一緒に、暮らしましょう
「なんでなんでなんでなんでどうしてなんですかあああああ!!」
彼女の涙声を何度聞いただろうか。
リンネはせっかく着た服を乱しながら、子供のようにテオを追いかけていた。
まるで抱きつこうとするかのように、両手を伸ばしながら全力疾走だ。
テオフラトゥスといえば、伸ばした背筋を乱さぬまま、一陣の風の如し早足で逃走していた。
「まって! 待ってくださいよぉぉぉおおおおお!!」
「いやだからパーティを結成してどうするんですか! ぼく仕事ないって!」
「だったら私の手伝ってくださいぃぃ……!」
街の中、二人の男女がいびつな形で走り合う。
そこにはキャッキャウフフといった華やかな光景はなかった。通り道に人こそは多くないが、それでも行く先々で何人かと巡り会ってしまう。
中には、ひそひそと二人を怪しむ姿もあった。
「お願いですぅぅううお金払いますから!! すて……捨てないでくだ、くだしゃいぃぃ」
「誤解を招く発言はやめてほしいなあ!」
よりによって本道に近い場所で叫ばないでもらいたい。
舗装された道を、ぶつかってしまいそうになって謝りながら、それでも捕まってはいけないという謎の闘争本能を燃やしながらテオは走る。
騒ぎに反応したように、こちらを覗き込む視線を浴びながら。
「最近の若い人はいやあねえ……」「あの子が捨てられたらしいわよ」
「あんな小さいのにかわいそうねぇ」
「なんだなんだ、痴話喧嘩か?」 「青春じゃないか」
「あの杖をついた兄ちゃんが悪いんだってさ」「可哀想ですね」
もう嫌だ。声にならない叫びを抑えながら、テオフラトゥス自身の顔を隠すように俯いていた。
それにしてもリンネは足が速い。なるほど、出会った時も華奢な身でありながら逃げられた理由がわかる、と冷静な分析が脳裏をよぎる。
「私にできることなら何でもしますからぁぁあ」
「やめて!」
入り組んだ街を、互いに走り回る。
段差のある道を飛び越え、露店の間を駆け抜けながら、プリンシピオの東に集中してる住宅街に向かう。
気づけばテオはまっすぐとした姿勢を崩して、右手の杖をぶんぶんと振り回しながら逃げていた。
閑散とした住宅街の外観も、他とは変わらない白を基調としている。変わった点といえば、同じような建物が立ち並んでいることだろうか。
談笑する主婦や、干したシーツが日常の生活感を漂わせていて、微かに香る洗濯物の匂いがテオにとっては落ち着く匂いのはずだったが、
「ちょ、もう家に帰るから!」
「納得するまで帰れませんんんんんんん!」
なおも追いかけあっていた。
テオの家は、すぐ近くだ。
石造りの階段を駆け上がった先、五階建ての白い煉瓦造りの家の一階にスペースを借りている。
少し離れた位置にいる彼女だが、この距離は追いつけないだろう。テオは懐から鍵を取り出すなり、流れるような所作で自室のの木造扉を開け、
「僕はたまにギルドの酒場にいるから……また会おう!」
勢いよく閉めた。
バタン、という大きな音と木の軋む音が響いた。
ようやく、ふぅ、と小さく息をついたテオを迎えてくるのは嗅ぎ慣れた自室の匂いと、テーブルの上に乱雑した書類、そして――
「いいお家ですね! あっ、でもでも机の上はちょっと荒れてますね」
「ああ……最近はいそ……って、どこからっ!?」
扉の向こうで隔絶したはずのリンネが、楽しそうに部屋の中を見回していた。
窓は閉まっているし、すぐに扉を占めたはずなのに、なぜ目の前の少女は可愛らしい笑顔でそこに立っているのか。
さも当然のごとく入ってきた少女に、テオは驚愕の色を隠せなかった。
「えっとリンネさん……男の部屋に一人で……」
「きゃーきゃー! 私、男の人の部屋に初めて入っちゃいましたよー」
照れ照れ、と上気した頬をおさえて姦しく叫ぶ。
帰りなさい、と言えない。
「いや、だから……」
「これはもう、えへっ……責任をとってもらうしかないですよねー……?」
チラチラとこちらを見た少女に、可愛らしさと小憎たらしさが混ざっていた。
こちらの言葉など消えていないかのように、彼女は照れくさそうに笑いつつも口の端を釣り上げている。テオこそ、人間を招き入れたのは初めてだ。
「ま、満足したら、君の家まで送り届けてあげるよ」
「送り狼ってやつですかー?」
キャーキャーと喚く彼女が小憎たらしい。親しい中なら、その薄く上気した頬をつねっていただろう。
「お構いなくですよ、頷くまではここで待ってますから」
豊満な胸を強調するためではなく、彼女は胸を張ってそう言った。
そして、ここを動きませんよと言わんばかりに座り込んだ。
――強固な意志を感じる。
先ほどまでの逃走劇にテオフラトゥスは心が屈してしまったのか、はたまたこの少女に言葉は通じないと思ってしまったのか、諦めるように小さくため息をついた。
「こ、ここまで頑固な人は初めてだよ」
「すいません。でもでも、私だって初めてなんですよ! テオさんとならうまくやっていけると思ったんです」
ぷくーっと頬を膨らませた少女は、意味深に発言したが実に子供っぽい。
時折見せる仕草が愛らしく、守ってあげたくなるようだ。
ここまで連れてきてしまった責任、という免罪符がテオにはある。
職に就くことに嫌悪感はあったが、誰かと行動するのが嫌いなわけではない。
もしかしたらこれは良い機会なのだろうかと、覚悟を決めたようにテオは肩の力を解いた。
その空気を感じ取ったのか、リンネの顔もまた花が咲いたように笑顔へと変わる。
「わぁ! ではでは、あらためてお願いしますね」
「……うん。あんまり協調性のある人間ではないけど、僕も頑張ってみようかな」
今日から新しい友達ができる。
テオにとって友人は指で数えるほどしかないが、その中でも女の友人は初めてだ。
思わず、胸が高鳴ってしまう。
彼女とのパーティー活動が、少しだけ楽しみで――
「一緒に暮らしてください」
「うん、僕もこれからよろし…………え?」
――クラス、……繰らす? 暮らす? 同棲?
「はいっ!」
「いや、いやいやいや違っ!」
流されるままに頷いてしまったテオがいた。