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01 魔術師ヴァンは安定のクズです

 林を進むのは若い少年だった。


 それはもう、見るからにやる気のない少年だ。


 少し乱れた黒髪と、くすんだ黒目。歳は若いけれど、年相応の覇気は感じられない。新品の学生服を着崩していることも、気怠い雰囲気を醸し出している一因だろう。


「ここ突っ切れば近道って本当かよ……母さんも案外適当だからなぁ」


 愚痴をこぼしつつ、少年は重たそうに足を動かし、のそのそと歩いている。

 この林を抜ければ、王立ファウスト魔術学園が見えてくる。


 少年は今日から魔術学園に通う新入生だった。

 新入生といえば、学園生活に不安を覚えつつも、大きな期待を胸に秘めているものだ。勉学に励み、魔術を覚え、仲間や恋人を作ったりする……そんな充実した学園ライフを、誰しも一度は夢見るだろう。


 この少年もまた、新生活に心躍らせて――。


「あーあ。どうやったら学園辞められるんだろうなぁ……」


 なかった。この少年、真性のクズである。

 入学初日から辞めることを考えるなんて……少年よ、何故入学した?

 どうして彼は通いたくもない学園に入学したのか。


 話は半年前に遡る――。




 少年の母親は、少年に魔術学園への進学を薦めた。息子の持つ魔術の才覚を見抜いてのことである。

 対して少年は「やだやだ! 魔術学園になんて行かない! 絶対に俺は入学テストなんて受けないからな!」と母親に駄々をこね、猛抗議した。

 教育ママと巷で評判の母親は息子のワガママを許さなかった。


「ヴァン! あなたには魔術くらいしか取り得がないでしょう! あなたから魔術を取ったら、ただのクズよ!」

「クズ呼ばわりするの!? 俺、あんたの息子だぜ!?」

「あら、私としたことが……ごめんなさい。ヴァンにも長所はあったわね」

「そ、そうだよ。魔術以外にも、俺の長所はいくらでもある――」

「ヴァンは美白だものね」

「微妙! それ女子しか喜ばねぇから!」

「あと指がキレイ」

「だから女子かって! そういうことを言ってるんじゃないんだよ!」

「とにかく! あなたは王立ファウスト魔術学園に入学試験を受けるの! 決定事項なの!」

「嫌だッ! 俺は将来主夫になるからいいんだよ! お嫁さんに養ってもらうんだ! というか、俺の磨き上げられた家事スキル、母さんも知っているだろ?」

「たしかに料理は上手いし、掃除洗濯その他の家事も卒なくこなすけれど駄目よ! ヴァンはマザコンでしょう? マザコンはマザコンらしく、母親の言うことを聞きなさい!」

「マザコンちゃうわ! 勝手に変な属性付け足すな!」

「まぁ、強情なマザコンだこと! 言うことを聞かないと……『逆巻く烈風よ、閃光を走らせ、震える空を裂き――』」

「ちょ、自宅で上級魔術使おうとしてんじゃねぇよ! マイホームが木端微塵になるわ!」

「『大地を穿ち――』」

「わかった、わかったから! このヴァントネール=クロウリー、喜んで入学試験を受けさせていただきます!」

「ほう? クズのあなたが、簡単に名門校に進学できるとでも?」

「母さんが進学しろって言ったんだよなぁ!?」

「私が言いたいのは、今日から勉強しなさいってこと! とりあえず、家庭教師を雇います」

「マ、マジか……」

「マジです」


 こうしてマザコン、もとい少年ヴァンの試験勉強は始まった。


 まったくやる気のなかったヴァンだが、必死に勉強した。何故なら、もし受験に失敗したら、無一文で家を追い出すと脅されたから。ヴァンの母親は行き過ぎたスパルタ教育だったのだ。まぁ無気力でやる気のないヴァンには、厳しいくらいがちょうどいいのかもしれないが。


