その8、綺麗になりましょう。
チェイスが連れてきてくれたのは家から少しだけ離れた場所にある川だった。
川幅は私の背丈くらい。(160㎝。正直小柄な方。165は欲しかった…。)深さは膝下あたりかな?という感じで浸かる事は出来なさそうだ。
「いつもここで浴びてるの?」
「(コクン)。」
「…浸かるのは無理ね。でも…うん、洗えるだけでもありがたいわ。」
この島は基本的に昼間は暑く夜になると少し冷える。なので汗をかいたままほっておくと風邪を引きかねない。外が暑いうちに川に入ってしまえば浴びようが浸かろうが問題ないと思った。だけどちょっと期待してた泳げるほどの深さはこの川にはない。
うーん、セミロングの髪を浅い場所で洗うのは中々疲れそうだ。そう考えていた時だった。
ドボンッ!
…急に私の目の前に水柱が上がった。
え?と一瞬疑問に思ったが隣を見たら直ぐに解決した。
隣にはありえないサイズの石を軽々と持ち上げ、ひょいと川へ投込む筋肉隆々の…熊。いや、チェイスがいた。
彼は身近にある大きな石を川へ積み上げるようにして並べていった。と、同時進行で軽く穴も掘っている。
そしてそう時間も経たない内に簡易風呂が出来上がった。
本当この人なんなんの。凄すぎる。
「わざわざ作ってくれるなんて…びっくりしたわ。ありがとう!すっごく助かる。」
「水、流れる、綺麗になったら入る。」
「うん、そうするわ!本当にありがとう!」
思いがけないプレゼントだ。これで楽に洗髪ができる。少し水は冷たいだろうけど散々歩き回って熱を持っている足や、汗と土でドロドロの体はきっとすっきりするだろう。
水が入れ替わるまでの時間、新しい服と自然素材で出来た石鹸を用意したりチェイスと少し会話をした。驚いた事にチェイスは意外とこまめに水浴びをしていたらしい。通りで臭くないわけだ。ついでに歯を磨くための木の枝を教えてもらった。切った枝先を噛んで繊維質にしてから磨くらしい。通りで歯が白いはずだ…。
「そろそろ大丈夫そうね。それじゃ私は入るから………チェイス、向こうに行くかしてくれると助かるんだけど。」
「?」
今まで常識的だったから分かると思いきや、チェイスは隣に立ったまま動かない。それどころか腰の毛皮に手を掛けている…。ってまさかだけど!
「ちっちょっと!ストップ!待って!それ取らないで!…まさか一緒に入るつもり?」
「?(コクン)」
「いやいや、駄目駄目!それだけは流石に冒険家の私でも冒険しきれないわ!」
「…なぜ?」
「何故って!!……そうよね、そんなこと知らないわよね。だって8歳…そうよね。」
きっと彼の常識は8歳で止まっている。世の中の8歳が恥ずかしげもなく女性とお風呂に入るのも可笑しいと思うが、常識とは育った環境で大きく異なるのだ。だから仕方がない。
「あのね、チェイス。普通大人の男と女は一緒にお風呂に入らないものなのよ。例外もあるけど、私達はそれに当てはまらない。だから入るなら別々じゃないと駄目なの。しかも、入ってるところを見るのもマナー違反。だから向こうに行くか…譲歩して、背中を向けるかしてくれないと困るわ。」
さっぱり分からないといった顔のチェイスだったが、何となく理解はしたのだろう。無言で頷くと少し離れた場所にある大きな岩に隠れるように背を預けて立ってくれた。
「ありがとう!浴びて着替えたらそっちに行くからそれまで待っていて!」
少し大きな声をかけるとチェイスは右手を挙げ返事をした。
久しぶりの水浴びだ。
昨日は見つけた小川でタオルを濡らして体を軽く拭いただけ、それでも何もしないよりましだったがやっぱり石鹸を使って体を綺麗にすると気持ちがいいものだ。
スルスルと汚れた服を脱いでいく。どうせ体も汚れているし一緒に洗ってしまおうと、即席の水風呂へと入った。
「冷たー。でも気持いいー…。」
チェイスが作ってくれたお風呂は胸下あたりまでの水位になっていた。これだけあれば簡単に洗髪できる。
持っている服からは一昨日の最悪の思い出と3日分の汚れが流れ出す。更に石鹸を使ってゴシゴシと洗った。1度岸に出て服を絞り、括ってあった髪を解いて次に自分を洗う。全身泡だらけになった私は、また綺麗になった水の中へとダイブした。
頭まで完全に水の中。少しして目を開けるとフワフワと金色の髪が漂っているのが見えた。真っ直ぐの髪は川の流れを教えてくれるようになびく。上を見上げると歪んだ青い空と金色…懐かしいものを思い出して息が詰まった。
…ってもう限界なだけだわ!!
