夕暮れと終わり
「テオさん!」
「……大丈夫だった? ふぅ」
ここまで全力で走ってきたテオは周囲を見渡しながら、呼気を整えていた。
影と思わしきものは焼き尽くされ、残骸のような黒い煙が空に消えていく。
「リンネにアミティエも怪我がなくてよかった」
「おかげさまです! ついさっきあの変な影が現れて……なんだったのでしょうか」
「今、ラントバリの周辺にモンスターが現れてるんだ。その影響かもしれない」
しかし、不可侵の村にどうやって入ったのかは分からなかった。
周囲を見渡していたテオに、湖の方から、打ち付けられたエレスが歩み寄ってくる。最初に出会った時のように、お淑やかな笑顔だ。
「私達の危機に颯爽と現れてくださるなんて……さすがは旦那様ですわ」
「……エレスも元気そうでよかったよ」
軽く流されて、「ひどいですね」とエレスやや不満げに目を細めた。
吹き飛ばされた彼女だったが、目立った外傷は見当たらない。
だが実際には打ち付けた背中が痛く、やせ我慢をしているのであった。
「……あら?」
「どうかした?」
その時、不思議そうにエレスが小首を傾げる。
こちらを覗いてくるテオフラトゥスに、あのときのような英雄の匂いが感じられないからだ。
代わりに、甘い華のような香りがする。
それが女性の匂いだと理解するなり、エレスは本能的に嫉妬を覚えていた。
「浮気者ね」
「え? う、浮気? どういう意味で……」
そんな彼女の気持ちをテオが知ることはできなかった。
その時、ドンっとテオは腰に伝わる衝撃に振り向く。
見れば銀色の髪の毛――アミティエが、絡みつくように抱きついていた。
「アミティエも無事で良かった。肝心な時にいなくてごめんね」
「……ん”」
「あ痛たたた」
そのままギューッと万力で抱きしめられて、テオは笑いながら少女の頭を叩いた。実際にはそれほど痛くもなく、微かに震えた少女に愛おしさすら感じる。
テオにも見えていたが、後一歩のところだったのだ。
リンネが杖から放った光線のようなものが無ければ、間に合わなかったのかもしれない。
「リンネ、さっきのは……魔法?」
「テーオさん、私も寂しかったんですよー」
質問を無視して、アミティエとは逆方向にリンネが飛びつく。
両手に花の状態になったテオだったが、自然と悪い気持ちはせず、苦笑しながらもそれを受け入れていた。
「まぁリンネもありがとう、ちゃんと守ってくれて」
「おお! テオさんに褒められました」
そんなに褒めたことはなかっただろうか、と考えて、テオは確かになかったことに気づいた。
そもそも、これまでは彼女のストレートな表現に対して適当に流していたはずだ。その小さな心境の変化に、今ふと気づいていた。
水の精霊様が、自分の汚れた心でも浄化してくれたんだろうか。
そんな風に考えたのもテオらしくはなかったが、やはり小さな変化だった。
「今のところ、さっきのモンスターが固まっているところは見てないから……多分もう大丈夫だとは思うんだけど」
「ひどいわ旦那様、もう行ってしまうんですか」
「うっ」
確実に大丈夫とは言えず、とテオは狼狽える。
そんな困り顔を見て満足だったのか、エレスは可笑しそうにクスクスと笑うと、普段通りの雰囲気で肩をすくめてみせた。
「いいわよ、行ってきなさい。いざとなれば私達は世界樹の中に隠れるから」
「……その中は安全なの?」
「唯一、過去の崩落で滅びてない堅牢な城よ」
英雄譚でエレスが言っていた崩落から、あの巨木は現存していたという。
それほどまでに強固なのだと、エレスは慎ましい胸を張って誇っていた。
「それじゃあ、悪いけど行ってくるよ。ラントバリの方も心配だから」
「ええ、こっちは気にせず行ってきなさい」
エルフの族長様のありがたい送り出しに、テオは笑って応えた。
ラントバリだけじゃなく、迷宮内の兵士達も放っておいたテオには心配事がたくさんだ。
「二人とも」
指名されたリンネとアミティエが反応する。
また、ここに残ってくれと言われるのだろうか。
「一緒についてきてくれる? 大丈夫、命にかけても守るから」
だが、テオは二人を迎え入れていた。
予想に反して歓迎された二人は、てっきり断られると思ったのか目を丸くしていて、振り返ったテオに不安の色が浮かんだ。
「あ、嫌なら待っててもいいんだけど」
「いえいえいえいえ、行きますよ! 私はテオさんを地の果てまで追いかけますから」
「……着いていくよ」
どこか斜に構え、どこか一歩引いたテオが招き入れたのは、二人にとって違和感を感じたものだったが、嬉しさも感じていた。
そうしてリンネは強く彼を抱きしめるのだが、それに関してはテオも苦笑していた。豊かな胸の感触には慣れていないらしい。
根本的には変わっていないのだとリンネも安心し、また笑った。
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エルフの村を出た一行が、草原を進み、ラントバリに近づいた頃。
またもあの街は喧噪に塗れているのだな、とテオは遠くを見ていた。
ラントバリ城門には、一面氷がびっしりと貼り付いている。
そして城門上では兵士達が雄叫び、喝采し、城門に立つ人物に向けて歓声を送っている。
「ぷっ……」
「? テオさんどうしたんですか?」
「い、いや」
正門の下、右腕で剣を掲げたステラ。
歓声に応えるように、勝ちどきを上げていたのだろう。
その腕に、フィンブル。
歓声の中にある英雄様は、どこか不満げに、そして恥ずかしげに顔を覆ってる。
その光景が面白くて、テオは吹き出していた。
同時に、フィンブルという人間が少し分かった気がしていた。
恐らくその見た目や立ち振る舞いで誤解されがちだが、彼自身悪人ではないのだろう、と。
「どうやらモンスターは退治されたらしい。無駄足だったね」
「そうなんですか? でも安全になったなら良いことですよ」
「そうだね」
今日は動きすぎた、とテオは体操するように肩を回す。
歓声の先に歩いて行きながら、すっかり夕焼けに沈んでいく空を仰いだ。
そして城門の下に歩み寄った一行を迎えたのは、最初に気づいたステラだった。
「テオフラトゥスさん、お疲れ様です。リンネさんにアミティエさんも一緒でしたか」
「私達はなにもしてませんけどね……」
「……うん」
「でしたら、ご無事で何よりですよ」
剣を戻したステラが柔和に微笑む。
ステラが一番体力が有り余ってるように見えたが、彼女も迷宮に入っていたはずなのだ。その底知れぬ体力に、テオは心の中で驚いていた。
「そういえばステラさん、まだいる兵士達は」
「フィンブル様の師団長がいるので大丈夫かと思いますが、私がこれから見てきますよ」
「あ、じゃあ俺も……」
女性一人に任せるわけにはいかないと前にでたテオを、ステラが制する。
「テオさんはゆっくり休んでてください。よければ、街中の護衛という名目も兼ねて……」
「……ああ」
ステラの目線が、まるで項垂れたように担がれたフィンブルに向けられる。
マナを使い切った彼は、どうやら限界らしい。
それでも城門一体のスライムを氷らせた彼の魔力は化物級だ。
「わかった。じゃあ任せるし、任されたよ」
「ええ、お願いします」
テオとステラ。お互い頷いて、小さく笑い合う。
そしてステラは城門を見上げるように仰ぐと、ぽつりと呟いた。
「今日のラントバリは騒がしくなりますね」




