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チョコレートを食べながら  作者: 藍沢凪
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お題:馬鹿な壁 制限時間:1時間 文字数:2578字


「直截的な言葉で傷つけられたかった」


もう随分しっかりと傷つけられて、傷ついた表情をしながら呟く彼女はあまりに強情だった。

例えるなら炎のように生きている人。暖かくて、美しくて、永遠に見つめ続けていられる魅力が備わっていて、触れようと手を伸ばしたら火傷をさせられる、それでも離れられないで近くに佇んでしまうような魔法めいた力を秘めていた。


あの人の冷え切った瞳を思い出す。

『炎に魅入られたらおしまいよ。引火して燃え尽きるものは、物質的なものとは限らないんだから』

そんな風に語る人は永久に冬から出られないことを悲しみもしなかった。暖炉の前のロッキングチェアに座って膝にすがる子どもに昔話を語り聞かせるかのようで、だというのに、暖炉もひざ掛けも肩掛けもない凍える部屋に一人きりで訥々と話した。話す本人よりも話される私の心が凍り付いてしまいそうなぐらいの冷たさを浴びせられた。


私の目の前では炎が燃えている。時折爆ぜて音を立てながら。


「核心に迫ろうとすれば、野生的な勘でも働くのかな、うまく逃げられちゃって。そういう態度を取られ続けるたびに傷つくんだって簡単なことがどうしてわからないんだろう」


「バッカみたい」ともう何度目かのバッカみたいが彼女の口から落ちた。口癖。諦めたくて、でも諦められない時にだけ出てくる。

言葉と一緒に、彼女は足元を埋め尽くしているモミジの絨毯をローファーの爪先で蹴散らした。ガサッと音が鳴って枯れ葉が舞う。彼女の足元だけモミジがなくなってアスファルトが剥き出しになるけれど、この涼しい風と並木の紅葉具合ならまたすぐに元通りになるだろう。

行き先は特に決めていないから彼女の足取りはゆっくりだった。身長は一、二センチしか変わらないはずなのに元々のんびり歩くからいつも私が歩くスピードを合わせる。一歩遅れて歩く私のスニーカーと一歩先を行く彼女のローファーがさく、さくと共鳴する。


「決断が苦手なの。優柔不断。わかっていたけれど、こんな時までグチグチ渋られるなんてね。つくづくダメな人だなって思い知らされた。早くに割り切れて良かったかも。もっと先、私にもわからないような未来で大切な決断に迫られた時、またこんな風に何も決められなかったら嫌だし。っていうか、何でも私任せにしないでほしいし」


私に向けて話しているのか独り言なのかは微妙なラインだったけれど、「そっか」と曖昧に頷けば「そうよ」と憮然として答える彼女だった。

風が吹く。また並木の枝からモミジがぱらぱらと切り離されて私たちの前で散っていく。火花のように。昼間なら郊外からわざわざ写真を撮りに来る人もいるらしい光景の中に今は私たち二人しかいない。

彼女は顔をこちらに向ける。街灯に照らされるからわかる、悪戯っぽい笑み。誰かはそれを悪魔と称し、誰かはそれを天使と称した。また風が吹いて酸素が送りこまれる。


「あなたみたいな人だったら良かった」


ビール三杯だったか、適度に頬がほんのりと上気している彼女は素面でそんなことを言う。ふふふ、と口元に手を当てて可笑しそうに笑う。さっきまでの傷ついた表情なんてどこかへ置き去りにしてしまったみたいに彼女はころりと表情を変える。

名前しか知らない誰かもかわいいと思ったんだろうか。たまにふざけて他人行儀に話す彼女を。簡単に引火させてしまう彼女を。瞼を閉じれば浮かび上がる赤色。


「それ、何度目の感想よ」


誰かと付き合う時も誰かとフられる時も決まって馴染みの居酒屋で飲んで、ああでもないこうでもないって話をしている。私の経験値が駆け出しの勇者レベルなら彼女は歴戦の勇者。共感もアドバイスも何一つ満足にできない私でも、他に話せる人がいないからって彼女は微笑む。

それだけの振る舞いで彼女は難なく導火線に火をつけてしまう。彼女も相手も気づかぬうちに。


「さあね。でも、こういう話をする時にいつも言ってる気がする」

「そうね。話の締めくくりにいつも言われてる気がする」


彼女がまとっているポンチョの前に飾りで付けられているボンボンが歩くたびに揺れている。ボアのジャケットのポケットに手を突っ込んで歩く私と違って、彼女はいつも身振り手振りが大げさだった。感情の振れ幅も。


「あーあ、つまんない話しちゃった。私よりもさ、そっちは最近どうなの?」

「面白いことは何にもないよ」

「えー、嘘だぁ」

「本当だって。良い人はなかなか見つかんない」


今度は私が足元のモミジを蹴散らしてまたもや現れるアスファルトの無機質さ。見つけようとしなければ埋もれたまんま、日の目を見ることもない。


『何にもないよ』って笑っていたけれど、いざ訪れてみれば一つ一つの物にこだわりがあると感じる部屋だった。寒々しく思えても、私は私の持っている炎であなたを燃やせたらそれだけで良かったのに、十分だったのに。あなたは既に灰となっていてもう燃えたりしないと後から知らされた。だから『何にもないよ』なんて言ったのか。

あの人の冷え切った瞳を思い出す。

『私はもたなかった。炎に全てを焼き尽くされて、何も残らなかった。あなたにはそんな風になってほしくない』

本当はあなたが恐れているだけなんじゃないか、あなたがまたもう一度激しく燃えることを怖がっているだけなんじゃないか。内側で瞬間的に燃え上がった炎に水を浴びせたのは私自身で、だから、そう。私も臆病だったから何も言えなかった。

ろうそくの炎で氷山は溶かせない。例え自分の手が凍っても体が凍っても心臓さえ凍っても、私は私の炎を全て捧げてしまえば良かったかもしれないと後悔したって遅すぎた。あの一度きりであの部屋は閉ざされてしまった。


目の前で炎が揺れている。f分の一。

炎の色を大きさを探るような目で彼女はにやにやしている。


「新しい出会いはないの?」

「ないねえ。今はこうやって二人でデートするのが最高に楽しいから良いの」

「何それ超嬉しいんだけど!もう、大好き!」

「知ってる」


お酒が入ると途端に昔のノリを思い出して、勢い任せに抱きついてくる彼女からはアルコールの匂いがする。

脳裏に思い起こされている記憶の全部、全部を彼女が燃やしてくれたら。

私の思いも知らないで、彼女はへへへと笑っている。

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