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異世界でただ独りの無職称号《ノービス》  作者: 東雲部長
Episode.2 ラントバリ防衛戦
29/44

街道に蠢く青いもの

 いつまでも太陽が昇っていそうなエルフの村にも、夕暮れは訪れていた。

 世界樹の葉から溶け出す茜色が、その下の世界を刻々と染め上げていくようだ。

 

 テオ達一行もまた、多くのエルフ達に囲まれながらその夕空の下にいた。

 見送るエルフの1人――エレスはやや演技混じりに瞳を潤わせて、焦がれるように両手を伸ばしている。  


「本当に行ってしまわれるのですね。寂しいですわ」


 エレスの調子に合わせて変わる口調に、テオはもう苦笑を漏らすだけだった。

 世界が黄昏に沈む中で、絶世の美女が求める姿はなんと幻想的だろうか。

 しかし、今度は騙されまいとテオは受け流すように答えた。


「俺たちはしばらくはここにいるので、また会えますよ。それに先ほど話したマナについても調べてきますから……」

「今度の食事にはとびきり強い睡眠薬を入れておきますので、安心してまたいらしてくださいね」

「……それはもう来るなっていってるのかな?」

「いえいえ、次は逃がさないから覚悟しなさい、という意味ですよ」


 苦笑するテオに、エレスは悪戯っぽい微笑で返していた。

 友人同士とは言いがたいが温和な雰囲気だ。


「……」


 その雰囲気を妬ましく思うリンネだった。

 しかし、彼女もそれを邪魔するほど無粋ではなく、嫉妬に身を焦がしている様子だ。


「それじゃあ俺等は行きます。えーっとなんとかの薬草とかありがとうございました」


 そう言って頭を下げたテオの手には、依頼通りの薬草が入った布袋が握られている。とはいえ、やや大きめの布袋にはリンネが好んだアマリブドウの割合が大きい。

 重みを確かめるように持ち直してから、テオはきを返した。

 隣にいたアミティエも、未だに眠そうな目をこすりながらフラフラとその後をついて行っている。

 

「エルフの村はいつまでもあなた方をお待ちしていますよ」


 優しい語調で、エレスがその背を送る。

 数百年ぶりに訪れた来訪者を見送っていたエレスと、その周りのエルフ達はどこか寂しげだ。

 つい先刻までの不安げな眼差しは消え、噂するように囁き合っていた声色もやや明瞭になっていた。

 


