その6、現状把握に努めましょう。(3)
チェイスの後を追ってたどり着いたのは洞窟だった。
それは木や深い草に覆われ見つかり辛い場所で、人が屈んでやっと入れる入り口から奥は真っ暗で何も見えない。
けっこう奥深いのかしら……冒険心が疼く。
「ここってもしかして貴方が昔いた場所?」
「そう」
「お母さんはここに? なんでこんな暗い別の場所にーー」
そう言った時だった。
真っ暗な洞窟の奥から「グルルル……」という何とも不吉な音が聞こえたのだ。
「チ、チェイス? 貴方のお母さん中に居るのよね? 大丈夫かしら……」
いや、大分危ない気がするわこれ。
幸い旅の大きな鞄は背負っている。いざとなれば秘密道具を使って救出を… などと考えていたが、私の考えていることが的はずれだなんて露程にも思ってもみなかった。
「ここ、動くな」
「……はい」
それだけ伝えるとチェイスは洞窟に向かって吠えた。
文字通り吠えたのだ。
「ガウッ」と。
「……え?」
一声だけ吠えた彼を唖然と見つめる。しばらくすると真っ暗闇の中から獣の気配が近づいてくる。思わず身構えそうになるが、チェイスの「動くな」という言葉に縛られて指一本動かせなかった。
そして、ゆっくりと現れたそれは灰色の毛並みを持つ狼だった。
「チ、チェイス! 狼じゃない!」
「そう」
いやいやいやいや、それだけ!?
動くなと言われたから動かずに何とか止まっているが、一人なら鞄の中から秘密道具その二を取り出して逃げ去っているところだ。
大きさは私の膝上あたり。そこまで大きくはないが当たり前に肉食獣である。初めは襲い掛かってくるのではないかと構えていたが、チェイスの背中を見ていると落ち着いた。雰囲気が柔らかい、そんな気がしたのだ。
そしてそれは間違いじゃなかった。
「アリシア、これ、母」
この時またしても順応性の高い自分を凄いと思った。
初めましてアリシアと申します。森で困っているところを息子さんに助けてもらいました。まだ少し滞在する予定なのでよろしくお願いします。
そんな挨拶が出来るわけもなく、私はただ母親に向かってひたすら「グルルル」や「ガウガウ」と普通に会話をしているチェイスの隣に大人しくただ立っていた。
どれだけ経っただろう。狼語を使えない私はチェイスに事情を聞くにも聞けず、それどころか密かな目的、母親に話を聞くなんてことも出来るはずもなく。ぼーっと今日のお昼は何を食べようか……そういえば火のおこし方どうやって知ったのかな……いやそれ以前におかしい事いっぱいだわ。とかそんな事を考えながら入り口に座る母親(ちょこんと座っていてとても可愛い)と仁王立ちで腕を組み喋っているチェイスを交互に見ていた。
そんな時彼と目が合った。
あ、聞くなら今しかない。
「チェイス、話せる事なら何故こんな事になっているのか教えて欲しいんだけど」
そう言うと彼は私の顔をじっと見つめて少し間をおいて教えてくれた。
「……船、置いて、行く。帰る、できない。歩く、崖、落ちる。動く出来ない、狼に会う」
「それがお母さん?」
「(コクリ)」
「……そう、そうなの」
あぁ、やっぱり。
チェイスのたどたどしい話を聞いて最初に思った言葉。
胸にわき上がるのは何故か「悔しい」という気持ちだった。
『船は自分を置いていく』『帰ることが出来ない』
……彼は捨てられたのだ。
子供の時からここにいる時点で何かしらの事情がある事は覚悟していたし、その可能性は一番考えていた。
だけど、本人の口から直接聞くとショックだった。
私は随分と易しい場所で生きてきたのだ。
「アリシア、帰る」
「……もういいの?」
そう言うとチェイスはあっさりと母親に背を向けて歩き出した。
「ちょっと待って! あ、お母さんお邪魔しました!」
洞窟の入り口に座ったままじっとこちらを見ている彼の母親にペコリと頭だけ下げ、走ってチェイスを追いかけた。彼は森に慣れているからとても移動が早いのだ。
ちょっ! なんでそんなに軽々と! これは追いつけないかも……。と思った頃、彼は途中で止まって待ってくれる。
今日発見した、野生な彼の意外なところだ。
「ねぇ、チェイス。お母さんとはもう良かったの? この後用事があった?」
「違う。アリシア、たくさん話す、家」
あぁ、なるほど。
「話してくれるの?」
「(コクン)」
「ありがとう。そうね、家の方が落ち着いて話せるものね」
あの本の事もあるし、こっちもその方が都合がいい。
「じゃあ戻りましょうか」
そう声をかけた時にはチェイスはもう随分先に進んでいた。