02 王立ファウスト魔術学園
「なぁ、リーゼ。この道で間違いないのか?」
「…………」
「リーゼロッテさーん。無視しないでくださーい」
「……………………」
「やーい、エロパンツ痴女ー」
「誰が痴女よ!」
「リーゼさん痛いです!」
ヴァンのおしりに、リーゼロッテの強烈な回し蹴りがヒットした。ヴァンは涙目でおしりを擦っている。
ヴァンに対するリーゼロッテの「お仕置き」が終わった後、彼らは学園に向かった。
ただし、二人の間にほとんど会話はない。あっても、今のように憎まれ口と暴力によるコミュニケーションくらいだ。
リーゼロッテは乙女の秘密が暴かれただけでなく、デリカシーのない発言で傷つけられたのだ。険悪なムードになっても仕方がない。
しかも、先ほどの会話から察するに、ヴァンは反省していないのだろう。これでは彼女の怒りが収まるはずもない。
リーゼロッテは苛立ちを覚えつつも、先ほどの一件を思い出す。
ヴァンは紙切れを投げ、風系魔術を発動させた。そしてマナを吸った草を切り裂き、彼女を助けた。
そんな事象は、あり得ない。
何故なら、魔術を発動させるには詠唱が必要だから。
魔術はマナを消費することで発動する。そしてそのマナは、自然界に存在するありとあらゆる物質――森羅万象から抽出する。たとえば、土からは地のマナを、大気からは風や水のマナをそれぞれ取り出すことが可能だ。
では、どのようにしてマナを抽出するのか?
その手段こそ、詠唱である。魔術師は森羅万象に語りかけ、マナを引き出す。詠唱とはつまり、「ごめん、森羅万象。魔術使いたいからマナ貸してくんない?」というお願いである。
ここで一つ疑問が生じる。
どうしてヴァンは無詠唱で魔術を発動させられたのか。
森羅万象に無断でマナを借りるなど、可能なのだろうか。少なくとも、リーゼロッテはそのような前例を聞いたことがない。
(変態でクズ野郎だけど……魔術師としては一流なのかも)
リーゼロッテはヴァンのことを密かに『すごいヤツ』認定していた。
「ねぇ。あなた、名前は?」
歩きながら、リーゼロッテは問う。
「ヴァントネール=クロウリー。親愛を込めてヴァン様って呼んでくれてもいいよ?」
「ヴァントネール……ク、クロウリィィー!?」
リーゼロッテは口をあんぐりと開け、目をぱちぱちと瞬かせた。驚愕のあまり、アホ面になっている。童顔とはいえ、美しい顔が台無しだ。
「あ、あなたの家系、クロウリーなの!? 最高の魔術師の一族と評されている、あの有名なクロウリー家!?」
「そうだよん。俺様、クロウリー家のお坊ちゃんです」
ヴァンは軽い調子で言っているが、クロウリー家は魔術の名門。先祖はやれ一人で百の艦隊を沈めただの、やれ悪魔召喚できるだの、嘘か真か数多くの伝説がある。
仮にそれらの伝説が嘘だとしても、超一流の魔術師の家系であることは間違いない。その証拠に、彼らの生活するノゲール国の歴代の王の中に、クロウリーの名を冠する者もいる。
今はもうさほど権力はなく、以前と比べて衰退した家系ではある。しかし、それでも魔術師ならクロウリーの名を知らぬ者はいないだろう。
「こ、こんな変態エロ魔術師がクロウリーだなんて……世も末ね」
「どうしてかな? 名乗っただけなのに、心に傷を負ったんだが」
ヴァン、再び涙目。彼のハートは案外脆かった。
一方でリーゼロッテは、口をつく言葉とは裏腹に、ヴァンの認識を『なんかめっちゃすごいヤツ』に格上げしていた。
(そうか……クロウリーを名乗る魔術師なら、何か不思議な魔術が使えるのかもしれないわ)
リーゼロッテがヴァンに尊敬のまなざしを送っていると、彼は首を傾げた。
「リーゼ? どうかしたか?」
「え? い、いや。人は見かけによらないなぁと思っただけ」
「おまっ、照れるからよせよぉー! もぉー! なんなの急にー? なんなのもぉー!」
「どうして嬉しそうなのよ……」
意味がわからない。というか、そもそも褒めてない。
体をくねらせるヴァンを見て、リーゼロッテは深いため息をついた。
「はぁ……まぁいいわ。あなたは命の恩人だし、数々の無礼は水に流すことにします。仲直りしましょう?」
リーゼロッテは柔らかく微笑んだ。
美しく、慈愛に満ちた優しい笑顔である。顔や体型には幼さが残るものの、天使のような美少女だ。
「ありがとう。じゃあ仲直りの握手しようぜ。はい、お手」
「わんわん――って何させんのよ!」
リーゼロッテは、差し出された手を叩き落とした。ヴァンのくだらないボケに付き合うあたり、彼女はお人好しなのかもしれない。
「ぶははっ! 冗談だよ、リーゼ。これからよろしくな」
ヴァンは仕切り直して、今度こそ握手を求めた。
彼があまりにも普通の行動を取ってきたので、リーゼロッテは警戒する。
「な、何よ。急にまともになっちゃって。何か企んでるの?」
「いやべつに。普通に友達になりたいなぁーって思っただけ」
ヴァンはしれっとそう言い放つ。彼のぼけっとしたその表情からは、何も画策していないことは見て取れる。
――友達になりたいと思っただけ。
リーゼロッテはその言葉を受けて、彼を疑った自分を恥じた。
たしかにヴァンは、女の子の香りを嗅いで興奮してしまうような変態だ。
それは揺るがないけれど、べつに悪人ではない。ヴァンはエロくて、ちょっぴりへそ曲がりの魔術師なだけだ。
