不足した敵勢
「よしよし、ありがとうなスイ」
テオの感謝に応えるように水竜は空を舞う。
気流に乗って滑空したかと思えば、喜びを表すように双翼を激しく羽ばたかせて上昇したりと乱暴な飛行だ。
テオは投げ出されそうになりつつも、スイのたてがみを掴んで、殴られるような風を感じていた。
「さて、もう一つだけ……ちょっとだけラントバリ上空を走ってもらえる?」
「ォ――……?」
「えーっと、……あっち行って、こっち戻って、またあっち行って」
「ォ――!」
水竜のたてがみを操縦席に見立てて、テオは螺旋を描くようにぐるぐると回しながら説明してみる。
それを理解したのか、スイは頷くなり、再び気流の中へ添うように滑空していく。
本当に賢い子だ。
見れば見るほど可愛くなってきた水竜を愛おしげに撫でながら、テオは締まりのない表情を浮かべていた。。
「どこぞの女神様と違って良い子だぁ……」
『すっごく失礼かしら。でも女神様と謳ったのは評価してあげるわ』
テオは軽口を叩きながら、慧眼を発現してラントバリを見渡していく。
滑空している最中、見開いた眼に暴力とも言うべきか圧縮された空気がぶつかっては拡散していった。乾き、涙が潤むが、テオはそれでも周囲を見渡している。
「ウンディーネ……確か門番は10体いるんだよね」
『ええ、この辺りかしら……不規則に配置していたはずよ』
「……スライムは一体としてカウントだよね」
スイ、洞穴の影、今さっきの水竜、そしてスライム、さらに二日前のスライムを追加しても後5体は足りない計算だ。
『ここ数年の話だけど、誰かさんがマナを人工的にいじってるじゃない』
「……うん?」
『その影響かしら。捕食者もやけに小さいわ……もしかしたら10体も出ていないのかも』
「捕食者って、ああ、あのスライムか」
ウンディーネの言う通り、不完全なまま現れた可能性があった。
顎を撫でながら、思案するようにテオは下を覗き込む。
やや陽が落ち始めた空は、青と橙の層を神秘的に映している。上には深い蒼穹が広がり、下は夕焼け色に染まる世界の中、ラントバリに影を落とすように水竜が旋回している。
ラントバリからは、先ほどの光景は仲間割れのように見えたのか、救世主のように見えたか、どちらとも言えない状況だった。
救いに喜ぶ者もいれば、新たな敵だと恐怖する者もいる。
とりわけ城門を這うスライムに対応していた兵士達が、なお絶望に打ちひしがれているようだ。
「とりあえず……」
思案していたテオは、スイを撫でながら地上を指す。
「いったん降りておこう。スイ、なるべく遠く、……そう。あっちのほうに降りてくれるかな」
これ以上、ラントバリが喧噪に満ちては困るとテオは降下を指示した。
思案していた中には、空からど派手にスライムを狙ってもよかったのだが、城壁まで崩しかねない。こんな時にフィンブルを連れていればよかったのだが、彼もまたマナが尽きたところだ。
どうしたもんか、とテオは風を浴びながら地上を見る。
洞穴――元来たダンジョンの方へと、水竜は翼をざわめかせて降り立っていった。
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同時刻、エルフの村。
夕焼けに沈んでいないエルフの村は、ラントバリと逆に静寂を保っていた。
世界樹の木漏れ日によって注目を浴びた湖の中央で、人影が踊る。
どこから現れたのか、望まれない侵入者は上から下まで漆黒に染まり、底の見えない双眸の奥には赤い光が宿っている。
感情も見えなければ、その意図も見えない。
だが、ひどく不気味だ。
湖畔にて見守っていたエルフ達にも動揺の声がわき始めている。
それを聞いて、族長であるエレスは叫んだ。
「皆、世界樹の中へ。あの者とは私が対話を試みます」
そう宣言したはいいが、言葉が通じる気配はない。
エレスに仕える者達が避難誘導していくのを見守りながら、一抹の不安を抱いた。
その後ろから、少女――リンネがおずおずと杖を握って現れる。
