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異世界でただ独りの無職称号《ノービス》  作者: 東雲部長
Episode.1 『手始めに少女から』
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温泉の中の戦争

 間違いない、リンネだ。

 全身かた血の気が引くのを感じる。熱を持った身体は、依然として焦燥に動悸が高まっていた。

 テオフラトゥスが制止しようとする声も間に合わず、


「待っ――」


「待ちません!」


 勢いよく扉は開かれた。

 入るなり、少女の視界に移ったのは二人の人物。

 見るからに愛くるしい少女は、健やかな瑞々しい体つきをタオルに包みながら立ちすくんだ。


「あっ」

 

 少女の目に映ったのは、テオフラトゥスと、微動だにせず背中を向けたアーウィン。まさかアーウィンがいるとは想像もしていなかったのだろう。

 金色の髪がその目に映ると、リンネは抱え込むようにへたり込んだ。


「ふぇっ……あ、あーうぃんさんがいたんですね……」


「す、すみません。そちらは見ませんので」


 微かに震える声色を律してアーウィンは硬直するが、リンネは先ほどの彼女を思わせる赤面っぷりだ。

 羞恥心に膝折れたリンネを誘導するには、今しかない。


「ああ! 今アーウィンと大事な話をしていたんだ! 先に戻っててもらえるかな!」

「そんなぁ……」


「将来についての大事な話なんだよ!」


 ぴくり、と羞恥心にへたれた彼女の震えが止まった。


「……将来を、お風呂で語り合っていたんですか?」

「えっ、あ……ああ、意気投合しちゃってね」

「私が入ってはだめな男同士の付き合いですか?」

「……えーっと、ぉ?」


 テオ言いよどんでしまった。横にいる人物は、男ではなかったのだ。

 その硬直を、アーウィンはバラされると考えたのだろうか、その細いしなやかな手でテオの耳元に小さな壁を作ると、

 

「先ほどの事は……その、二人の内緒ですよ」


 透き通るように小さな声で呟いた。

 白い肌を薄らと紅潮させたアーウィンの横顔は、逢瀬の末に恋慕の情を伝えるようで、ぞくっとするほどのなまめかしさだ。

 しかし、女性のように高く通る声は、不覚にもリンネの耳にも微かに入ってしまう結果となった。

 二人っきりの秘密というのは、リンネからすれば煽られるような言葉だ。


「なんですかぁああああそれえええええ!!」


「いや俺たちはなにもしてない!」


「は、はい。……そう! ただ夜の手合わせの時に、私が転んでしまって、汚れてしまったんです。それで汚れを落としていたんですが、恥ずかしくて……テオさんには黙っていてほしかったんです」


 我ながらうまく誤魔化せたものだ、とアーウィンは豊満な胸を張った。

 ムフー、というどや顔が目に浮かぶようだ。

 テオからすれば先ほど承知済みだが、ステラが焦ると饒舌になってしまうらしい。話さなくていいことまで、彼女は言ってしまったのだ。

 

