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異世界でただ独りの無職称号《ノービス》  作者: 東雲部長
Prologue. 独りぼっちの無職《ノービス》の出会い
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独りぼっちの無職《ノービス》の出会い

 ――テオフラトゥス・フォン・アウルハイム。

 そう名乗る少年テオは、この世界では珍しい黒色の髪と瞳を有している。

 そして、気づいた頃には、前世の記憶がおぼろげに混然としていた。

 

 ただ強く印象にあるのは、趣味の天体鑑賞で、毎晩、星を見ながら、


「星の向こうには、別の世界があるのかもしれない」


 日々、そういったことを考えて、満点の星空の下で手を伸ばしていた記憶だ。

 遙か彼方、手が届かない星を掴みながら、瞑想するようにまぶたを閉じる。

 その世界を見てみたいと、願いながら。


 星の向こうに別世界があるはずはない。

 しかし、今、前世とは違う『異世界』に彼は存在していた――

 


 ――――――――――――――――――――――




 ある街の郊外。

 草木が青々と茂る地に、杖を持ったテオは悠然と立っていた。

 柔らかな陽の光に包み込まれ、深呼吸すればみずみずしい空気が身体の毒素を浄化してくれるようだ。

 しかし、心地よい空気に微睡みたくなる気持ちを抑えて、のどかな風景に似付かない生物の猪と対峙している。


「今日の夜は、猪肉のミルク焼きかな」


 想像して、ごくり、とテオの喉が鳴る。

 固めの猪肉をミルクに漬けて、香草で臭みを消してから焼くだけの料理だが、淡泊な肉にコクと柔らかさが生まれる冒険者ならではの一品だ。


「――グルルッ!」


 距離にして10歩。

 そこには栗色の毛を逆立たせた猪が、今にも噛みつこうと牙を剥いている。

 猪からすればテオがご馳走なのか、恐ろしく発達した牙からは興奮するように荒い呼気と唾液があふれ出ていた。

その姿が揺らいだのは、一瞬だ。


「――、――ッ!!」


 弾かれたように猪が跳躍する。

 喉元の柔肌なぞ、瞬く間にかみ砕いて絶命に至らせるだろう牙が、男の喉元に向かって疾走する。

 しかし、その牙が目標に届くよりも早く、


「ごめんね」


 テオの杖から放たれた黒い一閃が、猪の首を横一文字に切り裂いていた。

 黒い一閃の正体は、仕込み杖の中に備えられていた黒い剣だ。

 稲妻の如く閃くなり、風を巻きながら疾駆した黒い刀身は、猪に悲鳴を上げさせる間もない。

 

