身請けした無職の男
夜明けを告げる鳥の声が鳴り響く。
音もなく昇った太陽が明るさを広げ、穏やかな朝を迎えた頃だ。
干し肉を囓っていたテオは、その太陽の位置を見てから、仮眠を取っていたステラと、簡易宿で眠る二人を起こそうと腰を上げた。
「やばっ……食べ過ぎたかな」
一日中囓っていた干し肉を飲み込んでから、残り一切れだということに気づいてしまい、憂鬱な気分でテオはテントを目指した。
出入り口の薄い黒革をめくり、少し顔を出してみると、少女達の微かな寝息が耳を澄ませれば聞こえてくるようだ。
どうやら安心して眠れていたらしく、手を繋いでいたリンネに感謝しつつ、テオは安堵した。
「おーい、朝だよ。リンネ、アミティエ、ご飯も作るから出ておいで」
目覚めを冷ますように、テオは声を張った。
言いながら、朝食は何を作ろうかと考えていた時だ。
その瞬間、アミティエは飛び起きるように上体を起こした
「っと……、ご、ごめん。そんな飛び起きちゃうとは思わなかったんだ」
「…………、……?」
不安と焦りの色が浮かぶアミティエの頬には汗が伝い、落ち着かないように周囲を見回していた。
何かを確かめるように周囲を探り、何もないのだと知るや肩の力を抜く。
その原因は、アミティエの日々から来ているもので、彼女の朝と言えば男の怒声や罵声から始まっていた記憶だった。
「アミティエ、大丈夫?」
テオが心配そうにアミティエの肩を叩いた時だ。
アミティエの記憶の中にいた粗暴な男の姿から、目の前でこちらを見つめる男の姿に塗り替えられる。
――「後悔はないんです。だから、責任は取ろうと思います」
――「彼女が許してくれるなら、その成長を見届けるつもりです」
昨日の夜、耳に入った言葉の数々がアミティエの頭を過ぎる。
その言葉を聞く度に、嬉しさで燃えるように胸が熱くなり、嗚咽が漏れるのを必死に抑えていた記憶までも蘇ってしまう。
「あれ、ちょっと目が赤いな」
「っ!!」
声の主に覗き込まれた瞬間、アミティエは沸騰したように耳まで真っ赤になるのを感じた。
急速に沸き上がる恥ずかしさに、思わず腰だめに拳を構えたアミティエは――
「だいじょう……おぐぅッ!?」
次の瞬間には、テオの鳩尾目がけて強烈な一撃が放たれていた。
不意の一撃をもろに直撃してしまったテオは、訳も分からず、その理由を聞こうとしながら手を伸ばし、そして倒れ込んだ。
「あっ…………、ご、ごめ……」
違う、彼に暴力を振るうつもりではなかったのだと、アミティエは否定するように首を振るが、その性格からか正しい言葉を紡げない。
本当は「ありがとう」と一言告げたいのだが、きゅっと服を握りしめた彼女は言えないでいた。
今もまた、「ごめんなさい」の一言もでない自分に嫌気が差していた。
怒るだろうか、嫌われるだろうか、不安げな目でテオの方を見たが、
「うぐっ……ふ、っは、はは……、それだけ元気あれば安心だ」
心底安心したと、鳩尾を押さえながらテオは笑っていた。
いっそ怒ってくれたほうが良かったのかもしれない。
曇りない笑顔が、アミティエからすると尚更胸が締め付けられるような気分になってしまう。
「そうだ、みんな居ないから先に話しておきたいんだ」
思い出したように、けれどぎこちなく、テオは手のひらの上を叩いた。
「嫌なことを聞くかもしれないけど……君は雇い主のことを知ってる?」
「……ううん。でもみんな、ふぃんぶるって言ってたかも」
フィンブルという名に、テオは記憶の中に引っかかりを感じたが、記憶の引き出しを探るも思い出すことができなかった。
ラントバリに続く街道にいたということは、その経由で会う可能性も否定できない。それならば警戒しておくにこしたことはないだろう。
「とりあえず、これからのことなんだけど」
「……」
「もし君がいいなら、責任を持つ……っていうより、君を雇おうと思うんだ」
昨日の話から察していたリンネは、改めて言われて唇を噛みしめた。
彼女の気持ちを知ろうにも、その行動だけではテオも理解できない。
「もちろん、自由になりたいなら最大限の援助もしたい。……アミティエは、どっちを選びたい?」
「わ、わたしは……」
私を雇ってください、と即決したかった。
窮地を助けてくれた男に少なからず好意もあれば、信頼したい気持ちもある。
しかし、その道の先が明るいのか、今までの粗暴な男のようになってしまうのではないか、年端もいかぬ少女には不安が入り乱れていた。
「あ、今すぐじゃなくていいんだ!