第一印象だけで、その人のすべてを決めるのは好ましくない……リーゼロッテは考えを改めた。
(この人……根は善人よね。私のことも助けてくれたし)
と、そのとき脳裏に疑問が浮かぶ。
「あなたに聞きたいんだけど」
「俺のことはヴァンでいいぞ」
「わかったわ。ねぇ、ヴァン。あなた、私を助けてくれたわよね?」
「そうだな」
「どうして一回目――草に絡め取られていたときは助けてくれなかったの? そして、どうして二回目は助けてくれたの?」
「ああ、そのこと? 一回目は、見た感じあと一、二分で魔術の効果が切れそうだったじゃん? だから放っておけば、すぐに元に戻るかなって思ったんだけど……ダメだった?」
「えっ? そ、そうだったの?」
見ただけで、マナの総量や動きを詳細に分析できるのか……ヴァンはやはり魔術に長けているようだ。
「――ってそれを早く言いなさいよ!」
その一言があれば、だいぶ第一印象が変わったのに。それどころか、怒りに任せて複合魔術を発動させることもなかった。まぁどのみち最初の段階で助けるのが、一般的な紳士ではあるが。
「悪い、悪い。まぁ二回目に助けたのはあれだ。単純にリーゼのことを助けたいって思ったんだよ。だってさぁ、あのときは大ピンチだったじゃん? 助かって本当によかったよ」
ヴァンはへらへらと笑いながら説明した。
「単純にリーゼのことを助けたいって思った」――その言葉が、リーゼロッテの鼓動をどくんと跳ねさせた。
見た目は覇気のない男なのに、案外男らしい一面もあるらしい。
不覚にも、ヴァンのことをちょっとカッコいいかも、なんて思ってしまった。
「どうしたリーゼ? 顔赤くね?」
「べっ、べつになんでもないわよ! そんなことよりも、早く行きましょう!」
照れ隠しか、リーゼロッテは歩を速めた。
「何怒ってんだよ……まだパンツのこと根に持ってるのか?」
いや、それはたぶん根に持っているだろう。このデリカシーのなさは、さすが安定のクズ野郎である。
ヴァンは「女って面倒くせー」と愚痴りつつ、リーゼロッテの後を追った。
◆
「「デカい……」」
ヴァンとリーゼロッテの声がキレイに重なった。
二人は眼前にそびえる巨大な鉄製の門を見上げている。背の高い堅牢な門は、来る者を威圧するかのごとく立っていた。
リーゼロッテは視線を戻し、門の横に埋め込まれたプレートを見る。
「王立ファウスト魔術学園……入学試験は別会場だったから、来るのは今日が初めてなのよね」
魔術の名門校を前にして、リーゼロッテはおもわず息を飲む。
学園の周囲は、高く積み上がったレンガで囲まれている。正門からでないと侵入も脱出も困難だ。
そのうえ、中にはガードマンとして雇われた一流魔術師がいる。見つかったら最後……強力な魔術の餌食になるだろう。
正門の側には守衛が立っている。黒衣を身に纏い、肩に烏を乗せている。最近では、生き物を使役している魔術師はあまり見かけないが、あの烏は守衛の使い魔だろう。おそらく、上空から園内を監視するための使い魔だ。
なんというか……まるで監獄である。
荘厳なたたずまいの学園を前に、ヴァンはあくびを一つ。
「くぁっ……さーて、灰色の学園生活の始まりだぁー」
「どんだけ後ろ向きなのよ……」
やる気なし魔術師と赤い髪の少女は、守衛の案内に従い、中へと入っていった。
メインストリートを歩いていると、中央広場に出た。
広場の真ん中には噴水がある。
周囲にはベンチと白い机が点在している。あそこで昼食を取るのも悪くなさそうだ……リーゼロッテはこれからの学園生活を思い描く。
「なぁリーゼ。入学式ってどこでやるの?」
「えっと……この広場を中心に東西南北の四つのエリアに分かれているみたい。講堂はサウスエリアにあるらしいわ。こっちね」
「そっちは北じゃね?」
「う、うるさいわね! スカーレット家ではこっちが南なのよ! そういう家族ルールなの!」
「何その苦しい言い訳。お前の一族、ただの非常識じゃん……」
「ちょ、ちょっと間違えただけでしょ!? いちいち細かい人ね!」
「方向音痴なリーゼ、かっわいー」
「馬鹿にすんなっ!」
「リーゼさんおしりはやめて!」
リーゼロッテはボールを蹴る要領でヴァンのおしりを強く蹴った。スパァン! という景気のいい音が、春の空気を震わせる。
「何これすごく痛い……血が出たかも」
「ふ、ふん! あなたが悪いんですからね! 私、謝らないから」
「うう……可愛いと思ったのは本当なのに。ひどいよリーゼ……」
「なっ――」
不意に放たれた褒め言葉に、リーゼロッテは動揺した。
可愛い……自分が、可愛い?
リーゼロッテは今まで女子校に通っていたので、同年代の男との接点はないに等しい。故に、異性にそんなことを言われたのは初めてだった。
端的に言えば……リーゼロッテは今、褒められてめっちゃ喜んでいる。
彼女は頬を朱に染める。
「ほ、ほら! 講堂に行くわよ!」
リーゼロッテはヴァンの前を歩く。舞い上がる気持ちを彼に悟られないように――。
「うふふ……同年代の子が、私のこと可愛いって……うふふふぅ……」
全然駄目だった。舞い上がる気持ちは、気色の悪い笑い声でだだ漏れである。よほど嬉しかったらしい。
いくら魔術師といえど、リーゼロッテだってやはり年頃の乙女なのだ。
「……リーゼって変なヤツ」
涙目のヴァンは、おしりを押さえながら彼女の後を追った。