ラントバリ街道に響く怒号
ステラから依頼を受けた翌朝、身支度を済ませた一行はラントバリに続く道を進んだ。
ネフティーの村から進んだ先は険しい道が続くものの、ある程度の森林地帯を切り抜ければ開けた草原の道に出る。
各地からの枝分かれした道がまとまった先こそ、城門都市ラントバリだ。
一行の一日目は、道の荒れた森林地帯から始まった。
「リンネさん、大丈夫?」
「っ、まだまだ大丈夫ですー、テオさんが抱っこ、してくれるなら……別ですけど」
軽口を言えるだけマシと思われたが、リンネは息を乱していた。
先を進むステラは、時折二人を確かめながら道を踏み分けてくれている。
爽やかな朝の出迎えと共に出た空が、昼過ぎを示していた。
「いざとなれば、喜んで」
「うれしいですっ……。
……でもでも、ただでさえ荷物を持ってもらっているのに頼めませんよ」
申し訳なさそうに笑うリンネは、二人分の荷物を肩にかけたテオに気を遣っていた。三日分の荷物は、テオの背中の外套を隠すほど大きい。
しかし、テオからすればリンネもまた一つの荷物程度にしか思えない重さだ。唯一困るとすれば、女性の持ち方に心得がないことくらいだろうか。
「リンネさん、テオフラトゥスさん、少し休憩しましょうか」
二人の前方から、ステラの凜とした声が響いた。彼女の純粋な優しさだ。
しかし、足手まといを懸念するリンネは否定するように首を振っていたのだが、
「今日中にはこの森を抜けないといけませんから、休める時に休みましょう。こまめに休憩を取っていけば、すぐですから」
いくら道があるとはいえ、木の根がはばかる道や、乱雑とした石ころを避ける過程で体力を奪ってしまう。
こまめに休憩することは必要なのだとステラは語るが、リンネは頷かない。
見かねたテオは大きく背伸びすると、覇気のない声で太い木の根に腰を下ろした。
「そうだね。俺も疲れてきたし、そろそろおなかも減っちゃってね」
「テオフラトゥスさん、先ほどの干し肉は?」
「道中に食べちゃいました」
「……あれで3食分はあったと思うのですが、よく食べ切れましたね」
「昔から干し肉が大好物でして」
そこに同調するようにステラも腰を下ろす。
これではリンネにも逃げ場はない。二人の優しさを感じつつ、さり気なくテオフラトゥスの隣に座り込んだ。
「ありがとうございます、ステラさん、テオさん」
「で、できれば名前のほうは呼ばずに……」
疲労の浮かぶ表情に、ようやく笑顔が浮かんでテオは満足するように頷いた。
まさに両手に花だが、一人は未だに性別を否定するようだ。
「ステラさんは、どーして男の格好をしてるんでしょうか? とても綺麗なのに」
「俺も気になってましたけど、何かあるんですか?」
「いえ……ただ女としていると、道中であまり良いことはありませんから」
それも当然だ、とテオは頷く。
安全な場所でもなければ、女性が一人歩いていたとなると良くない目に遭うことの方が多いだろう。
「それに女として生きていても得したことがありませんから」
そう寂しそうに笑う姿が、ステラの本音かもしれない。
しかし、テオの目には彼女がどこが寂しげにも見えた。
「でもでも、テオさんの恋のライバルが減るのは嬉しいですねー」
「うぇっ!?」
急に横から抱きつかれて、テオは驚いた。
自分の気持ちを素直に出す少女には、毎度毎度驚かせている気がしていた。
好意を抱かれているのは非常に心地よいのだが、女性経験に乏しい彼ではうまく言葉を返せないのだ。
「リンネさん倒れ――」
横から抱きつかれて体制を崩したテオは、そのまま反対側に倒れようとしていた。しかし、身体が横になったところで止まった。
柔らかい感触が、側頭部を優しく受け止めている、
それがステラの太ももだと、すぐに理解した。
「す、すすいませんステラさん!」
「いえ、……二人は微笑ましいですね」
可愛いですね、と二人を見つめていたステラが微笑んだ。
伸ばした手でテオの頭を撫でると、慈愛が満ちた目を二人に向ける。
「よしよし」
まるで姉のように、母のように、テオの頭をなで続ける。
包み込まれるような優しさに、一生このままでいたいと願ってしまう。孤独だったテオには、そのまま微睡みたくなるほどに充ち満ちた状況だ。
横から猛烈な力で引かれるのを感じながら、テオは天にも昇る気持ちであった。
「んー!んんー! やだやだやだテオさんも何してるんですかぁー!」
リンネは必死に引きはがそうとしているが、テオは意地でも離れないと言わんばかりに、ステラの太ももを死守しようしている。
引っ張られる度、ステラの甲冑に後頭部がごつごつと当たって痛い。
「ぜ、絶対離れないんだ……」
「よしよし」
それでも、この場を離れたくはなかった。
この期を逃せば、一生体験できないかもしれない至福の時なのだから。
しかし、その終わりはすぐに告げられた。
遠く向こうの森の中、微かだが男達の怒号が乱れ飛ぶ。
「……進行方向の先、何か聞こえた」
ステラも気づいただろうか、太ももから伝わる警戒心をテオも感じ取った。
「私にも聞こえました。少し、先行して見てきます」
「いや、俺が行きますよ。ステラさんはここで待っててもらえますか?」
せっかくの至福の一時だったが仕方ないと、テオは立ち上がった。
頬にはまだ太ももの温もりがあり、名残惜しさを残している。
「わかりました。では、こちらでお待ちしていますのでお気をつけて」
「はい。もしも移動したら、煙でもあげてください」
手にしていた杖を握りしめて、テオは声の方向へと意識を――向けようとして、右腕を引っ張られた。
こちらを見ていたリンネが、やや心配そうに見ている。
「……はい、気をつけてくださいね
もしも居なくなったら、地獄の果てまでもおいますから」
テオを見送る冗談のはずだが、本気で実行に移しそうなほど強い語気だ。
少女の黒い笑顔に、必ず戻らなきゃいけないという帰属意識が芽生えた。
「大丈夫だよ、リンネさん。俺はこれでも危機察知能力は高いんだ」
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ラントバリへ続く森の中を、一人の少女が逆走していた。
道のない荒れた地を、疾走し、駆け上がり、転びそうになりながらも駆け抜ける。
布一枚の服は、枝に裂かれてみすぼらしさを増し、
血に滲む裸足の痛みに耐えるように、乾いた唇を噛みしめて走っていた。
その先に安らぎがあるのかはわからないが、
後ろから怒号を飛ばし、鬼気迫る男達よりは幾分かはマシなはずだ。
「待ちやがれェ! 殺すぞッッ!!」
「落ち着け、フィンブル様直々の奴隷だぞッ! 極力無傷で捕まえろ!」
三人の男が『奴隷』と言った少女は、振り返ることなく全力疾走した。。




