06 ヴァン先生の魔術講座(後)
「呪術はな、マナを消費する魔術とは、根本的に違うんだ。マナの代わりにオドを使う」
ヴァンは札をポケットにしまい、講義を続けた。
「オド? 何それ。初めて聞いたわ」
「マナは自然界から借りるのに対して、オドは体内で生成するんだよ」
「体内で……そうか! 体内で作れるのなら、詠唱は必要ないのね?」
「そのとおり。詠唱がトリガーになって発動する呪術もあるが、無詠唱で撃てる術も多い。さっきの札あるだろ? あれは護符って言うんだけど、護符に閉じ込めたマナを解放する場合、詠唱は不要だ」
リーゼロッテはふむふむ、と興味深そうにうなずく。
「呪術と一口に言っても、いろいろ種類があるんだ。たとえば、護符や呪符に力を宿す『符術』、死んだ人の霊を一時的に現世に呼び出す『降霊術』なんてものがある」
「霊を呼び出す……」
おもわず息を飲むリーゼロッテ。
死者と交信するなんて……そんな人の禁忌に触れるような術まで存在するのか。呪術とは、想像以上に恐ろしい術だった。
リーゼロッテが怯えているのに気づいたのか、ヴァンは優しく微笑んだ。
「勘違いすんなよ? 俺は死者を玩具にするような術は使わねぇからな?」
「そ、そうよね……」
リーゼロッテは、ほっと胸を撫で下ろす。
もしも、ヴァンが死者を生き返らせるような真似をするならば、リーゼロッテは全力で止めただろう。
目の前の少年には、命を弄ぶようなことはしてほしくない……心優しい彼女はそう思ったのだ。
「付術はリーゼを助けるときに見せたよな? 今日は別の呪術を……そうだな。一番初歩的な呪術を見せてやんよ」
簡単でわかりやすく、なおかつリーゼロッテにも体感できる呪術を見せてあげよう。それが彼女の不安を取り払ってあげることにも繋がる。ヴァンはそう考えた。
あのロクでなしのヴァンが、他人を思いやっている……本人でさえ、この大事件に気づいていない。
リーゼロッテの勉強熱に当てられたのか、ヴァンは無意識にだが、彼女に協力したいと考えるようになったのだろう。怖がらせないように、かつわかりやすく教えようとしているのはそのせいだ。
母親にクズ呼ばわりされた異端魔術師に、ほんの少しだけ変化が訪れた瞬間だった。
もしかしたら、ヴァンの母親は見越していたのかもしれない。
学園生活を送ることで、ヴァンの考え方や哲学すべてが、何らかの影響を受けることを。
「初歩的な呪術ってなぁに?」
リーゼロッテが尋ねると、ヴァンは唐突にリーゼロッテの頭を撫でた。
「ふえっ!?」
リーゼロッテが素っ頓狂な声を上げた。その頬は真っ赤に染まっている。
それもそのはず……リーゼロッテは女子校出身。今までの人生で、異性との接触はほとんどない。
そんな彼女が男に頭を優しく撫でられたら、恥ずかしくなるのも当然だ。
「ちょ、ヴァン!? な、何してるのよ! やめて、ガードマンが見てる……」
よく見ると、訓練場を監視しているガードマンが二人を凝視している。それはもうガン見している。むしろ、期待のまなざしをびゅんびゅん送っている。この男、どうやらエロガードマンだったらしい。
なるほど。たしかにこれは気まずい。
しかし、そんな空気を破ったのは、空気が読めないヴァンだった。
「えいっ!」
ぶちっ。
リーゼロッテの燃えるように赤い髪が抜かれた音だ。
「痛っっ! 何すんのよこのばか!」
「あうっ!? 俺のほうが痛いよ!?」
リーゼロッテの蹴りがヴァンのおしりにクリティカルヒットする。
その様子を見ていたガードマンは、「け、蹴りが見えなかった……だと?」と、無駄に驚いていた。
「これいったわ……マジでおしり四分割されたわ……」
「ヴァンが悪いんでしょ! 急に髪の毛抜くから!」
「アホか! 俺にはリーゼの髪の毛が必要なんだよ! これを使って楽しいことをするんだよ!」
「へ、変態っ! 近寄らないでよ!」
「違う、そんなマニアックな性癖はない!」
自分の体を抱きしめて怯えるリーゼロッテ。見事に誤解されてしまったようだ。
「……まぁいいか。呪術を見せれば、リーゼの髪の毛が授業の教材だってことがわかるだろ」
そう言って、ヴァンはポケットから藁でできた人形を取り出した。
藁人形の頭部に赤い髪を巻きつける。
