その騎士の力量
闇夜の中、無数の剣閃だけが閃いていた。
空を裂き、火花を散らし、闇を劈くような音が支配する。
――この時間を一瞬たりとも終わらせたくない。
力を測るつもりだった者もまた、気づけば戦いを渇望していた。
絡み合うように、求め合うように、焦がれながら切り結ぶ剣舞を永遠に。
「まるで夢物語だ。ほんとうに、」
呟くように、虚空へと投げかけられた声色は歓喜を含んでいた。誰かに聞いて貰うためではない。今まで抑えていた自分の欲望への労いとも言おうか。
幾重もの白き剣閃を、屈み、反らし、翻り、テオは嗤う。
「――ッ!」
「ほんとうに」
稲妻の如く走り抜ける黒い閃光が、
閃くように夜を支配する白刃が、幾度となく呼応する。
鍔迫り合う度、両者はその身に刻むように陶酔していた。
「剣を振るう貴方は、とても美しい」
不意に出たテオの言葉は、逢瀬の末の包み込むような語気を孕んでいた。
孤月を描きながら、答えるように白刃が振るわれる。手首を返し、その想いを黒刃の峰で受けながら、孤月の上に刃を走らせた。
白磁のように透き通る指を目がけて、黒刃が疾駆する。
だが、それを起点にアーウィンは翻り、転回した。流水の如し美しい所作だ。
「……っふ……!」
転回した反のまま、流麗なる全身全霊の一撃が襲う。
鞭のようにしなり、軌跡を描く白刃。テオは辛うじて背中で受け止めるが、背中越しの衝撃を分散できるはずもなく、大きく吹き飛ばされた。骨の軋む音と、激痛から生じる痛みで脳裏に電気が走る。
「かはっ……」と、肺に詰まった空気と無理矢理吐かされてしまう。
極限まで突き詰められた集中の乱れを、アーウィンは見逃さない。
「――はぁッ!」
引き裂くような気合と咆哮は、女性のように透き通るような声だった。
この闘いに終止符を打つかのごとく、白刃が閃く。
刀身から覗く碧眼はどこか寂しげだが、それを切り裂くように、
「終わりですッ!」
海老反りに身体の開いたテオへと、白刃が走る。
甘美な時間を届けてくれた男への感謝と、迷いなき必中の一撃だ。
終わりを告げる一撃。
だが、横薙ぎに払われた白刃は――大きく虚空を裂いていた。
瞬くこともできない、静止した時間の中。
その刹那を動くテオの黒刃だけが、軌跡を描きながら、
「――――ッ!」
アーウィンの首筋に触れた。
甘美な一時に終わりを告げる一撃は、淡泊なものだ。
それを合図にして、張り詰めた空気に亀裂が生じ、割れるようにして崩れ去った。時間にしてそれほど長くはないが、相対した二人にしてみれば何時間と激しい訓練をした後のようだ。
ようやく、共に乱れた呼吸を晒しながら表情を緩めた。
「っ……完敗です。……見惚れてしまいそうな剣裁きでした」
「ふっ……はぁ……いえ、俺の台詞です……ほんとうに、本当に」
共に息を切らしながら、感嘆の声を漏らす。
逢瀬の末、恋慕の情を伝えるように、その声色は陶酔している。
剣を収めながら両手を挙げたアーウィンに、テオもまた剣を下げた。
なんと素晴らしい時間だったろうか。
テオは余韻に浸りつつも、目の前の男を脳裏に刻むべく見つめていると、
「ここで剣を収めてくれたということは、私を狙う賊ではないんですね」
茶目っ気混じりに、アーウィンは微笑んだ。
そんな気持ちは微塵もないと、彼にも分かっていながら。
「テオフラトゥスさん、本当は名のある方とお見受けしましたが」
「いえいえ……そんなことないです。本当に何もないですよ」
勿体ないですね、と呟いた声が風に掻き消される。
余韻を冷ますように夜風が吹く中、アーウィンは手を差し出した。
お互いを認め合う握手だと、すぐにわかる。手を取らない理由はない。
「貴方のような方が居れば心強い。よろしくお願いします」
「……貴方になら護衛なんて必要ないでしょうけど、こちらこそよろしくお願いします」
手を握り、互いに笑い合った。
テオの言うとおり、彼に近接職の護衛は必要ないのだろう。回復手段を持つ僧侶を仲間に、いざとなれば守りながら奮起するつもりだったに違いない。
彼の名前をこの胸に刻もうとした時、テオはふと小首を傾げた。
「アーウィンさんの下の名前って何でしょうか?」
「うっ……」
ぴくり、と一瞬だけアーウィンの肩が震えた。
何のことだろうか、と言わんばかりに笑うアーウィンはその身を翻すと、
「夜風が冷たくなってきましたので、お気をつけて。私はこれで失礼します」
「えっ、あ……」
「ではまた明日。おやすみなさい、テオフラトゥスさん」
言いたくない、という無言の意思だ。
テオの制止しようとあげた手が虚空を掴み、冷たい夜風がその肌を撫でた。
火照った身体に貼り付いた汗が、とても冷える。寒さにぶるっと震わせながら、テオは宿屋の誇りという温泉を思い出そうとしていた。
「……風呂でもいこうかな」
何のために夜の村へ繰り出したのか。貼り付いた汗を流したい一心で、その目的を記憶の片隅にしまおうとしていた。
ご機嫌そうに杖を振り回しながら、闇夜の中を男は嗤う。
膨大なマナと強力なスキルを持て余しながらも、今宵の男は非常にご機嫌だ。下弦の月を思わせる笑みを浮かべながら、男は名残惜しそうにその場を跡にした。