05 ヴァン先生の魔術講座(前)
「リーゼ。たしかに、俺は魔術を教えると言った」
「そうね。言ったわよね」
「そしてリーゼは魔術の秘密レッスンをしてとも言った」
「言ったわね」
「貸した金を倍にして返すとも言った」
「言ってないわよ! ありもしない借金を返済させようとしてんじゃないわよ!」
「うるさい! 俺が言いたいのは、何も約束した当日からやる必要はねぇだろってことだ!」
ヴァンが抗議するも、リーゼロッテは涼しい顔をしてスルーする。
「弟子のクセに生意気っ! か、勘違いしないでよね! リーゼは俺の弟子なんだから! 師匠のこと、尊敬しないと駄目なんだからね!」
「何その変なキャラ……」
ヴァンはぎゃあぎゃあ騒いでいるが、全然相手にされていなかった。
あのあと、リーゼロッテは早速魔術の訓練をしてほしいとヴァンに懇願した。ヴァンは「いや、今日はもう寮で休みたいんだけど」と嫌がったが、リーゼロッテは暴力に訴えて、強引に連行したのだった。
「というか、どこだよここ……変なとこ連れてきやがって」
「ええっと、サウスエリアの――」
「ノースエリアだろ?」
「し、知ってるし!」
顔を赤くして、唇をツンと突き出すリーゼロッテ。彼女は魔術と並行して、方角のことも学ぶべきだ。
「訓練場よ、訓練場。ここで魔術の練習ができるの」
リーゼロッテの言うように、ここはノースエリアにある魔術訓練場だ。いくつか種類があるが、ヴァンたちがいるここは初級魔術のみ使用可能となっている。
一言で片づけるのなら、草原のような場所だった。ヴァンとリーゼロッテが出会った場所によく似ている。
この場所では攻撃魔術を放つ方向が決められている。あらぬ方向に魔術が飛び交い、器物破損を防ぐためだ。
なお、魔術指導科の担当官に使用許可は取ってある。生徒だけで魔術の使用するのは危険なので、授業以外で訓練場を使用する場合は許可がいるのだ。
「で、あのガタイのいいガードマンは何?」
ヴァンが指さした先には、屈強な体のガードマンが仁王立ちをしていた。険しいまなざしで二人のことを見ている。
「あれは魔術指導科から派遣された魔術師。さすがに学園の監督下じゃないと、魔術の使用は危険でしょ? 基本的に学園内の魔術の無断使用は禁止されているのよ」
「へぇ。リーゼ、詳しいじゃん」
「ふふん。これくらい当然の知識だわ」
得意気に無い胸を張るリーゼロッテだが、ファウスト魔術学園の入学案内書に全部書いてあることだった。無論、やる気のないヴァンは入学案内書に目を通してないので、知っているわけがない。
「それじゃあ、ヴァン。魔術を教えて?」
「はいはい。わかったよ」
観念したヴァンは、こほんと大きく咳払いをした。
「まずはリーゼがどれくらい知識あるのかを、話しながら確認しようか」
「ええ。わかったわ」
「あっちの方角が北ね。で、その反対が南。これはわかる?」
「地学の知識はいいから魔術の話をしなさいよ!」
方角の話なのに、地学って大げさだな……と、ヴァンは感想を抱いたが、言うとまたもめるだろう。口にするのはやめておいた。
「じゃあ質問するぞ。リーゼさん、マナってなーに?」
「石、木、水などの自然界における事象――森羅万象に宿る不思議なエネルギーのことよね? 魔術を発動するためにはマナを消費しなければならない……」
「うん、だいたい合ってる。そのマナを森羅万象から借りるために、俺たち魔術師は詠唱をするんだよな」
「はい」
リーゼロッテはいつの間にか敬語になっていた。ヴァンの講義に夢中になっており、本人は口調の変化に気づいていない。
「次の質問。単体魔術と複合魔術の違いは?」
「えっと、単体魔術は一つの属性のマナを消費する魔術で、複合魔術は二つ以上の属性のマナを消費する魔術です」
「それだとちょっと回答としては微妙だな。これがテストだったら、半分の点しか上げられない。そうだな……質問を変えようか。その二つの魔術の特性を言えるか?」
「えーっと…………たしか短縮詠唱の制限があったような?」
「そのあたり、少し怪しい感じ? じゃあ、今日はそのあたりを教えようか」
「は、はい!」
リーゼロッテは圧倒されていた。
やる気のなかったあのヴァンが、これほど覇気のある少年に見違えるなんて。
今朝、助けてもらったとき以来だ。リーゼロッテの瞳に、ヴァンが頼もしく映るのは。
やはりヴァンは、魔術に関わっているときはイキイキしているように見える。もっとも、魔術嫌いの本人はどう思っているのか知らないが。
「さて……その前に詠唱の話をしよう。俺は風系魔術が得意だから、風系魔術で例を見せるぞ」
そう言って、ヴァンは人差し指を前に出し、中空を指さした。
二人の間を一陣の風が通り過ぎる。