よく見ると、藁人形が淡く光っていた。これが呪術だとしたら、あの光はマナではなく、ヴァンの体内で生み出されたオドだろう。
ヴァンはガラス細工に触れるような繊細なタッチで、藁人形の頭部を指の腹で撫でた。
「ふえっ!?」
再び声を上げるリーゼロッテ。目をぱちぱちと瞬かせて、慌てて自分の頭を触った。
(な、何今の? 誰にも触れられていないのに、たしかに撫でられた感触があった……)
事態を把握できていないリーゼロッテの心を見透かしたように、
「撫でたのは俺だよ」
ヴァンは藁人形を見せながら、再度人形の頭部に触れる。同時に、リーゼロッテの体がびくんと跳ねる。
間違いない――藁人形の頭部とリーゼロッテの頭は、感覚を共有している。
「な、何が起きてるの?」
「こいつは呪術の基礎中の基礎……感染呪術だ」
「かんせん、じゅじゅつ……」
リーゼロッテはうわ言のように、ヴァンの説明をオウム返しする。
「『対象と接触した物は、霊的につながっている』という考えに基づいた呪術のことさ。接触した物っていうのは、身につけている物って言いかえるとわかりやすいかな? 髪の毛以外にも、その人が肌身離さずつけている物……たとえば、指輪やイヤリングなんかも該当する」
「は、はぁ……なんか魔術と全然違うのね」
リーゼロッテは初めて体感する奇異の術に唖然としている。
「今のはリーゼの髪の毛にオドを注入したんだ。そうすることで、リーゼがそれを身につけていた場所――すなわち頭と感覚共有という現象を起こした。その結果、オドが染み込んだ髪の毛を触ると、リーゼの頭も触られたように感じたんだんだよ」
「ふ、ふーん?」
「すげぇだろ? ちなみに! 素人のリーゼがイメージしやすいように藁人形の頭に巻いたけど、べつに藁人形なんか使わんでもできる。あ、ちなみにちなみに! 本来、藁人形を使う呪術は類感呪術って言うんだ。これは『対象と類似、または対象を模倣した物は、霊的につながっている』という考えに基づいた呪術のことで、まぁこれも感覚共有なんだけど――」
「ス、ストップ! ストーップ!」
リーゼロッテが耳をふさいで抗議する。頭からは煙がぷすぷすと出ていた。どうやら、ヴァンの説明が彼女のキャパを超えたらしい。
「んだよー。これから面白くなるのにー」
「きょ、今日はもうお開きにしましょう。疲れちゃったわ」
正直、リーゼロッテはヴァンの呪術に関する講義内容の半分くらいしか理解できていなかった。
初めて目の当たりにした術なのだ。一度や二度見ただけで理解するのは難しい。オドも呪術も感覚共有も、今までに聞いたことのない単語である。
要するに、オドと呼ばれる体内のエネルギーを使った、魔術とは根本的に異なる不思議な術……それが呪術。リーゼロッテは脳内で簡潔にまとめた。
「ま、呪術は神秘的な術だってことはわかったわ」
「あんなに解説したのに、感想それだけかよ……」
ヴァンがうなだれたそのとき、彼の手から藁人形が滑り落ちた。藁人形は頭から垂直に落下していく。
頭部にはリーゼロッテの髪の毛が巻きつけられたまま。もちろん、感染呪術の効力は有効だ。
その藁人形が、大地と激突する。
「んげっ!?」
カエルみたいな泣き声を漏らすリーゼロッテ。感染呪術の感覚共有により、頭に強い衝撃を受けたのだ。
「あ……ご、ごめんねリーゼ? わざとじゃないよ?」
素直に謝るヴァンだったが、ダラダラと汗をかいている。緊張しているのは明らかだ。
それもそのはず……リーゼロッテの額には、薄らと血管が浮き出ていた。
「……呪術のこと以外にも、ヴァンがムカつくヤツだってことがわかったわね」
「ち、違うよ? わざとじゃないよ?」
「ふぅん?」
「ほ、本当だって! マジでやるなら、もっとリーゼのことを辱めるよ!」
「ななっ、何えっちなこと考えてんのよ! この変態っ! どのみちぶん殴らないと気がすまないわ!」
「待て待て! 今のはギャグじゃん! ただの下ネタじゃん! だからその振り上げた拳を下ろし、ちょ、おまっ――おぎゃああああああ!」
ドカバキッ!
ドカッグチャッ!
……ヴァンはリーゼロッテにフルボッコにされた。
その様子を、エロガードマンは「こいつら、青春してやがるぜ……」みたいな顔で眺めていた。