04 落ちこぼれ魔術師たちの契約
担任のレジネッタは、主に二つのことについて説明した。
一つは寮の場所、そしてもう一つは授業についてである。
寮は学園のイーストエリアにある。男子寮、女子寮、男子教員寮、女子教員寮に分かれており、生徒が使う寮は男女合わせて十二棟。教員はそれぞれ一棟ずつ建っている。
ファウスト学園に通う生徒は、入寮するように義務付けられている。ヴァンやリーゼロッテもこれからは寮で生活することになる。もちろん、男女別々の寮でだ。
授業は基本六教科と魔術四教科がある。史学、理学、文学、語学、体育、芸術が基本六教科で、魔術総論、魔術理論、魔術実習、精霊学が魔術四教科だ。
講義はサウスエリアで、実技演習はノースエリアで、それぞれ授業を受けることになっている。
なお、ヴァンは机に突っ伏して寝ていたので、レジネッタが話している間、ずっと夢の中にいた。
リーゼロッテも、これらの話を集中して聞いていたわけではない。
もちろん、原因はアリアに馬鹿にされたからである。
そして……馬鹿にされてもへらへらしていたヴァンも原因の一つだった。
本当は優秀な魔術師なのに、言い返さないなんて……まるで自分の真の実力を隠しているみたいだ。
何? あの馬鹿カッコつけてんの? 「能ある鷹は爪を隠す」ってこと? なんだそのクソみたいな美学は! とっとと本気出しなさいよこのクズ! と、リーゼは内心でブチギレていた。
その怒りは表情にも滲み出ていたらしい。
「リ、リーゼが怖いですわ……」
リーゼロッテの隣に座っていたアリアは、彼女の鬼の形相を見てドン引きしていた。
「すぴー、すぴー……」
赤い髪の少女の気持ちなど露知らず、ヴァンは静かに寝息を立てるのだった。
◆
レジネッタが解散を命じた後、クラスメイトたちは寮へと向かった。
現在、教室にはヴァンとリーゼロッテの二人きりである。
「ねぇ、ヴァン。ちょっと話があるんだけど」
「すぴー、すぴー……」
「いつまで寝てるのよ!」
リーゼロッテがヴァンの頭を叩く。
すぱぁん! という小気味のいい音が室内によく響いた。
「……んあっ? リーゼ、昨晩はおはようございましたか?」
「何寝ぼけてんのよ。そんなことより、聞きたいことがあるの」
ヴァンは目を擦りながら「なんだよー」と眠たそうな声を上げた。その気怠そうな態度が、リーゼロッテの神経を逆撫でしているとも知らずに。
「どうして実力テストの結果が最下位なの?」
リーゼロッテは強い口調で問いただす。
「あーそれ? 単純な話だ。テスト受けてないから最下位なんだよ」
「えっ……何よそれ。当日に何かトラブルがあったとか?」
「いや、違うんだ。実力テスト受けなかったら、学校退学になると思ったんだよね。だからサボったの。まぁ作戦は失敗しちゃったわけだけど」
「えっと……意味わかんないんだけど」
「俺、母さんに無理矢理この学園に入れられたんだよ。本当は魔術の勉強とか嫌なのにさ。俺は学校辞めたいんだけど、なんかもう無理っぽいし……ちょっとあきらめモードかなぁ」
「それってつまり、ヴァンは魔術師になりたいわけじゃないってこと?」
「うん。俺、主夫になりたい!」
「あなたって人は本当によくわからないわ……」
リーゼロッテは肩をがっくりと落とす。呆れ果ててしまったせいか、さっきまで抱えていた怒りさえも忘れてしまった。
ヴァンは魔術師になりたいわけじゃないと言う。主夫になりたいという気持ちは理解できないけれど、彼の言いたいことは理解した。
となると、ヴァンは魔術師としての誇りはさほどないわけだ。アリアに馬鹿にされても、多少イラつくかもしれないが、基本的にノーダメージなのだろう。
それならば、とリーゼロッテは考える。
ヴァンはアリアを見返してやる気はサラサラない。
アリアを見返すには、自分が強くなるしかないのだ。
「実力テストの結果は最悪だったけど……私、絶対に一流の魔術師になってやるわ! アリアが文句なんて言えないくらい、立派な魔術師に!」
「おう。頑張れー。じゃあ、俺は寮に――」
「待ちなさいよ」
立ち上がったヴァンの肩を力強く握って引き止めるリーゼロッテ。ミシミシと嫌な音がする。その握力は乙女のものとは到底思えない。
「リ、リーゼ? 肩痛いんですけど。肩もみなら、もうちょっと優しくしてくれる?」
「ヴァン。お願いがあるの」
軽口を叩いたヴァンだったが、リーゼロッテの表情があまりにも真剣だったので、すぐにその口を閉じた。
目を細め、ヴァンは問う。
「お願いってなんだ?」
ヴァンが尋ねると、リーゼロッテは肩を掴んでいた手を離した。
「あ、あのね……私に、魔術を教えてほしいの」
リーゼロッテは、どこか申し訳なさそうに笑った。
