その9、海を目指しましょう。
ちゃっかりとしっかりとチェイスの獲った魚を夜に頂いた次の朝。
今回はちゃんとベッドから降りる時に下を確認した。…また鋭い眼光と目が合った。
きっと彼は睨んでいるつもりは無いんだと思う。ただ野性味あふれる切れ長の大きな瞳と寝起きの所為。
昨夜もチェイスは私にベッドを使わせてくれた。
「アリシア、ずっとここ。」
という、言葉足らずな優しい言葉を貰って有難くベッドも貸して貰うことにした。一応断ったけど押し通せる気がしなかったのだ。彼はどこで寝るのだろうと疑問に思ったけど、寝付きの良い私はあっという間に夢の中に誘われた。
そして今である。
感想としては、まぁ、やっぱりそうなるわよね。といったところだ。
チェイスは生活空間をしっかり使い分けしている。寝るところは寝る、食事は食事、倉庫は倉庫。ただ彼の体が大きいから他の場所では寝苦しいのが理由かも知れないが。因みに、倉庫の何もない場所は呪いを使っていても何も無い空間として見える部分だから物を置いたり、勿論寝るわけにはいかないらしい。
そんなこんなで寝れる場所はここくらいなのだろう。幸いこの寝室には動物の毛皮が敷いてあってチェイス1人が横になれるくらいの空間はあった。
とにかく、もうちょっと話し合うべきかしら…それとも別にやましい事もないからこのままでも…うーん。
「アリシア、起きるか。」
「…え?あ、うん。ベッドありがとう。チェイス体痛くない??」
「…毛皮柔らかい、痛くない。」
考え事をしている間に彼はすっかり目が覚めたようで、本当に体は痛くないのか何ともない顔をして立ち上がった。
やっぱり見た目通り頑丈なのね。
「あ、待って、朝ごはん私が用意するわ!材料好きに使ってもいい?」
「(コクン)」
もう背を向けて階段を降りようとしていたチェイスを止めて先に降りていく。そしてすぐに着いたキッチンで私は固まった。
…火の熾し方が旧式過ぎて出来る気がしない。
今の時代木を擦って火を熾すなんて誰がするんだ。…もちろんチェイスなんだけど。
私が出来るのは火打石だ。それより前の文化は見た事すらない。
「貴方いつもこれで火を着けてたの?昨日の夜もこれよね?でも一度寝室に行って蝋燭だけ持って降りた時にはもう火は竃にあったわよね?あれ?これってそんな簡単なもの?」
降りてきたチェイスに矢継ぎ早に質問する。もしかして私にも出来るのか?と思って試しに枝をグリグリ回してみたが出来るはずがなかった。
「…下に置いてある鞄の中から火打石持ってくるわ。材料も見繕ってくる。」
「…簡単。やる。」
チェイスはそれだけ言うと片手で手の平より長めの丸い木を掴み、その木にできた長い窪みに枯れ草のような塊を置き枝を高速で擦り始めた。
と、ものの数秒で煙が出始めてあっという間に火種が出来る。
それを準備しておいた枯れ草に移し軽く息を吹きかけ準備をしておいた竃に更に移す。
すると小さな炎がボッと上がった。
「凄い。1分もかかってないわ。」
「…アリシア、石使う。いい。」
私にはやっぱり無理な気がしたからチェイスの言うとおり火打石を使わせてもらおう。あれは彼の逞しい筋肉があってこそだ。
火が燃えるのを見届けて下へと降りる。先ずは自分の鞄から非常食の干し肉を取り出し隅に沢山転がっていた芋らしきものと乾燥しているハーブを拝借する。
これはこの島で採れたものなのだろうか。芋は見た事が無いからそうなのだと思う。あとはココナッツとか見た事のない果物のような野菜のような分からないものがあるが、料理は冒険しないでおこう。
キッチンへ戻ってさっと料理を始める。料理と言っても干し肉で出汁をとって適当に切った芋を煮て瓶に入った調味料とハーブを入れるだけだ。
不味くはないしどっちかというと美味しいからいいだろう。
「簡単なものだけど、はい。」
スープをよそった木の器をテーブルに置いた時に、やっと私はこの部屋の劇的変化に気がついた。
「チェイス!いつの間にか椅子が増えてるわ!2個になってる!」
昨日の夜までは1つしかなくてチェイスは立ち食いしていたのに。それも何となくやっぱり悪く思ってどうにかしなきゃと思っていたのだ。それがいつの間にかちゃんと2個の丸太が置かれている。
「…夜、置いた。」
「え!あの後に?チェイスもすぐ寝たんだと思ってたわ。…ありがとう!」
「(コクン)」
昨日の水浴びの時もそうだったが、彼はよく気が付きすぐに行動してくれる。おかげで大助かりだ。