 ヴァンの面倒を見る家庭教師は非常に優秀だったが、ヴァン自身も頭はいい。彼は水を吸うスポンジのごとく、どんどん知識を吸収していった。

 そして王立ファウスト魔術学園の入学試験を受け、見事合格したのだった。





 半年前のやり取りを思い出し、ヴァンは盛大に嘆息する。


「はぁ……魔術の勉強なんか必要ないんだよ。俺は主夫になりたいのに」


 ヴァンは働きたくないと常々思っている。いや、正確に言えば『魔術師』として働きたくないのだ。

 ヴァンはべつに魔術師になりたいわけじゃない。家で料理したり、掃除や洗濯をしていることのほうが好きだったりする。ヴァンが魔術学園への進学を嫌がり、主夫を希望したのは、そういう気持ちがあったからだ。


 国家間の争いにおいて、今や魔術師は貴重な『駒』である。

 剣や弓矢も重要だが、戦争の行く末を決定づけるのは、いつだって優秀な魔術師のこの時代……魔術の才覚があるヴァンは、未来の将官候補と言える。


 とはいえ、世界では絶えず抗争が続いているわけではない。むしろこの国はとても平和だ。

 しかし、いつ戦争に巻き込まれてもおかしくない。先日もこことは別の大陸で、隣国同士でやり合った。

 そんな時代だからこそ、魔術師は優遇されるのだ。命の危険は少なからずあるが、生活に困ることはない。安定した未来が待っている。魔術の資質がある息子を魔術師にしたいと思う母親の気持ちもわからなくもない。


「ったく、自分の道は自分で決めるっつーの」


 ヴァンは独り()ち、林を進む。


 どれだけ歩いても、視界はほとんど変わらない。

 両隣には、樹木が身を寄せ合うように立ち並ぶ風景が続いている。分かれ道に出くわしたのも二回だけ。目的地に近づいているという手応えはまるでない。


 ヴァンが「このままバックれちゃおうかな……」と考えた、そのときだった。


「きゃあああああああ!」


 絹を裂くような、若い女性の悲鳴が近くから聞こえた。


「な、何だ? 山賊でも現れたか? それとも暴漢?」


 最悪なシナリオがヴァンの脳裏によぎる。

 こんなにも人気のない林の中だ。盗賊どもが女性から金品を巻き上げた後、乱暴するという筋書きは想像に難くない。

 声の方角から、女性がいるのはこの道の先だろう。


「大変だ! 助けないと!」


 ヴァンは弾けたように駆けだした。


 ヴァンは魔術に関してはやる気がなく、入学初日から退学する方法を考えているようなクズだ。それは誰もが認めるところである。

 しかし、性根まで腐っているわけではない。良心くらいはある。女性のピンチを黙って見過ごすほどの人でなしではなかった。


 ヴァンは今、誰かのために動いている。もちろん、見返りなど求めていない。襲われている女性を助けたいという、正義の信念のみが彼の原動力――。


「もし助けたら、その子は俺にメロメロだろうな。助けたお礼にあんなことやこんなことをしてくれるかも……むふふ」


 ……ではなかった。ただの思春期をこじらせたエロガキだった。


「これより作戦名『助けたあの子で春のパイ祭り』を実行に移すッ!」


 なんとなく卑猥な作戦名を口走り、ヴァンは幸せそうな笑顔を浮かべる。

 やはり母親の言うとおりだ。ヴァンは本格的にクズらしい。


 理由はどうであれ、ヴァンは女性を助けるため、林の中を疾駆する。足に力を込めて、必死に大地を蹴った。


 そして、視界が開ける。


 密集していた木々はなくなり、草むらに出た。草の高さは低く、せいぜいヴァンの膝のあたりだ。

 そんな背の低い草だらけのこの場所で、明らかに背の高い草が正面に見える。天に向かって伸びたその草は、成人男性の身長の二倍以上はあるだろうか。

 ヴァンはその草を見上げる。


 ……制服姿の若い女の子が草に絡め取られていた。


「あ、その制服……」


 どこかで見たような制服だと思ったら、ファウスト魔術学園の女子の制服だった。灰色のブレザーに、これまた灰色と赤の混ざったプリーツスカート。学年まではわからないが、同じ学園の生徒のようだ。