 一瞬にして絶命した猪が崩れ落ちた先には、仕込み杖から黒塗りの細剣を抜いたテオの姿が変わらず構えていた。

やや目に掛かる黒髪の下には、同じように深く黒い眼が亡骸を見据えている。

 テオは手にした細剣の血糊を払うと、外套を翻しながら腰を下ろし、その場で小さく一礼をした。


「いただきます」


 それは、この世界では聞き慣れない、彼の前世の記憶から染みついた礼節だった。


 ――テオフラトゥス・フォン・アウルハイム。

 この世に生を受けたときから、彼は類い希な力を有していた。


 火・水・土・風の四大元素を有した膨大な「魔力マナ」。

 魔力を利用し、過程を飛ばして生み出す「万象放擲クリエイト

 様々な特性を有機物、無機物に、「万象付与エンチャント」する力。

 他者には見えないものを。本質を見る「慧眼けいがん」。 


 常軌を逸するテオの能力だが、この異世界において彼は、

 [無職ノービス]だった。



「この大きさの肉と、毛皮で銅貨8枚くらいか……。骨と革を含めて銅貨20枚いけばいいくらい……」


 この国では、定められた役職を除くと、全ては冒険者から構成されている。

 街にある料理店も元は冒険者が作り上げ、街の基盤を支えている建設界隈も冒険者の集いだ。

 中でも、多くの冒険者は、ギルドという冒険者連合に所属して仕事を得る形なのだが、そこから更に職業を決めなければいけないという面倒なシステムで構成されていた。


 戦士、魔術師、僧侶、生産職といった4大職業に派生していくのだが、彼はどれにも属していない。

 戦士と称し、前線で味方を守る役は向いていないと断り、

 魔術師は、膨大な魔力を持ちながら魔法を使えないという欠点を抱え、

 僧侶は、知識不足や信仰する気がまるでないときて、

 生産職が適正なのかと思われたが、


「これで銅貨20枚とは……世知辛い」


 誰にでもできる生産職は飽和し、現在では一番の不遇職業として仕事の少ない現状だ。特に誰にでもできる採取、狩猟は論外だった。

 しかし、生きていくことはできる。

 要は、何かに縛られたくない一心で逃げ続けているだけだ。

 情けない、とテオはため息交じりに声を漏らす。まだ若いその背に、どこか哀愁が漂っていた。



「――け――」


 そのとき、ふと声が聞こえた。

 微かに聞こえた高い声にテオの左耳が反応し、弾かれたように振りむく。

 左に続く街道は、森の中に延びているのだが、


「――――けてえええ!」


 舗装された街道の先を覗いたときだ。

 森の中から、必死に叫びながら走る少女の姿があった。

 遠目からでもわかる、くりくりとした目から大粒の涙をこぼす少女が大口を開けながら、せがむように手を伸ばし、後ろから迫る男達から逃げていた。

 そして、テオを目に入れた瞬間、彼女は叫んだ。


「たしゅけ……っ! たすけてくださぁぁああい!!」

「えっ」


 まるで救世主を見つけたかのよう、パッと顔を明るくした少女が一心不乱にテオへと駆け寄った。その後ろに、鈍く光る斧を持った強面の男達を加えて。

 「ええええええええっ!?」と、テオも驚きに身構えた。


「はっ……、はぁ……た、たすけてくださぃぃ……」


 ふらりと少女が崩れ落ちようとした時、テオは咄嗟に肩を抱いた。

 ――可愛らしい少女だ。

 肩に掛かる亜麻色の髪は、あどけない顔立ちを隠すように伸びきっている。今は乱れた髪で隠れていないが、普段ならば目元を隠し、暗い印象を与えてしまいかねないほど伸びきっている。

 

 ――ああ、久々に人に触れた気がする。

 羽のように軽い少女の容姿に見とれながら、テオは思わず余韻よいんに浸ろうとしていた。


 「そこの男ッ! そいつを捕まえたまま動かすなよ!」


 怒声に近い男の声が響く。

 少女を追って先頭を走る大男は斧を構え、後続の男は大きな袋を肩から提げているが、両者に共通して怒りに顔を歪ませていた。


「え、え、あの君は何かしたの?」

「ちがいますぅ……おねがいします! 助けてくださいぃ……」


 もはや限界だったのだろう。

 力なく寄りかかる少女は、くしゃくしゃな顔をいやいやと振って懇願していた。


「助けてと言われても……どういう現状なのか……」

「おう兄ちゃん! よく捕まえてくれたじゃねえか……!」


 斧を構えた男が、テオの言葉をかき消すように叫んだ。

 げっへっへと笑いながら、値踏みするように少女を見ている。

 ひっ、と小さな悲鳴を上げると、少女は「やだやだ」とよりいっそう身体を振り始めたのだが、


(な、な、なんて胸だ……)