物理的に苦しくて思いっきり顔を出した。びしょびしょの顔を手で拭いて見上げたそこには……少し焦ったようなチェイスの顔があった。
…無表情じゃないなんて珍しいわね……………。
「きゃーー!!!!」
一気に肩まで水に浸かる。思わず手が出そうになったが生憎手は届かない。左手で胸を隠したまま思いっきり水を掛けた。
スマートに避けられたが。
「な、何でそこにいるの?声掛けるまで待っててって言ったじゃない!」
絶対見られた!絶対見られたわ!
「…落ちる音、見たらアリシア居ない。死ぬ。」
「……え?心配してくれたの?」
「…(コクン)」
「だ、大丈夫よ。ただ少し勢いよく入っただけだから。ありがとう……それよりお願いだから背中向けて…!!!」
私の悲痛な声を聞いたチェイスは素早い動きで元の場所へと戻って行った。
心臓がバクバクしている。本当にびっくりした。理由があれだから怒れないし…上がってから声掛けるのに緊張する。
「…いえ、アリシア、貴女を見たのは8歳の男の子よ。決して髭もじゃ熊さんでは無かった。そうよ。」
…必死に自分に言い聞かせた。
そうして、水浴びの終わった私は岸へ上がりタオルで水気を拭き、タンクトップと短パンという普通の娘ならはしたないと叱られる服を着てチェイスの元へと向かった。
「…チェイス、次どうぞ。」
「…(コクン)」
こんな時元々無口なのってずるいわ。こっちはいつも通りって意識してるのに。
「あ、チェイス石鹸使う?…ってもう脱いでるの!?」
私も岩陰へ入る前に、彼は石鹸をあんまり使わないんじゃないかと思って振り返りながら声をかけたら…もう脱いでいた。不幸中の幸い?彼の逞しい後ろ姿だけですんだ…。
「いえ!振り返らないで!…そう、そのまま。石鹸使ったことある?」
「…あった…?」
「あぁ、ほとんど無いのね。使い方は分かる?」
「…分かる…?」
「…微妙ね。これで頭まで全部洗えるわ。水をつけてゴシゴシ擦ると泡が出てくるからそれを全身につけて擦るの。頭は指を使って…。いえ、もうとりあえず体だけ洗って水に浸かっていて。石鹸貴方の後ろに置いとくわね。」
さっとチェイスの後ろに彼の体を見ないように気をつけながら石鹸を置いた。そしてさっと岩陰へ隠れる。
「もう振り向いても大丈夫!水に浸かったら教えて。」
それだけ伝えると、音を良く聞いてチェイスの行動をしっかり把握した。多分ちゃんと使えてるみたい。
彼が体を洗っている間に私は鞄からオイルを取り出し髪によく馴染ませた。冒険で汚くなってもこうやって洗えた時はちゃんとケアするように気をつけている。…こんなんだけど一応女なのだ。
しばらく経つと近くに小石がコロンと転がってきた。ん?と思ったがこれは彼なりの合図なんだろう。
そろりと岩陰から顔を出しチェイスを確認する。彼はしっかり水に浸かっていた。…でも身長がある所為かな、ギリギリへそ下までしか水位が無かった。
「…チェイス、向こうを向いてくれると助かるわ。」
「…。」
チェイスは無言のままクルリと方向を変えた。注文ばっかりつけて申し訳ない。が、大切なことなのだ。
「頭を綺麗に洗えるやり方教えるわ。」
そろりそろりとチェイスの後ろに近寄って石鹸を手に取る。
「まず、頭を濡らしてちょうだい。」
そう指示すると彼は思いっきり水に沈んだ。そしてすぐ上がってくる。
「…うん、思いきりが良くていいと思う。そしたら石鹸を軽く泡立てて髪の間までしっかり馴染ませるように指を立てて頭を洗うの。貴方は髪が長いから梳くように動かすのがいいわね、ちょっとごめんね。」
泡立てた石鹸を彼の頭に馴染ませる。最初は軽く梳くように汚れを落として次に揉み込むように洗う。
「もう一度水に浸かってもらえる?2度洗いした方が良いみたい。」
決して臭いのする人では無いがやっぱり髪だけは石鹸を使わない所為で重くなっていた。もう一度浸かって上がってきた彼の頭を丁寧にしっかりと洗う。
「これでOK。…なんだか少し髪色が明るくなった気がするわ。洗い流したら服を…いつものやつを腰に巻いてからこっちに来てね。」
洗っている間ずっと静かだったチェイスは軽く頷いて水の中に沈んでいった。その間に私はまた岩陰へ戻る。
今更だが、チェイスが嫌な気分になってなければいいけど。
荷物の片付けをして、のんびりと彼を待つ。
そして少し経って戻ってきたチェイスを見て私は驚いた。
…なんで魚を握ってるの?
その手には2匹の魚。
やっぱり彼はしっかりと野生児だった。