少なくとも、王都に行けば孤児の集まる施設もあるから、返事はいつでも」
被せるように、先行してテオは口にした。
断られたらどうしようという不安がテオにもあり、互いに自分の意見が言えない状態だ。
お互いに押し黙ってしまった時、それを掻き消したのは――
「何を迷ってるんですか! そんなの承諾しちゃえばいいんですよ!」
よく通る声が、静寂を壊すように響いた。
驚くアミティエの手に繋がる先、こちらを見ていたリンネが眉を吊り上げて得意顔を浮かべている。
布団で横になりながら聞いていたリンネは、言うなり、何を迷うのかと二人の不安を一蹴したのだ。
「ティエちゃん! 迷うことはありません。さくっと頷いちゃいましょう」
「ティ、ティエ……?」
「いっそ子供になってしまえば良いんです。そう、私たちの愛の結晶ですね!」
「誰に対して言ってるのカナ」
生まれてこの方女性と恋愛したこともないというのに、子供が出来てたまるかとテオは苦笑した。
一人想像しながら目を輝かすリンネの隣では、ティエと呼称をつけられた少女が嬉しそうに反芻しているようだ。
「テオさんもこういう時は強引に行かなきゃダメですよ。俺の元についてこいって」
「そ、そんな一生を決めるのに……」
「このまま誰かに預けるよりマシじゃないですか。大丈夫ですよ、私も隣でサポートしますから」
「それはありがたいけど、距離感には気をつけてね……」
布の薄い寝間着のまま、ススッと身体を寄せてきたリンネにどぎまぎしつつも、テオは背中を押されるような気分だった。
この明るさも彼女なりの気遣いなのかもしれない、と。
「アミティエ、改めて言わせてもらっていいかな……」
「……ん」
「君のこと、責任取らせてほしい」
幼い少女に言う台詞としては犯罪的ではあったが、テオなりの真摯な言葉だ。
嫉妬こそ感じなくともリンネは耐えるように拳を握り、隣にいたアミティエはうつむくように目を伏せていた。
徐々に顔に赤みがます少女だったが、かすれるような細い声で、
「……ぉ、おねがいします……」
小さく呟いたのを、二人も聞き逃さなかった。
「うん、よかった。頼りないかもしれないけど、よろしくね」
友好の印としてテオが差し出した手のひらに、少女はおどおどと人差し指を差し出した。
ようやく紡いだ絆だ。
出会いはどうあれ、テオはこの少女を大切にしようと誓う反面で、そろそろ就職しなければいけないかという焦りを感じている。
しかし、なんとかなるだろうとそれを払った。
テオの隣では、リンネも微笑ましそうにその様子を見ていた、が、
「で、でも! 私の体をまさぐったのは……許さないから……!」
「……い、いやそれは」
少女の発言に、リンネの微笑みも崩れ去る。
獣を逆立てるように、垂れていた耳のような髪を上下させ、アミティエはそれ知らずと牙を剥いた。
しかし、テオにはそれよりも怖い人が右腕をがっつりと掴んで離さないでいた。恐る恐る振り返ったリンネの額には、青筋が浮かんでいる。
アーウィンの時と同じく、その姿は、
「幼い子に欲情するなんて…………テ、テオさんの……変態幼女趣味ッ!」
いつも通り、嫉妬する彼女に他ならなかった。