ヴァンはゆっくりと詠唱を始めた。
「『唸る風よ、この手に集束し、圧縮せよ。さらば御身を解放せん――』」
刹那、ヴァンの指先が緑色に輝き始める。
風のマナは彼の指に集い、やがて周囲を切り裂く真空の弾丸となる。
「『――エアリアル・バレット!』」
マナの弾丸は大気をぶち抜いて直進する。
弾丸だけでも相当な威力があるだろうが、あの弾丸の周りは真空状態だ。少しかすっただけでも、確実にかまいたちに切り刻まれる。
「す、すごい……!」
リーゼロッテは目を見開き、驚嘆の声を漏らす。
完全な詠唱、完璧なマナのコントロール、完成された魔術の破壊力……どの角度から分析しても、風系魔術を極めた術者の魔術にしか見えなかった。
エアリアル・バレットは、風系の初級魔術の中ではかなり難易度が高い。それを完成された形で発動できるのだから、ヴァンが新入生最下位でないことは明白だ。
「ま、こんなもんかなー。そんじゃ、講義に戻ろうか」
ヴァンは何もなかったかのように話を続ける。リーゼロッテも慌てて頭を勉強モードに切り替えた。
「今の魔術、何節詠唱かわかるか?」
「わかります。『唸る風よ/収束し/圧縮せよ/さらば御身を解放せん』だから、四節詠唱でしょう? 短縮していない、完全詠唱です」
リーゼロッテは即答する。
「へぇー、意外と勉強してるじゃん。もしかして、リーゼって頭はいいけど、実技はできないタイプ?」
「う、うるさいわね! 早く話を続けなさいよ!」
ヴァンは「はいはい」と苦笑する。
「じゃあ、やればできる子のリーゼに質問。完全詠唱と短縮詠唱の違いは?」
「い、言い方がムカつく……説明できるわ。完全詠唱は歴代の魔術師が作り出した、詠唱時間と威力のバランスが一番取れている完全な詠唱のこと。短縮詠唱は、それを短くアレンジしたオリジナル詠唱のことね」
「……でーすーがー?」
「な、何よそれ?」
「ここからが本題。さて、完全詠唱は、その名のとおり完全だ。それなのに、何故短縮詠唱なんてオリジナルがあるんだと思う?」
この質問には、リーゼロッテは言葉を詰まらせた。
今までそんなこと考えなかった。二種類の詠唱方法があり、短縮詠唱は不完全な詠唱だから、完全詠唱と比較すると威力が落ちる……それくらいの認識しかなかったのだ。
熟考の末、リーゼロッテは口を開いた。
「えっと……早い詠唱が可能だから? 威力を落としてでも、素早く魔術を発動させる必要があるときは、短縮詠唱で魔術を発動させる……そういうこと?」
「大正解だ」
ヴァンの言葉で、嬉しそうに頬を緩めるリーゼロッテ。難しい質問に答えられた達成感があるのだろう。魔術師なんて特殊な職を目指してはいるが、やはり年相応の女の子だ。
「短縮詠唱の威力が落ちるのは、マナを十分に得られないからだ。完全詠唱が森羅万象に対して『マナを貸してください。お願いします』という言葉だとすると、短縮詠唱は『マナ貸して!』程度のものだ。森羅万象といえど、後者よりも前者にマナを貸したくなるだろ?」
「なるほど。森羅万象は礼儀知らずが嫌いなのね」
だとすれば、森羅万象はヴァンのことが大嫌いね、とリーゼロッテは内心思う。
「あー、それにしてもつまらねぇな。俺は質問の答えがわからなくて落ち込むリーゼが見たいのに!」
「弟子をイジメて喜ぶなんて嫌な師匠ね……」
リーゼロッテは顔をしかめるが、そこに怒りや軽蔑はない。ヴァンと魔術の話題で対等に話せていることが、たまらなく嬉しいからだ。
「ちなみに、四節詠唱のさっきの魔術を一節詠唱で撃つことだって可能だ」
「え? たった一節詠唱で?」
たとえば『圧搾されし風の弾丸/今解き放たん』と、二節詠唱でエアリアル・バレッドを発動させることができる。これが短縮詠唱だ。
しかし、ヴァンはさらに短い一節詠唱で発動可能だと言う。
ヴァンは先ほどと同じように、指先を前に突き出した。
「一瞬だ。よく見てろ――『どかん!』」
ヴァンの指先から、緑色の光が放たれる。
先ほどとは異なり、風のマナの総量も少なく、マナの圧縮も不完全だ。風の弾丸というよりも、突風に近い。
しかし、それでも真空の刃を作りだしていることに変わりない。触れたら怪我をするだろうし、切れ味もそこまで悪くないはずだ。
「どうだ? これが短縮詠唱だ。詠唱速度は格段にスピードアップしたけど、威力と制度は格落ちするだろ?」
「な……ヴァンって、やっぱりめちゃくちゃすごい魔術師なの?」
リーゼロッテの顔が引きつった。
たった一言で――しかも『どかん!』なんて適当な詠唱で、あれだけの魔術を発動できるとは。憧れを通り越して、畏怖の感情さえ覚える。リーゼロッテは、それほど明確な実力差を感じ取ったのだった。
「まぁ俺は風系魔術が得意だし、これくらいできるよ。他のマナはたぶん無理」