 村を出たテオ達の帰路に立つのは、エルフの村とは違う雰囲気の洞穴だ。

 改めて見ると、深い闇が続く洞穴は禍々しく不気味である。

 足を踏み入れれば、湿った風がテオ達を追い出すように吹き荒れ、ヒューヒューとけたたましく騒いでいるようだ。

 しかし、すぐに最初にみた大岩らしきものが見えてきた。

 その岩にテオが触れてみると、やはり感触はなく、そこに何もないようにすり抜けている。


「これは……どういう原理なんだろう」

「すり抜けるなんて不思議ですよね」


 同意したリンネも石に触れようとしたが、やはり触れることはできないようだ。

 テオ達は大岩の中を歩くという不可思議な現象を体感しながら、その洞穴を飛び出すようにして出て行った。

 真っ先に目に入ったのは、木々の先に広がる夕焼け色の草原だ。


 柔らかな陽光が包むエルフの村がオレンジ色なら、この草原は夕焼けを前にしても視認できる鮮やかな緑色だ。

 テオ達を出迎えてくれるのは、遠く向こうにそびえるラントバリの門。

 ――そして周囲に点在している兵士と、青い巨体。


「ん、んん?」


 そんなものはあったかとテオは自分の目を疑ったが、緑色の草原には見慣れないものがいくつも混然としていた。

 甲冑に身を包む兵士と、杖を構えた魔導士。

 彼らが取り巻くのは、頭一つ大きい青色の流動体だ。

 ぷるぷると巨体を波打つ流動体は青い水の塊にしか見えないが、テオの記憶の中にはそれと似たようなものが存在していた。 


「テオさん……あれはなんですかね……」

「スラ、イム?」


 リンネの疑問に、テオはその正体の名を口にした。

 しかし、テオの記憶にあるスライムよりは遙かに大きく、透き通った青い体には核と思わしきものが見られない。


「スライムっですか?」

「なんかこう、うにょうにょーってしてる生物なんだけど、触れた生物を溶かしちゃう生き物、かな?」

「すごく強そうですけど……それがあんなにいるっていうのは……」


 リンネの言うとおり、そのスライムと思わしき物体が見渡す限りに存在していた。

 あるところでは兵士が斬りつけていたが、スライムの切断面から伸びた粘液が引き戻り、何もなかったかのように結合している。

 ある兵士は身の丈ほどあるハンマーで叩きつぶしていたが、破裂したスライムの一つ一つが新たなスライムとして分裂しているようだ。


「強いイメージってのはなかったけど……斬ってもくっつくし、潰しても分裂するし、えげつないのかも……」

「ええ! それなら私達も逃げましょうよ!」


 ――そもそもどうしてこうなっているのか。

 周囲を見渡せば、穏やかな雰囲気など一つもなく切羽詰まった様子だ。

 喧噪の中で戦うのは兵士達だけではなく、一つの小隊で動く騎士達に、軽装に身を包むのはギルドの傭兵者達だろうか。


「アミティエ、リンネ、なるべく離れないでね」

「はい……」

「うん」


 テオは杖を身構えながら、ラントバリへと続く経路を探った。

 唯一、スライムに致命傷を与えているのは練度の高い魔導士だけのようだ。

 他の者達は言わば盾役で、魔導士の放つ炎魔法を受けたスライムだけが行動と再生を停止している。

 魔導士のいない自分たちに不利な相手とくれば後は逃走のみ――とテオが考えていた時、


「テオさんテオさん! あそこの人が!」


 リンネの声が、喧噪の中に響いた。

 彼女が指を差した先、草原の中心にいたスライムの中で溺れたようにもがき苦しむ兵士の姿が見える。

 溶かされる様子はないが、逃れられない水の中に引きずりこむのは十分にえげつない。


「ちょっと行ってくるから待ってて!」


 脱兎の如く駆け出したテオは、スライムに絡まれる兵士の下に向かっていた。

 テオは魔導士のように炎魔法で蒸発させることはできないが、膨大なマナはその身に有している。

 兵士にまとわりつくスライムに杖の先端を軽く触れた瞬間。


「うまくスライムだけ――万象付与エンチャント、スポンジっ」


 スライムが吸い込まれるように杖に引っ張られていく様子は、スポンジというよりは掃除機のようだ。

 巨大なスライムは、杖を、そしてテオの体へとその寄生先を変えていく。

 

「うわっ……なんか生ぬる……がぼっ」


 瞬く間にスライムに包み込まれて、テオの言葉そこで途切れてしまった。

 ――思いの外生温く、気持ち悪い。

 不適に笑うテオの傍で、代わるように吐き出された兵士が咳き込みながらも剣を構えようとしていた。


「がはっ、げほ……き、きみ! すまない……今、助ける」


 息も乱れた兵士だが、自身を助けてくれた少年を見過ごすわけにはいかないと勇ましく叫んだ。

 しかし、兵士の誇りを宿した剣もスライムには意味をなさない。

 その姿を見たテオは両手を挙げ、「大丈夫」と無言のジェスチャーを送るとそのまま魔法を唱えた。


 たちまち深紅の光がスライムの中から爛々と輝く。

 魔法として放てば、業火の渦が立ちのぼるであろうマナを――


(効けばいいけれど……万象付与エンチャント、リプカ・ブレイズ)


 その全てをスライムに付与する。

 しかし、深紅の光がスライムの水色に溶け出していくものの、数瞬しても目立った変化は起きない。

 魔法が失敗したのか、と再び剣を構える兵士。

 だが、向かい合ったスライムが突如蠢きだした。


 ――ッ! ――ッ!

 スライムの巨体が跳ねる度、空気を、微かに地面をも震わせる。

 暴れ出したスライムが声にならない悲鳴をあげているようだ。

 すると自身の異常から逃げ出すように跳ねたスライムが、あっさりとテオから離れるように飛び出してしまった。


「うへっ、ぺっぺっ……口に入ったけど大丈夫かな……」

「お、おお! 君大丈夫だったか!」


 舌を出して不快感を示すテオに、兵士が嬉々として駆け寄る。

 兵士にはスライムが逃げ出した理由はわからない。

 しかし、目の前の少年は命の恩人とも思えるべき存在だ。

 ふと目をやれば、スライムは苦しむように湯気を立ち上げて土に還ろうとしていた。


「スライムの中が熱湯になるとか覚悟してたけど……、勝手に離れてくれて助かった」


 液体として地面に溶けていくスライムを見つめて、テオは吐き捨てるように呟いた。

 テオの想像する低レベルなスライムと違い、厄介な敵だ。

 その横で驚いていた兵士は、自分の恩人であろう少年に感謝の意を示していた。


「助かった。君はギルドの団員かい?」

「はい。ですが山の中で薬草を採っていて……実は現状がわからないんですが……これは一体?」


 ――嘘は言っていない。

 テオの質問に、フルプレートの兵士は肩をすくめた。


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