俗称、奴隷少女の行方
「んっ……、……っ」
眠気の残った声が、小さな暗闇の中に響く。
奴隷少女――アミティエは、長い間眠り続けた時の痺れるような感覚にうなりながら、周囲を見渡した。
微かな光が漏れ出している箇所からは、男女の声が流れ込んでくる。自身の状態を確かめようとして、視線を下に向けると、毛布にくるまった状態だ。
「痛く、ない……」
そして、足の痛みがない。
なによりも、昨日までのたたき起こされるようなことがなかった。
思い出してみれば、毎日、拡声器で叩き起こされるような男達の喧噪で目覚めていた記憶だ。
「こんなに寝たの……いつぶりだろう」
温かい。この温かさを感じていたい、と毛布の奥に隠れようとした時、アミティエは自分の右手が不自由なことに気づいた。
痛みではなく、何かに繋がっているような束縛感だ。
その理由を辿っていくと、隣で眠っていた少女の手と繋がっていた。
「んんっ……ぅ……テオさぁん……ぅふふふふっ……」
「さっきの人の……」
リンネと呼ばれていた少女だ、と思い出す。
薄い茶色の髪が、涎を垂らしてだらしなく笑う少女を隠してくれている。
アミティエが眠っている間、ずっとつないでいたのか、少々汗ばんでいた。
気恥ずかしい気分になるアミティエだったが、手を握ったのもいつぶりだろうか。その温かさが心に沁みる気分だ。
「ありが、とう」
リンネの顔を見つめながら、アミティエは心からの礼を口にした。
――私を助けてくれたあの人にも、いつかこの言葉を彼にも言えるだろうか。
心の中で口にしてから、先ほどまで男の腕に抱かれていたことを思い出して、アミティエは凄まじい毛量の銀髪をかき乱したい気分になってしまった。
男に優しくされた経験はほとんどなく、触られたと言えば、腕を引っ張られたり引きずられたくらいだ。
テオとの邂逅は、難しい年頃の乙女にとって気恥ずかしい経験であったことに違いない。
逃げるようにアミティエが目を閉じようとした、その時だ。
微かに光る入り口から流れた言葉に、耳を傾けたのは――
「テオフラトゥスさんは、あの少女をどうするおつもりですか?」
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キャンプ外の見張りの最中。
代わると言っても断り続けるステラと、話し相手のように居座っていたテオフラトゥスが、火を囲むように座ってい時だ。
「テオフラトゥスさんは、あの少女をどうするおつもりですか?」
少女、というのはアミティエに違いない。
「彼女には居場所がない……、というより自分が奪いました」
手にしていた水筒の中身を喉に含み、緊張を流すようにテオは口にした。
どんな境遇があれど、彼女の仕事を奪ったのはテオフラトゥス自身だ。
「しばらくですが、…………旅先に同行してもらおうと思ってます。すみません、事後承諾を取るような形で」
「いえ、それは構わないんです。私と貴方なら、それもできると思いますから」
冗談交じりに、緊張した雰囲気ごとステラは笑った。
出会った時は堅苦しい印象だったが、他人を思いやる、存外、表情豊かな女性だ。
「ですが、その先です。依頼が終わった後はどうするんでしょうか」
「……正直、彼女を助けたのはほぼ衝動でした」
テオは、衝動で動いてしまう人間だと今回の事で再認識していた。
自分に得があろうとなかろうと、出会った人物の助けになりたいと思ってしまう英雄的思考が混在していることを、旅の道中で気づいてしまった。
「でも後悔はないんです。だから、責任は取ろうと思います」
「責任というと?」
――しかし、その事を省みて恥じるつもりも悔いるつもりもない。
珍しく真剣な表情で、テオは口にした。
「彼女が許してくれるなら、その成長を見届けるつもりです」
それは一児の父にもなる、冗談のようで本気の意思だ。
ステラも予想していたのか、驚くようなことはなく耳を傾けていた。薄紅色の唇が、言葉を紡ごうとたき火に艶めかし揺れる。
「力のある人間が、身寄りのない孤児を引き取るのは構わないと思います。
ですが、今後このようなことがあった時、……同じように繰り返しますか?」
少し声色を変えたステラだが、責めるような意思は感じられない。
発端となった人材派遣国家スキューヴォの存在は、ほぼ黙認されている現状だ。
そこに蔓延る『奴隷』問題というのは、その国が変わればなくなるというわけではなく、この世界に根付いてしまった文化のようなものに他ならない。
根本から解決できない問題は、この先、幾度となく直面するだろう。
それでも、テオは己の考えを変えるつもりはなかった。
「はい、何度でも助けます。
自分よがりなのは理解していますが、求められる限り何度でも」
自己中心的、利己主義、独善、何を言われようと、テオフラトゥスという人間は、助けを求めた純粋な声なら他を省みないだろう。
テオの強固な意志を前にして、ステラは諭すわけでも、同調するわけでもなく、いつものように微笑んだ。
「わかりました。急に変な質問をして申し訳ございません」
「いやいやいや、俺が勝手なことしたから……」
焚き火に揺られながら、二人は頭を下げる。
「まずはお父さんとして認められなければいけませんね」
「うっ……ま、まぁ向こうに拒否されたら……」
ぐっ、と胸を叩かれるような言葉を投げつけられてしまう。
クスクスと笑うステラの言うとおり、アミティエに身請けを拒否されてしまえば諦めるしかない。
「そこはなんとかします! ……でも、受けてもらっても問題はあるんですよね」
「というと?」
「ほら、女の子って色々必要だって言うじゃないですか。服とか、小物とか、生活用品とか……」
「ふふっ、確かにそうかもしれませんね」
肩に掛かる艶やかな横髪を撫でて、ステラは淑やかに笑う。
彼女の服は男物だが、絹のような黄金色の髪を維持するにも、髪の後ろで結ぶリボンも、その美しい容姿を保つにも、並々ならぬ努力があるのかもしれない。
そうなれば――
「無職、なんて言ってられないのかも……」
「あら、でしたら良い仕事先を紹介しますよ。王都の騎士団なんてどうでしょう」
「あ、あんまり縛られるのは……」
「私の父は強い御方が好きですから、アーウィン家も紹介できますよ?」
「えっ、それって……ステラさんと……」
婚約関係になるということでしょうか、とテオは期待に目を見開いた。
それなら大歓迎だ、と言わんばかりにテオは身を乗り出そうとしたのだが、ステラはその額をペしっと小さく小突いた。
「冗談ですよ。……リンネさんに怒られてしまいます
そう小さな声で呟いてから、ステラは悪戯っぽく笑う。
テオより一つ年上程度の彼女だが、まるで適わないような、大人の余裕と色気のようなものを纏わせていて、いつも通りテオは気圧されてしまうのだった。
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