「食べ終わったら準備して海へ行きましょう。方角は西、とりあえず崖さえ越えればなんとかなるのかしら…案内お願いね。」
「……(コクン)」
そうして朝食をしっかり食べた後、全ての荷物を背負って船を探しに家を出た。
チェイスは相変わらず早かった。
でも昨日よりも振り返る回数が多く止まってくれることも多くなった。…ただフル装備の荷物の所為で遅い私を気にかけてくれているんだろう。ごめんねチェイス、遅くて。これでも女性の中ではかなり体力ある方なんだけど。
そうして歩いていると目の前に数十メートルの崖が現れた。
「って、ここ私が落ちたところじゃない!!」
未完成の地図を広げ書き足しながら歩いていた私は、鬱蒼と茂る蔦をかき分けて進んでいる途中で予感していた。
あれ?これあの蔦じゃない?って。
「アリシア、ここから、落ちる?」
「そうよ、悪夢だったわ。暴漢者に追われて走っていたらここに落ちたの。少し気を失ってたらしくて気付いたらびしょびしょ。蔦を抜けるのにも時間はかかるし…死ぬかと思ったわ…。」
今思えば生きてるだけ凄い事だ。居留守中の神様も最低限の仕事はしてくれたのかもしれない。
「チ、チェイス。凄い怖い顔してるわよ。」
さっきまで無表情だった彼の顔はどんどん眉間に皺がより、眼光は鋭く変化していく。
「……アリシア、自分、崖降りた、違うのか。」
「えぇ、予想外の出来事だった。」
あの時は予想外の事が多すぎた。無人島で暴漢者に追いかけられるなんて流石に旅慣れていた私でも想像していなかった。おまけに崖から落下…初めての体験尽くしだ。
「…落ちる場所、ここだけ、生きる。…他は死ぬ。」
「…え?」
チェイスの口から出た言葉に驚く。他は死ぬ…?ていうことは、ここ以外の崖から落ちてたら死んでたってこと?
「じ、じゃあチェイスもここから落ちたの?」
「そう。」
なんということだ、衝撃すぎる。
私達は奇跡的に本当に凄い確率で生きているのだ。
「ここ以外の崖はどうなってるの?」
「落ちる、下、石。他に、もっと高い場所。それだけ。」
「……私たち生きてて良かったわ。」
「(コクン)」
…とてもゾッとする話だった。
とにかく、1番低い崖であり、もしもの事があってもこの蔦のおかげで助かる。だから登るのもここなのだろう。
と思っていたけど、蔦の使い方はそれだけじゃなかったらしい。
「アリシア、ここで、待つ。」
「え、えぇ。」
チェイスはそういうと周辺の蔦を引きちぎりグルグルと身体に巻き付けた。そして崖に手足を掛け、一気に登って行く。途中に生えている細い木の枝を掴んだり崖の窪みに足をかけたり…スルスルと登ってあっという間に上にたどり着いた。
「…凄い。」
あまりにも凄すぎてそれしか言えなかった。彼は今まで見た男の人で1番逞しく、自然の中では誰も敵わないんじゃないだろうか。そう思うほどに。
しばらくすると上から蔦が降りてきた。先の方は輪っかになっていて言われなくてもやる事は分かる。
「チェイス!括り付けたわ!」
声をかけ軽く蔦を引くとグンッと身体に重力がかかった。そうして私は殆ど何もする事なくあの日落ちた場所へと引き上げられたのである。
「貴方本当に凄いわ。出会ってなかったら私死んでたわね。」
目的地、船の方へと歩きつつ地図を書き足しながらチェイスと歩いていく。
地図は残念なほど役に立たなかった。それもこれも全てあの暴漢者から逃げる為に脇目も振らずに走ったからなのだけど。崖を上がってからも方角しかわからない私はチェイスの後をついて行くばかりだ。
とりあえず、最短距離で海に着く道だという。これさえ分かれば今後家に戻っても困らないだろうと思った。
でも、良く考えたら船さえ見つかれば私はそこを拠点に探索するのだからそんなに重要な事ではないと気付く。この道が必要だとしたら崖の下の調査くらいだ。そんなのこの後戻って調べればいつか終わってしまう。そうして1年はかかるだろうが、この島の外周を調べればこの島とはお別れだ。…チェイスとも。
そう、冒険家だから同じ場所には留まらないのよ。楽しいことを探しに行くの。
「アリシア、海、近い。」
「…え?…あ、ほんと潮の香りがするわ!ちゃんと西の方角だしこのまま歩いたら停泊してある船と小舟があるはずよ!」
潮の香りに誘われるように足取りも軽やかになる。そうして、思っていた以上に早く海へ着いた。
森と砂浜の境目。そこに立って私は愕然とした。
「……うそでしょ………。」
広く青い海。そこには私の大切な船は無かった。