 腹部下辺り、幼さを感じさせない二つの胸がテオに押しつけられていた。。

 僧侶の青いローブを破らんと自己主張する胸は、ぐっと押しつけられてもなお柔らかいのだという知識をテオに与えてくれている。

 ああ、今日はなんと素晴らしい日なんだ――と、思っている場合ではないようだ。


「えっと、何があったのでしょうか……? 俺は何も知らなくて」

「その小娘が仕事を放棄して逃げ出したんだよ! ったくッ……娼館にでも行きてえのかオイ!」

「やだやだやだ! どうして僧侶として来たのに契約外の仕事をしなければいけないんですかぁ!」


 凄む男と、泣きつく少女の言い合いに、蚊帳の外のテオはおろおろと慌てるしかなかった。

 どちらを信じていいのかもわからない状況だ。

 「とりあえずその斧を下げましょうよー」と、テオは両手を挙げて無抵抗の姿勢を取ろうとしている。

 そこに、ようやく追いついたもう一人の男が額に青筋を浮かべながら、少女に向けて手を伸ばそうとしていた。


「とりあえずこっちにこいや!」


 男のごつごつとした腕が少女の服を掴もうと迫る。

 その時、テオがその腕を振り払ってしまったのは、ほとんど反射的にだ。

 気づいてから、やってしまった、と引きつった笑みがテオに浮かぶ。


「あ……? 邪魔するのか?」

「ご、ごめんなさい。ですが契約外の仕事をしたとなると……もしかしたらそちらにも非があるかもしれませんし、ね?」

「っるせえ! 兄ちゃんも邪魔するってなら容赦はしねえぜッ!」


 腰を低くして頭を下げるテオだったが、額に青筋を浮かべて激昂する斧男には、その謝罪も届きそうにない。

 大男は鈍く光る銀色の斧を掲げると、先ほどの猪のように牙を剥きだした。

 ――そのまま振り下ろすつもりだろうか。テオの隣には少女がいるのに。


「邪魔するなら吹っ飛ばしてやる!」


「ちょちょちょちょっと-!」

「きゃぁぁぁぁぁああああぁぁぁあああ!」


 間違いなく、振り下ろすつもりだ。

 男にも最後の理性はあったのか刃先ではなく斧頭を向けていが、圧倒的な重量を持った斧だ。

 振り下ろすだけで岩をも砕きかねん一撃を受ければ、並大抵の男ならば真っ赤な噴水を沸き上がらせて絶命に至るだろう。

 しかし、その斧頭は空中で静止することになる。


「が、ぐべっ……」


 ひしゃげたような間抜けな声が、響き渡った。

 その悲鳴が誰のものか。震えていた少女が弾かれたように見上げると、そこには先程と別人に見える男が写り込んでいた。


「え……?」


 少女は、思わず呆けた声を出してしまった。

 そこには仕込杖で大男の喉元を突き出すテオの姿が映り込んだのだが、驚き、ぼう然とした理由はそれだけではない。


 温厚と思われた彼の姿が変貌していたのだ。

 下弦の月を思わせる口元が怪しく笑い、鋭く射ぬくように開いた瞳孔が爛々《らんらん》と敵を見据えている。その表情には、どこか狂喜をはらんでいた。


「……は、おっ、お前、なにしてんだッ!」

「正当防衛、ということで」


 呆気にとられていたもう一人の男が、ようやく覚醒する。

 男は、肩に提げた革袋を投げ捨てるなり、腰に据えた短剣を抜き去りながら駆け出した。

 小さな所作から流れるような動きだ。

 戦士の分岐先にある暗躍者アサシンと思われる男は恐ろしく早い動きだったが、それよりも早くテオの姿が揺らいだ。


「生きて帰れると思うなよッ! くそが、ぎぃッッ?!」


 揺らいだかと思えば、入れ替わるように男が吹き飛んだ。

 テオの中段蹴りが男の短剣をはじき飛ばすと、その勢いのまま旋回したテオの杖が男のアゴを強打し、止めの前蹴りが穿つように男を突き飛ばしていた。

 少女は何とか視認できていたが、その流麗な一挙一動は一瞬の出来事だ。


「わぁー!」

「…………あっ、……まずい」


 感嘆の声を漏らしながら、テオを見上げる瞳がキラキラと輝く。自分の窮地を救ってくれた英雄を、その大きな瞳の中に刻もうとしているようだ。

 そんな少女に目もくれず、怪しく笑っていたテオはハッと我に帰っていた。

 

「ご、ごめんね急に……というか逃げよう!」

「えっ、でも」


 追っていた男達はどうするのか、とリンネは小首を傾げた。

 しかし、ここは多くの冒険者が通る街道沿いだ。

 放置すれば、ものの数分で他の冒険者にあらぬ疑いをかけられてしまうだろう。

 そうなった時、無職ノービスのテオは非常に分が悪くなる。ましてや、彼女のほうが悪かったということも危惧しなければならない。




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