 夜の手合わせという言葉が、身体を重ね合う行為を。汗を流すという言葉が、その後の一時を表していることを、リンネに歪曲して伝わっていく。

 その行き着く先は、


「テオさんが男の人を好きだったなんてぇぇぇぇえ!!」


「違う違う違う違う! 言葉のあやだ! 言葉の詐欺だ!」


 そう、詐欺なんだというテオの叫びは伝わらない。リンネは、えぐえぐと大粒の涙をこぼしながら悔しそうに床を叩いていた。

 テオフラトゥスは生まれてこの方、女性に興味は持っても同性にときめいたことはない。


 ――そう反論しようとして、思ったのだが、先ほどのステラを男だと思いながらも見惚れていたことを思い出す。

 その一瞬だけ揺らいだ心を、リンネは見逃さなかった。


「信じていたひとがたった一晩で男の人にとれるなんて、ひどいですよぉぉぉ」


ひどい誤解だ。

 石造りの床を叩きながら泣く少女、誤解を解こうと湯から上がる少年、男同士の恋も隠すためならやむなしと黙認する女性。

 その状況は滅茶苦茶となっていた。


「本当に違うんだ、深いわけを……うーん、と話すからとりあえず……」


 少女の肩を取り、「先に戻っていて」と言おうとした。

 刹那、つるん、とテオの体制が崩れた。

 その足下には、まるで計算され尽くしたかのように『なめし革』が置かれている。つるつるとした光沢の面が床側に向けられ、摩擦を失ったなめし革は当然の如く滑る。

 だが、考える間もなくテオは前のめりに転ぼうとしていた。


「転んでたまるかッ」


 このままではリンネに突撃してしまう。

 持ち前の身体能力を生かして、伸ばした手を支点に一回転しようと――


「大丈夫ですかぁ!」

「ちょっ……!?」


瞬間、待ってましたと言わんばかりにハート型の口を開くリンネが手を伸ばしていた。抱きしめるように、絡みつくように伸ばされた腕が蛇のようにテオに絡むと、そのまま引き寄せられていく。

 吸い込まれるように、リンネの胸へと。


「んぶぅ……っ!?」


 二つの柔らかな胸がその衝撃を吸収し、波打ちながらぷるんと揺れた。

 その柔らかさは、彼が生涯体感したことのないほど柔らかく、優しさに満ちていたという。

 満干の思いにふけるテオの頭を抱えて、リンネは小悪魔的な笑みを浮かべていた。


「エッチですね。テオさんは」


 そのままギュッと抱きしめながら、にーっと笑ってみせる。

 ――ああ、なんという極上の一時だろうか。

 すぐに避けようと思いつつも、テオはその暖かさから離れられずにいたのだが、


「……テオさん」

「なぁに……」


「――女の人の匂いがしますね?」


 再び、背筋が凍り付くような気分だった。

 引き寄せたテオの身体をまさぐりながら、訝しむようにリンネは嗅覚を研ぎ澄ましている。一瞬しか触れ合っていないというのに、その匂いをかぎ取れるというのなら、彼女はもはや動物だ。

 だが、現実で彼女は感じ取っていた。


 だらだらと冷や汗を流しながら、テオはこの状況を打破すべく考える。

 しかし、テオの周りには言い訳に使えるような女性の影はないはずだ。ここに来てから出会ったのも宿屋の旦那くらいである。

 その時、助け船を出すようにアーウィンが振り返った。


「……リンネさん、騒がしくして申し訳ない。実は、私のことなんですが」


 背を向けていたアーウィンは、観念したかのように二人へと振り向いた。

 自嘲気味な笑いの奥には、性別を偽っていたことへの謝罪と、己の配慮の足りなさがこめられている。


「このように……私は女、なんですよ」


 豊満な胸を差し出すようにして、ステラ・アーウィンは自嘲気味に微笑んだ。

 ぷるんと揺れる圧倒的質量のそれを見せつけられて、少年は前のめり気味に、少女は気圧されながらそれに見入ってしまった。

 リンネも幼い割にはふくよかな胸はしているが、彼女の境地に至るまでにはどれだけの成長をしなければいけないのだろうか。


「……」

「…………?」


 数秒の静寂が流れると、ステラは「どうしましたか?」と小首を傾げた。

 ハッと、リンネは覚醒する。次に、怒り散らすようなわけでもなくリンネは大きな目を見開きながら叫んだ。


「でもでも! なおさら男女でお風呂に入っていたのはまずいんじゃないでしょうか!」

「……リンネさんもそこにきたんじゃ……」

「テオさん」


 黙っていてくださいと言わんばかりに睨まれて、テオは萎縮した。

 出会って数日だが初めて見る少女の黒い笑みだ。

 

「リンネさんの言うこともわかります。……ですが見られて貰ったのもしかたないですし……その、えっと」


 歯切れが悪い様子で何かを言いたげなステラは、自身を励ますように拳を握ると、意を決したように呟いた。

 そして、この一言だけを言いたかったのかもしれない。


「……お湯に、流しませんか」


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