水の精霊
まるで夢を見るように、様々な光景が広がっていく。
テオフラトゥスの前世の記憶を、誰かに話したことはなかった。
それは不鮮明というのもあれば、夢妄想と言われそうだったからだ。
だが、今、ハッキリと実感していた。
自分は前世、確かに地球という世界に居たことを。
そして自分は死んだわけでもなく、この世界に転生したことを――
「はっ……」
微睡みから醒めるようにして、覚醒したテオは力なく膝をついた。
今の光景が信じられないものだったかのように目を押さえながら、周囲を見渡していく。
『……あなた、随分と変な過去をもっているのね』
少女――ウンディーネが驚きながら見下ろしていた。
彼女にも記憶が見えていたということだろうか。
ふらつく足に鞭打ちながら、テオは立ち上がった。
「今のは……君が見せたのか?」
『ちょっと覗かせて貰ったの。大丈夫、あなたが見たもの以外はみてないわよ』
「なんで俺は……この世界にいるんだ……」
現実世界の自身はどうなってしまったのか、テオは必死に記憶を探る。
しかし、答えは出るはずもなかった。
『わたしにもわからないけど……』
思案するテオに、ウンディーネはばつが悪そうに呟く。
そんな少女の肩を、テオは凄まじい形相で掴んだ。
「なあ! もしも記憶が見れるなら、もう一回見せてくれ! 俺はなんでここにいるのか知りたいんだ!」
『いぃっ……!? し、しらないわよ! わたしが見られるのはあそこまでよ!』
「そんな……」
ウンディーネの言葉に、テオは再び崩れ落ちる。
だが、少女にはなぜ彼がショックを受けているのかわからなかった。
『あなた、すごい力を持っているんでしょう? ならどうして悩むの? この世界を楽しめばいいじゃない』
見たところ深い関係の人が居なさそうだし――と言おうとして口を結んだ。
だが、テオからすれば問題はそこではなかった。
「……俺は、唯一のじいちゃんを置いてきたってことだから……」
『あー』
テオの言葉に、少女はその先の言葉を言えないでいた。
「じいちゃん一人残して死ぬなんて……いや、消えたのか」
『えーっと』
いくら悩んでもどうしようもないことが、テオは感情の行き場を無くしている。
今の自分の存在を否定しながら、地面を叩く。
その時、おずおずと、あわあわと慰めるようにウンディーネがその肩を撫でた。
『ほら、まだ死んだかはわからないじゃない! もしかしたら、そのおじいちゃんだって転移してるかもしれないわ!』
その時、テオは少女の言葉にハッとした。
「転移……?」
真下の魔方陣を見てみる。
先ほどの出来事を思い出して、テオは問いかけた。
「この魔方陣、初めて見たけど……転移とかできるのかな?」
『……? 知ってて発動したんじゃないの? まぁ、そうだけれど』
「じゃあ……」
もしかしたら、これを使えるかもしれない。
使えるかもわからない魔法陣が、希望の光のように映ってしまう。
テオは力強く立ち上がるなり、少女に詰め寄った。
「この魔方陣について教えてくれないかな!
『……いや、わたしは知らないけど』
「……」
テオの目的は、日本に転移することだ。
もしも死んでいないというのなら肉体に帰れるかもしれない、と思っていたが、一瞬で希望が絶望へと変わってしまった。
「そんな……ばかな……」
『わたしが生まれた頃には、この魔方陣はあったから……』
「……終わった」
またか、と少女は頭を抱える。
何か彼を慰めるようなことはないかな、と記憶を巡らせて、少し経ってから少女はぽんっと手を叩いた。
『もしかしたら、わたしより昔から生きてる土竜のおじさまなら知ってるかも』
「も、もぐら?」
『そっ。ずっと昔から生きている、土の精霊よ……ちょっと怖いけどね』
土竜が怖いと言われて、テオは小さく首を傾げた。
「なにはともあれ、その人なら知っているかもしれないのか……」
『そうよ』
「よしっ……じゃあちょっと場所を教えてくれないかな」
『知らないわよ』
「えぇっ……」
がっくしと肩を落としたテオに、少女は吐き捨てる。
貴方が悪いのよ、と言わんばかりに少女は怒っていた。
『あんたらが崇める英雄様に聞きなさいよ! あいつのせいで散り散りよ!』
ぷんぷんと頬を膨らませながらウンディーネはそっぽ向いてしまった。
やはり人間の世界でいう英雄は、彼女らにとって不評のようだ。
今度はテオがなだめるようにして、少女に優しく問いかけた。
「えーっと、なんかごめん。でもよかったら、何か思い出せないかな……」
テオの言葉に、つんとした精霊は「むー」と顎をあげた。
その若々しい態度と幼さが相まって、テオのイメージする精霊とは違って見える。
『そういえば、精霊の住む場所には多くの人間が集まってるって聞いたわ』
「人が集まる……そういえば、ここもラントバリに近いな」
『そういうことね。精霊の住処の特徴かしら』
「なるほど」
ここの他に人が集まるといえば、王都アイズシュテットだろうか。
だが人口で考えれば、プリンシピオの街も多いし、スキューヴォは世界一の人口だと聞く。
「けどアイズシュテットに伝わる英雄譚なら、その近くにあるかもしれない……」
呟きながら、テオは気合を入れた。
ステラの依頼で王都アイズシュテットまでは行くのは確定事項だ。
ならば丁度良い、と。
「ありがとう、ウンディーネ。君のお陰で色々わかったよ」
『いいのよ、その代わりわたしもついていくから』
「え?」
振り返ったテオに、ウンディーネと言われた少女が迫っていた。
『わたしもおじさまに会いたいから、しばらく着いていくわ』
「……その見た目で?」
『貴方なかなか失礼かしら!』
怒声と共に、少女はテオの胸に飛び込んだ。
慌てながらもそれを支えようと差し出したテオの両手が――すり抜ける。
「えっ」
その瞬間、少女が吸い込まれるように、テオの中へと浸透していった。
水に濡れたような奇妙な感覚だ。
驚きに目を見開くテオが体に触れてみても、濡れた形跡はない。
「ど、どこに……」
『貴方の中よ』
今までの低い声の男と変わるように、頭の中に高い少女の声が響く。
『ここから貴方のこと見ているから、よろしくね』
「そういうことか……」
少女の茶目っ気ある声に、テオは苦笑しつつ体を翻した。
あまり嬉しいものではないが、ウンディーネに聞きたいことは山ほどある。
テオは魔方陣に触れてから、外の事を思い出した。
「そういえば、外では水のマナが暴走しているんだけど心当たりはある?」
『……? わたしは何もしてないわ』
「そっか、とりあえず元の場所に戻ってみようかな」
この魔方陣にマナを与えればいいのだろうか。
そうテオが思った時には、魔方陣は淡い光を放ちはじめていた。
「すごい魔法だな、これ」
『わたしからすれば、貴方の方がへんてこな能力を持ってるわよ』
少女の横合いを受けながら、テオの体を光が包み込んだ。
不思議な浮遊感。
それを感じた頃には、テオの影がそこから消失していた。
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瞬き。
すると、世界は再び形を変えていた。
石造りの祭壇の天井に立っていたテオは、浮遊感から目が覚めて大きく背を伸ばす。
だが、テオを迎えたのは叫びだった。
背後からの轟音と、複数の悲鳴。
それに反応したテオが振り返ってみると、
「はっ……? ドラ、ゴン?」
テオの記憶にある竜と呼ばれる存在の背が、眼前に広がっていた。




