俗称、奴隷少女が叫ぶ
森林地帯は、むせかえるほどの緑の匂いを風に運んでいた。
太い木々がうっそうとそびえたち、大地を侵略するように根を張っている。
急勾配を物ともせずに駆け上がりながら、テオは辺りを探るように見ていた。
「ここら辺かな?」
呟きながら、周囲に気を張る。
閑散とした森の中には植物のざわめく音だけが聞こえていたが、時が経つにつれ、その奥から草木を掻き分ける少女と、怒鳴り散らす三人の男の姿が入ってきた。
「……? あの子、なんか鳥っぽい……?」
ひどく怯えたように青白い顔の少女は、くすんだ銀色の髪を顔いっぱいに振り乱している。
伸ばしきった濃密な量の後ろ髪が羽のような形を作り、耳上の髪は垂れた獣耳のような形を左右二つずつ形成していた。
その姿が、遠目からだと鳥の羽のようだ。
軽い羽のような髪を揺らし、少女が駆け抜けていたところを――
「よしよし、おいでもう安心だよ」
テオフラトゥスは努めて明るい声で、少女の肩を優しく掴んだ。
木の陰で見えなかったのか、少女は突然の障害にガーネット色の目を見開いた。そして目の前の男が追っ手だと思ったのか、当然のごとく、引っ掻き、叩き、蹴飛ばし、そこから脱出しようと試みている。
「――……ぅて! はっ、はっなし、て……ッ!!」
かすれた声が、「離して」という言葉すら紡げないでいた。渇いた喉から絞り出すような、悲鳴に似た声だ。
掴んだ肩は剣の柄のように固く、一切の脂肪がそぎ落とされたのだと分かる。
よくよく見て触れてみると、乾ききった唇からは血が滲み、いくつもの傷が身体を蝕み、特にひどい両足は最早鬱血してるほどだ。
「は、っあ……ふっ……て……!」
あばらの浮き出た身体で振りほどこうとするが、全く力を感じない。
あまりに悲惨すぎる現状の少女を、テオは思わず抱きしめてしまった。羽のように軽く、全く厚みの感じない身体だ。
「大丈夫……、大丈夫だから」
「はぁ……、な、……せぇっ……!」
今にも腕の中で力尽きていく凄惨少女を抱きしめ、テオは眼前に据える男を見た。
双子のような大男が二人、魔導士が一人。
その中の男が、憤りながら駆け寄ってくる。
「そこの兄ちゃん、よく捕まえてくれたなぁ!」
「こんな山道をがむしゃらに変えやがって糞女がッ……」
罵詈雑言の中、少女は何度も何度も逃れようと力なく暴れている。
極力脚が付かないように、少女の小ぶりな尻に手を回して持ち上げているが、逃げようともがく少女はあまりに痛々しい。
「兄ちゃん黒い髪なんて珍しい色をしてるな?」
「……それより、何があったんですか? 実は旅の途中なんですよ」
「なにって、わざわざ遠路はるばるよぉ、そのガキを王都に運ぶ途中だったんだ」
息を整えていた大男は、怒り散らすように古い樹木を叩いた。
「……遠路?」
「ほら、奴隷国家からっ……」
「おい」」
『奴隷』という言葉をした瞬間、後ろにいた魔導士の男がそれを静止した。
途端に、大男はおっといけねぇと呟いて、あっけらかんと笑い出した。
「奴隷ってのは禁句だったな! 人材派遣国家スキューヴォ様だったか」
人材派遣国家スキューヴォという言葉に、微かな聞き覚えがあった。
数十年ほど前に、世界有数の人口を誇ったスキューヴォが貧困層への就業支援として開始した政策だ。
「なるほど……、それでこの少女はその一人なんですね」
「おう! そいつ一体で金貨10枚にもなるんだぜ。物好きなやつもいたもんだよな! ガハハ! けど、死なれちゃ困るってのによ」
「まぁ生死が問われたわけではないけどな。クックック……」
人材は派遣するが、その処遇については殆ど問われない。
つまり、体よく自国から貧民層を追い出す『奴隷』制度なのだが、いわく奴隷という言葉は禁止のようだ。男達は下劣に笑い続けている。