普段はヴァンのことをクズだのなんだの言っておいて、今さら頼るのはバツが悪いのだろう。
でも、そんなことは些細な問題だった。
自分を、そしてヴァンを馬鹿にしたアリアを見返す……そのためなら、自分の羞恥心もプライドもすべて捨ててみせよう。
リーゼロッテはそう決意した。
「お願い、ヴァン! 私だけの先生になって!」
「その言葉、なんかそそるな……もう一歩踏み込んで『授業じゃ教えてくれないことを手とり足とり教えて!』って言ってみてくれる?」
リーゼロッテは「誰が言うか、この変態!」と言いかけて言葉を飲み込んだ。
そうだ……羞恥心もプライドも、今さっき捨てたのだ。
その恥ずかしい台詞さえ言えば、ヴァンは協力してくれる。だったら、恥ずかしがっている場合ではない。
リーゼロッテは頬を朱に染めて、もじもじしながらヴァンを上目づかいで見た。
「ヴァン……授業じゃ教えてくれないこと、手とり足とり教えて? 放課後の秘密のレッスンしてぇ……?」
「いい! すごくいい! もじもじした仕草も相まってグッとくるな!」
「やった! 不安だったけど、私にもできた!」
「ああ、とてもいいお願いだった。大人の色香はないが、男の庇護欲を刺激する名演技だったと言えよう」
「あなたの立ち位置はよくわからないけど、それならよかった……それじゃあ魔術を教えてくれる件、引き受けてくれるわね?」
「だが断るッ!」
「この流れで!? 今イケそうな雰囲気だったじゃない!」
「いやー、だって嫌なものは嫌だもん。正直、グッときたけど」
「グッときたなら引き受けなさいよ!」
「そもそも、俺はリーゼに例の台詞を言えって言っただけだ。教えてやるとは言ってない」
「そ、そういえば、そうだったかも……くっ! なんて巧みな話術なの!」
巧みな話術ではなくて、自分で勝手に騙されただけである。ただのリーゼロッテの勘違いだ。
「うう……じゃあ私はどうすれば……」
ヴァンだけが頼りだったのに……リーゼロッテは途方に暮れた。
しかも、あんな恥ずかしいことまで言わされたのだ。なかなか不憫な少女である。
リーゼロッテの背後には、どんよりとした負のオーラが立ち昇っていた。
さすがに見かねたヴァンが、ふっと表情を和らげる。
「そんなに落ち込むなよ……。しょうがねぇな。わかった、わかった。その話、引き受けてやるよ」
「ほ、本当に!?」
「ああ。本当だ」
リーゼロッテは首を縦に振るヴァンを見て、感動で瞳を潤ませた。
「ヴァン……ありがとう! 今までクズだと思っていたけど、本当は心の優しい男の子だったのね。私、あなたのことを見直したわ」
「授業料は教えるその日の昼食な! 奢れ、奢るんだリーゼ!」
「ちょ、お金取るのっ!?」
「当然だ。少し考えればわかることだろ。ククク……見返りなしでこの俺が動くとでも?」
「な、なんなのこの人……」
ヴァンはどこまでいってもヴァンだった。
だが、やる気のないあのヴァンが、条件付きとはいえ、こんな面倒くさいことに首をツッコむとは……ヴァン自身も内心で驚いていた。
もしかしたら、心のどこかで自分が――そしてリーゼロッテが馬鹿にされたことに、モヤモヤしていたのかもしれない。
「リーゼ……俺がお前のことを学年一の魔術師にしてやんよ」
ヴァンは得意気に笑ってみせた。
学年一の魔術師という言葉……なんと甘美な響きだろう。生意気なアリアを閉口させるには、それくらいの肩書きがちょうどいい。
リーゼロッテの心に火がついた瞬間だった。
「うん! 私を学年一の魔術師にして!」
「任せろ。お前を巨乳にすることは不可能だが、アリアを超える魔術師にすることなど造作もない! 胸はあきらめろ! いいか、下手に希望を持たないように念を押しておく……お前は一生貧乳だ!」
「ざけんなっ! いつもいつも一言余計なのよ!」
「リーゼさん、おしりはやめて!」
今日何度目かわからないが、ヴァンはケツキックをお見舞いされた。懲りない男である。
まぁ、なんにせよ。
こうしてここに、落ちこぼれ魔術師師弟コンビが人知れず結成された。
「……ねぇ、ヴァン?」
「なんだ」
「授業料、出世払いでもいい?」
「ええー……仕方ねぇなぁ。その代わり、昼食じゃなくて高級グルメな!」
「こ、高級グルメ……仕方ねぇなぁ」
「おい。真似すんなよ」
「師匠の真似をするのは、弟子なら当然のことよ」
「お、言うじゃねぇか。リーゼは生意気だなー」
「あなたもね」
くだらないやり取りで笑い合う二人。
弾むような笑い声を上げながら、ヴァンは思う。
(魔術学園なんて辞めたいと思っていたけど……まぁ、もう少し様子を見てみるか)
やる気のない魔術師が、ちょっとだけ前を向いた瞬間だった。