 女の子はヴァンの存在に気づくと、その表情に花を咲かせたように笑顔を見せる。


「あ! そこのあなた! 差し出がましいお願いですが、私を助けてはくれませんか!? 自力では降りれないんです!」


 草に絡まっている女の子は、大きな声で助けを請う。


 ヴァンは女の子を観察した。

 まず燃えるような赤い髪に視線を奪われた。肩まで伸ばした彼女の赤髪は、絹糸のように細くしなやかに映る。

 次いで緋色の瞳。その神秘的な大きな瞳を見ていると、吸い込まれてしまいそうな錯覚すら覚える。それほど神々しく、そして美しい。

 さらに視線を下に向けたとき、ヴァンは震えた。


「そ、そんな……あんた、俺を騙したのか?」


 ヴァンの視線は彼女の胸元に向けられている。


「へ? ど、どういうこと?」

「あんたのおっぱいじゃ……貧乳じゃ『春のパイ祭り』ができねぇってことだよ!」

「本当にどういうことなのっ!?」


 女の子、涙目である。


 いったいなんなのだ、この男は。

 助けに来たかと思ったら、人のコンプレックスである胸を小馬鹿にしてきた。最低だ。デリカシーのない、最低のクズ野郎だ。女の子が困っているのだから、もっと紳士的に接してくれてもいいのに。なんて無礼なヤツ!


 女の子が怒りをぶつけようとしたとき、ヴァンは手を振った。


「それじゃあ俺、先行くわ」

「ちょっと! 何さらっと行こうとしてんのよ!」

「だって俺、入学式あるから」

「私もあるのよ! まさか、その制服……あなたもファウスト魔術学園の生徒?」

「おおっ、あんたも同級生だったのか! 奇遇だな! じゃあ俺、先に――」

「だから行くなって言ってるでしょ!」


 女の子は喰い気味でツッコミを入れた。何故このタイミングで女の子を見捨てて登校しようとするのか。彼女の中で、ヴァンの株は大暴落だった。


「ええー。助けるの面倒くさーい」

「そ、そこは助けてよ! お願いよ!」

「それに俺、草に縛られて喜んでるあんたの邪魔をしたくないんだが……」

「変態上級者か! そんな遊びしてないし、そもそも喜んでない!」


 どんな性癖の持ち主よ、と心の中で吐き捨てる女の子。


「頭にきたわ……あなた! このリーゼロッテ=スカーレットを舐めると痛い目見るわよ!」


 リーゼロッテと名乗った少女は、緋色の目でヴァンを睨みつける。

 彼女なりに威嚇をしたつもりだったが、ヴァンには通用しなかった。それどころか、ヴァンは穏やかな笑みを浮かべている。


「おう。同級生みたいだし、これからもよろしくな、リーゼ。それじゃ」


 ヴァンが三度帰ろうとしたとき、とうとう彼女がキレた。


「馴れ馴れしく愛称で呼んでんじゃないわよ……!」


 瞬間、周囲の風が慌ただしく吹き荒び、大地が微かに震えた。


「『鳴けよ風――』」


 リーゼロッテが魔術詠唱を始めた。

 魔術を発動させるために必要なマナが、リーゼロッテの周囲に集まっている。

 しかし、マナの動きは不規則だった。どこか一点に集まるわけでもなく、彼女の周りでふわふわと浮かんでいる。


 魔術師なら一目でわかる。

 リーゼロッテは、明らかにマナを制御できていない。


「……マナの動きがおかしい。リーゼは魔術が苦手なのか」


 この瞬間、ヴァンはリーゼロッテがこの状況に至った経緯を理解した。


 おそらく、リーゼロッテは魔術があまり得意ではない。マナを上手く制御できず、マナが暴れているのがその証拠。だからこそ、障害物も何もないこの場所で魔術の練習をしていたのだろう。