「という訳で兄ちゃん」
なるほど、事情は分かった、とテオは頷く。
同時に、己の中にある歪な正義感が姿を現し、ふつふつとした憤怒の感情が噴き上がってくる。
自分の気に入ったものを守るためなら、他の障害を気にもとめずに突き進む狂気と、子供のように青臭い感情だ。
羽のように軽い少女を抱きながら、テオはゆっくりと前に進み――
「返してもらっ…………」
地に足が付くと同時、大男の顔が吹き飛んだ。
「あぁ?」「えっ」
後ろにいた男は理解できないといった顔ぶれで、テオのほうを睨んだ。
膝から崩れ落ちた大男と代わるように、その奥には深淵を宿す黒い瞳が二人を覗いていた。
そして、ようやく理解したのか、大男が背中の槍を勇ましく構えた。
「てめぇぇぇぇぇえええ!! ガステンキッド傭兵団のドンにな、ゅいっ!?」
しかし、構えた姿は長く続かなかった。
一瞬にして仕込み杖から抜かれた先端が、男の喉元を抉るように穿っている。
短い断末魔をあげて、その姿は崩れ落ちた。
「えっ、ええ? ……き、きさま! なななな、なにを、躊躇いとかないのか!」
「ないよ」
残る魔導士の男が、駄々をこねるようにわめき散らす。
テオは貫いた黒剣に刺さる赤黒い物体を眺め、不快感を表しながら、血糊を払うように振り捨てた。
「ここまで少女を乱雑に扱って、自分たちが丁寧に扱われると?」
「貴様はゆるさんぞっ!!」
残りの一人が声を張り上げた。
距離を取っていた彼の下には、青白い五芒星の陣が爛爛と輝いている。四大元素の一つ、水を利用した魔法だ。
「拡散し、貫き穿て」
男の呪詛のような詠唱が終わるなり、蓄積された水のマナが男の元へ収束していく。
そして指定した地点、テオと少女の上空に同様の魔方陣が浮かび上がった。
完成した魔方陣から現れたのは、――濁流の塊。
「――シュトゥルム・ジ・ヴァッサァァァアアッ!!」
喉元が張り裂けんばかりの大声で、男は叫んだ。
その瞬間、頭上を覆い尽くさんばかりの水の塊は爆散し、弾丸の如く加速して襲い掛かる。
無数の数を持った水弾の濁流は、テオと少女を無差別に降り注いだ。
「ひゃひゃひゃひゃ! 死にやがれぇ!」
木々を喰らい尽くすように抉り、大地を穿っていく水弾を、全て回避しきることは不可能だろう。
あるいは可能なのかもしれないが、それは最早化け物だ。
テオと少女も、無数の風穴を開けて喰らい尽くされるであろう――瞬間。
「泣いて食い詫びろ! 忌々しいがき……が、……?」
「万象付与『アンブレラ』」
掲げられた黒い剣に、この世界では聞き慣れない単語を発した。
朧気にある記憶の一つであるアンブレラ――傘は、テオの世界では雨の日の必需品だ。それを象るように、剣の切っ先が花開くように裂け広がると、黒い雨よけが作り上げられた。
「……は、なんだ……それ?」
魔導士の呆けた声を出す
けたたましい音と振動が剣を伝わってくるが、その下のテオと少女に降り注ぐ水弾はゼロである。鋼を叩く、鈍い音だけが響く。
「なななな、なんだそれはぁああああ!」
「雨よけの武器、って記憶の片隅にあるんだけどね。
……確か、この武器は」
全ての水弾を弾いてから、テオはゆっくりと傘を下ろす。
滴る水を払いながら――
「こう使っていた気がするんだ」
逆手に構えた黒塗りの傘を、全身全霊、振り上げる。
黒い軌跡を描いた傘は、一直線に男の側頭部に狙いをつけて放たれていた。
テオの前世では、ふざけて振り回して怒られた記憶もあるが、今は違う。
「おぐっ……が、はっ……」
男の意識を刈り取るようにして、傘は大きく半月を描いて振り抜かれていた。
小さなうめき声を上げた男は、頭から崩れ落ちていく。
腕の中で眠る少女を抱えながら、テオフラトゥスは逃げ去るように外套を翻した。