「エレスさん、私も手伝います……!」
リンネのいう手伝うとは、最悪の事態だ。
あの人影がモンスターの類いであり、外の世界のように襲い掛かってくるのであれば対処せざるを得ない。
ここ最近では考えられない、テオフラトゥスが居ない事態に不安を感じるリンネだったが、毅然として立ち向かおうとしている。
「ありがとう、でも大切なお客様だから下がってなさい」
「……いえ、私だって冒険者の端くれです。いきますよ」
「危ないから下がっていなさい。貴方もよ、お嬢さん」
エレスの言うお嬢さんとは、隠れるようにリンネの後ろに立つアミティエだ。
テオフラトゥス一行に加わってから、少しばかり肉も付き、艶も増したことに違いはないのだが、それでも繊細なパーツで出来た人形のような少女である。
だが、アミティエも引かなかった。
「……魔法、使えるから」
アミティエは両手を広げるなり、彼女の真下にあった土が小さく隆起した。
だが、その程度の初級魔法だ。
逃走する際には、簡易的なトラップのように使えたのだが、目の前の影からすれば効くか効かないか以前に水上に立っている。
「おおーティエちゃん魔法使えたんですね!」
「……あなた達ね」
和む二人とは対照的に、エレスはため息を吐いていた。
未来の旦那から客人を預かった以上、彼女らに傷をつけるわけにもいかない。彼女らを厳しい態度で引き離し、安全な場所に行かせるのが族長としての役目だ。
だが、エレスはエルフとしては幼かった。
人間で換算すると、13歳にして族長の役目を継いだ。
歳こそは人間より上だが、なによりもこの平和な地で問題が起こることはなかった。
つまるところ、エレスは初めての問題に直面して臆している。
震える足に鞭打ってみたはいいものの、その内面では息が詰まるような緊張の糸が張っているのだ。
そんなエレスからすると、誰かがいるというのは心が落ち着いた。
「リンネさんも魔法を使えるの?」
「はい、回復魔法なら任せてください。それに」
快活そうに宣言し、リンネはぐいっと前に出る。
前髪のかかった目を光らせるなり、彼女はテオのように杖を胸元に掲げて、にやりと笑った。
「前線だっていけるんですよ!」
そう言って、女性らしい細腕を突きつけて勇敢そうに叫ぶ。
エレスは先ほどの言葉を撤回したい気分だった。
とても、頼りない。
「……わたくしが行きます。もしも戦いになったら、援護をお願いしますね」
「ええっ……は、はぃ」
それを完全に流されてしまい、テオのようにはいかないんだと肩を落とした。
影と交渉すべく歩いて行くエレスの前に、当然のこと湖が立ち塞がる。
しかし、エレスは気にもとめずに歩を進めると、やがて水面に触れるなり、その足下が淡く輝いた。
『世界樹の加護』
エルフ特有の、奇跡のような魔法と言えぬ魔法だ。テオフラトゥスの万象放擲のように、先天的に備えている能力の一つ。
彼女らは世界樹の下にあれば、水面を歩くこともできるし、その細い体躯で世界樹を這い上がることだって可能だ。
その保護が届く限り、エルフには様々な恩恵がもたらされる。
「す、すごいですね。私もいけるんでしょう……かぁ?!」
エルフ限定の能力を知らず、水面に足をつけようとしたリンネが飛び跳ねる。
彼女にはその加護が適用されていない。
水を嫌う猫のように飛び出したリンネ達を傍目に、エレスは影の方へと歩を進めた。
「貴方は何者?」
水面の波紋に、ぴくりと影が揺れる。
だが、言葉は返ってこない。
「この地に、どうやって足を踏み入れたの?」
「――」
影は口をつぐむ。そもそも言葉を発せられるのだろうか。
「貴方に敵対する意思はある?」
「――――ぅ」
「……?」
歩み寄るのをやめたエレス。
影は波打つ湖を見つめながら、消え入るように、そして兜の中で反響するようなくぐもった声を発した。
「――マナを、無くす」
低い男の声が、静寂を走った瞬間。
影を中心とした円形状の水が、爆発するように噴き上がった。