大まかに分類すると、マナは六種類ある。水、火、地、風、光、闇の六大元素だ。ヴァンはこのうち風のマナを使う魔術に長けている。
実はリーゼロッテの家系――スカーレット一族は火系魔術が十八番だったりする。もっとも、ヴァンにこれほどの実力を見せつけられた今、火系魔術が得意だと言っても、なんの自慢にもならないが。
ヴァンがまさかこれほどまでに優秀な魔術師だったとは……リーゼロッテは驚くほかない。
とはいえ、無詠唱で魔術を発動できるくらいだから、ヴァンにとっては、これくらい造作もないのだろう。
「あ…………あれ?」
リーゼロッテは首を傾げた。
彼女はあることに気づいたのだ。
「おかしいわよ……」
ヴァンは無詠唱で風系魔術を撃っていた。当然、無詠唱だから、短縮詠唱よりも速い。というか、ノータイムで発動可能だ。それだけ速ければ、威力や制度は落ちるのが普通なのではないだろうか。
しかし、あのときの無詠唱魔術のほうが、つい先ほど見た短縮詠唱魔術よりも強力だった。むしろ、完全詠唱と比較しても遜色のない威力だったと記憶している。
「ねぇ、ヴァン。質問してもいい?」
「ヴァンではない! 俺様のことは教官と呼べ!」
「質問、してもいい?」
「そ、そんな怖い顔して睨むなよ……一度だけでいいから、呼ばれたかっただけなのに」
ヴァンは拗ねた子どもみたいに頬をふくらませた。今年で十六歳になる少年の表情とは思えないほど幼い。
「くだらないこと言ってないの。で、質問してもいい?」
「はいはい。どうぞー」
「無詠唱魔術って、どういう原理で発動しているの?」
「はぁ? 無詠唱なんて、魔術師団の頭のいい人たちが研究中の分野だろ? 俺が知るわけないじゃん」
「え? でも、私を助けてくれたとき、詠唱してないのに魔術を発動させたじゃない!」
「ああ、あれか。あれは無詠唱じゃねぇよ」
リーゼロッテは困惑した。
あのときの風系魔術は、どう考えても無詠唱だった。
もしかして、聞き取れないほどの小さな声で詠唱していたとか?
しかし、森羅万象に小声でマナを貸してとお願いするなど、それでも威力は落ちるだろう。森羅万象は礼儀知らずは嫌いだからだ。
そもそも、草を切るだけの威力があれば事足りる。ヴァンの実力なら『どかん!』の一言で済む話。これに勝る短縮詠唱はないだろう。小声で詠唱するメリットなどない。
……やはり無詠唱以外に考えられない。
リーゼロッテが悩んでいると、ヴァンは苦笑した。
「リーゼ。考えても、たぶん答えは出ないと思うぞ」
「ど、どうしてよ!」
「知りたいか? 俺が魔術の常識の外にいるからだ……ふっ、決まったぜ」
ヴァンはキリッとした表情を浮かべて、虚空を見つめる。彼なりの決めポーズなのか、あごに手を添えてカッコつけていた。
「どういうことなの?」
「む、無視すんなよ……ぐすん」
ヴァン、涙目。そんなにかまってほしいのか。
「ぐすん……ま、まぁいい。説明してやるよ。リーゼを助けたあの魔術は、無詠唱魔術じゃない。完全詠唱で発動させた魔術だ」
「え? でもあのとき、ヴァンは詠唱していなかったわ」
「そうだな……いい直そう。完全詠唱で集めたマナを限定的に札に封じ込め、それを解放させたんだ」
「なるほど…………いや、全然わからないんだけど」
リーゼロッテは難しい顔をして首を傾げた。
マナを札に封じ込める? 解放する?
そんな魔術、聞いたことがない。
六大元素の組み合わせで、マナの封印なんてできやしない。そもそも、その発想を思いついたことさえなかった。
もしも特殊な札に、魔術がすぐに発動できる数のマナを封じ込めることができれば……それは魔術を持ち運べるようなものだ。
「実物を見せたほうが早いかな?」
ヴァンはブレザーの内ポケットから、札を取り出した。
その札には幾何学的な模様が描かれている。リーゼロッテには、それが何を表しているのかさっぱりわからなかった。
「何これ? これにマナを封じ込めてるの?」
リーゼロッテは興味津々に札を見つめている。
ヴァンは札をひらひらと揺らし、ニヤリと口角を上げた。
「手品のタネを教えてやろうか……呪術だよ」
呪術――魔術とは異なる、神秘の力。
物体に神性を感じる信仰を基礎として、その考え方を術として昇華させた……それが呪術だ。
ヴァンは魔術の才覚がある。
だが、それだけではない。
この少年は魔術と呪術を自在に操る、稀代の異端魔術師だった。
「今日の魔術講義はここで終了だ。さて、呪術の内容は講義じゃねぇけど……どうする? 受けたいか?」
こんなに興味深い話を途中まで聞かせられて、続きを受講しない魔術師がいるだろうか。
「受けたいです!」
リーゼロッテは目を輝かせて、首を縦に振った。