小早川ちゃんは首をこくこくと動かして「はい! 淋しかったです!」と頷いた。


「私、センパイぐらいしか話し相手が居ないんです……」


 私はこの後輩が物凄く愛おしく感じると同時に可哀想だなと思ってしまう。

 後者を払拭するために私は馬鹿に明るく言う。


「今日は一緒に走ろうか。校庭を出てさ、いつものコースを回ろうよ」


 その言葉にぱあっと顔を輝かせる小早川ちゃん。


「はい! お供させてください!」


 そんなわけで出発。

 部活棟を出て、部長に挨拶と話をしてから、私と小早川ちゃんは軽くウォーミングアップをしてから陸上部がよく使うコースを走ることにした。

 しかし校門を出るときに後ろから声をかけられた。


「おーい、吉野さん。ちょっと良い?」


 振り返るとそこには田中くんが居た。


「た、田中くん! どうしたのそんなところで」


 走るのをやめて、私は田中くんに近づく。だけど汗臭いかなとか、さっき話していたばかりだから照れくさいなとか思ってしまう。


「えっとね、吉野さんを待ってたんだ」


 私を待っていた? 顔が赤くなるのを感じる。


「センパイ、その人誰ですか?」


 後ろから小早川ちゃんの声がする。どこか不機嫌な感じがするのは気のせいだろうと思うことにした。


「えっと、僕は田中――」

「あなたに聞いてないです。センパイに聞いたんです」


 棘のある言い方だったため、私は「先輩にそんな言い方駄目でしょ」とたしなめた。


「こちらは田中聡くん。私のクラスメイトで友達だよ」


 小早川ちゃんは目を大きく見開いた。


「え、あの、田中聡、さんですか?」


 ……どうやら噂は下級生の間にも広がっているらしい。


「うん。そうだけど。君は誰?」

「わ、私は、小早川千明です……」


 田中くんはそれを聞いて「ふうん。どこかで聞いた名前だね」と面倒くさそうに言った。


「それで、田中くんは私に何の用かな?」


 話を元に戻すと田中くんは「ちょっと頼みたいことがあって」と切り出した。


「今度の日曜日、暇?」

「暇だけど、どうして?」

「連れてってほしいところがあるんだ」


 そこで田中くんは悲しそうな顔をした。


「河野ちゃんのお墓参りに行こうと思うんだけど、場所が分からなくって。確か吉野さん、納骨に参加したでしょ。だから知っているかなと思ったんだ」

 

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