騎士 対 無職
用意された村唯一の宿屋は、民家を改造した一階建てのものだったが、質素ながらも必要なものはそろっていた。
何よりも珍しいことに、天然の温泉が湧き出るとのことだ。店主である腰を曲げた老人が、湯治場を案内しながら唯一の自慢だと小さく笑っていた記憶がある。
その案内を終えると、待っていましたとばかりにリンネが湯治場へと走って行ったのが数刻前の記憶だ。
日没後のネフティー村には、数少ない家屋の窓から漏れる淡い光で照らされている。それ以外の光といえば、満点の夜空に輝く星と月くらいだ。
それでも闇夜の中を歩くには足下がおぼつかないのだが、村の外を出た影は闇と交わるように移動していた。
「この村の近く……何か変な気配を感じたんだけど」
呟きながら、歩くのはテオフラトゥスだ。
微かに感じていのは、鼻孔を通る度に感じた貼り付くような水気だ。彼以外なら、瑞々しい新鮮な空気だと深呼吸していた程度だろう。
しかし、水源が近いにしても重く感じる水気は、自身の体内にあるマナに呼応して蠢くかのようだ。。
(ちょっとだけ歩いてみるか)
外套を翻して、その先へと歩を進めた。
遠く感じる場所だが、全力疾走ならば夜が明けるまでに帰ってこれるかもしれない。
肌寒さを感じながら、「よしっ」と呟いたテオが月明かりを頼りに道を踏みしめるようとした矢先だ。
「テオフラトゥス殿、こんな夜中に如何されましたか」
甲冑を纏い、束ねた金髪を右肩で揺らす者の姿があった。
アーウィンは満点の星空を背に、有名な絵画と想像させるほどの幻想的な雰囲気と、気品に満ちた美しさを宿している。
「ちょっと散歩してました。アーウィンさんはどうしました?」
「夜風に当たりに来ただけですよ、……なんてべたでしょうか?」
アーウィンは、腰の剣を撫でながら冗談っぽく笑う。
ああ、いやな予感しかしない。出会った時から、値踏みするような視線が向けられていたのだ。否が応でも感じ取ってしまうだろう。
これから己を語るべく口論でも始まるのかと身構えるテオだったが、
「よければ、手合わせしてみませんか?」
彼の発した言葉は、その先を踏み込んでいた
貴方の身分は、出身は、そういった口論の末、お互い口を割っていくようなことを想像しただけに予想外だ。
見れば、テオが嫌だというよりも早く、軽い金属音と同時にアーウィンの剣が抜かれた。月の光を吸い込んだ白刃の長剣が、こちらを挑発するかの如く輝いている。
「いやいやいや! 騎士さん騎士さん落ち着いてください! わたしはしがない無職でして、この杖も足腰の弱さをフォローするためのなんですよ!」
「ご冗談を。こちらを捉えてからの貴方の佇まいは、とても素人と思えませんでしたよ?」
リンネが駆け寄ったときだろうか。
慌てふためくふりをしたテオに向けて、アーウィンはゆっくりと剣の切っ先を向ける。先ほどまでの柔和な表情が、スッと消えていく。
「私には敵が多いのです。――もしも剣を取らないのでしたら、少女を連れて明日にでも去っていただけますか」
「……き、緊急の任務だったのでは?」
「そうですね。今まで連れていた方に断られて、急遽依頼を受けていただける方を探していました……。ですが」
私一人でも十分だ、と向けられた剣先は自信に満ちていた。
テオの張り詰めた警戒心が、彼の警戒心にも触れてしまったのだろう。自身に責任がありながら頭を抱えるテオだが、もしも破棄すれば、迷惑を掛けるのはリンネにだ。
意を決したように仕込み杖から黒塗りの剣を抜き、テオも身構えた。
「剣を交錯すれば、言わずとも真意が伝わる。
――父の教えに付き合わせて申し訳ございません」
「いえ、それで満足してもらえるなら」
「ありがとうございます。では――」
テオ自身は戦いが嫌いなわけではない。
むしろ、剣を振っている間は言い様のない高揚感と、身震いしてしまいそうな快心を感じるほどだ。それが長く続けば、という条件はあるが。
口元の端をおさえながら、テオは黒塗りの剣を向けた
「いきます」
交錯する白刃と黒刃が鋭い音を鳴らし、始まりの言葉が耳を駆け抜けるなり、アーウィンの剣先が揺ぐ。
瞬間、一閃。
半身で避けたテオのいた場所に、落雷の如く白刃が振り下ろされている。全ての所作を極限まで消し、鍛えに鍛えたであろう一撃が、彼の全てを物語っていた。
「えっ」
驚愕を含んだ声すらも遅れる。
それを掻き消すように白刃が横薙ぎに払われた。寸前で避け、尚も白刃は追尾し、こちらが一歩引けば、更に踏み込まれる。
息を呑むことも、瞬きすらも許さぬ連撃だ。
「ちょちょちょちょちょっと」
曇りなき白刃が、答えるように輝いた気がする。
凍てつく空気にそぐわぬ呆けた声が、闇夜に吸い込まれていく。
他を寄せ付けぬ圧倒的な剣閃は空を裂き、地を穿つ。
「なんて剣捌きだ……」
常人に視認できるだろうか。頬を掠めた一閃を、穿つような刺突も、砕くような袈裟切りも、全てが視認不可の世界だ。
その視認不可の世界で、テオは歓喜していた。
乾いた喉に一滴の水が弾けた時の如く、彼の乾いた心を潤すように、何度も何度も何度も何度も渇望し、焦がれたそれを与えられたのだから。
――他者と切り結ぶ剣舞を。
「すごいッ!」
白刃の軌跡を喰らうかのように、黒い剣閃が放たれた。
荒々しく振るわれた黒刃を、アーウィンは咄嗟に受けるが、暴風を一身に浴びたような衝撃だ。その衝撃に腕が悲鳴を上げるなり、咄嗟に退いた。
闇夜に溶け込む黒刃が仰々しく笑う。歓喜に、狂気に打ち震えて。
「っ――!」
「すごいすごいすごいすごい」
子供が玩具を振り回すように、四方八方からの滅茶苦茶な斬撃が降り注ぐ。そのどれもが乱暴でありながら、地に足が沈むような一撃だ。
一撃一撃を受け流し、反撃に転じ、それを避けられながらも、追撃に転ずる。
何度も打ち合い、何度も噛み合いながら、どちらかを噛み殺すように黒と白の刃は互いに譲らない。
月下の元、両者の口元には鋭い笑みが宿っていた。
その剣劇に酔いしれてか、魅了されてか、幾度となく鋭い声を響き渡らせながらも二人は踊る。
求め合うかのように両者の剣は合わさり、貪欲に、強欲に、触れあう。
身体の奥底から沸き上がるような高揚を、吐きだしてしまいそうな緊迫感を、互いに感じ合っていた。
この手応えこそが本当の闘いだ。
燃えるような闘志を影に潜めながら、二人の男は未だに踊り狂う。