 しかし、リーゼロッテは練習中に魔術詠唱に失敗した。草は制御できなかったマナを過剰に吸ったことで急成長し、その草にリーゼロッテは絡め取られたのだ。


 そして今、彼女は魔術を発動させようとしている。自力で草を切るためか、もしくは怒りに任せてヴァンに攻撃するために。


「『光の加護を以て――』」

「な……風と光のマナの複合魔術だと!?」


 ヴァンは端正な顔をしかめた。

 魔術とは、自然界にあるマナを消費して撃つ神秘の力。基本的には風のマナを消費すれば、風の魔術が発動する。このように、一種類のマナで撃つ魔術を単体魔術という。

 対して、二種類以上のマナを組み合わせて発動させる魔術は、複合魔術と呼ばれている。


 当然ではあるが、単体魔術よりも、マナを複雑に組み合わせる複合魔術のほうが難易度は高い。

 そんな高度な魔術を、苦手なリーゼロッテが発動させればどうなるか……。


「『万物を焦がせ――ライトニング!』」


 刹那、疾風が駆ける。しかし、風は無軌道に荒れ狂い、とてもじゃないが制御できているとは思えない。

 次いで、依然高所にいるリーゼロッテの真下に光が収束し、そこを突き抜けるように風が疾駆する。


 光と風が融合し、数本の光の矢が飛び交った――が、やはりコントロールできていないのか、光の矢はぐちゃぐちゃな軌道で宙を彷徨う。


 その内の一本が、リーゼロッテの頭めがけて飛んでいく。


(あ……私、また魔術で失敗しちゃったんだ……)


 リーゼロッテが失敗したことに気づいたときにはもう遅かった。


 ――しまった、直撃する!


 リーゼロッテの血の気が一気に引いた、そのとき。


「危ない、リーゼ!」


 ヴァンは内ポケットから紙切れを取り出し、リーゼロッテを捕らえている草に向かって投げつけた。


 そして――紙切れは空気に融けて消えていく。


 わずかに遅れてかまいたちが生じる。真空の刃は容易く草を切り裂き、リーゼロッテは解放された。

 光の矢はリーゼロッテを捉えることなく、虚空を切って飛んでいく。


 一難去って、また一難……リーゼロッテは高所から一気に垂直落下する。


「きゃあああああああ!」


 ――やばいやばいやばい! おしりから落ちるぅぅぅ!


 リーゼロッテは目を閉じ、せめて軽傷ですむことを祈った。


 …………が、さほど衝撃はなかった。激しい衝撃に襲われると思ったが、ちょっとおしりをぶつけた程度だ。


 リーゼロッテは不思議に思う。

 どうしてこの程度の衝撃ですんだのだろう。

 そういえば、おしりに伝わったのは大地の感触ではなかった。何かこう、柔らかいクッションみたいなものに落下した感じだろうか。


 考えていると、不意に生温かい吐息が太ももにかかった。


「ひゃあっ!」


 慌てて目を開け、状況を確認する。


「いてて……あのさー、早くどいてくんない?」


 リーゼロッテの顔が、熟れたトマトのように赤くなる。

 ヴァンはリーゼロッテの下敷きになっていた。

 妙な術で草を切り裂いたあの瞬間、ヴァンは走り込み、彼女をスライディングキャッチしようとしたのだが、失敗して下敷きになってしまったのだ。


 ヴァンは無我夢中だったので、体勢は選べなかった。だから今、ヴァンの顔がリーゼロッテの太ももの近くにあるのも仕方がない。

 それはリーゼロッテも理解している。ヴァンの態度に腹を立ててはいたが、彼は命の恩人だ。そんな彼を非難することなどできやしない。リーゼロッテは照れ隠しでぶん殴ろうとする衝動を必死に抑え込んでいた。


 だが、ヴァンの一言が余計だった。


「リーゼってさぁ。童顔で貧乳なのに、結構エロい下着つけてるんだな」

「んなっ!?」


 同級生の男子に至近距離で下着を――しかも入学式用の勝負下着を――見られた羞恥心から、リーゼロッテの理性はあえなく瓦解した。


「ねぇ……死ぬ前に言い残すことはある?」

「ちょ、リーゼさん? その振り上げた手を下ろそうか。まさか無抵抗の俺を攻撃するわけじゃないよね? というか、俺あんたを助けたじゃん。命の恩人じゃん。感謝こそすれ、憎むのはちょっと違うよな? たしかにパンツを見たことは悪かった。謝るよ。だからこれでチャラにしようぜ? 水に流そう? な? よし、これで一件落着だな。ふぅー…………くんかくんかすーはーすーはー……」

「何匂い嗅いでんだこの変態ドスケベ魔術師がぁぁぁぁぁぁ!」

「ぷぎゃああああああ!」


 ばちんばちん!

 ばちんばちん!


 ……マウントポジションからの往復ビンタが、ヴァンの頬に炸裂した。



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